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hasunoha 問答検索結果 : 「お坊さん 悟り 」
検索結果: 655件

宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 36
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理性じゃ死にたい欲求は消えない

もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。 私は人生と戦った。 私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。 勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。 でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。 もう沢山だ。 そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。 リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。 そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。 だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。 そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。 私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。 自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。 人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。 だから最後は宗教にすがってる。 助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。 寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。 だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。 まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。 なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。

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宗派を選ばないと仏教徒になれないのでしょうか

この度はお世話になります。 私も家族もキリスト教の洗礼も受けていないし、仏教の宗派にも属していません。 きちんとどこかに属されて宗教を信仰されている方々からしたら無宗教と言われるかもしれませんが、神様、お釈迦様、仏様・・・具体的には分かりませんがすべてに感謝し、毎日何度か感謝と祈りを心の中で唱えています。 両親の実家はお寺とのお付き合いもあり、法事もきちんとされていたのですが、私の実家は兄弟が多く、裕福な家庭ではなかったので日々の生活に追われ、お寺とのお付き合いなどもありませんでした。 でも、母は自分が小さい頃に両親から聞いた仏教のお話を私たち子供にしてくれて、兄弟は皆おとぎ話か昔話のように興味深く聞いていたのを覚えています。 先祖の仏壇にお供えをし、お線香をあげ、手も合わせています。 最近仏教についていろいろ調べて、興味を持ちましたが、知ることが増えるにつれて、分からないことが出てきたため、どの宗派がいいのか決められません。 そこでいくつかお話をお聞かせいただけたら幸いです。 ①宗派に属さないと仏教徒とは言えないのでしょうか。 ②もし、宗派に属さなくても、仏教を信じる場合は、どのように手を合わせ、何と唱えればいいのでしょうか。宗派によって違うと思うのですが、共通するものや一般的なものがありましたらご教示ください。 ③仏教を信じているけど宗派に属していない場合は、お葬式、戒名、位牌などはどうすればいいのでしょうか。 ④日本でのお葬式は仏式が多いと思うのですが、仏教徒ではなくて仏式のお葬式をあげているだけの場合でも、戒名や位牌をいただくだけで出家して成仏し、極楽浄土へ行くことができるのでしょうか。 ⑤仏教を信じ、どんな困難も乗り越えて、真面目に、人を助け、一生懸命に生きた人でも、宗派に属さない、または宗派を決められないために戒名も位牌もない場合は成仏も極楽浄土へ行くこともできないのでしょうか。 調べているうちに、どこの宗派にも属さない単立の寺院や神社もあると知りました。 でも、それはそれである意味、単立という宗派のようにも思ってしまいます。無知な意見をお許しください。 お答え辛い質問かとも思いますが、ご教示いただけると助かります。 どうぞよろしくお願いいたします。

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仏教を学ぶ際の宗派の選択について

 齢30を前を区切りとして、生来の性格と言動を見直した時、己の心の弱さ・下賤さ・欲深さを認知しました。特に、承認欲と嫉妬心が強いことに、ほとほと嫌気がさします。  色々な苦悩と対峙した人生を、今後も歩み続けるのだと、考えたとき、仏教の思想を身に着けることが、良き処方箋になるのではないかと思いました。2000年も前に同じような悩みを、哲学された御仁がおられるのですから。  どこかの宗派に属して、少しずつでも仏教の学びを深めてゆきたいのですが、はて、どの宗派を選択すればよいのか?どのような観点をもって選択すればよいのか、全くわからず困惑しています。  宗派の思想に共感した所を選べばよいのでしょうが、仏教やその歴に浅学な私が、適当に選ぶことも憚られます。また、(思想・精神的な面も含めた)戒律の制約なども関わるとすると、一層、選択が複雑となります。だからといって、自宅から近い、近所のお寺に伺うことも、どこか礼を失している気がします。  そこで質問なのですが、どのような着想をもって、宗派を選択すればよいのでしょうか?また、参考までにお坊様は、何を根拠に現在の宗派を選択されたのでしょうか?ご教示いただけますと幸いです。

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地獄、輪廻転生について

長文失礼します。Youtubeで地獄という動画を見て個人的にどうかなと思ったので質問させてもらいます。 よく自殺したら地獄へ行く。両親より先に死んだらさいの河原で石を積みあげ、無益な殺生や戦争などで人を殺したりするとそれに対応する地獄へ行き罪を償うと拝見しました。また転生の際は前世の行いによって生まれ変わる条件や生物までもが決められると知りました。欲深く生きていると豚、嫉妬深いと蛇といった感じでした。私にはそれが理解出来ません。 皆仕事や受験で他人を蹴落として上に上にと高みを目指し時には他人を恨みそして欲望の限りお金を儲ける。無益な殺生であれば蚊やゴキブリといった虫を誰もが殺すし戦争であればお国の為にと戦った兵士が何故地獄へ行くのか。自殺した人が地獄へ行くのもどうかと思います。現世でいじめやパワハラ、生きにくい世の中に絶望してその人にとっては楽になりたい、この苦しさから逃げたい、生きている方が地獄だという思いで自殺すると思います。なのに死んでからも地獄は理不尽ではないでしょうか?両親より先に死ぬのにも病気や事故、天災といった理由でもさいの河原で石を積みそして地獄へ行くのはおかしいと私は考えています。 地獄、あの世も時代と共に変化する必要があるのではないでしょうか?自殺した人で地獄へ行くのは殺人などの重い罪を償わず逃げる為に自殺した人は地獄へ、現世で苦労した末に自殺した人は次の人生では幸せな人生を送れるようにするべきです。また仏様はその人が越えられない壁は人生に作らないと聞きましたがその人が壁を越える事ができなかった時のことは考えているのでしょうか? 是非、お坊さんの意見を聞きたいです。

