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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6149件

自殺した彼のお母さんに恨まれている

半年前に彼が首つり自殺しました。第一発見者は、私でした。 発見した時にパニックになり何処に連絡して良いか判断出来ずにとりあえず警察に連絡してそこから救急車を呼んでもらいました。 救急車が来る間、警察の人の指示により心臓マッサージをしたりしましたが駄目でした。 それから体調を崩し手汗の発汗や震え目眩でなんとかお通夜には行ったのですが、お葬式には行けず寝込んでしまいました。 薬を服用しながら半年生活してきましたが、突然彼のお母さんが警察から私の連絡先を聞いて連絡してきて、貴方を恨みに思うと・・・ 普通は警察より先に救急車を呼ぶもんでしょう?と 貴方は息子が死んだことが分かってたから一番に警察に電話したんでしょう。とか色々2時間程責め立てられ息子を死に追いやったと言われつずけられました。 私も彼が何故自殺をしたか理由が全く分からず薬を服用しながらなんとか生活しているのに彼の母親にそこまで責められなければいけないのか理解不能な日々をすごしています。 あとお通夜の時にパニック状態だったので気がつかなかたのですが、お葬式に行った知人が最近教えてくれたのですが、お金が無いとの理由でお通夜もお葬式もお坊さんを呼ばず戒名もなく入るお墓が無いとのことで家にそのまま居るらしいのですが彼は成仏して仏様になっているのでしょうか? 目に見えないことなので私には分かりませんが、死因がどうであれ供養されない状態でも全ての人は皆成仏して仏様になれるのでしょうか? あと私の祖母が小さい時から自分にとって理不尽なことに出くわした時、それはお天道様からの気ずかせなんだからとよく言われてきたのですが、今回こんような体験をしたのは、私の何かが悪かったからでしょうか? 彼は私と出会わなければまだ元気に生きていたのでしょうか?

有り難し有り難し 93
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不幸が重なり愛犬の死がいつまでも悲しい

長いです、申し訳ありません。 去年の10月まで母方の祖母、父方の祖父母が存命でした。親子犬2匹(10歳、5歳)飼っていました。 犬は5年前に保護犬を里親として引き取り、大事に育てて過ごしてきました。(親犬は当時から心臓が悪かった) 昨年の3月、4歳だった子の方の犬に悪性腫瘍が見つかり治療開始しました。治癒困難と言われていましたが半年かけて寛解しました。 同じ頃に父方の祖母の癌がみつかりこちらも手術しました。(がのちに再発) 昨年10月に祖父(97)が急死。 今年2月に長らく寝たきりだった母方の祖母(96)が無くなり、その10日ほど後に心臓病が悪化した親犬が亡くなりました。 5月に容態が急激に悪化した父方祖母が入院後1週間で亡くなりました。 1ヶ月後の6月に悪性腫瘍再発で治療中だった子の方の犬(5歳)が急死。前日まで元気に遊んでいたのでとても急に感じました。 半年の間に祖父母3人と犬2匹を失い、非常に落ち込みました。しかし祖父母は高齢であり、親犬も心臓が元々悪かったので悲しいながらも納得しています。 職業柄生死について考えることは多く、乱暴な言い方ですが死に抵抗はあまりありません。 死ぬことや病気にかかるという事は誰のせいでもなく、誰にもコントロールできることではなく、仕方のないことだと思っているのです。出来るだけのことはして、それ以上は人ではなす術もないと思っております。 しかし、若くして亡くなった犬の事を考えると未だに涙がとまりません。納得がいかないのです。なぜ普通若い犬がかからないような悪性の病気にかかってしまったのか。苦しまずに急に亡くなってよかったと思う反面、元気だったのに急に亡くなったことに心がついていかない。 でも本当はこうなることは病気が見つかった時からわかっていました。命が長くないこと。でももしかして治るかもしれないと、奇跡を信じて現実から目を背けてしまった。 日常生活はいつもと変わらず過ごしており、誰にもこの感情は話していません。 時間以外にこの悲しみを和らげるお言葉をいただければと思います。

