初めて相談させていただきます。よろしくお願い致します。長文で申し訳ありません。 先日息子が亡くなりました。27歳でした。息子は障害をもって生まれ体もあまり丈夫ではありませんでした。亡くなる時は体力も落ち本当に辛そうだったので、もう仕方ない今までよく頑張ったねという思いで見送りました。 私は夫を自死で亡くしています。その時2人の子供はまだ小さく、仕事での借金、度重なる浮気など亡くなった後にわかった事も多く、本当に辛い日々でした。ただ目の前の子供を育てていかなければという思いで必死に生活してきまた。 夫が亡くなってから仕事もしていましたが、自分なりに頑張ってきたのは子育てでした。なので息子が亡くなった事は理解していても本当に辛く、私の必死だった20年はなんだったんだろうという虚しい気持ちと共に、月日の流れの中で思い出す事も少なくなった夫への複雑な思いが蘇ってきました。あの時夫が自死を選んだ事で私の人生は大きく変わり、その事で経験した悲しみ苦悩を自分の中でどう消化していいのか未だにわかりません。許せないという気持ちです。亡くなった人にそんな感情を持つ事は許されるのでしょうか。 そんな中、普段から気に掛けてくれて、息子が亡くなった時にもとても力になってくれた親族と飲みに行きました。辛い気持ちを少しでも聞いてもらえればというつもりでしたが全然違いました。 私がひとこと言うとそれに対し全く理解出来ないことや、私の生き方そのものを否定するような言葉をたくさん言われました。確かに親族から思えば私は理解し難い道を歩んでいるのかもしれません。私の人生に対して親族が思う事をずっと言われ続けました。 人それぞれ人生も経験も違うので、理解して欲しいというより話を聞いてもらいたいと思っていたのですが、それも甘えだったのでしょうか。 またコロナ禍やスキル不足で仕事も決まりません。 色々な事が重なり辛い日々です。 一緒に住む子供の為にも頑張りたいと思っているのですが、今後どのような心持ちで暮していけば良いのか自分ではわかりません。ご教授いただけると有り難いです。
質問の閲覧ありがとうございます。私は1ヶ月前に母を自死で亡くしました。その原因が私であることに悩んでいます。 母は私を可愛いがりすぎて、過干渉な親でした。靴一足にしても母が良いと思ったものでないと買わない、母の意見に背くとヒステリックになるため機嫌を損ねないように母の言うことに流されるように従ってきました。ただ、そこに母が私のことを考えてくれていたのはよく知っていました。 私は当時就活をしていて、前年から就活に取り組んでいました。その中で学科試験に合格し、面接に進むことになる度に、母は大丈夫か?大丈夫か?と緊張させることを言い。やめてくれ、放っておいてほしいと言っても、心配して言ってるのにと口論によく発展し、ムシャクシャしたまま面接に行き落とされてしまうという結果が続きました。 そして就活も終盤戦に入り、企業の数も減ってきている中、内定が一社もでない状態が続き、企業を探しても良い企業が少なくなり、企業説明会に参加した際に出てくる企業があまり良いことをしているように思えない企業ばかりが出てきたことにショックを受け。私は自暴自棄になり暴れました。 その中で私は母に就活の邪魔をしてくれたせいで、私は終わりだ。あなたの過干渉に付き合わされたせいで私の人生は無茶苦茶だ。と今までの恨みを思い切りぶつけました。 それから私は他の企業の面接に参加する際も、母にどこの面接に行くのと言われても、母が緊張して結果的に邪魔になるからと徹底的に無視をして面接に挑みました。 少しすると、会社から最終面接の連絡が来て、私は喜びました。しかし、それを家族に漏らすと母に伝わると思い、家族にも隠しました。 その次の日に母は自死をしました。遺言には、疲れた、こんな母でごめんね〇〇(私の名前)。と書かれていました。警察官の人の取り調べの際も、あなたが殺したのではないのですね?と聞かれ、やはり私が母を追い込み殺したのでは?という思いが今もあります。 母の過干渉は嫌っていたのですが、母はとても大好きでとても大事にしてくれました。 初給料が出たら美味しいご飯を食べさせてやりたかった。孫の顔も見せたかった。それなのに私は我慢できずに母に文句を言い、父や弟を悲しませる結果にしてしまいました。そして何より、私に謝って死んでいった母が不憫でなりません。私は何を間違ったのでしょうか?
