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hasunoha 問答検索結果 : 「 煩悩 」
検索結果: 3760件

姑の自慢、苦労話を黙って聞くべきでしょうか?

姑に 「あなたは良い旦那様と結婚出来て良かったわね。私は苦労した。」と言われます。 主人は思いやりのある人ですので 「ありがたく思っています。」と答えます。 しかし、姑には言いませんが、主人の結婚前の借金を立て替えたり、結婚式の費用や新婚旅行、指環も立て替えました。 裏切りもありました。 「あなたは母乳育児で楽が出来て親孝行な子供を持ったわね。私は楽が出来ず大変だった」と言われます。 母乳育児が楽なのかはわかりませんが、息子は障害があります。正直とても苦労しています。 「自分の娘は嫁ぎ先でとても苦労していて、立派。」 「私は結婚も仕事もとても苦労した。あなたは楽で良いわね。」 私が黙って聞いているので、姑はとても気分が良さそうです。 ふと、私は何故こんなに不快に思いながら話を聞いているのかと思うようになり、姑が憎らしくなってきました。 主人は「お袋の話を聞いてくれてありがとう」 と言ってくれています。 私の苦労も我慢も知っています。 今、姑の顔を見るのも、声を聞くのも嫌になってしまいました。 姑の事を憎らしく思うくらいなら、言い返した方が良いのか。 姑を腹の中で憎らしく思いながらも、姑の気分を良くさせている方が良いのか。 長々と愚痴を書いてしまい申し訳ございません。 こんな私に助言を頂きたく思います。

有り難し有り難し 39
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人を憎みたくない

今年入社した新卒です。 やりたい仕事に就けて、毎日が発見で溢れて楽しい…のですが、 直属のリーダーの先輩が悩みのタネになっております。 言いたくないのですが、先輩は仕事ができず、仕事に対する姿勢も悪く、 後輩の私の前でも常に怒られています。 職場の先輩方全員が諦めている様子をほんのり感じています。 後輩の前で仕事がしたくないと泣きわめいたり、自分の不愉快な感情を堂々と表に出したり、と…これが社会人?と毎日頭がクラクラします。 日々仕事をしている中でもその先輩の仕事への不誠実さが目立ちます。 他の先輩方がサポートに入ってくださっても当たり前と思い、指示も聞かず、同じミスを何回も… 長くなりましたが、やりたい仕事で、職場の条件もいいのに、その先輩1人のせいで心が乱され、本当に毎日が辛いです。 既に他の先輩方には相談しております。 気を遣われており、いつでも話聞くしサポートするよとは言われていますが、頼りすぎるのも申し訳なく思います。 と思って、自分が先輩のカバーをしようと思えば思うほど憎しみが強くなり… なぜこんな人の元に私を入れたのか?なぜこの人を責任者にしたのか?なぜこの人はこんな失礼な態度を他人に取れるのか?自分の態度がお客様に失礼だと思わないのか?等々… 理不尽な目に遭った自分を庇おうとすればするほど、自分の正しさに拘りが強くなり、苦しみが増していることを実感しています。 人を憎みながら仕事をするのが辛いです。 これは辞めることも視野に入れるレベルなのでしょうか?悩みすぎて頭が痛いです。助けていただきたいです。

有り難し有り難し 15
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悟ると諦めるの違いは何か。

質問失礼いたします。 行く先先で虐待、人間関係、ブラック企業と色々ご縁が続く私でございます。 代わらず嫌な出来事は多く目の前にあり、 夕飯の支度をしながら 疲れたな、死んでやろうか。 などと思うこともありますが、 まあそれも無駄だな、と思いながらなんとかストレス回避をしながら楽しみをみつけて毎日過ごしています。 過去のトラウマはだいぶ歳のせいか痛みを覚えてくる事は減り、まるで他人の事のようになってはいますが、周りを助ける経験や知識として生かす事が出来るようになってきています。 そんな最近の趣味が、 人と議論することや、 思考実験的な小説を書く事なのですが、 仏門を題材に小説を書きたく思い、 悟りと諦め、 または悟りとは何なのか、が気になっているのですが、説法頂くことは可能でしょうか? 仏門が目指すところは、 楽しく生きて死ぬための基本的な知恵だと思っています。 本を読んだりしてはいるのですが、 お恥ずかしながら、今回書こうとしているのは家が寺の為そのまま住職を引き継ぎ、 まだ自分の目指すものの先が見えず悟りとは何かと悩むおそらく浄土真宗の僧侶の話です。 (浄土で救われるなら、生きて頑張る必要はないのでは?ととんだ浅はかな考えを持っている、若い住職です。) 寺を訪れにくる人たちの過去の虐待経験や家庭の問題を受け身で聴き、俗世を憂う話です。 お坊様達は、痛みだらけの世の中をどうかんがえていますか? 痛みばかりでも、人生捨てたもんじゃない、と思いますか? できれば、このような経験を自分がした事がある、というお坊様のお話もきければと思います。 過去の事は過去、自分も他人も許し前を向く、というようなことをしてみても、やはり古傷はいたいです。 悩みではなく質問になってしまい申し訳ありません。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 31
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亡き夫の夢

