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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3506件

死ぬのが怖くなくなりたい

以前からお世話になっております。 死後のことや、仏様のことなど、さまざまなことを知識として取り入れさせて頂きました。少しだけ理解できた事もあります。本当にいつもありがとうございます。 それなのに、こんなに教えて頂いても、頭ではわかるけど怖い気持ちが消えないのです。本当にすみません。 転生してもしなくても、死後がどうなるとしても、自分が他のものに変容して、今の自分には戻れないと思うとどうしても恐ろしくなります。 世界が「有る」のも気持ち悪いです。いつか消えるのに、今だけは「有る」なんて理解できません。かといって、有る、無いも何もない、というのも実感としてわからないのです。 仏教が好きですし、仏様を信じさせて頂きたいという気持ちがあります。仏様が私の意志に関わらず救ってくださる、ということも頭では分かっています。 それなのに、どうしても怖いのです。 そして欲深くも、「今すぐに死の恐怖を消して、その先ずっと怖くない、絶対の安心を手にしたい」と思ってしまうのです。 その割に、「実感のない事」が信じられない自分も居ます。ですが、「救われた実感」なんてものは幻想で、そう思ってる時は救われているとは言えない、というお言葉も目にしました。 仏教の教えについても浅学で、失礼なことを言っていたら本当に申し訳ありません。 恐怖を消す方法なんて無いかも知れません。ですが、この恐怖を、もはやどうしたらいいのか自分ではわからなくなってしまいました。 今すぐ死ぬのが怖く無くなって、その先ずっと安心になるには、具体的に私は何をしたら良いのでしょうか。 毎日怖いです。なんでこんなふうに自分が存在して、存在することにも消滅することにも恐怖してしまうのでしょう。恐怖さえなくなってくれれば、と思わずにはいられません。 支離滅裂な文で本当に申し訳ございません。 お時間ある時で構いませんので、皆様のお考えをお聞かせ頂けますと幸いです。

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2023/07/18

私は死ぬしかないのでしょうか。

6月末に突然パワハラのあった事務所をリストラされた者です。 突然荷物をまとめて出ていけと即日研修期間中に解雇されました。 2割ほどは私にも非があったとおもいますが、しかし、ほぼ上長が私のことを気に入らないからという雰囲気が伝わりました。 解雇予告手当もあまりもらえなかったので、辛い気持ちを隠して仕事をすぐに探したのですがなかなか見つからず、30社ほど受けてようやく同業他社で内定を一社頂きました。 一度他のところも検討し、面接の際に会えなかった上長との面談を取り付け、面談の場で内定を承諾することをご了承頂いたのですが、 面談の時に突然「内定保留したから他の方の面接もする。経験者も多いからあなたのようにほぼ未経験の方は不採用になると思う」と突然内定取り消しを示唆され、 そして昨日が連絡をいただける期日だったのですが、連絡すら来ませんでした。 突然のリストラに加えて内定取り消しをされ、もう人を信じることが怖くて仕方ありません。 ここまで社会に必要とされていないのであれば、本当は生きてもっと色々な経験はしたいと思うのですが死ぬしかないと考えています。今、痛みの少ない死に方をずっと探してます。 友人達も心配はしてくれますが、どう考えているのか、本心は笑っているのだろうと疑ってしまうことも辛いです。 昨日遂にぷつりと糸が切れたように涙が止まらず死にたくなってしまい、SNSで死にたいと何度も書いてしまい、また周りに迷惑をかけました。 もう裏切られたくもないし、期待をしなくてもしても人は裏切るとわかってますし、周りに迷惑をかける前に、私は死を選んだ方がいいと思うのです。大事な友人達に疑いの目をかけるくらいなら尚更死を選ぶべき人間だと思います。私は社会にも必要とされていない人間だからです。 私は死んだ方がいいですよね?