初めて相談させて頂きます。 30代前半の既婚者です。現在癌の治療をしています。 今年の6月に、20代半ばの妹が一人暮らしのアパートで自死をし、その2か月後四十九日・新盆を過ぎたころに実家で母が後追ってしまいました…。 妹は遺書などもなく、婚約者もいて結婚秒読みだったことから、幸せなんだと家族全員信じていたので、その知らせを受けた時は後頭部を鈍器で殴られたような強い衝撃でした。 父・母・弟・私の5人家族で、弟と長女の私は結婚して実家を出ています。 妹のことがあってから毎週実家に泊まり、悲しみにふける母と父を励ましました。 妹の分もみんなで生きていこう!と、みんなで誓いあったのに。 「〇〇(妹)に会いたいけど、〇〇(わたし)がいるから死ねないな」と母は言っていたのに。 まさか同じ方法で後を追って逝ってしまうなんて。 母の知らせ聞いたとき、全身の血の気が引いてしまい、その時のショックが毎晩襲ってきて(2人とも知らせが夜中だったこともあり)恐怖と何とも言えないドス黒い感情につぶされてしまいそうで怖いです…。 癌治療を乗り切るモチベーションもなんだか薄れてしまいました。こうなったら父より絶対に早く死ねない!わたしが父を看取る!という強い気持ちのときと、こんな辛い治療をもうやめてもいいんじゃないか…頑張っても再発して癌で死んでしまうのではないか?という弱い気持ちが自分の中で渦巻いて毎日ドッと疲れてしまいます。 仕事の集中力もなく、本当に日々ただただ疲れて…なのに、寝る前になると色々なことがフラッシュバックしぐっすり眠れません。母が苦しむ夢も頻繁にみてしまいます。 それから、周りでわたしより不幸な人を探して安心してしまう自分がいます。このような事は今までなく、どちらかというと人の悲報や殺人事件などのニュースは大嫌いでした。それなのに今はそれを好んで見てしまいます…。性格が醜く変わってしまったのでしょうか。 長文になってしまいましたが、妹と母のことをちゃんと納得したいです。悲しくて辛くて苦しくて…やはり納得できません。 母は妹にちゃんと会えているのでしょうか。 わたし自身もこの先自死という選択肢が出てきてしまわないか不安でたまらないです。
はじめまして 現在独身で、関係が良好で健在の両親とペットたちと敷地内同居しています。 最近自律神経の不調により精神不安が増大し、将来や死について考え過ぎてパニックになり様々な不調が出てきました。 今は少しずつ改善されてきましたが、未だに不眠や不安で苦しくなったりします。 精神不調の時は「今〇歳だから△年後に衰えて□年後に亡くなってしまうんだな」と考えて、収入についての不安というより心の寂しさが大きく強くなってしまい目の前の作業効率が落ちてしまう事があります。 死については、このサイトの他の方の問答を拝見したり色んな方からのアドバイスで「死後家族や縁のあった動物たちや友人たちとの魂の繋がりは無くならないので安心してください」「両親も自分たちの両親に会える幸せがある」「死は不幸では無い」「また会える」と受け取れる内容のものがあり、そういうものなんだと考えると死自体についての恐怖は少し緩和されました。 しかし、今生きていて、現在パワフルな両親が数年後衰えて介護が必要になる姿を目の当たりにした時のショックは大きいだろうな、本人たちも苦しいだろうな、社会性の乏しい自分が介護や契約等きちんとフォロー出来るだろうか、市役所が助けてくれるのだろうか、今元気なペットたちもいずれ…そもそも自分が先に自死では無く事故や病気等で亡くなってしまったら…と想像した時にまた不安が増大します。 目の前にある成長のための物事に一生懸命取り組みたい、進化したい、けど避けられない将来の寂しい思いが強く出てきて不安が増大し、立ち止まってしまいます。 両親への敬意や感謝の気持ちが非常に強いので、寂しさが強いのだと思います。 ペットロスは3回経験しましたがとても辛かったです。 姉夫婦と甥と姪が隣県に居ますが、関係が良好でも頼っても良いものなのかという不安もあります。友人たちも遠方なので苦しい時は一人なのか、というのも不安です。 自律神経の改善が進めば多少落ち着くと思います。将来寄り添ってくれる友人と出会えるかもしれない。自動運転や色々な相談窓口等世のシステムが進化して生き易くなってるかもしれない。とポジティブに考えたいのですが、やはり不安が強いままです。 考え方を上手に切り替えるアドバイスやお話を頂きたいです。 宜しくお願いします。長文失礼しました。