老後は田舎で二人でスローライフを楽しもうと田舎に家を建てて暮らし始めて3年、夫に肺癌が、見つかりました。 すでに合併症もおこしており、3ヶ月も持たないと告げられましたが、自然療法も取り入れて、2年3ヶ月、闘病生活の間には旅行に行ったりすることもできました。 夫が亡くなって5年経ちます。 一人で田舎に残されて途方にくれましたが、夫の残してくれたもので、今の暮らしができていることに感謝しつつ、地域の方にも支えられ何とかやってきました。 困る事があると何度も夫からのメッセージと思われる出来事があり、解決できました。 そのことにとても支えられ、いつも見守ってくれていると信じて暮らしています。 5年目の命日の翌日である今朝、夫が夢に出てきました。 歯が痛いので歯医者に行くと言っていなくなります。以前も夢の中で、歯が痛いと言っていました。 闘病中に薬の副作用で歯が痛くなる症状があり、痛みはあまり訴えない夫でしたが最後の外出の際も歯の痛みで途中で帰りました。 亡くなってからは、もう痛みから解放されて安らかであってほしいのですが、どうなのでしょうか? 私の中に辛い想い出として残っている意識が問題なのでしょうか?

有り難し有り難し 28
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「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 65
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般若心経の「無無明・亦無無明尽・・・」の部分について

こんにちは。 前回質問から、般若心経の「無無明・亦無無明尽・無老死・亦無老死尽」 の部分が、やはり気になってしまってるので質問させて頂きます。 この部分は十二縁起についての言及との事ですが、 十二縁起を乱暴ながら私なりに要約すると 根源的な無知(無明)→生存本能と外界知覚(行・識・名色・六処)→本能と分かち難く生じる煩悩(触・受・愛・取)→本能と煩悩で成り立つ生存(有)→生存する主体として「私」という想念が生じる(生)→「私」はいずれ死ぬ(老死) と、言う事でしょうか。 私の考えでは、この部分について般若心経は 「どんなに達観しても十二縁起の因果関係は断ち切り難い」 (「無」無明尽・「無」老死尽→否定としての「無」) けれども 「物事をありのままに見れば(空相にて照見すれば) 全てが、かけがえのない真実と分かる」 (「無」無明・「無」老死→空相、全体性としての「無」) と「無」と言う言葉が違った使われ方をしているように 思うのですが如何でしょうか? 字面通りに読めば「Aは無いけど、Aは尽き無い」と言う二律背反になり、 これでは意味の全く通らないナンセンス文章です。 この部分、般若心経を読む誰もが最初に「あれ?」と思う所ですが、 腑に落ちる説明をしている本がありません。(偉そうに言える程、 本は読んでないですが) 中には「十二縁起なんて形式にこだわるのは小乗仏教だ。 般若心経は大乗仏教だからそんなものに拘らない」 とバッサリ斬っている書籍もあります。 そんな単純なものでもないと思うのですが・・・ 解釈は色々あるかもしれませんが、お考えをお教え頂ければ幸いです。 何だかマニアックな質問になってしまいすいません。

有り難し有り難し 89
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失礼なことをついやってしまった…。