有り難し有り難し 30
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正しい親孝行、生きる希望を教えて下さい。

私は過去にいじめとかがあり、本音が周りに言えないせいか精神分裂しました。 「自分に興味がなく本音を一切もらさない自分(以下Aと呼びます)」と、「そんな自分を大事にし『自分』をいじめるやつには容赦なく暴力ふる自分(以下Bと呼びます)」です。 Aは正直、自殺したいですが親にしてはいけないと言われたのでしません。しかし、BにとってはAは死ぬことでいじめる奴がいなくなる&親の前で頑張っているアピールをしなくて良くなるから幸せになると考えています。 Aは私自身なので私はとても死にたいです。 私はBとは違い生きる理由も無く、死んだ方が親の為になると思っているからです。 そこで考えたのが、やってはいけないですが臓器の売買です。 私の身体全部売ればお金になります。 それが一番の親孝行であり、全部売るので葬式も挙げなくて済みます。また、「自殺してはいけない」という条件にあてはまります。 やりませんが。 私は家族自体が「自称家族」だと思っているので、私に寝床やご飯をくれるから、死ぬにはお金で返した方が良いと思っています。 社会に出て働くのもありですが、前にアルバイトしていたときいじめを受け、その時にBがいじめたやつを殺す勢いで殴ろうとしたので、それを止めることが大変だったので本当に働けるか不安です。 多分、勘違いしているかもしれませんが、家族にはいじめられてません。本当です。 前置きが長くなってしまいましたが、今年から社会人に向けて準備をしないといけないのですが、私自身に生きる希望もなく、Bをこれからずっと押さえ込める自信が無く、困っています。 親自身は社会に出て働いて欲しいと言っていますが、私自身が親の前で良い子を演じるのも辛くなってきました。 また、自分自身が働くという意志が持てず、全然準備が出来ません。 死に繋がる親孝行の回答はかなり難しいと思うので、死ぬこと以外での親孝行を教えて欲しいです。 また、もしこの質問に回答してくれるお坊さんがいっらしゃいましたら何を糧に生きているのかを教えて下さい。

有り難し有り難し 5
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疲れました

お世話になっております。 先日、職場でとても嫌な思いをしました。 考えなければいいのですが、どうしてもそのことが頭の中をよぎり眠れません。 こんなときどうしたらいいのでしょうか。 私はディーラーの経理で働いております。 出庫ラッシュ+電話フィーバー中に一人のお爺さんがカタログもらいにきました。 営業さんが手が空いていなかったので、私がお客様のところへすぐに向かい、車種を聞いたところ、名前が出てこず「○○ですか?▲▲ですか?」と伺い「その上の」と言われたので、★★かな?と考えていたところ、営業さんが「××ですか?」と言いました。 「そうそれ、××だ。なんだよもう。すぐに名前くらい出てこないとダメだろうが。名前くらいさすぐに出てこないと」等と言うことを何度も何度も何度も言われてバカにされ、心が折れました。 別のお客様をお待たせ中で会計中でしたので「おかけになっておまちください」とお伝えし、お金をしまっている最中も、ポスターを見ながら「そうだ、××だ。名前くらいすぐに出てこないとダメだろう。……………聞いてんのかよ。何にも聞いてないです~みたいなすました顔して元に戻りやがって。××だっつってんだろ」と更なる罵声を私に浴びせてきました。 そのあと、カタログを取りに行き、お客様お待たせ中の店長に訳を伝えたところ、引き受けてくれました。 店長がそのお客様のところへいって「××でよろしいでしょうか?」と渡しながら言ったところ「××でよろしいでしょうか?って何度も××だっつってんだろ。××でよろしいでしょうかじゃねぇだろう」と言って去っていきました。 普段、営業のように車にふれていない自分の勉強不足差を反省しつつも、ここまで言われなくてもいいのではないかと、辛くて辛くて仕方ありません。何度も何度も何度も。他のお客様もたくさんいる中でのその対応に深く傷つくと共に、自信がなくなりました。 別のディーラーや某ホテルにいたこともありますが、このような方は始めてで、しばらくドキドキがとまりませんでした。 部長に話すと「どこのお店に言ってもこういった人はいるから気にしなくていいからな」と言われつつも、どうにも忘れられません。 お坊さん方もきっと忘れられないような嫌なことはたくさんありますよね。そんなときはどうされていますか? どうかアドバイスお願いいたします。 明日も笑顔で頑張るために。