これまで自殺願望について何度もご相談させて頂いたものです。皆さんの真摯な対応のおかげで希死観念は徐々に薄れてきて、心の余裕が出来た事で過去の自分と向き合う事をしているのですが、その中で気がかりな方に気づいたので僭越ながら再びご相談させて下さい。 私は、自由意志の尊重をきっかけに自死について興味を持ちました。「他人に命のあり方を左右されるくらいなら自分で死んだ方が得心が行く」という心持ちに至った訳です。 その発端は世間にはこびる根拠の薄い方便でした。「死は悪である」「子供を産むのが人のあり方である」「生産性の無い人は生きてはいけない」…こうした社会を回す為の方便を自明の考えとして押し付けられる事は今でも受け入れられません。 特に、死を絶対悪とする発想は金輪際受け付けないと思っています。現在の自分は生の目的を少しずつ見つけたので辛うじて死を適度に恐れていますが、それでも全ての人に悪であると考えることは思い上がりも甚だしいと多々感じます。 逆も然りです。誰かの生き様に無責任な横槍を入れる発言を私はしたくありませんしまして本人の納得の外で当人の生き死にを自分が左右する事に大変忌避感を覚えます。恐らく政治や企業経営などは自分には全く向いていないのでしょう。 このように自他の意志を尊重しようとすると、どうしても傍観者の立場を取る事になり、一向に他人との繋がりを見出せなくなってしまうのです。 自己という存在は縁起で成り立っているという事を知っておきながら、いざ生活すると他人の預かり知らぬところで淡々と幸福を追求することになります。 全くもって不思議です。 つまるところ、今の自分は人間不信なのだと思っているのです。 他人が信用できないから自分の力でどうにかする術を追求し続けたということです。しかし、そのあり方を果たして続けていいのか、いやしかし「貴方の為を思って」とうそぶきながら自己の為に他人を操作するのもどうなんだろうか、そんな事をずっと思い続けているのです。 これは果たして人間の在り方としてどうなんでしょう。それとも私は人間を名乗る事を辞めた方がいいのでしょうか。
最近、「死にたい」という気持ちが発作的に出てきて、一度出てくるとしばらくはずっとその思考に支配され、涙が出てきます。 新しい大学に入ってから、精神状態がゆるゆると下降気味なのですが、学業やバイト、交友関係もしんどくなってきて、そろそろダメかもと思っています。 精神科にも通い薬も服用しているのですが、気分は安定しません。ここ1週間は発作に加えて怒りっぽくなりました… 昨日も発作が起き、幸いにも希死念慮等々に理解のある友人と話せたのですが、話す中で自分が今年度前半よりも良くない状態にあるということが分かりました。 それは、死ぬことが救いのように感じられるというか、例えるならば余命宣告を受け入れた患者さんのように死ぬことを受け入れていること、そして、発作が起きた後は自死についても考えるのですが、この方法は痛いだろうか(楽に死ねる方法がないか)とか死んだら(大学やバイト、家族は)どうなるかとかについてもう考えておらず、ただただ車を見たら飛び込もうかとか山手線にぶつかろうとか(そうでなくても山手線は吸い込まれそうになりがちですが)になっていて、以前のように自殺の失敗について考えなくなっていたことで、これが客観的に知らされた昨日、私は自分が大丈夫ではないのかなと思いました。 でも、私には大学もバイトも彼氏という存在も、一応の知り合い(友人もどき?)もいるのですが、まだこのまま頑張った方がいいのでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。 ちなみに、実家に戻るという選択肢はありません。自ら檻に戻りたくはないので…
