2度めの質問になります。 11ヶ月前に父が亡くなりました(今月初めに一周忌を終えました)が、未だに父の死を乗り越えられません。 前回の質問でご供養を大切に。と言う事で、月命日にはお墓の掃除とご供養を忘れず 父への私の非道さを謝罪もしてきましたが、後悔の念や申し訳ない気もちは深くなるばかりです。 週に2、3度 父の夢をみては泣いておりますので、子供達も主人も 呆れている次第で、心のもやもやを吐き出すこともできません。 私はどうしたら、立ち直れるのでしょうか。 もう 回りに平気なフリをしているのも疲れました。
こんばんは。 今年の8月に伯父がこの世を去りました。 亡くなる前日に、伯父が入院していた病院に 家族全員でお見舞に行きました。 色んな話をして、帰り際に「また来るね」 が最後交わした言葉になりました。 伯父の死から2ヶ月経とうとしています。 自分なりに立ち直ったつもりでしたが ふと思い出しては、泣いてばっかりです。 また、わたしには婚約者がおり 伯父は、結婚することを知っていたので 近々彼と一緒にお見舞に行って その時に紹介したいと思っていました。 彼に会わせたかった。結婚式に来てほしかった。 ものすごく悲しみと後悔が押し寄せてきます。 どのようにしたら、立ち直れるようになるのでしょうか? お忙しい中、質問し大変申し訳ありません。
発見が遅れちゃうと現場は結構凄惨になったりするらしい。後始末する人には大迷惑だと思う。これはこれで大問題だとは思いますがひとまず置いておきます。 私には寝食を共にする者はいないし内縁関係の女性もない。バイトはしているので他人と接する時間が全くないわけではないが世間から見れば「孤独を託(かこ)つ者」ということになる、と思います。 で、「では孤独死は嫌か」と問われると「(個人的には)そうでもない」というところが正直なところ、です。 大好きな人でも常に一緒となると煩わしくなる時ってあると思うし、何より今この状態を「一人って楽だな」としみじみ思う時がありますもの。 逆に孤独じゃない人に聴きたいのですが「一人になりたくなる時」ってないのでしょうか。 「孤独」も「孤立をこじらせたもの」でなければアリだと思う(あくまで本人にとっては、ですが)のですがいかがでしょうか。
ここにくるまで時間がかかりました。 以前から希死念慮はあります。仕事をやめて二ヶ月経ちました。些細なことすぎるかもしれませんが人間関係で悩んだことがきっかけです。 労働そのものが嫌なのではなく 働かなければならないと思っても また同じような目にあうかと思うと前に進めていません。 半月ほど前に 初めて娘に話しました。希死念慮という言葉は使いませんでしたが そういう思いがあることは言えました。仕事に就かず家にいることに不信感はあったと思うので打ち明けましたが 娘は責めるでもなく静かに聞いてくれました。娘に負担を与えてしまったかもしれません。 今の状態を抜け出したい気持ちが起こると焦りや死ねたらいいのにと思います。 死ぬ気でやれ や 死ぬ気になれば何でもできる とは 本当に確実に死ねるのならできると思います。でもできないので苦しいのです。 傷つかない今のままでいたいけれどどうにかしなければいけないのだろうと思いながら生活しています。こう思うことが甘えなのでしょうか。わかりません。
私は、病気のせいか、始終死のことばかり考えています。例えば、主人が今日無事に帰宅するだろうか?とか、子供の病気が悪い結果になるのではないか?とか、不安と心配のループから、逃れることが出来ません。明るい思考も出来るはずなのに、全てを生死と結びつけて考えてしまいます。やはり、病気のせいでしょうか。それとも他の人も同じなのでしょうか?抜け出す道を教えてください。お願いします。
