いつもお世話になっております。 今年5月に休職し、10月に元の会社へ復帰する事になりました。環境は変えてもらい、職種は前と同じとなりました。 ただ早くも人間関係や環境など、それに前のように仕事が日々こなせるのか心配です。自信がありません。 前と同じで少人数のため、戦力にちゃんとならないと部署が回っていかないのではというプレッシャーもあります。 休職中は回復に努め、実家の仕事を毎日手伝っていました。 本当は転職したかったのですが微妙で、 これといって行きたい企業がまだ上手く見つからず。家族も猛反対してきます。何度話しても今はダメでした。 職業訓練校も学びたい分野を色々調べたり2日間の初級講習へ行ったりしましたが、ちょっと違うのではないかと思ってしまいました。 転職で書類選考が全然通らないのと、元の会社に戻ってほしいと家族の後押しもあり、心配と不安を抱えながら会社に復職する事にしました。 様子見しながらまた転職活動も今度こそ...と思ってます。 また、もし再び劣悪な環境で病んでしまった場合は今度こそ立ち直れる気がしないので自殺も考えています。最終手段があると却って安心感があります。 心療内科医から復職可能と診断を貰いましたが、1日に1回は「なんで生きているんだろう」と思いますし消えても良いのではと考えてしまいます。 休職の原因となった上司はあまりお咎めなしで、元同僚は入籍し幸せそうだと聞きました。 世の中、結局はずるい人達が成功してばかりなのだと思います。 真面目に生きているのが本当に馬鹿らしいです。(怒) こんなに性格がクソでも仕事丸投げしてくる奴でも結婚出来て仕事も上手くいくのかと。妬みも勿論ありますが本当に世の中クソだと思いはらわたが煮え繰り返ります。 好きな分野の勉強も将来の種まきとして続けてきまして、それに救われてはいますが... 次の配属先は家から近くです。 ますます自立もできなくなりそうです。 でも出来る事からやっていくしかなさそうです。 本当に復職を選んで良かったのか、 でも世間体とリハビリも含めてがむしゃらに頑張るしかないのだと思います。 支離滅裂な文章で申し訳ありません。 本当に全部マイナスにしか考えられなくて困っています。 何かアドバイス等ありましたらお願いします。気分を悪くされたらすみません。
大切なものほど失いたくないのはみんな同じだと思っています。 特に家族に対して、いつ病気になるか、いつ死んでしまうのかと考える日々が多くなり毎日不安と恐怖に襲われています。苦しくて苦しくて心が落ち着かなくなります。 考えたくないのに考えてしまったり、どう自分を落ち着かせたらいいのか分からないです。なぜいきなりこんなことを考えるようになったのかも分からないです。ただニュースなどのノンフィクションでも映画やドラマのフィクションでも死についての情報をかなり拒むようになりました。 どうしたらよいのでしょうか。
死に対して怖くてしょうがありません。 もしかして死んでしまうかも知れないという状況に何もできなく、見にも行けなくて、聞くのもつらい、その人、その物などなくなるのが怖くて耐えられないのです。あの世に行ったらどうなるんだろうとか、死ぬ時には苦しいんだろうか? もう会えなくなると思うだけで眠りないこともあります。あの世はこの世の延長で終わりではないとか、誰かの言葉をみて言い聞かせたけど、いざ自分の身内の なくなったり、危ないと聞くと震えて過呼吸になり、パニックになり、安定剤を過剰に飲んだりしました。みんな同じ思いなのに、私だけ出来ない受け止められない、現実逃避してる自分が苦しいです。助けて下さい。全般性不安障害を持ってます。だからといって避けられるものでもないし、もっと強くなりたい。
長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。 やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。 父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。 毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。 そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。 母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。 私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。 そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。 生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。 自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。 父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。 今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。