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父の死

先日85歳の父が亡くなりました。 私は男三人兄弟の三男で父と二人暮らしでした。母は去年暮れ5年施設にいて亡くなりました。17年前両親のために35年ローンで家を購入しました。当時私の収入は月20万で家に14万渡してました、のこりのお金で10年かけて、300万ためて家の頭金にしました。父は48歳で早く会社をやめたので母が頑張ってました。家計は苦しかったと思います。 会社をやめた理由は当時両親仲がわるく母が家に帰らない日があったりで家のことは父がしてました。 父は大企業にいたので年金をもらうようになって、私の収入もあり借金をかえし、生活も楽になりました。長い間くらした父は私の全てでした。父は私のためにがんばってました。長男の住宅ローンの連帯保証人に私がなったのですが、1500万返さず逃げてます。8年間父が返済し、残り700万あります。私が将来自己破産する事は当然としりながら、家を守るために頑張ってました。次男も借金の返済月半分以上出してくれてます。 私は5年前に会社都合で退職し、アルバイトです。 父が死んでしまって、悲しくどうしょうもないです。歳をとれば自然なことでしょうが、自分だって同じことだとわかってますが、悲しみに耐えられません。残りの人生まえに向けて歩いけるでしょか。

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母の死

母が急死してしまいました。 母が検査入院のまま入院してしまい、気になって帰省した翌日の事です。 暴力から疎遠になっていた兄との事も母の為悔しさを押さえ8年振りに帰省したのに、一言も喋る事なく逝ってしまいました。 偶然死に目に会えて良かったと言われても、気持ちに整理が付かず、後悔と信じられないショックと不安でどうしていいのか分かりません。 死に目に会いに行ったはずじゃないのに、何なの? 私に与えられた罰なのか?なんの為に長年の苦しみを押さえて帰ってきたのか分からなくなってしまいました。 もう今は何もする気が起きなく、このまま消えてしまいたい気持ちです。 子供がいるからしっかりするんだよ。 泣いてるとお母さん悲しむわよ。 言われれば言われるほど、苦しくて苦しくて消えてしまいたくなります。 誰に何と言われようが今は母の事しか考えられません。 どうしていいのか分からないのです。 何故こんな別れ方をしなくてはならないのか。 これから先、誰に気持ちを打ち明けて行けばいいのか。 何故母がこんなに突然死ななくてはならないのか。 今月末には会う約束さえしてたのに。 何故何故と問うばかりです。 母は最期私の事を少しでも考えてくれたのか、話はなかったのか、考え出すときりがありません。 いきなり1人ぼっちにされた気分が拭えません。 私が弱いのか、子供なのか、整理ができません。

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父が死にました

私の父は癌で昨年の5月に亡くなりました。余命を宣告されて2年後のことでした。 余命が長くないことを知り、宣告された日から父を喜ばす気持ちで学業や様々な活動に専念しました。テストでいい成績をとって報告するなど、それくらいしか私にはできることもなく、とにかく頑張りました。 ある日、留学のパンフレットに目が止まり、自分の夢も諦めきれず、長期の留学を決意しました。父のこともあり、複雑でしたが、両親は賛成してくれました。 留学して4ヶ月、父の容態が悪化し、一時帰国しました。 久しぶりに会った父の顔は、薬の副作用の痛みからか強張っており、お腹に水がたまり、最後に私が見た父は消えていました。再会した次の日に、私は1日看病をする予定だったので、その日はほんの少し話して帰りました。 次の日の朝、看護婦さんから父が息をしていないと電話が入りました。 病室に着いた時、父は口が開いた状態で、心電図の停止を知らせる音が鳴り響いていました。今でもその瞬間を忘れられません。そのまま父は息を引き取りました。 それから、死を受け入れることへの恐怖からか、自分を忙しくすることで逃げました。留学に戻って、忙しい日々を過ごしました。 昨年冬に帰国し、大学受験に挑戦しましたが失敗しました。もう一年勉強しようと構えていたのですが、予備校が始まるまでのこの期間に暇な時間ができたことで、父のことを考えるようになってしまいました。 気力がどんどん下がり、あの日のことを後悔するばかりです。なぜ、もっと話さなかったのか、感謝の気持ちを伝えられなかったのか、明日生きてる保証がないと理解していれば、、、意識が低かった、と。それに、留学もしてよかったのか、父の側にいてあげればよかったと後悔が募るばかりです。 今は、大学に進学する目的も見失い、頑張る目的がわからなくなりました。喜ばせる父もいなくなり、どうしたらいいか分かりません。 父の死をしっかりと受け止めることで前向きに生きたいと頭では思うのですが、心がついて行かず、無気力になってしまいます。 今後、父と向き合うにはどうしたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 31
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突然の死

