閲覧ありがとうございます 結婚してる方を見るとやるせない気持ちになります 他の人の幸福を祝福できるならまだしも、羨むだけでは何にもならないのでこんな気持ちになりたくないです。 趣味で、知り合った人や尊敬している人が結婚してる・子供がいるなど聞くととてもやるせない気持ちになります。 しばらくすれば気にせず交流出来るし、元から知っていた人が結婚する分にはこんな気持ちにはなりません。 自分が結婚できるか 好きな人ができるか その人が私を好きになってくれるのか 思いが通じたとしてもやっていけるのか そういう自信がないところが全部が趣味の場で生き生きと活動して、なおかつ私が得られるか不安なものを持ってる人に 嫉妬という形で出ていると思うのですがこんな気持ちになりたくないです。 以前いただいたアドバイスも含めて努力もしていますが、やっぱりこう、好きなものを目の前にしたとき 関係のないことでマイナスの気持ちになってしまうのが辛いです。 どうこの気持ちと向き合っていけばよいでしょうか?
私は身近な方々が病気になられたり亡くなられたことで「死」と「生」について思い悩み、信仰に安らぎを求めて自分なりに仏教を学び始めました。 人は亡くなると仏様のいらっしゃるお浄土に再び生まれるという教えは非常に素晴らしいと思ったのですが、元々ほぼ無宗教だったもので「信じたいけど、本当はどうなのだろうか?」と不謹慎にも思ってしまい、他宗教の教えを始め科学的に検証されている例(臨死体験・輪廻転生など)から少々怪しげなスピリチュアル方面まで調べに調べた結果、「信じたい部分はあるけど信じたくない部分もある…どうしよう…」とパニックになってしまいました。 浄土・天国はある、どんな人もそこに導かれる、神仏や先祖の加護はあるなどと言われれば安心し、〇〇だと・〇〇しないと地獄行き(または因果を背負って転生)、この世は仮想、死んだら無などと言われれば「怖い!嫌だ!嘘に決まってる!」とノイローゼ気味に怯えてしまう始末です。 元々思い込みやすい性格で、起こってもいないことや分からないことについて過剰に不安になってしまうほど精神的に揺らぎやすいです。 自分でも大変馬鹿馬鹿しいと思っていますが真剣に悩んでいます。 なんとかしてこんな不安定な自分を変えたいと思い質問させて頂きました。 どうかお坊様方のお知恵をお貸し下さい。
こんにちは。 文章がわかりづらいかもしれませんが、ご相談があります。 先日おじが亡くなったという報告が母から来ました。 正直「死」に対してあまり実感がなく、高校生の時の祖父の死で少しずつ実感が湧き始めました。 今回のおじの死は交通事故らしく私は年に数回ほどしか会えなかったので悲しいはずなのに自分の感情がごちゃごちゃになって悲しいのか何も感じていないのかわからないでいます。 しかし父(おじの兄)といとこ(おじの子供)のことを考えるとつらくて本当に涙が止まらなくなります。 私は現在一人暮らしをしていて両親や父方の親戚は外国に住んでいます。そのためお葬式にもでられません。また、半年ほど前に大好きだった愛犬が亡くなった時もコロナの関係で1年以上会えないままのお別れになってしまいました。 今回のおじの死で愛犬のことも重なってしまいすごく辛いです。友達にも心配をかけたくないので相談はできません。しかしいつも通りに接することもできず余計自己嫌悪に陥ってしまっています。早く今まで通りに振る舞えるようにしたいのですが正直今は無理です。でも心配はされたくないです。両親もきっと今は辛いはずなので言い難いです。 大切な人を看取れずとても悔しく悲しい感情をどこに当てればいいのかわからないです。またもしもっと身近な人が同じように死んでしまった時、自分は遠くに住んでいるせいで看取ることができなかったらと考えるととても不安です。 どうしたらこの不安や悲しみや悔しさを和らげる(?)ことができるのでしょうか。 一方的に今の感情を書き留めたら長文になってしまいましたが最後まで読んでくださってありがとうございます。