お坊さんの皆さん、いつもお世話になっています。 今回はつい先ほど失敗してしまった件についてご相談です。 よろしくお願いします。 少々の詳細は「あなたの煩悩」に書いて、ここでは少しぼかしますと前置きしつつ。 実はさっき、とある片付け終了後の待ち時間中(「あなたの煩悩」に記載)にある人(「あなたの煩悩」に記載)がお話ししてくれてる際に、つい腕時計に目をやってしまったんです。 話がつまらないとか、そういう悪気があったんじゃないです。 ただちょっと時間がふと気になってしまったんです。 そしたら怒ってしまい「もういい、もう知らないから~」と笑顔で言われてしまいました。 何度も謝りましたが許してくれず「もういいで~す(笑顔)」の一点張り。 そのまま自分からは話しかけられず相手も話しかけず帰宅時間まで気まずかったです。 ということで、自然思ったことを羅列すると ・本当に失礼で申し訳ないことをした。 ・謝ってんだから許してよ ・誰だって失敗はあるだろ、どうしてそんなに怒れる?、変な話スルーしてくれたってよかったじゃないか ・次会うときからどうすればいいんだろ… ・次から話しかけづらい・話しづらい ・もうやだ… 正(?)の感情もあれば負の感情もあります。 でもやっぱり悪いのは自分です。 でもでもこれで口を利かない人間関係になったら、もう自分針のむしろです。 最近ちょっときびきび動かなきゃいけないアルバイトやっていて、腕時計で時間をよく確認するためか、どうも腕時計をふと見る癖がついてしまった節があるんです、今度から気をつけられるのだろうか不安です。 はあ~(溜息)、うあ~(後悔と苛立ち)、俺は完璧な人間じゃないんだよ(ぼそりと愚痴) で質問はなに?と言われると、正直甘い性格の自分はただ慰めてほしいだけなのかもしれません(厳しい意見でも頑張って受け止めます)。 けれど強いて言えば、人間関係や今抱えてしまった正(?)の感情と負の感情、その人がもう口きいてくれなくなった時の心の折り合い、こんな自分についてなど意見が欲しいんだと思っています。 漠然としていてすみません。 それでも回答をしてくださるお坊さんがいてくだされば、どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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浄土とは何か

お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。 浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。 1本願に疑い無くなるのが信心 2しかし、本願を信じられない 3信じられないのは煩悩があるからだ 4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う 5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機) 6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法) これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。 浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。 僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。 自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。 ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。 南無阿弥陀仏

有り難し有り難し 24
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罪の意識で苦しいです

自分は今まで散々悪いことをしてきたと思います。 人を傷つけたり、いじめたり、凌辱しようとしたり、泣かしたり、陥れたり、殺そうとしたり。 ものを盗んだこともありますし、破壊したこともあります 悪意を持って人に近づくなどざらです。 相手を粉々に砕くことに喜びを覚えることもありますし、犯罪的な仕打ちをして絶頂を覚えることもあります。 暴力は特に爽快を感じており、想像するだけでたまらなくなります。 悪いことを平気で行えますし、それを食らわした相手につばをはきかけることもできます。 殺人だって平気でできそうです。 犯罪を喜んでしまいます。 この世に悪がのさばることもうれしいです。 暴力こそ最高の快感だと思うときがあります。 正しさとか、善とかくそくらえって思います。 人間なんていくら死んでもいい、人が死んで内心喜んでたりします。 もっともっと世の中なんて悪くなっちまえと思うんです。 レイプでもして粉々に打ち砕いてやろうかって思うんです。 全部滅びちまえばいいのにって思うんです。 完璧に根っこから腐ってます。 悪が根っこのほうに住みついてます。 どんなやつだろうが、殺して、犯して、ぐちゃぐちゃにしてやろうかって思うんです もうどうにもならないんですか

有り難し有り難し 59
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何度目かわからない家出をしました

以前父のことで相談した者です。 私は父と折り合いが悪く、それもあって一人暮らしをしています。 現在仕事が原因でうつ病になったので休職中です。それもあって、たまに実家に帰るようになりました。 家の近くに祖父母が住んでいるのですが、2週間前に祖父が倒れました。肺炎だったため入院し、だいぶ元気になったので明日に退院が決まりました。 この2週間は母と私が認知症の祖母に付きっ切りで泊まりに行っていました。父は相変わらずなにも手伝いません。むしろ暑さでイライラして当たってきていました。 つい先程、些細なことで父と口論になりました。つまらない事です。お互いに心が狭いので怒鳴り合いになりました。「父さんの言う事が聞けないなら家を出て行け。もう二度と帰ってくるな」と怒鳴られ、私もカッとなって荷物をまとめて飛び出しました。多分今までで一番大きな衝突です。家を飛び出してからぼーっと駅まであるきました。なんて下らない口論をしたんだろうと自己嫌悪がひどいです。最近思わなかった自殺欲も出てきました。薬をODしていないだけ以前よりマシですが飲みたくて仕方ないです。明日祖父が退院なのでもう大丈夫だと思いますが、また母親に心労と心配をかけてしまいました。こんな子供で申し訳ないです。お母さん産まれてきてごめんなさい。お母さんごめん。疲れてるのにごめんなさい。 はやくしんでしまいたい。