有り難し有り難し 16
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余命宣告された叔母に心穏やかに過ごしてほしい

私には母の妹の叔母がいます。 子供の頃から近所に住んでいて、従姉妹とも兄弟のように育ちました。 5年ほど前に癌がわかり、それからずっと闘病中でしたが、この度、次の治療がうまくいかなければ、余命3ヶ月と宣告されました。 ところが、叔母は癌になってから、(なる前から嫉妬深くて、いつも人の悪口ばっかり言っていたのですが…)自分が癌になったことが、我慢ならないらしく、すごく我儘になり、私の母とも喧嘩して、1年前位に、一方的に絶縁してしまいました。 でも、従姉妹から余命の話を聞き、私はすごく会いたいと思っています。ただ、叔母は娘である従姉妹たちにも、仕事の合間をぬって、精一杯看病してくれているのに、非常に我儘な態度で、余命を知ったら、手がつけられなくなるのではないかと、従姉妹たちも心配し、余命の話はできていないようです。 私は母とともに敬遠されてしまっており、今わざわざ会いに行くと、何かあるのではないかと叔母に勘ぐられてしまうので、行きたくても行けない状況です。 また、そんな状況で久しぶりに会っても、何を言っていいのかもわかりません。 私は叔母に最期の時間を心穏やかに過ごしてほしいと思っています。 いつ会えるかわかりませんが、会えた時に、叔母に何を言い、してあげればいいでしょうか。 とりとめのない質問ですが、おこたえ頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 24
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この感情をどうすれば…

はじめまして、宜しくお願い致します。 3月14日に急死してしまった 彼についてご相談させて下さい。 彼には前妻さんとの子供達がいますが、息子さんに、家族が増えまだ若い一家に心配もあり、おとうちゃん(婚約者)と私、息子さん一家で 一軒家を借りて共に歩んでいこうと話を進めてまいりました。 当日の朝も一緒に家を見に行って… そんな矢先に突然彼は亡くなって しまいました…。 まだ49日もすんでいませんが、彼が亡くなってしまった現実に受け止められないでいます。 生前は、温厚で器がでかく 離れて暮らしていた子供さん達にも 彼なりに愛情をそそいでいた 矢先の事でした…。 彼は若くして初孫が出来たことに大変喜んでいましたし、息子さんと一緒に生活をする事にも照れながら喜んでいました。 14日の日、おとうちゃんが胃の辺りからみぞおちが痛いと訴えて病院に行きました。 ですが数時間放置された後…急変し そのまま亡くなってしまいました…。 その日、なぜ助けてあげれなかったのか、 もっと真剣に彼の訴えを受け止めて 別の病気ではなかったのか? 疑うこともせず優しくしてあげれなかった 自分に後悔してもしきれない自責の念につぶされています。 私が彼のこれからの未來を奪ったんだと… 1ヶ月後に孫の顔が見れた抱けたはずだった 彼の幸せを… 皆に祝福されながら生まれるはずだった 孫ちゃんが彼の生まれかわりだね…と 言われながらこの世に生まれてしまったこと… 全ての事が私があの時、助けてあげれなかったからだと…彼は苦しんで今も訴えているんじゃないかと…。 悲しくて絶望の中、頭で理解してる つもりなのに現実を受け入れられず、 泣くことも我慢してしまいます…。 心が…気持ちが…わからない。 頭では居ないとわかってのに 待ってしまう…いつかいつもの笑顔で 帰ってきてくれると… 最後の言葉、あの時の苦しんでる光景が 頭から離れず…フラッシュバックしてきます。 彼は今、亡くなった事を理解しているのでしょうか…。 私の性格をわかっている彼が…心配して悲しんでいるかも…。 もしくは苦しかったことを理解して くれなかった私に怒っているのかも…。 まだ彼は私に姿を見せてくれなくそう 思ってしまいます。 まとまりがなく何を相談したいのか… わかりにくい文面で申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
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気持ちの整理がつきません