こんばんは。いつもお世話になっています。 最近、漠然とした不安、情緒不安定、などで、助けてほしいと思っても頭が働かず、どうハスノハに質問を書いたらよいかわかりませんでした。 やっと不安定の理由がわかりました。 最近のコロナ騒ぎで不安になっていました。私は免疫系の基礎疾患があり、コロナ感染=死です。 感染者が増えてくるに従ってじりじりと自分に死が近づいているとかんじてしまいます。 死ぬのがこわいと心から感じています。死ぬことは怖くないと前は思っていたのに嘘みたいです。 もうじき来るかもしれない死への恐怖、死神が近づいてくるような恐怖、死刑台に立たされているようです。どう恐怖と向き合い受け入れたらよいのでしょう。
霊魂 あの世 輪廻転生などについてこれまで何度か質問させていただいた者です。 いろいろ読ませていただいているのですが お釈迦様は基本は「無記」。それよりも 今現在から先の生き方の方が大事という教えであることはなんとなくわかりました ただ 釈然としないところもあります。 私がhasunohaで最初に質問したのは以下(昨年12月下旬)になります。 https://hasunoha.jp/questions/63751 ここのお礼でも親族の入院について触れたのですが 今年に入って 義理の伯母が亡くなりました。 叔母の縁者は夫(私の伯父で喪主)と娘(既婚)が一人 私の自宅から遠く3時間かけて 葬儀に行ったのですが 葬儀には娘(私にとって従姉、おそらく戸籍上は除籍されています)が来ておらず 花も何も出しておらず葬儀代も1円も出さなかったそうです。 葬儀に欠席したのは病気が理由だそうですが、葬儀が終わった数日後にやってきて、アクセサリーなど金目の物だけを持ち出して30分ほどして帰ったそうです。 そして今度は伯父が入院しました。現在も病状が思わしくありません。 親戚が「今度はあなたのお父さんが入院した」と従姉にメールや電話をしても応答なしで無視状態で、他の親戚が電車やバスを乗り継ぎ病院の入院手続きをしたり、着替えなどを持っていく状態のようです。 従姉からみれば 母が亡くなり、父が重病なのに 他人のような無関心さ 葬儀に出なかったのも仮病じゃないかと噂されています。 従姉は両親をよく思っていなかったのか、亡くなれば無になるから亡き人を想っても無駄と思っているのかはわかりません。 (ブログ、動画、twitterなどでは どういう理由かスピリチュアリズムに対して異常なまでの憎悪を抱いて 霊など存在しないと言い張り、霊能者や占い師を名指しで罵倒している人を見かけますが、従姉はもしかしたらそのようなタイプかもしれません。その場合亡くなった人をセミの抜け殻程度にしか思っていないのでしょうか?) いずれにせよ、もし霊やあの世があった場合、 義理の伯母があの世から見ていたら 両親を見捨てる娘に対して本当に悲しい思いをしていると思います。 私が霊やあの世について真相を知りたいと思うのも このようなところに原因があるのかもしれません。 本当にこれでいいのでしょうか? やりきれないです
最近、死への恐怖がとても強いです。前から怖がりな性格でしたが最近、今日寝たら明日起きられないのではないか。そう考えて寝つけません。また、そういったことを考えているとふとしたときに動悸がしたり頭痛になります。その症状も病気なのでは無いかと不安でたまりません。 自分がおそらく健康なことはわかっています。ですが少しの体調の変化ですぐ怖くなってしまいます。 どうしたらそういった恐怖と上手く付き合っていけるのでしょうか?