先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。
タイトルが20文字までなので変な感じになりました。 私は数年前からリセット癖が起きています。深夜に唐突にデータを削除したくなり、キーボードの変換からアカウント削除まで本来必要なアプリも消したくなります。 スマホだけならまだいいですが、ミニマリストを目指しているわけじゃないのに連日物を捨ててしまいます。診察券やパスポート、卒業アルバム、ゲーム機…後で後悔する(面倒くさくなる)と分かりきっているはずなのに捨てたくなります。実際パスポート以外は捨て方を調べてから捨てました。結果、診察券(再発行)で後悔しました。 前は期限を決めてそれまでリセット関係の行動を起こさないと自分の中でルールを決めたりしましたが、それも失敗してしまい最近は自分ではどうにもできないんじゃないかと思いつつあります…。 原因に心当たりはあります。 元々几帳面な性格で物が散らかってきたなと思ったらまとめて片付けたり、決めた場所に戻したりしていました。 しかし、それに加えて(最近気づいたのですが)大きな事件・事故が身近に起きると無意識にセルフ終活を始めてしまうんです…。 最近、スクランブル交差点で事故がありましたが、その日私は渋谷で遊んでいました。そしてニュースを見て「あの時長めに寄り道しなかったら遭遇して死んでいたかもしれない…」と思い、3日後には部屋がスッキリしました。 他にもコロナにかかった時や地震があった日など、身の危険を感じたり「いつ死んでもおかしくない」と思ったら即セルフ終活を起こしてしまいます。 あとこれは考えすぎですが、セルフ終活中は「早く捨てないと…(あまり物は無いけど)こんな部屋の状態で遺品整理されて中身を見られたら恥ずかしい!」と思っています…。 そして決まって片付いたりリセットした後後悔するんです…。 (自業自得なのですが)これらのせいで思い出の品と呼べる物はほぼ無く、正直同級生の名前や顔も思い出せない状態になっています。 この悪癖どころではない行動を直すことはできるのでしょうか?
こんばんは。 このサイトを拝見して少し自分について考え直すことが出来た様に感じます。 私は今を精一杯生きて、自分が苦しいときや、迷ったりした時は仏様に救いを求めようと考えています。 しかし、私は死んでしまう時のことを考えて恐ろしくなってしまいました。仏様の教えには諸行無常と言う物があり、全ては無に帰ると聞いたことがあるので、死んでしまった後のことは余り考えない様にしています。 ですが、死んでしまうその時が恐ろしくなってしまいます。勿論誰だって痛かったり苦しいのは嫌だと思います。 しかも私は、何も無い人間なので、孤独死だったり、重い病気にかかってしまったりするかも知れません。 死に対する向き合い方を教えて頂くことが出来たら幸いです。 新型コロナウイルスが流行し、自粛を続ける生活の中で、考え込んでしまう時が増えた様に感じます。毎日ニュースも暗いものばかりで、何も手につかず、ずっとぼんやりしてしまいます。早く元の生活に戻れることを願っております。皆さんお体に気をつけてください。 ご回答いただければ幸いです。
自分の性格は心配症です。 例えば車を運転していたら、この角から人が飛び出してくるかな?自転車に乗った人が急に来るかも?反対車線の渋滞した車の間から人が出てくるかも?と心配になります。 本題は、自分の親がもし病気になったら、亡くなったら耐えられないと、不安に襲われることです。 いま現在、両親はありがたいことに健康で生きていますが、急に病気にかかるかもしれない、急に亡くなるかもしれないと考えると、不安で仕方ないです。 歳を取ったことによる両親の体の不調が、もしかしたら大病(がん、心臓や脳の病気等)かもしれないと、急に不安で心配でたまらなくなります。 心配し出したらきりがないですが、最近はとても不安でたまりません。 もちろんいつか人間は亡くなりますが、自分が両親の病や死の時を迎える時、耐えられるのか、どう対処したらいいのか、分からずにいます。 大切に育ててくれた両親がいつまでも健康で長生きしてほしいですが、いつかはやってくる別れの時を想像すると、不安で仕方がありません。 どのような心構えでいるべきか、不安に襲われた時はどう対処したらいいか、教えていただけないでしょうか。