有り難し有り難し 43
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地獄について

お世話になりますm(  )m 今臨死体験の本なども読んだり ネットでも見たりするのですが 地獄についてどう思われますか? 私は地獄があってほしい派です 世の中には人を平気で苦しめて 平気でいれる人がいます まさに悪魔そのもので 自分には理解できません 極端な話がテロリストなど イスラム国の人達など あのような残虐な事が平気で出来ることが 本当に信じられませんし あのような事を平気でしてきた人達が 何の裁きも受けないのはあり得ないと 私は思います 同じ人間なのに どうしてあのような事が出来るのでしょうか 私は悪いことをすれば 必ず報いを受けるべきだと望んでいます 完ぺきな人間はいませんから 多少の悪は仕方がありませんが そうゆうレベルではなく もう「 死んでしまいたい 」と その人をおとしめてしまうような 詐欺だったり、泥棒だったり 苦しむことを平気でやった人に対する思いです 殺人は相当に罪が重いと 私は思います しかしネットで見たのですが 地獄は存在しない 人はみな天国へ行く どんなに悪いことをした人でも 天国へ行くと書いてありました ( 死後の世界や天国は信じる方ですが 地獄は存在しないと言われる方です ) と書かれているのを見て そんな訳はない!!と 思いました、納得できません 今自分が読んでいる本( 臨死体験の本です、カールベッカーさんの本です )には( まだ読んでる途中ですが ) 地獄が存在すると書かれてありました ( 臨死体験された方が見てきた ) 鬼の様な人たちがいて その人?により そこに拷問を受けて 苦しんでいる人たちがいた  と書かれてあります グロテスクではありますが 散々悪いことをしてきた人たちには この様な裁きを受けるべきだと 私は思っています!! お坊さんはどう思われますか? よろしくお願い致します

有り難し有り難し 159
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友人の悩みを聞き続けた結果・・

1年半前、友人から「旦那に浮気された」と相談を持ち掛けられました。 それまでの私と彼女は、わりと何でも話せる方で、色んな話をして笑っていました。 彼女はだいぶ弱っていたので、その日から今日まで1年半、 立ち直って欲しくて、何度も頑張って励ましました。 深夜の電話でも、励ましました。 しかし、話を聞いているうちに・・・ 旦那さんより友達のほうが悪い気がして来ました。 (仕事等で傷ついた旦那さんのフォローをしない奥さんだったと判明。) そしてまた最近、話をしました。 私は何気なく、自分の仕事が上手くいっている話をしました。 そうしたら、 そんな話、聞きたく無い!と逆上&炎上・・・。 なんというか、それがあまりにもショックでした。 大声で「それを聞くの?私が?」と言われ。。 今までの励ましも気遣いも、全部当たり前だったのかなぁと ショックを受けてしまいました。 もしかして、旦那さんもこういう彼女の姿を見て、嫌になってしまったのかなと・・。 優しく接していればきっとわかる日が・・と思っていた私の優しさは 違うものだったんだと反省しています。 もうあまり相手に感情移入出来ないけれど 出来れば立ち直って欲しいです。 こういう友達には、どう接しているのが良いのでしょうか? お坊さんの意見をお聞きしたいです。

有り難し有り難し 84
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子孫に因果応報?

こんにちは。 仏教を勉強するうちに今まで誤解していた色々なことが明らかになって、例えば、今は無我もちょっとだけ納得できるようになりました。だいぶ落ち着いてきたのですが、実は因果応報について気になっていることがあるんです。よかったら、お暇な時に教えてください。 因果応報とは、良い事も悪い事も自分がやった事の結果が出て来るということなのですね。親や祖父祖母、そのまた上のご先祖様の代の因縁を自分が背負うなどということはあるのでしょうか。 借金など明らかなものではなくて、例えば何代も前の先祖の行いが悪くて人を泣かせていたから今度は子孫が泣かされるめぐり合わせになるとかそういうことです。そういうのは何代も前になれば事実関係を確かめられなくなっていきますし、気にしないで自分がしっかりしていれば大丈夫だ!と思うようにしてはいるけれど....でも、いかにも血のつながりで受け継がれていきそうな気がしないでもないんですよね。お坊さんのような人で先祖の因縁の話をする人がいたので、今でも時々ちょっと気になります。 因縁が受け継がれて子孫に因果応報が出て来るということはあるのでしょうか。 追伸 因縁を断ち切るお祓い数十万円とかいきなり言われたらさすがに怪しいと思うのですが、仏教の話もちょこちょこ入ってくるともっともらしく見えたりもするから....人の心って、もう大丈夫だと一度は思ったつもりでも迷ったりする頼りにならないものですね。自分で自分のあやふやさに笑ってしまいました。

有り難し有り難し 127
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仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

有り難し有り難し 86
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