有り難し有り難し 9
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宗教の悩み

(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。) 私は今宗教が理由で自殺したいと考えるぐらい精神的に苦しい状況です。 私は生まれたと時(亡くなった祖父の代)からある宗旨でした 現在は27ですが今まで色々葛藤はありながらも朝夕熱心に信心してきました。 しかし色々な事があり(話すと長くなる)世間一般のような無宗教で普通な人のように生きたいと強く思うようになりました。周りの人をみると羨ましくも思ってしまいます 祖母にはやめた人を今まで見たけどろくな人生をおくったひとはいないとかやめたら必ず罰があたると言われました 実際に私のやめた人や知ってる人でもみな癌や重篤な病気で早くに亡くなっています。 お寺の住職にはやめると家族が積んできた功徳を全て無にし家族とも縁をきることになると言われました 宗教をやめるということは大きな罪なのでしょうか? やはり自分もやめるとそのような末路になり不幸になるのでしょうか? 死んだら地獄に落ちますか? もう頭の中が宗教の事や恐怖心や罪悪感でいっぱいで生きるのも辛いです。 謗法とか気にせず普通な人生を送りたかったです。 信者からすればこんなありがたい御信心をなぜやめてしまうのかとか言うと思います。 そうやって言われるのも苦しくなります。 ホームページや御利益体験談などをみるとこの宗教がものすごくありがたいみたいなのです 癌が消えたり不治の病が治るとか、だが信行を怠ったり疑いの心を持ったりすると体が悪くなったり怪我をしたりして信心を起こさせるためにお罰を下さったとか。 この宗教が正しければ正しいほどやめることへの恐怖心がとてつもなく大きいです またこの宗教は功徳も大きい分罰も大きいと思いこんでしまっています。 だから今まで熱心にしてきた分やめることへの恐怖心や罪悪感などがどうしても忘れられません。 それでもやめて忘れてしまい周りのように普通に生きたい、でもやめたらろくな人生を歩めないかもしれない、この家に生まれた以上信心(家の仏壇やお寺との関係)を相続していかないといけないとか色々毎日考え頭の中が錯乱し何をしても楽しくありませんし生きた心地もしなく現在は精神安定剤を飲んでいますがもう限界がきています できれば忘れてしまい前向きに生きれる方法はないのでしょうか? 今後やめたとしどのように実家と付き合いどのように生きていければいいのか分かりません。

有り難し有り難し 46
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子供の名前についてアドバイスを下さい

子供の名前で悩んでおります。 現在8ヶ月になる子供がいます。 最初はプロフィールにある名前の最初の一字だけにしようと話していました。 何事にも挑戦していって欲しいという思いからこの名前!と主人と2人で決めていました。 しかし出産直前に軽い気持ちで行った姓名判断でその名前の運勢がかなり悪い事が発覚しました。 そこで運勢のよくなる二文字目を足しました。 その時はこれを足しただけでいい運勢になる上、意味もいいし、きれいな名前と思いこの名前にしようとなりました。 主人は姓名判断を気にする性格ではないので一文字が良さそうでしたが、もし将来何かあった時私に運勢のせいだと色々言われるのが嫌で納得してくれたのだと思います。 そして産まれた時、子供の生命力に感動し、この子には運勢なんて関係ない! 一文字でも大丈夫だと思いました。 でも運勢の事が気になりそう言えませんでした。 そして心残りがありながらもこの二文字になりました。 ですがやはり今考えると当て字だし、キラキラしてるし、一文字の方が幅広い層に受け入れられるので、何で運勢なんて気にしたんだろうと毎日朝から晩までずっと何ヶ月も後悔しています。 そして少し派手な有名な芸能人の方がいらっしゃるので名前を聞いて笑われた事も何度もあります。 元々2人で決めた一字で良かったのに、私が変にかき乱したせいで今時の名前にしてしまいました。 就職活動や仕事で名刺交換をする際にこの名前を見られて、キラキラした当て字を使うような親に育てられた子と思われて名前が足を引っ張ってしまうのではないかと心配しています。 意味もあるし、きっとこの名前になったのは運命だからと思おうとしてるのですが、どうしても好きになれません。 病院なので名前を呼ばれると恥ずかしかったり、名前の二文字目を見るとすごく悲しい気持ちになります。 そして考えている時の私の顔が暗くて子供に申し訳ないです。子供の前でも名前後悔してると人に話してしまったりして、本当最低な母親だと思います。 運勢を気にしたりする弱い自分が出た時に付けた名前だから今も納得出来てないのかもしれません。 早くこの悩みをなくして、名前ごと子供をめいいっぱい愛したいです。 こんなに長い間悩むなら名前を改名した方がいいのでしょうか。 もうどうしたらいいか分かりません。 アドバイス頂けないでしょうか。

有り難し有り難し 15
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