5年の間に心不全、脳幹出血2回になり体はボロボロです。ずっと会社でのパワハラや人間関係そして今お付き合いしている人へのストレスが原因と考えられます。 現在自宅療養中ですが早く仕事復帰しないと月々の支払いがあるため困っています。 職場復帰、病気の再発の不安と死の恐怖により潰されそうです。助けてください。
共通の趣味でSNSで同性の子と知り合い仲良くなりました。 話しやすくて、その子には何でも話しました。 恋愛の話になり、私はうっかり過去の恋愛事情を話してしまいました。 軽蔑されてしまうかもしれませんが…私は独身時代に既婚者の男性と不倫をしてました。そのことを話してしまいました。 今になって話さなくてもいい内容だったと、すごく後悔してます。 その時は気が合うしいい子だなと思ってましたが、段々その子の本性がわかってきて嫌になりました。 何が原因で嫌になったかというと その子の自宅と私の自宅の距離は車で1〜2時間離れた距離で気軽に会えるような距離ではありません。 ですが、その子は毎週のように「会いたい」「遊ぼう」と言ってきてくれたのですが 毎回私がその子の自宅の方まで足を運ばなければなりませんでした。 「今日は私の家で遊ぼうよ〜」 「私の家の近くのカラオケに行こう」と 何としてでもこっちから来るように仕向けるやり方をされるので段々それがストレスになりその子のことが苦手になってしまいました… 正直に毎週のように通うのが嫌と直接言えない性格の私は最初のうちは行ってましたが、理由をつけて 「今日は用事があるから遊べない」と何回も断り続けました。 それでも変わらず誘ってくるのでとうとう限界を感じ、 ラインも他のSNSも消し、完全に連絡をつかないようにしました。 今は縁も切れてスッキリした状態ですが その友人にうっかり過去の話をしてしまったことを後悔してます。 その子の友人が私の同級生でたまに連絡もしてるし、会っているそうです なので私の悪口もそうですが、 過去の話をネタされてしまわないか不安です…
私は今不安障害になり仕事を辞め病院に通いながら自宅療養中です。 病気のせいもあり急にいろんな事で不安になります。悩んでる時がないくらいに辛いです。その中でよく死ぬ事がとてつもなく怖く感じてしまいます。 死んだらどうなってしまうのだろうと考えてしまい、なかなか眠れなかったりします。 私は内気な性格で昔からいじめられる事が多くそのストレスで家で爆発してしまい両親や兄弟に当たったり傷つけたりたくさん迷惑をかけてしまい今思い返せば異常だったと思います。学生時代は悪口も言ってしまったり自分がされて嫌なこともしてしまっていました。 今は人にされて嫌なことはしないよう心がけていますが、過去は変えられないしもう手遅れかなと思ってしまいます。 こんな私はきっともし死後に地獄があるのならば地獄にいってしまうのかなと考えたら涙が止まりません。 死んだらその先ずっと苦しむのかと思ったら死ぬのがとても怖くなってしまいました。 何か死への恐怖を和らげる考え方はありますでしょうか。 もしよろしければご回答よろしくお願い致します。
今書いている時点で私の精神は死にかけています。なので質問する内容を簡潔に書きます。 去年の8月下旬にレーシックの手術をしました。理由は興味がありやりたかったという単純なものです。 そして10月の中旬から目の痛み、昼は太陽夜は全ての発光する光(車のライト、蛍光灯など)が眩しくなり、更にはなぜかめが常に充血するようになってしまいました。 最初は異変からそしてどの眼科にみて貰っても分からず、眩しくて外に出れない、目が常に痛い、充血するストレスは計り知れなくわずか発症してから3ヶ月を待たずに仕事が出来なくなり精神が病み、寝たきりになってしまいました。 しかし、寝たきりになっても症状は直らず目が痛い苦痛から父に迷惑をかけていること、一生味わうであろうこの苦痛が耐え難く生活もままならなくなり不安で寝ることも食べることを出来なくなっていきました。 症状はまだあります。しかし、もうこれ以上は書かないことにします。 死にたいです。望むものなら安楽死をして父とお互いに苦しみから解放されたいのです。 母も亡くなり支えてくれるのは父のみです。レーシックは保険適応害のため施設に入ることもできません。将来更に目がいたくなったり失明するなどの可能性を考えると誰かのために頑張って生きることはおろか、ただ生きることも難しく思います。 人間痛みと不安からこうも精神的に死んでしまうのだと深く理解しました。 体は生きていますが精神はもう死にかけています。そして精神が死んでも目の痛み、頭痛、不安は死ぬまで続きます。 ここまで絶望的なことですが何か回答者から声をかけられることはありますでしょうか?私的には闘病生活をしてあとは死ぬ覚悟はせめてしようと思っています。
小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?