こんにちは。 私は、今年で24歳の女性です。 今年4月から、新卒で入社した会社にて、介護業務に努めていましたが、4月末に適応障害となり退職しました。 その2ヶ月後には実家に戻り、安静に過ごしていましたが、常に頭がぼーっと動かないという状態に襲われ、現在まで休養を中心に転職活動をしていました。原因不明で、現在も心療内科に通院しています。 転職活動をしなければならない、という 気持ちはあるのですが、「どこにいっても自分はだめな人間だ」「新しく人と関わることが怖い」「自分には価値がない」「前の会社を辞めなければ良かった」などという思想が巡り、「死にたい」と思います。 ですが、私が死んだ後、親が死亡届を書く 様子や、友人が自分を責める様子、などが 予見され、自死を自制しています。 付加的な出来事ですが、つい最近、好きだった人とも上手くいきませんでした。不幸の連続で、本心では死にたいです。どうしようもなく死にたいです。 この先、私に幸福が舞い降りるとは思えません。既に絶望の数々を目の当たりにしているので、自然死するのに何十年もかかるかと思うと、まるで生ける屍のような気持ちになります。 このような鉛のような気持ちをぶつけてしまい、本当に申し訳ございません。この苦しみは、どこにも行き場所がなく、私の内側で日に日に増幅していってしまいます。 一体どう生きていけばいいのでしょうか。
お世話になっております。 以前、「自業自得の孤独を乗り切る方法」という内容でご相談した者です。 あれから丸一年、就業先を自分なりに探してみましたがやはり現実は厳しく、現在も無職かつ貯蓄も底を尽きそうな日々を過ごしております。 本日お伺いしたいのは 「孤独死」が確定した中で「今生での生活」を営む事すら金銭的に厳しくなる中どうしたら、せめて心穏やかに旅立てるのか、です。 行政、各所支援団体含め当たった上でも 「生(活)」する為の資金は得られず、かと言って自死する勇気もなく、だらだらと毎日息をする日々。待っているのは老いと病→いつかどこかで物理的に腐敗し、発見されて、最上の弔いがあった所で無縁仏です。 死ぬ瞬間はいつ、どこで来るかわかりませんし、死後の世界も未知の中、 【質問】 ・どう思って生きれば、死の瞬間を穏やかに迎えられるのか(物理的苦痛少なくの意味) ・今生で「ただ息をして今日を生きる(現実的にそうするしかない状況)」に意味はあるのか、あるならば何が出来るのか ・死に方により、死後の世界?は変わるのか ※各宗派により見解異なるかと思いますが、少しでも苦痛少なく、今生を終えられたら、と思います。
今年は、7月に母親、同月に同い年の友人(どちらも病死)、8月には、30代半ばの頃、付き合っていた元彼が亡くなりました。 元彼とは、友人を通して知り合ったので、友人から訃報の知らせを受け、悩んだ末、お通夜に参列しました。(知らせてくれた友人は、私用の為、参列しませんでした) 参列した事は、後悔していないのですが…昨夜、連絡をくれた友人に久々に会ったところ、自死だった事を聞かされました。 友人も訃報の連絡を受けた際は、状況は不明だったそうで、告別式後に他の友人から聞かされたそうです。(原因はわからないそうです) 私は、病気だったのかな?と思っていたので…驚きましたし、「馬鹿‼」という言葉しか出てきませんでした。 彼とは、別れてから、かなり時間が経過していますし、今も気持ちがあるわけではないのですが… 付き合っていた期間は短かったものの、当時、年齢的にも結婚を意識しておりました。 結果、一方的にフラレてしまったんですがねぇ。(理由は教えて貰えませんでした) 私は、どうやって彼の死を自分自身で納得(表現が正しくないかもしれませんが)したらいいのか?わからずにおります。 よきアドバイス、宜しくお願い致します。