私は死ぬのが怖いです。 前からふと「死」について考えてしまう事があります。その度に泣いたり、怖くて苦しくなり鼓動が早く息が苦しくなったり、発狂しそうになりました。 しかし、そうなる事も数年に何回かある程でしたが、今はここ一週間程ずっと考えてしまいます。 死んだらどうなるのか、今こうやって物事を考え、生きていること全てが消えてしまう。「無」になってなにも無くなってしまう事が怖くて怖くて仕方ありません。 どうすることも出来ないのに、どうなるのかを想像して、その度に苦しくて苦しくて仕方ないのです。ずっと生きていたい。生きていられるのなら例えどんな事でも出来ると思う程に、生きていたいと思うのです。 私は、眠りにつくのと死は同じだと思っています。寝てる間は意識がなく、今は自然と目を覚まして、自分が寝ていたという事に気づきますが、死とはそのまま起きることが無い状態なのだと。考えても、誰も答えは知らないので、仕方の無いことだとは思うのですが、ふと考えてしまい、苦しくて怖くて何も手につきません。それでも、次の瞬間には、まだまだ先のことだから今考えても仕方ないと思ったり、きっとその後の世界があると思ったり、ふと気楽に考える瞬間もあるのです。そしてまた、ふと怖くなって・・・。この繰り返しを一日に何度もしています。どうか、助けてください。
縁があって相談できることをありがたく思います、結婚して18年です、子供は3人、結婚して、親になってわかる、親心、子供ができて、分かる、この心、わかっている、14年前に父方のお父さん、私にとってはおじいちゃんが亡くなりこの死が、私の心を大きな傷となり、今も思い出すとおえつが出るくらい悲しみが心を支配する、身内の死がこれほど悲しくて辛いのは十分わかる、 わかっていながら、自分の子供、主人には平気で死んでしまえとか、汚い言葉、毎日のように、放つ自分、 毎日寝る前手を合わせ毎日反省、わかっているのに、なんでか、自分がすごく汚い心だから、週末はなるべく、神社や、パワースポットと言われる所へ足を運び、感謝する、お線香の匂いに癒され、嫌なこと忘れる事ができる、父が病気になり、すぐは死なないけど、死と向き合う父をみていると、さらに死に恐怖、自分も死ぬんじゃないかの恐怖、不安、でも、築地本願寺に行ったとき、お線香の匂いでその恐怖や、不安が、一気に吹き飛んだ、だから、神社、パワースポットに足を運ぶのは、感謝の為、わかっている、 長女は16歳になり、日に日に反抗がすごい、薬やお酒に、興味持ち始めて、毎日怒鳴り、死んでしまえと思います、私自身反抗期、親に対する口の利き方、ちゃんとしていたから、長女が私に対する口の利き方や、態度が、ゆるせない、尊敬や、優しさが感じられない、毎日怒鳴り、汚い言葉をぶつける、誰一人私をいたわり、優しい言葉かけてくれない、有難う、あたりまえだけど、言われたい、心と、吐き出す言葉が正反対で苦しい
最近、家族の死について考えてしまいます。 祖父母と同居しているのですが、83歳と79歳です。毎日元気に挨拶してくれてとても嬉しいのですが、彼らが死ぬと考えると辛いです。お葬式なんて考えられません。 また、親の死と自分の死も怖いです。心配しているのは、死ぬのもそうですが、死に方です。殺されたり、溺れたり、災害で死にたくないです。死は苦しいというイメージがあって、嫌だと思います。 家族に先立たれて、この世に取り残されるのが怖いです。日に日に歳をとっていく家族を見ていると、怖いです。 生まれ変わりってあるのでしょうか?死ぬ時辛いでしょうか?あの世ってありますか? 本当に怖いです、心を落ち着かせる方法などがあったら、教えてください
死ぬのが怖いです。 死んで自分の意識が永遠になくなることも、いま当たり前におくれている生活がいつか終わってなくなってしまうことも、将来やってくる家族の死も何もかもが怖いです。 私にとってはこの世界、今感じてるこの感情が全てで、それがいつかなくなってしまう、そう考えるとたまらない気持ちになります。 子供を産めば子孫を残していけるので、死んだ後も私の断片が続いていくかもって思って子供は将来産みたいです。子供を産んだら子供の方が大切になって死ぬのが怖くなくなるかもしれないので。でも、そうしたら今度は子供が死ぬのが怖くなるみたいです。 死ぬのなんてへいちゃらさ、みたいなテンションで生きていきたいのですが、性格的にウジウジしてしまう方なので、パーッと楽しんだりもできず・・・人生一回なのにそんなことで悩んでる自分が嫌になります。どうすれば前向きになれるでしょうか。
昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
はじめて質問させていただきます。 私は今年18歳になる、高校3年生の女です。 通信制高校に通っています。 ここ2、3ヶ月の悩みなのですが、私は自分や家族の死、老いに恐怖を感じています。 あるニュースを見てから、突然感じるようになりました。そのことで体調を崩し、今は心療内科に通院しています。 自分の老いへの恐怖。そして死ぬ時はどんな感じなのか、その後はどうなるのか。考えても考えても当然ですが答えは出ません。恐ろしいです。家族(特に母親)が老いていき、いつか…それを想像するだけで涙が出ます。 誰にでも来るもの。それは十分に理解しています。 だから、今を大事に生きていくしかない…ということも頭では分かっているのです。 ですが、どうしても怖くていられません。 不安でいっぱいで、ずっと体調を崩したままです。泣くことも多いです。 ずっとこの気持ちを抱えたまま生きていくのか…。 心も体も、とてもとても辛いです。 私はどうすれば良いのでしょうか?教えてください。 よろしくお願い致します。
私は息子を亡くしました。 それから考えることは『死』についてです。 やはり『死んでしまいたい』という気持ちが消えません。 前向きになっても、ふと『死んでしまいたい』と思ってしまいます。 それは、亡くなった息子に会いたいと言うよりは自分の将来が不安で生きるのが辛いからなのかもしれません。どうせ不幸が待っていると思ってしまいます。 このまま生きていくのが不安で押し潰されそうです。 仕事をし前のような生活をしたいですが、上手くいかず主人にとうとう怒られました。 『全てが中途半端』『どう生きたいんだ?』と、、主人も息子を亡くした親なのに私が甘えすぎていたのだと思います。 私のうじうじした気持ちをなくし、頑張りたいのですが将来(未来)を思うと苦しくなります… どうすれば前向きな気持ちが続くでしょうか。どうすれば強くなれるでしょうか。
普段から心配性な性格をしているのですが 夏の疲れが溜まっていたのか、いつもなら気にしない母のうっかりミスや悲しいニュースで強いショックを受けてしまい そこから還暦過ぎた両親が認知症になってしまったら、私自身が癌になってしまったら、身内が死んでしまったらと 暗い妄想ばかりが頭から離れなくなってしまいました。 特に裕福ではなく伴侶もいませんが、ありがたい事に衣食住に困らず人にも恵まれています。 仏教では老い、病、死は避けて通れず諸行無常と言われていますね。 けれど私は周りの人達に辛い事が降り掛かって欲しくなくて、不安な気持ちが離れなくなりました。 全ては変わっていく事、考えてもどうにもならない事と頭では分かっていても、心が拒絶するのです。 未来が怖くて仕方ありません。 幸せな状態のまま全てを終わらせたい、など極端な考えまで出てしまいます。 私がこんな悩みを抱えていると知ったら、親も親戚も友達もとても心配してしまいます。 なので誰にも打ち明けられず、ここで相談させて頂きました。 いずれ訪れる老いや病、死や未来に対する不安にどう向き合ったり、捉えたりしたら良いか どうやったら未来を明るいものとして考えられるか お坊様のアドバイスを頂きたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。