先日、飼っているインコの具合が悪くなり病院に行きました。 症状が死亡率の高い癌の症状と似ていて、この子が死んでしまったらどうしよう、と病院につくまで不安で不安でたまりませんでした。 結果的に癌ではなくちょっとした体調不良なだけで、命に別状はありませんでした。 しかし、一人暮らしで頼れる人もいない状況で大切な家族のインコになにかあったら、仕事はどうするか、どこまで手を尽くせるか、色々な問題があることに気が付きました。 それから毎日、元気にごはんを食べるインコを見てほっとしています。 常に心の片隅に「明日突然死んでしまうのでは?」「朝起きたら動かなくなっているかも」「仕事に行っている間に何かあったらどうしよう」と考えるようになってしまいました。 まだまだインコも寿命には程遠く、今日もとても元気でした。からなず生き物は死んでしまうし、私より早く亡くなるのだから覚悟は必要です。でも今から死ぬことばかり考えたら、一生懸命生きてるインコにも失礼ですし、ここ最近私が参ってしまっています。 もともと神経質で心配症な私は、今回の出来事をきっかけに祖父母のことや両親のことも同じように考えてしまい不安に押しつぶされそうです。 このままではいけない、となんとか意識を変えようと昔から試みていますが、漠然とした死の不安や、それに伴う環境の変化を予測してしまい心がついていけません。 こんな心配や不安でいっぱいの毎日が楽しいわけなく、本当にしんどいのです。 死は必ずくるもの、乗り越えなくてはいけないものとわかってはいるつもりです。 その日が来るまで楽しく過ごしたいのに、毎日毎日例えようのない不安ばかり湧いてきて、病気になってしまいそうです。 これを乗り越えるには、心配症を治すには、どんなきっかけが必要なのでしょうか?何をしたら、どのように考えることができたら、この辛い日々を脱せるのでしょうか。 先に天国に行ってもらい、いつか私が行くまで待っててもらおう、そう考えてもなかなかうまくいきません。 死に対する予測的な恐怖と不安を消化できるようなお話や思想がありましたら、教えて欲しいです。
実際に自分自身が自死遺族となりました。 そのような実感もあまりないのですが 毎日が息苦しいです。 いろいろな支援があるということを こちらのサイト様でも地域の情報でも 拝見いたしましたがハードルが高いです。 全く知らない人に電話をし自分の状況を説明すると思うと… つらい聞いてもらいたいという気持ちより 精神的にしんどいという思いが先立ち せっかくの支援も利用する気になれません。 情緒不安定が続いたとき メンタルクリニックも考えましたが 予約の電話すらできませんでした。 捜索時の慌ただしさから お通夜お葬式…四十九日と 周りの時間は普通に戻っていくのですが 自分だけ取り残されているように感じます。 今月より心機一転とも思ったのですが… 1人で苦しませてしまったにもかかわらず 私がのうのうと生きてることに 違和感を感じます。 こちらのサイトの問答をたくさん拝見し そんなことは望まれていないと思うのですが 理解と実践が全く別物です。 身近の人の死に対する 気持ちの経過もこれが自然なのか 異常なのか全くわかりません。 誰よりも辛いはずの両親も いろいろと気遣ってくれ 優しい家族に恵まれ、 決してしんどい状況ではないのですが 精神的にどうしようもないときがあります。 子供の成長に悪影響がないか怖いです。 一生懸命できるだけ供養し 一生抱えるしかないのですが どのように向き合えばよいか いろいろなお言葉を聞いても わからないままです。 ハスノハ様でしたら気持ちを 少し書ける気がしたので書かせていただきました。 従来の問答と重複するものですが ここまで読んでいただき 誠にありがとうございました。 いつもお坊様の有難いお言葉に 励まされております。
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
こんにちは なつと申します ここ数ヵ月、悲惨な事件も多くその影響からか死への不安、恐怖が頭から離れません。悲惨な死にかたを想像しては恐怖しています。ただ不毛なだけなので辞めたいのですが、どうしても頭から離れません。どうしたら必要以上に恐怖することをやめられるでしょうか。よろしくお願いします。
私は20代前半です。 先日同級生のお父様が亡くなられたと聞きました。前触れもなく突然の事だったといいます。 私の両親は私を40代で産んだためほかのご両親よりも年齢が上で今は60代です。 私は小さい頃から不安を抱えやすく、最近とくに家族がなくなったらどうしようなど悩んでいます。突然死となったらほんとうに怖いです。 そのために恩返しを少しでもしようと感謝の気持ちやものを買ったりはしていますが、やはり怖く悲しいです。 来る運命なのとわかっていますが本当に苦しいです。 この不安をどうすれば少しでも和らげますか?