いつも相談をさせていただきありがとうございます。 心理学の勉強を進めたいのに、娘の自死によって学びを深めることが苦しくなりました。 プロフィールに載せましたが、3年前に大学の通信課程に入学し心理学を学び始めました。 心に辛さや苦しさを抱えている人に寄り添い共感し支援してあげられるようになりたいと考えてからです。ところが入学直後に自分の娘の問題行動が発覚し自分のための勉強どころではなくなりました。それでもなんとか娘の行動がよくなるように悩み苦しみながら娘に向き合い、わずかずつ心理学の勉強を進めてきました。そんななか娘は1年前に自ら命を断ってしまいました。 娘の死は私に、同じように苦しさを抱える本人や支える家族を増やさないような力になりたいという気持ちを強くさせました。 そんな気持ちで自分の背中を押して学習に取り組むのですが、もっと早くこういうことを知っていたら娘を救うことができたんじゃないか、と思い気持ちが後ずさりをしてしまい、心理学を学び知ることが怖くなってしまいました。 その一方で、やはり自分と同じような悲しい思いをする人を増やしたくない、だから勉強をして役に立てるようになりたい、との気持ちもあります。 ハスノハに投稿される相談やつぶやきを読んでいて、悩み苦しんでいる人に対して「大丈夫!」と声をかけてあげたくなったりもします。 しかし、娘を救えず亡くしてしまった悲しみと苦しみは生涯なくなることはないと思い、そのように自分の心が整っていない人間が他者を救うのは無理なんじゃないかと思います。 気持ちをどのように持てばよいでしょうか。
はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。
妹を自死で亡くしました。 四十九日法要も終わりましたがまだ混乱の中にいて毎日泣いてしまっています。たらればが止まらず後悔の日々です。 代々浄土真宗の家系で妹の供養もそのしきたりで行われましたが、わからないことがあるのでよろしければいくつか教えて頂きたいです。 ①浄土真宗では亡くなったらすぐ成仏の考えですが、それは生前仏様を信じた人でないといけないと聞きました。 妹も私もそこまで信心深い方ではなかったです。信心深くない人は亡くなったらどうなるのでしょう。魂があるのかどうかもわかりませんが、どこか彷徨って迷子になっていないかとすごく心配です。 ②他の宗派だと節目の法要に追善供養の意味がありますが、すぐに成仏する浄土真宗の節目の法要の意味合いを捉えかねています。故人を偲ぶのにも仏様に手を合わせる??の感覚がよく分からず…モヤモヤした質問でわかりづらくすみません。死を受け入れられず妹にはなかなか手を合わせられずにいます。 ③②と被りますが、浄土真宗に追善供養の考えがないため、もう妹に何もしてあげられないと絶望しています。成仏して苦しみも何もないなら大いに結構なはずなのですが、後悔の感情のやり場を失っています。エゴなのはわかっていますが気持ちが追いつきません。本当にもう何もできないのでしょうか。死別とはそういうことなのでしょうか。 混乱と絶望と後悔が繰り返しきてただただ苦しく虚しい日々です。何を信じて頼ればいいかもわかりません。 色々と的はずれな質問かもしれませんが、教えて頂けますと幸いです。