いつもお世話になっております。 最近強迫性障害のようになり、確認ばかり、歯磨きできているかなどつらい毎日です。 わたしもう36です。本当なら正社員で働いているか、結婚しているか、夢を叶えている筈の年齢でした。ですが、実際は非正規社員、恋人がいない歴年齢、夢を叶えられず、認められることもなく虚しい人生であり、自信をなくしてとうとう精神的におかしくなってきました。 これから職業訓練試験をうけるつもりですか、親に負担だし、こんな精神じゃ、受かってもつづくか、受からなかったら、無職だし仕事見つかるから不安です。 よく好きなことすればうつ病はなおるみたいな話ありますが、お金が優先ですよね。 わたしは趣味あるし小説家になりたいですが、不安で没頭できません。 とにかくみじめなこんな人生を認めたくないし、生きているのが苦痛です。 このまま虫歯恐くて歯磨きや確認に時間とられるくらいならしんだほうがましです。 理解者はいません。病気も病院も怖いです。 もう苦しみたくないです。 まだ自力で歯みがきも確認もできてますが、どうしたらまた楽しくいきれるかわかりません。 わたしは耳も目も子宮もだんだん悪くなるんです。本当に人生間違えました。もうなにもかんがえたくないです。承認欲求がつらいです。
こんにちわ。 以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。 さて、表題の質問になりますが、 小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 死んだら考えることすらできなくなってしまう。 死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 自分という存在はどこへ行くのか。 と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。 葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 抗うものではなく受け入れるもの。 そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 が大事なのではと思うようになりました。 私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。 よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 宜しくお願いいたします。
気がつけば私は本当に深刻な悩みを相談できる人が身近にいないということに気づきました。 人から相談されることは度々ありますが私はそれができません。 家族や友達がいないわけではなく、私の気持ちの問題としてできないのです。 弱い部分を見せたくないのか、まわりを信頼できていないのか、相談したところで結局は自分次第という思いがあるのか、自分でもなぜ相談できないのかよくわかりません。 だからなのか、常に漠然とした不安が心にモヤモヤと巣食っているような気がしています。 今健康に不安があります。軽く、誰かに話できれば、それだけで気持ちも楽になるかもしれないのに出来ません。 不安がある自分を認めたくないのかもしれません。 どうすればもっと心を楽に生きていけるのでしょうか。
幼稚園の頃でしょうか、祖父の死に接して、死ぬってどういうことなの? と眠られぬ夜を過ごしたと親から聞かされたことがあります。 中学高校の頃になると死ぬこと、無ということが恐ろしいと埒のあかない煩悶に苦しみ、そのうち、そもそも目の前に見える、知覚する世界の存在だって何の保証もない気がしてきて、そもそも懐疑論者というよりは病的に存在とか認識の作用自体確信がもてない、と不安にさいなまれていただけなので建設的でも哲学的でもなかったです。 「虚無」というのも言語や人間の思考の生み出した幻でしかないのでしょうか。 分析哲学みたいに考えればそもそもそんな思考のおよび得ないことは哲学の扱う領分ではないし、人が考える意味もないことなのかもしれないと最近は思って気もしました。 それに存在に懐疑するなら虚無だって懐疑すべきで…。 こんがらかってしまいます(笑)。 そもそもそういうことを考えてみたとて幸せに結びつくのかとも思います。
死というイベントが良くわかりません。 死は所詮他人のイベントだと思うのです。 ご遺族が『後を追いたい』と言っても実行する方より生きている人の方が多いのでは無いでしょうか。楽しい思い出と時折思い出す悲しみはあるかとは思いますが、死に際の辛さは風化されていくように見える気がします。 また、亡くなられた際について周囲の方(ご遺族も含めて)の反応は 大往生された方には『立派』と褒め称えるように、 病気で亡くなられた方には『最期まで闘病して...』と勲章のように、 でも自死については世間に知られたく無い雰囲気が漂いますよね。 死にもランクがあるのでしょうか。私はランク付けされたくないです。 結局いくら周囲が『生きて、死なないで』と言ったところで、他人のイベントでしかない以上説得力がないと思っています。 このような考えの私はどこかおかしいのでしょうか?
94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?
お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。