9月13日、実家の愛犬を亡くしました。 交通事故でした。 16歳になり、足腰もおぼつかず、目も白内障になってほとんど見えないおじいちゃん犬でした。 両親は旅行中で不在、地元に残る私が世話を任されていました。 夕方、仕事から一時帰宅し、猫に餌をやり、愛犬はトイレに行きたがっていたのでいつもどおりリードをつけずに外に出しました。 よたよたといつも家の周りを歩いているので大丈夫だろうと、私もトイレを我慢出来ずに用を足しに行きましたが、ふと嫌な予感がしたので終わってからすぐに様子を見に行きました 敷地中探しましたが見つかりません。家から30m程の対向車線側にあるバス停のそばに何かの塊があるように思え近づいて見ると、居なくなった愛犬でした。 轢かれた時の衝撃で前足の関節が外れ、歯が折れた影響で顎も砕けたのか、ぐったりと地面に横たわっていました。 何が起こったのか分かりませんでした。 私が目を離さなければ、こんな事にはならなかったのに。家族にもすぐ連絡はしましたが到底顔向けできません。 愛犬にもたくさん謝りましたが、こんなことでは済まされない、大切な命を私が奪ったも同然だと思っています。まだまだ長生きできたかもしれない、とてもいい子だったのに‥‥。近頃老化が著しく、最期の日も近いかもしれないと感じていたので、その時が来たら安らかに眠ってほしいと願っていたのに、最期まで苦しい思いをさせてしまいました。 対向車線側のバス停まで距離があるのに、どれだけ苦しい思いをしたことか、痛かったのだろうか。ご飯をあげる前で、お腹をすかさせたままひとりで死なせてしまった事、本当に何から何まで酷い事をしてしまいました。とても申し訳ない事をした、小さな命を守れなかった自分に対して自責の念でいっぱいです。 家族が帰宅するまでの間火葬せずに遺体を安置させることになりましたが、一人家に帰る度、心が押しつぶされそうになります。 轢かれたのは夢だったのではないか、今も玄関の戸を開けたら出迎えてくれるのではないか、そんな妄想が浮かんでは消え、心の整理が全くつきません。 火葬は17日の予定ですが、残った時間でこの子に出来ることはまだありますか。生き残ってしまった私に何が出来るのでしょうか。よろしければご助言ください。