私の母親は私が3歳の時に再婚しました。5歳の時に妹が生まれました。そこから義父の態度が私には冷たくなっていきました。お父さんが違うと言う事を分かっていた為に余計、感じていたのかもしれませんが、義父が機嫌が悪いと当たるのは私。寝ている私の髪を踏んだり、ちょっとした事でも大きな声で怒ったり、無視される事はしょっちゅうでした。中学生になると手をあげる事もどんどんエスカレートして、母が離婚を決めました。離婚届けに半を押した日、義父は自ら命を絶ちました。私は自分のせいだと強く思いました。義父の母親、私からゆうとおばあちゃんからも、あんたが殺したんよと言われ続けました。母親と供養しようと月命日には毎月、お墓まいりをしていましたが、私の年齢があがるにつれ、供養しないととゆう気持ちと、今まであんな事されてきたのに。とゆう気持ちが重なり、お墓まいりをする気持ちになれません。私も結婚し、子どもが生まれ、親の気持ちが理解出来るようになって、余計思います。亡くなった人を悪く思うのは良くないと思いますが、どうしても前向きに考えられません。考えを改め直したいです。アドバイスを下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 12
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先日母親が亡くなってとても辛く淋しいです。

幼少の頃から母親が苦労してきたのを見てきたので自分が早く大きくなって母親にたくさん親孝行することを糧に生きてきました。 ずっと母親っ子でとても優しく、自分の事よりも子供の事を何より優先して心配してきた母親、、 そんな母親との日々が仕事してても糧でした。 それなのにまさかの先月緊急入院してから僅か2週間で他界してしまい、、今でも信じられません、、末期の癌からくる腹膜炎でした、、84歳でした。 2週間付きっきりで看病してましたが、母親は最初の一週間は「迷惑かけてごめんね、、退院したらまた年末一緒に買い出しに出掛けようね、、がんばるからね、、と、、」 手を握りながら相づちうって笑顔振りまいてましたが、すでに主治医からは余命数日と予想もしない宣告受けててとてもとても苦しくて一人の時は号泣し続けていました、、 母親はまた家に帰れる想いで頑張ってるのに、本当の事はとても言えなかった、、 2週間目に入ったら一気に急変してきて話さなくなり、、それでも必死に口の渇きを潤してあげあり耳元で話し続けてました、、 母親は涙浮かべて、ぎゅっと手を握り返してくれました、、今思い返してもその時の光景が離れません。 最後は、徐々に息も絶え絶えになり眠るように永眠しました、、 号泣してありがとうを何度連呼したか、、嗚咽止まらず叫び続けました、、 亡くなってまだ2週間ちょっとですが、空虚感、悲壮感、孤独感、現実に受け止めれません、 何もやる気がおきず、母親の元にすぐ行って支えて一緒に逝きたいとかばかり考えてしまう今、、 家にいても母親の直前まできてた服や、台所の物とかはもちろん、出掛けても母親と行った場所、道がどこも頭をよぎって涙が止まらずさみしくて辛いです、、 母親の写真を常に肌身離さず持ち歩いて話しまくってます、、 84歳なら往生だと思うよとか、周りは慰めで言ってきても、自分にとっては全く素直に受け入れられず、逆に親のいる人に何がわかるんだ!と怒りとか苛立ちばかりになってしまう、、 普通に過ぎていく毎日がいかに幸せだったか、こうした別れで深く感じています。 今は普通に過ごす事すらつらくてたまりません、、 母親の涙流しながら手を握り返してくれた想い、、言葉で聞きたかった、、 母親の気持ちが聞きたくてたまりません、、 母親が高齢の時生まれた自分でまだ独身なので余計淋しいです、、

有り難し有り難し 19
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