煩悩について
お世話になっております。
浄土真宗では煩悩をどう捉えているのでしょうか。
煩悩を自覚することで慚愧し、内省するのですよね。具体的に、慚愧とはどういうことなのでしょうか?
例えばですが、僕も男(人間)ですから性欲というものはありますが、性に関する煩悩を自覚した時には性欲をどうするのですか?消そうと試みるのですか?(煩悩を否定的に捉える)まあ、いいやと開き直るのですか?(煩悩を肯定的に捉える)その辺がよく分かりません。
ちなみに、煩悩を消そうと試みる場合は、それはもはや「菩薩」という概念になってしまうように思います。
また、仏教においては分別心があればそれは煩悩ですよね。好き嫌い、善悪、優劣など。
しかし、そういうものに関しても慚愧するのでしょうか?僕達は人間ですよ。嫌いな人もいれば、好きな人もいます。そもそも、「好き」という感情が無ければ恋愛さえできないのではないですか。
僕はまだ学生ですが、将来仕事する時にも良し悪しを判断しなければいけない。もちろん、世間的(主観的)な善悪に過ぎませんが。でも生きていくためにはどうしても必要な判断ですよね。なので、人間の知恵も大切だと思うのですが...。
詳しい方、回答お願い致します。
南無阿弥陀仏
有り難し 9
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