いつも大変お世話になっております。 私は3月末で雇い止めに遭いました際にご相談させていただいたものです あれから2か月が過ぎました。働いていた頃と同じ時間に起きて今後の仕事を考えている毎日です。買い物などに行くと学生さん、シニアの方が生き生きとした表情で働いているのをみると仕事を見つけられず不平不満ばかりを言っている自分に嫌気が指します。好きなミュージシャンの歌に励まされ自死を止める事も出来ました。でも時々、生きている事が苦しく生きたくても生きられない人と変わってあげたいと思う時もあります。発達障害ASD/ADHDもあり生きづらさも感じます 自分の思い通りにならなかったり気に入らない事があると子供のように癇癪を起します。50歳目前でこんな生活を送る事になるとは1年前は思いもしませんでした 振り返れば仕事も長続きせず‥心臓の指定難病になり寛解状態でありますが完治しないので突然死もあります。病気を理由にしたくないですが検査・手術などで仕事を辞めざるえない時もありました。今の状況になったことを担当医師はゆっくり休んでと言ってくれますが焦りもあります。病気にならなければ‥と思いますが 病気でも働いている人もいるので言い訳ですよね。今は失業給付を皆さまの税金から頂く事になるので申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし突然の失業で仕事探しも出来ずだったので甘えてしまっています。これからの人生が不安です このまま無職になってしまうのか‥今は何をしたいのかも分かりません ただ、人と接する仕事を今までの介護に関することをしたいと思っています まとまりなくて申し訳ございません 私は生きている価値があるのでしょうか
ここ数年、歳を重ねるごとに心身ともに悪い状態になっています。 若い頃「自分は思うように生きられている」と感じ、日々が充実しておりました。 本当に良い人生だったと思っています。 しかし、それは自分のことしか考えなかったからこそのことでした。 奢っていたのだと今さら気づきました。 自業自得で、今は生きることが辛く、数秒ごとに死を考えています。 ここまで何とか生き長らえて来ましたが、しおどきだと。 長く勤める職場でも、人を羨み妬む気持ちが増え、疎外感を感じながら働いています。 自分よりずっと若い人たちがどんどん昇進して上司になっていきます。 私は雇用形態上、昇進出来ません。 能力も低いのだろうと、近頃は自信もモチベーションも持てません。 その人と話すと「死にたくなるスイッチ」が入る人と仕事で接しなくてはならず、つらいです。 希望は一切持てません。 よく、自死を考える前に人に相談しろというけれど、こんなに重苦しくて暗い思いを、いったい誰に明かせましょうか。 数少ない友人も困ってしまうと思います。 天涯孤独の身には、相談する人がおりません。 今は「正常」な社会人として振舞えていますが、いつ何時「犯罪者」と化すか、自暴自棄な思考の中で怯えています。 お坊さまにお言葉をいただきたく、すがる気持ちで投稿させていただきます。
はじめてお話させていただきます。よろしくお願いいたします。 何年も希死念慮に抗ってきました。 死んではいけない。生きて責任を全うしようという意思はあります。苦しくて涙が出るのは、死にたいという気持ちを死んではいけないという考えで打ち消そうとするときです。 気持ちを押し殺さなくても、終わりの準備をしながら生きればいいと己に言い聞かせてここまで長らえました。生命保険、連絡先の整理、持ち物の処分、仕事のマニュアル作成……でももう頑張れそうにないのです。 愛犬に病気が見つかりました。 なぜ犬がこんな目に?私の病気だったらよかった。延命治療は苦痛では?最後まで一緒にいたい。その後は? 私の役目も希死念慮も関係ないところで、犬の存在だけは幸福そのものだったのに。 私はこのさき何十年も死ぬ準備を続けていく自信がありません。心が落ち着かず、最近は物を捨てる行為をとめられません。 その時がきたら、誰かにお疲れ様と言われたい……などと贅沢なことも望んでしまいます。お坊さんは、自死するような愚か者に労いの言葉はかけてくださいませんか? 最後まで犬に寄り添うことができたら、もう一度ここへきてお話してもいいですか?
