hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 480件

読経が何故供養になるのか教えてください。

お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 101
回答数回答 5

男性恐怖症から…

数年前から男性恐怖症かも?と思うようになりましたが、最近それが悪化してるようで辛いです。 前の職場は女性がほとんどだったのでそれほど支障なく生活していましたが、今の職場になってからは男性が少し多くなり、普通に職場の男性と話していても怖い、気持ち悪い、体が強張ることが多々あり仕事から帰るとぐったりしています。 また、人から指摘される事が体は「否定された」と感じてしまうようで、先日失神してしまいました。 それから人と話すことも怖くなり、毎日吐き気、胃痛等が出てきて… 男性との関わりはなんとかポーカーフェイスをしてきたつもりでしたが、本当に最近は保つのも辛くて… 悪化する前にはなんとか苦手を改善するきっかけにならないかと考え、婚活もしていましたが、やり取りを重ねていくうちに気持ち悪い、怖いという感情が出てきてしまい、好意を持って頂けたのにやり取りを終わらせてしまうことも何度かあり申し訳ないと思っています。なのでこれまで、年齢=彼氏無しということになっています。 今、体調が悪いのも辛いし、仕事も行くのが怖い…どうしていいかわかりません。毎日辛くて消えてしまいたいとも思ってしまいます。 何か助言を頂けたら…

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

少しだけ幸せで、死ぬなら今だな、と思う。

 少しだけ幸せで、死ぬなら今だと心のどこかで思う。共感されない。仏教で解釈できるでしょうか。  今、仕事が少し分かり始め、欲しいものややりたいことがある。楽しいこと、大切にしたいこと、少しずつ好きな人たち。欠片が積もって私は前より自分のことを知っている。  幼稚園の頃、自分だけが箸の持ち方を知らないことに愕然とした。私は何も知らず、何も出来なかった。それからずっと、何かを覚えるために生きてきた。逃れるために。  ある時、所詮地獄なのだと思うと、楽になった。ましな地獄にしようと思った。辛かった経験は少し報われ、褪せて。鈍にならないうちに。  怖いのは、地獄だと思って耐えている場所が天国だったのだと知ることか、本心はどこかの天国を夢見てそんなものは無いと証明することか。川底に光る宝物を拾い上げた時、それはまだ宝物か。まだ見ぬ幸福を恐れている。  今なら、鮮やかな走馬灯と未来の淡い幸せを夢に見て、眠りにつける。  正気に戻ることを恐れている。幸せを痛み止めにしてごまかしごまかし生きている。  ふと、正気に戻る時がある。そしてこれから先、何十年も生きる。このまま効き続けるとは限らない。過剰に求めてしまうのではないか。今よりずっと、幸と不幸に翻弄される。服用しすぎて、自分を失っていることすら気づかなくなってしまうのではないか。 いや、実際は、幸せを服用するたびに、正気に戻っていっているのではないか。これまでは無心で生きてこれたのに、どんどん脆くなる。  痛みを薄めることでしか保てないのに、痛みすら自分の一部で、私は自分を得るために生きてきたのだ。今ならまだ、自分でいられると。  考えすぎだ、なんとなくでいいよと言われた。考えすぎることは根本的な問題ではない。なんとなく生きられる人は、本質として生きることの幸せを受け入れられる人ではないか。過去であれ、未来であれ。死ぬ不幸とは相対的に。次の瞬間に痛み止めが切れることに常に怯えたりしない。  生きる不幸から逃れる必要もなく、生きる幸せが恐ろしいと思う、死ぬことの不幸だけが人並みな私は、何のために生きればいいのですか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死にたくなるほど嫌いなものとの向き合いかた。