タイトルの通り、身近な人の死が怖いです。 数年前に、仲の良かった先輩を亡くしてから身近な人に対する死がとても怖いです。 自分の死に対する恐怖は無く、むしろ自分の事に関して無感情と言うか、無関心で、死のうがなんだろうが何とも思っていないのですが、 親や友達など、自分に親しい人の死がとても怖いです。 生物として生まれてきた以上、死というのは必ず来るし、受け入れなければならないのは分かっているのですが、何故か意味もなく怖いと思ってしまいます。 乗り切る方法などはありますか?
今年の5月くらいに、父の兄妹の妹さんが自死されました。62歳くらいでした。 その方は早くに旦那さんを病気でなくしずっと亡くなるまで一人でいました。 去年父のお兄さんが病気でなくなり、その時にあったときは、とても元気そうでした。 最近知ったのですが、鬱病だったみたいです。亡くなった部屋にお薬があったそうです。とても辛かったのだと思うと、私も辛くて悲しいです。 よく自死の人は地獄へいくとか、この世を彷徨っているとか聞きます。 どうか天国で安らかになっていてくれたらいいのにとおもうのですが、、、。 私も鬱とパニック障害があるのでとても辛いです。 自死した人は地獄なのでしようか? 教えて下さい。よろしくお願いします。
初めまして。 ご相談したい事があり、こちらにて失礼させていただきます。 私の兄が自死で亡くなりました。 理由は何も分かっておりません。 兄は周りから尊敬され頼りにされているような人でした。 そんな兄が突然自宅で亡くなりました。 葬儀を終え、兄の自宅はこれから私が預かり家族と共にそこで生活をしていく予定です。 その上で兄が自死をした部屋をどうしたらいいものかと悩んでおります。 その部屋でお線香を焚けば兄への供養になるのか、お坊さんをお呼びしてその部屋でお経をよんでいただければいいのか… 事故現場にはお花を供えてあるのをよく目にしますが、部屋の場合はどうしたら兄への供養になるのか教えて頂きたく相談させて頂きました。 私にとってとても大切な兄です。 間違った知識でお祓いと思われ兄を悲しませるような事をしたくありません。 アドバイスをいただけると嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 お見苦しい文を大変失礼致しました。
先日父親が自死をしました。 昨年は弟が病死をし、息子のところへ行くと遺書にありました。 弟は生前借金が多く、父親は年金全部弟に渡し 家賃も払えず自己破産をしました。弟に言われるがまま詐欺的なこともしており刑事告訴されています。 私が父親の年金を管理する約束で、私の旦那が契約、私が保証人となって新しいところで住みました。 母親だけの年金で食費をまかなってもらってたのですが、足りない時は渡していたのに父親は自分のお酒タバコに費やし遺書の最後には『自分で年金管理させろ、お前の金じゃない』と書かれていました。 ここまで父親を追い込んだ弟も許せない、自死を選んだ父親も許せない。 最後の言葉。私のせいで自死を選んだのか。 弟、父親のせいで貸したお金も戻ってこず泣いて諦めた人が何人もいてるのに死んだから終わりではないと怒りがおさまりません。 悲しみなど少しも無いのです。 身内が二人亡くなっているのにこんな気持ちでずっと私は生きていくのかと思うと辛いです。 いつか二人の死を悲しむことができるのでしょうか。
初めまして。拙い文章をお許しください。 私は今医療の現場で働いている者なのですが、毎日医療現場にいると死に直面することが多くあり私自身死については受容できており何も怖くないと思っていました。 しかしふと家で1人でいる時に突然両親がもし亡くなったら私は生きていけるのだろうかと考えてしまい涙が止まらなくなる時があるのです。特に両親は今は健康でありこれといった病気を患っているわけではないのですが不安に押しつぶされそうになってしまいます。 私自身とても昔から両親が大好きでいつも甘えてばかりで私の目の前から居なくなるなんて事はありえないと思っていました。しかし医療現場で家族や身内の方が亡くなるのを目の当たりにして「自分もいつかは」と想像してしまいます。 両親がこの世から亡くなる辛さを感じるくらいなら先に自分が死んでしまいたいと考えてしまうこともあります。こんな事を考えたり言うのは絶対に間違っているのは百も承知ですが果たして私の考えは間違っているのでしょうか?ご教授頂けたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。