初めまして。こんばんは。 私は18歳の社会人です。 少し長いですがどうかお付き合いください。 最近地震などの天災が多く、連日連夜報道されるニュースやSNSなどで見かける予知や予言、心のない言葉。 それらの恐怖心が消えずに毎日朝起きてから仕事中でも「地震はこないだろうか?」「死にたくない」「万が一にも母に何かあったら」と頭の中を回っています。 地震のニュースや情報源を見ずに断てば良いではないか、と思いますでしょうが、やはり、今どこでなにが起こっているのか、というのは知りたいと思ってしまいます。 小さい頃から母と二人暮らしで母と喧嘩しようが「嫌い!」と言ってしまったりしても少しでも帰宅が遅くなったり、メールや電話が繋がらないと「なにかあったのでは」と不安になってしまい繋がるまで連絡を取ってしまいます。 茨城での地震以降、夜が怖くて怖くて母が横に居ないと眠れなくなってしまいました。 社会人にもなってお恥ずかしい限りです...。 玄関に防災セットや避難リュック、ヘルメットをすべて用意していますが、それでも不安になって毎日少しでも揺れた、地鳴りの音がすると感じると飛び起きて水面の揺れを確認してしまうのです...。 これでは病んでしまうと思ってたわい無いお喋りをしているラジオを聞いてみたり、ハスノハの回答を見て落ち着けるようにはしてはいるのですがあまり効果がありません。 心を落ち着けるためにしていることや、アドバイスでもなんでも良いのでご助言頂けますと幸いです。
10年前 私が20代半ばの頃です。約2年半程 交際していた方が自ら命を絶ちました。当時は 悲嘆に暮れ 絶望感と今までに経験したことのない喪失感でいっぱいでした。 私の言動や行動が 彼を追いつめたのではないかと思い自責の念にも苛まれました。 彼に対して 『何故、どうして?』という気持ちがいっぱいで溢れそうになり 時にはそれが『なぜ私をこんなに悲しませるの』と、怒りになることもありました。 彼がいなくなってからも 私の日常は変わらずにあり 泣いてばかりもいられませんでした。半年も経てば 彼がいない生活にも慣れてしまいました。亡くなってからの一年間は 周りに心配をかけまいと 必死に毎日を過ごしていたように思います。楽しいことがあれば普通に笑えたし、その一方では 死にたいと考えてしまう自分がいたり。今思えば、 常に両極端な緊張感の中にいるようでした。結果 糸がプッつり切れてしまい休職するに至りました。 『時間が経てば癒される』と よく言いますが、三回忌を過ぎた頃からは 彼がいないことに対して寂しくて泣くことは少なくなりました。あんなに毎日の様に彼のことを考えていたのに 自分のやるべきことに追われ忙しい日常にいると すっかり彼のことは忘れていましたし、それでいいのだとも思っていました。しかし そう簡単に割り切れる訳もなく、 少し疲れていたりすると 決まって彼のことを思い出しては悔やんでいる自分がいたのも確かです。 七回忌が終わった頃には 私自身も 歳を重ね 彼の自殺の原因を考えるより 彼が亡くなった意味に想いを巡らせる様になりました。 歳月が流れて 私の気持ちにも沢山の変化がありました。時間はかかってしまいましたが 私なりには彼の自死を消化してきたつもりです。しかし、10年が経とうという今でも あの当時の喪失感だけは拭えません。新しい誰かと未だに向き合えない自分がいます。 また、物にも あまり執着しないようになり、とにかく身軽でいたいと年々 思うようになりました。彼以外にも この数年に大切な家族を立て続けに亡くしたことも かなり堪えています。 すっかり 自分の進むべき道を見失ってしまいました。生きることに執着がない自分自身にも とても不安になります。何か新しく手に入れたり 出会いが生まれれば、そこから貪欲になれるのでしょうか?
49という数字がやたらと目につきます。 ふと見た電子時計の数時、TVの時計の数時、 広告の値段や、色々ありますが49といあ数時ばかり目につきます。 ネットで調べるとエンジェルナンバーでは49という数時は良いいみらしいのですのが、エンジェルナンバーは海外の考えなので日本人の私にはあまり関係しないような気がします。 どうしても49>死を意識してしまいます。 考えによって49>良くと考える人もいますが、 私にはどうしても死と考えてしまいます。 49数時ばかりめにしてから2年くらいたちました。何か悪いとこが起きる前触れとか誰か死ぬとかの虫のしらせなのでしょうか?気にしないほうがいいのですが、気にしてしまいます。
5月に父親を亡くしました。 普通の生活に戻った今頃になって 自分が死んでしまう事に恐怖を感じるようになってきました。 結局死んでしまうのになぜ人は生まれ、生きなくてはならないんだろうと毎晩考え、いつか訪れる自分自身の死に対して怖くてたまらなくなります。 死にたいと言う訳ではなく死ぬ事が怖いです。