初めて質問させていただきます。 長くなりますが、宜しくお願いします。 私は、小さい頃から魚介類が大嫌いです。 それは今も変わらず、ここ数年は全くと言っていいほど口にしていません。 唯一食べるのは、笹かまぼこや魚肉ソーセージ、ツナ缶など、生臭くないものです。 そして、私は食べることだけでなく、魚介類を見るのも触るのも大嫌いで、それが家の中にあることすら本当は嫌なのですが、家族は食べるので我慢して煮魚や焼き魚料理を作っています。 まだ自分で買ってきて調理するものはなんとかなるのですが、父の友人が釣った魚を持ってくることがたまにあります。 私はその瞬間、大げさに思われるかもしれませんが、嫌すぎて死にたくなります。 なんでこんな目に合わなきゃいけないのだろうと、泣きたくなるのです。 でも、父は自分は好きだからと、いつもそれを受け入れるのです。 そして、嫌な顔をしている私に対し、そうやってグズグズ言いやがって、というような事を言ってきます。 父は普通に会話が出来る人ではありません。 嫌だと伝えた所で、わかってくれる人でもありません。 どうやったって、逃れられないのです。 父の友人も、私が魚介類嫌いなことは知っています。 なのに、自分は釣るだけ釣って、自宅には奥さんがうるさいからと持って帰らないで、私の 家に置いて行くのです。 食べないなら釣るな、海に放してこい!といつも叫びたくなりますし、この人さえいなければとまで思ってしまいます。 この前も、自分が死ぬか、相手を殺すかしかないんだってまで思ってしまいました。 父に嫌だという気持ちを伝えることは絶対にできません。 伝えたところで、怒鳴られて終わりです。 だから、嫌でも嫌で死にたくなりながらも、最後はちゃんと受け入れてます。 受け入れるしかないからですが… 長くなってしまいましたが、 死にたくなるほど嫌いなものがあって、でも、どうやっても逃げ道がない時、どう向き合えばいいのでしょうか。 こんなことで、泣いたり死にたくなるなるなんて普通じゃないし、おかしいんだと思います。 でも、嫌いなものを嫌いと言うことも許されないのは辛いです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

大人の都合ってなんですか?

昔から多かったことなのですが。新しい人間関係が始まってから一定の期間が経つと、 割とどうでもいい事ことを引金にみんなから干されたりバッシングを受けることが多々あります。 もちろんこちらにも非があるのでそこは謝って直しますが、なんというか腑に落ちないしはっきり言って相手の方が非があるし不公平や無責任なことを言われることが多いです。 僕自身、誤解ばかりされることが多く、一度影でコソコソされた後で干されたり、一方的に言われることは一番辛いことなので。表向き解決しても憎悪が止まらなくなります。勿論、誤解の方も解こうとはじめは頑張りますが、説明が下手なので、更に溝は深まります。 この憎悪と説明下手の負の連鎖で今まで人間関係の大半はいい形で終わることはなかったです。 けれど、今回起きた事件では僕の話しを聞いてくれたり、味方でいてくれたり、考えてくれる人たちがいます。だからその人たちに応えるためにも、成長はしたいです。 今回の事件で自分がどうしてもわからなかったのが自分が悪かったところで少し人より出っ張ったことを目立ったことをしていました。 だけど他の人の方が同じ行動でもっとひどいレベルのことをしていました。そのことを信用してる人に言ったら。「大人の都合でよそはよそお前はお前みたいになるからそういうの言わないほうがいいよ」と言われたことです。それなら僕は泣き寝入りして今までみたいに謝り続けなきゃいけないんですかね?僕にとって大人の都合ってただの卑小な人間の便利な文句にしか聞こえないのですが間違ったこと言ってるのでしょうか?じゃないと理不尽ばっかりで憎悪でまみれて収まりが付きません。もうアタマがグルグルグルグルしてしんどいです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2

仏教の理解と学び方

初めて、お便りさせて頂きます。 最近、仏教の教えを知り教えを学ぼうと考えています。 現状の仏教の理解や考え方の方向性が正しいのか確認をさせて 下さい。 現在、深刻な悩みはなく本件のご相談は、急ぎではありません ので悩みごとのご相談の皆様を優先させて下さい。 ■現状の理解内容(超要約して記載します) 1)仏教の目的:涅槃(解脱)に至ること。幸せを説くこと。 2)涅槃(解脱)への到達の方法として「四聖諦」があり、日々の  実践として「八正道」がある。 3)最初に苦諦の理解の為に、無常・無我、因縁を理解することが必要  以下は、私の解釈した定義です。  無常:この世の全ては移り変わるもの  無我:全ては繋がりの中で変化している現象である  因縁:原因+条件(環境等)があって結果がある 4)今後の方向性(考え方や実践内容)について ・目的:   日々の生活や仕事で、怒りなく、平穏で周りの役立つ人生を送る ・行動や思考の指針  日常生活では、八正道、慈悲喜捨、五戒などを意識し、正しい判断  基準で行動する。 ・貪瞋痴に支配されない為の手段として、ヴィパッサナー冥想があり  今の瞬間に気付けるようにする。これにより、無常・無我、因縁が  頭でなく、身体で理解(体験・体感)できるようになる。  常に、今の瞬間の自分に気付くようにし、正見・正念・正定の向上  を図ることにより、煩悩が湧いてこないようにする。 以上の認識や方向性で、大きな誤りや重大な認識漏れがないか、 ご指導を頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 28
回答数回答 2

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