先日、僕の行き過ぎた言動が原因で以前から交流のあった方と絶縁することになりました。 言動の内容は伏せますが、一歩間違えたら警察沙汰になるような醜い行為でした。 その方には相応の賠償金を支払い、今後一切の接触をしないことを条件に赦しをいただきましたが、僕は自分の愚かさに失望する日々を過ごしています。 絶縁された以上は直接的な謝罪ができないため、僕は自分をとにかく責め抜いて理不尽にでも罰することにしました。 最初は死をもって償うためにさまざまな方法を考えましたが、「1銭の価値も無い僕が死んだところで僕が満足するだけではないか」という結論に至りました。 そこから自己否定について考えていましたが、まだ日も浅いのに緩みを感じています。 飲食も睡眠もせずに相手の幸せを願うべきなのに、僕は迎えるべきでない明日に備えて食事をして眠ってしまっています。 本当はこの先の人生から快い感情を消し去り、惨めな最期に向かって暗い道のりを歩むべきなのだと思います。 前置きが長くなってしまいましたが、ここから質問です。 僕がもう会うことのできない相手に対して罪を償い、相手を幸せにするためにすべきことは何でしょうか。 やはり自己満足でも自死を決行すべきなのでしょうか。
先日、父が亡くなりました。自死でした。 突然のことで心が追い付かず、悲しみに暮れる暇もなく手続きに追われています。 詳しい理由は分かりませんが、おそらく祖母の介護と父自身の病気、借金の返済等が重なり心身ともに疲れてしまっていたのだと思います。 前日には「心が疲れました」と同僚の方に送っていたそうです。 父はとても優しい人でした。とても辛かったはずなのに、私たち家族に心配をかけないよう、普通に接してくれていたことも心が痛いです。 借金が発覚したのは父の死後ですが、介護や病気は家族の問題でもあったと思います。もっと私たちが話を聞けていたら、父は今も生きていてくれていたのかもしれないと思うと涙が止まりません。 特に母と妹は第一発見者なので、もっと心が辛いと思います。 私はこれから一生、父に死という選択を取らせてしまったことを後悔しながら生きていくのだと思います。 借金はどうにかなりそうですが、それより心がとても苦しいです。 一度は父の後を追いたいという気持ちになりましたが、ここまで大事に育ててくれたことを思うととてもできませんでした。 苦しくても生きていきたいという気持ちはあります。 これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。
長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。 早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。 ご回答いただければ幸いです。 ーーーーー 私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。 私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。 一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。 そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
母が自死をしてしまいました。 父を病気で亡くしてから長いこと、母はうつをわずらい、実家で1人暮らしで寂しさもあったのに、定期的に実家に帰って顔を見せるだけで、もっとしっかりして、ときつくあたったこともありました。 ここ3か月位連絡は定期的にしてましたが、コロナを理由に帰省するのが疎遠になっていました。 亡くなる1週間前くらいだったか、割りと頻繁に連絡をくれて、仕事中だからと冷たく切ってしまった時もありました。 亡くなる前日も連絡をくれたのに、私は素っ気ない話し方をしていました。 話しの最後に今度行くから身体気をつけてね。と言ったら、ありがとうと言ってくれたのです。 その時は気付かなかったのですが、振り絞るように、伝えてくれたんだと思っています。 なぜあの時、もっと優しく、時間があったのだから会いに行かなかったのかと、悔やみます。 成人するまで、育ててくれて、両親には迷惑をかけてきたうえ、親孝行は全然出来ませんでした。 母が供養できるように、母を想い手を合わせるとともに、これからの自分の生き方が問われる気がします。 話しはそれますが、長い間、疎遠だった姉との会う時間が母の死により増え、なにかの因縁も感じております。 今はなにも出来なかった後悔しかないのですが、家族もいますし、前を向いて行こうと思っております。 何故か最近、仏教の本や、動画などを読む、観るようになりました。 教えをいただきまして、少しずつ光が見いだしていきたいと思っております。 宜しくお願いいたします。