中学生ぐらいの頃から漠然と死の恐怖がありましたが、身近な祖父が亡くなった事で、改めて両親が死ぬこと、自分自身もいつかは死んでしまうと自覚したことで、より一層死ぬことに対して恐怖が強くなってしまいました。 ただ死ぬのは仕方ないとはして、特に孤独死が怖いです。年齢も三十路手前ですが結婚願望はありません。生涯独身でもいいかと個人的には思ってます。 そのため孤独死をしないために結婚というのも何か違う気がします。 働いてる時や動き回ってると忘れてるので気にしないのですが家で一人でいる時や眠る前の静かな時間に、ふと死の恐怖を思い出してしまい泣いてしまいます。どうしたらいいのでしょうか? 死ぬのが避けられないならせめて落ち着く教えや考え方はありますか?死の恐怖と上手く付き合っていく方法が知りたいです
両親の離婚後長年会っていなかった父が孤独死しました。 死後、親戚の方と改めて関わっていく中で 私の幼少期の写真を見て泣いていたこと、 保険金の受取を最初から私にしていたこと、 養育費を払ってくれていたこと、 自分が死んだ時に私に渡せるようにと貯金してくれていたことを知りました。 高校生の時に会いに行って不在で帰ってきて以来、私はコンタクトを取ろうともしなかったことを悔いています。 私はもう大人になり結婚し子どもも生まれたので、孫を見せてあげられたらよかったなとも思います。 離婚の理由は父親が原因だったのですが、そこも含めて赦し、仲良くなれていれば…。 父親に自分はもう忘れられていると思っていたので、 私のことを考えてくれていたことを知り 驚きと嬉しさと、会いにきてくれればよかったのにとも思いました。 訃報を聞いてから 父親の晩年は幸せだったのか 苦しくなかったか 亡くなってまだ四九日経っていないけど私を見てくれているのか とぐるぐると考えてしまいます。 (電気がチカチカするのを勝手に、父がいるのでは?と思い込んでいます) また死自体が怖いと思ったり 漠然といなくなってしまいたくなったりと 死について極端に考えてもしまいます。 家族が亡くなるのが初めてで 自分の気持ちの持って生き方、 父は死後どうなっているのかをお坊さん目線で分かることがあれば教えて欲しいです。 よろしくお願いいたします。
いつも迷いがあると読ませて頂いており救われます。今回も投稿前に何度もお話を読ませて頂きました。私は20年以上前に国際結婚をし10年ほど前に離婚をした前夫との間にダウン症の息子がいます。幸いにも息子は健康に恵まれ周りの愛情をたくさん受けて健やかに育ち無事先日その国での成人を迎えました。その国の複雑な行政システムのために外国人の母親に親権は与えられず、親権がないとその国に住めず、全幅の信頼を前夫に託して帰国ししたのが10年前です。離婚後も、私は彼の母親と、彼は私の実家と、お互い頻繁に交流を続け、円満離婚だったと思います。彼と私ももちろん頻繁に連絡をとりあいました。離婚した夫婦ですから毎回会う度に些細なことで口喧嘩をし、その度に仲直りをするという繰り返し。このやりとりは二人があの世で会うことになってもするんじゃないと笑いあったものでした。兄と妹、姉と弟のようなそんな愛情だったと思います。その後お互い新しいパートナーができ、私も毎回行く度に会いました。そして先日、前夫は息子の成人を見届けたかのように、長年の闘病生活の後、亡くなりました。前夫は彼女と友人に自宅で看取られとても安らかな旅立ちだったと聞いています。旅立った後の彼の安らかな死顔の写真も送ってもらいました。安らかでした。彼は家族がいなかったため、葬式手配などは私が渡航して彼の彼女と一緒に取り行いました。彼が亡くなって1ヶ月たちましたが悲しみがますばかりです。溺愛した息子を1人残す彼の悔しさを思うと胸が張り裂けます。(息子は数年前より里親と生活しています) 私も、離れていてももっと彼に色々してあげられたのではないかと後悔ばかりつのります。今の夫も最初は聞いてくれましたが、どうリアクションしていいかも分からないようなので、夫の前ではいつもの私で過ごしています。親友達も海外にいるのでなかなか気持ちを吐き出す相手がおらず、後悔と悲しみが胸の中に留まり続けております。彼の死を受け入れることが出来ず、泣き暮らす気持ちとは裏腹に、表面的には普段通り仕事をし、美味しい物を食べ笑う自分がいて、気持ちと生活がチグハグな状態です。亡くなってから改めて彼の存在の大きさを感じています。前夫の死をどうやって受け入れることが出来るのでしょうか? 受け入れる日は来るのでしょうか?