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娘の死

35歳の娘が2年近くの闘病生活をしてまいりまして、3週間前に天国へ旅立ちました。 2回の大手術、放射線、抗がん剤、丸山ワクチン免疫療法とやれる事は全てやったつもりですが、転移、再発を繰り返して、最後は腫瘍による腸閉塞になり、点滴生活が1ヶ月半でした。 この2年で私にもお友達にもほとんど泣き言を言わず、いつも明るく前向きで、大丈夫が口癖でした。 5月に入り、3日間くらい何を話しかけても話をしなくなってしまった時にもうこのままだめなのかなあと諦めかけました。 すると4日めで目覚めて、とても怖い夢をみていた、目をつぶると死ぬよと言われ一生懸命開けてたと。 変なおじさんもいたと。 その時、私は娘は奇跡をおこせるのではと思いました。 3月の終わりに、病院でこのまま病院にいても家に帰っても点滴しかやる事がないと言われて退院してきます。 在宅看護でしたが、看護師さんもすごい生命力といってくださいました。 それから、3日間くらい、主人と私と3人で一日中一緒に過ごしましたが、しゃべってしゃべって、朝方までしゃべり続けるのです。とても元気になったのだと思ってた。 ところが、その3日後にお友達が会いにきてくれてその夜から眠ったままになってしまいました。 疲れたのだろうと思っていましたが、亡くなるまで、一言二言話すだけで、最後の3日間くらいは、顎で息をして、目は開いたままで瞼を閉じてあげようとしても、無理でした。 尿もほとんど出ず血圧も下がってきていたので、あれだけ死んだら絶対だめだと心の中で叫んでいたのに、もう楽になってほしいと思ってしまいました。 顎で呼吸になるとすぐにだめになる人が多いと看護師さんから聞いて、4日間も頑張っている娘に対して今は申し訳ない気持ちでいっぱいで、会いたくて会いたくて毎日泣いてばかりです。 目を閉じなかったのはなぜなんだろう、時々泣きそうになる顔は何を言いたかったんだろう。全部私が悪かった。これからどうやって生きていこう。 死にたいと思うが死ぬ勇気もない。 2年近く入院以外は毎日一緒だったので、どの部屋に行っても思い出して辛い事ばかりです。 神様も仏様と助けてくれなかった。 今は娘が仏様になったので、ご飯を作る事だけが、精一杯です。 娘は誰にも泣き事を言わず明るくしていました。 どんな事を思っていたかと思うと胸が張り裂けそうです。

有り難し有り難し 22
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死にたいと親に言ってしまった

はじめまして、こんばんは。 私は20代大学生です。中学生くらいの頃から、容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたいなーと考えていました。 確かに、今も自分として生きるのは辛いです。何かの拍子に死んで、別の人間になりたいと思います。 不謹慎ではありますが、自殺した人のニュースを見ると、同情やショックでなく、生きなくていいことへの羨望しか感じません。 それはそれで問題だとは思うのですが、今一番の問題は、母に、つい死にたいと言ってしまったことです。 最近は、もともと自分が嫌いなところに持ってきて、コロナ禍で外出できないことや先行きが不透明すぎること、そのくせ国家試験や受験などのために勉強しなければいけないことなどのストレスが重なり、それにうまく対処できなかったことが原因かと思います。 自殺する勇気もないのに死にたいだなんて言っても、周りに迷惑だし、引かれるし、メリットなんてありません。 どうせ寿命が来たら人間は死にますよね。 「身体と心、どちらかが限界に達すればその時に死ねる、どっちが先に壊れるかはさほど問題じゃない。」 このような考え方から、死にたいと思っても口に出さずにやってきました。 しかし、前述の通り、去年の10月ごろから母に「死にたい」「屋上に行ってみたけど飛べなかった」などと話してしまうようになりました。 親じゃない人に表出したのなら、「構ってもらいたいだけだ」と一蹴されるくらいで終われていたのでしょうが、人に弱みを見せるのが苦手なので、できません。前向きで天真爛漫な人物だと周りからは誤解されているようです。そう誤解されればされるほど自分を繕って、疲れてしまうので、昔から悩みを話せるのは母くらいでした。 こんな歳になっても、親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて、私も年甲斐もなく甘えていましたが、 「死にたい」だけは違うと自分でも思います。母は深く傷ついているでしょう。 母の相談相手といえば、母の姉(伯母)なのですが、伯母も旦那さんが病気療養中なので、私が死にたがっていることなど相談できないと思います。 こんな歳になってこんな形で親を苦しめたことは反省していますが、死にたいのは事実だし、どう謝ればいいか、どうしたら心配をかけずに済むか分かりません。 私はどうすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 12
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