閲覧ありがとうございます 20代後半の子供2人の母です コロナが流行し、たくさんの方が感染し苦しい思いをし、亡くなられた方もいらっしゃいます それがニュースで毎日取り上げられ、予防を徹底する日々を送っています そんな中、突然死というものに強烈な恐怖を感じる様になりました 今までは特に死に対し、日常の中で考えることもありませんでした それが今、怖くて怖くてたまらないのです なんでもない、ふとした瞬間に恐怖を感じるのです 例えば、コロナに子供が感染したら、どうしたらいいのだろう 自分が感染したら、何週間も隔離ということになったら、万が一重症化したら1人で死んでいくのか 大切な人がいなくなってしまったら そんな風に考えて、近所のスーパーにも行きづらくなりました コロナだけでなく他の病気や怪我も怖いのです 上の子が幼稚園に通っているのですが、大怪我したらどうしよう、給食を喉に詰まらせたらどうしよう、犯罪者が突然幼稚園に侵入したらどうしよう スヤスヤ眠る子供を見ては、息が止まってしまってないかと夜何度も確認してしまいます こんな風に頭の中が不安でいっぱいで、心が壊れそうです 以前自分がどんな風に考えて、毎日を過ごしてきたのか思い出すことができません こんな風に不安になってしまった時、どうやって意識を他のことに向けたら良いのでしょうか 現在パニック障害の治療を受けています それとほぼ同時に死への恐怖を抱きました 医師には相談していますが、『大変だね、趣味を見付けたら』と言われました 24時間考えているわけではなく、掃除をしている時、お風呂に入っている時、ふと考えてしまうのです どうか助けてください
以前から同じような相談をさせて頂いており、その度に温かいご回答を頂き感謝しております。 ご回答のおかげもあり、少しずつ死の恐怖を克服していたつもりでした。 しかし、それでも何度も何度もどうしようもなく死の恐怖に襲われます。死ぬことに怯え、泣き、気が狂うような恐怖で、これを感じないためには死ぬしかないのかと、本当につらいです。 自分で沢山考えた結果、私の一番の恐怖はやはり死後が分からないことでした。無になることが一番怖いです。でも、輪廻転生できたとして、宇宙が無くなったら転生は止まるのか?解脱したら、魂は消えてしまう(無になってしまう)のか?など、怖さで考えが段々大きくなり、恐れることがどんどん増えていってしまいます。 死後を考えても仕方がないと、頭では分かっている筈でした。死は逃げられるものではない。だからこそ、死そのものを、たとえ死後が無だったとしても、ありのままに受け入れる姿勢、考え方が大事だと理解しているつもりでした。でも、どうしても、湧き上がる恐怖が勝ってしまいます。 いつか死ぬと理解してから、人生が虚無です。最後死ぬのに、消えるのに、生まれて自我を持つなんて、なんて残酷な世界なんでしょう。なんでこんな世界に私達はいるのでしょう。 どうしたら、死の恐怖を消すことができますか?死を受け入れることができますか? 私はこれから、最後は無になる(かもしれない)ような分からない未知の世界に否応なく行くしかないのに生きて、耐え難い死の恐怖に襲われながら死んでいくしか無いのでしょうか。 乱文かつ感情的で本当に申し訳ありません。どうしようもなく苦しいです。どうか、助けて下さい。