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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 不安」
検索結果: 1433件
2023/12/14

生きていることが恐いです

今年の夏は、異常でした。でもあれは、今年の夏だけの異常さではないと思います。 今、南半球では、異常な夏が訪れています。私たちの住む北半球でも、30度を超える冬、魚の大量死など、異常な冬の訪れを告げるニュースがあちこちで流れています。 地球が壊れかけています。異常な暑さと、環境の変化による食糧不足、水不足、それらを起因とした人々の争い。これから先の未来を考えると、恐ろししか感じません。 そんな世界に子供を産んでしまったことが、申し訳なくて仕方がありません。自分はもう死んでしまいたいと、こんな怖ろしい世界にいるくらいなら、もういいと思います。でも、そんな恐ろしい世界に親もなく残された小さな子供たちのことを考えると、苦しくてたまりません。 必死で生きてきました。仕事も見つけ、色々ありながらも、家族を養える程度には何とかなっています。でも、これからの大きな変化の中では、そんなもの何もなりません…… 逃げ場はないですし、それでも生きていくしかないと頭ではわかっています。でも、恐怖は、変えられません……。 化石燃料を無駄に使う人を、憎む気持ちすら浮かびます。こんなもの、なくていいじゃないかと、エネルギーの無駄ではないかと思うものを見るたびに、落ち着かない気持ちになります。でも、ヒトが生きていくには、時に「無駄」に見えるものが重要なことも知っています。 こんな状況で戦争なんて、何をやっているんだと思います。個人でできることを必死で探してやろうとはしています。でも、そんなもの何もならないことも、やはり頭ではわかってしまうのです。 こうした不安を、エコ不安というようです。世界でも増えているようですが、無理からぬことだと思います。出口のない、ないことを知ってしまっている、苦しさがエコ不安の難しさだと感じています。 出口がないのなら、しのごの考えずやるべきことだけをやる。分かってはいるつもりですが……苦しいです。

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生きてるのが怖い

死ぬのは怖いです。 死は未知です、五億年という時を経っても意識は永久に無くまるで気絶した時のようです。 私はとても自殺願望が高いですが、私でもわかるようにこの世にいる人は誰も本来的には死にたくないと。 死はとても美しいものです、全てが虚無になります。 どんなにクローンが生まれたとしても、それは自分の意識でもなくクオリアもありません。 しかし同じように生きてるのも怖いです。 人生一回しかないという重い重い現実があります、そこにはどんな物理法則も変えられないという絶対的なルールがあるので一度でも足を切断やらしたら永久に手が生えてくる事もありません、誰かが死んだら永久に会えません、一度顔面に塩酸をかけられたら二度と顔は再生しません、一度ホームレスになると一生勝ち組になれません、一度HIVになると一生治りません。 悲惨な人生だったら一生悲惨なままです。離婚したら離婚したままで今後誰からも愛されることはありません。 そういうのが怖い。 人生は可塑性がありすぎて一度何かをやったらそこから変わる事がないです。 死と生は表裏一体です。 死があるから生が尊いものになります。一度しかないから一生とかいう言葉を使い自分の人生を有り難がります、死があるから身近な人が死ぬのを悲しみます。 私は、この物理法則が次々変わるのがこわいです。 現実が移り変わるのが怖い。 いまこの瞬間があるのが怖いです。 いつも恐怖や不安を抱えています。 私達は現実に金融資本で搾取されてます、労働で自分の貴重な人生の時間が搾取されています、二度と返ってこないです。 何処かで働いたら金になるだけでその時間は二度と返ってこない、私の親は底辺職に就いてたので何十年と人生を安く買い叩かれて人生という貴重な時間を費やしていました。 私は20代ですが私の貴重な時間を使用して作られた富を老人に吸われています。 また同じように過去の偉人や天才やらが貴重な人生を使用して発見、発明した数式や発明品やらなんやらを何の苦労もなく得ています。 そういうのが怖い。 いつか重い病気になったり、事故ったりして苦しみのが怖い。 来月の今頃は何か嫌な悩みが増えてると予想できるのが怖い 明日は口内炎で口が痛いかもしれない。 明後日は親友と仲違いするかもしれない。 生きるのが怖い。死ぬのが怖い。 恐怖から逃げたいです。

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無事に一周忌を迎えました

今日は、質問ではなくお礼です。 昨年9月に17才の娘を自死で亡くし、何度か相談させて頂きました。 当初は、どの回答も否定的にしか、受け取ることができずにいましたが 娘は娘の人生を生きたんだ。私は私の人生を生きればいいんだと そう思えるようになりました。 あの時に頂いた回答を読み返し 今は、心にすとんと入ってくるようになりました。 初盆の頃、とてもしんどくて、生きる理由が欲しいと思いました。 こんなにしんどいのに、なんで生きないといけないのか。 生きる意味があるのか。あるなら、その理由はなんなのか。 答えがあるはずもなく、いずれは私も逝くのだから この苦しみも必ず終わる。 それまでは、やれることをやりながら生きるしかない。 そう思えるようにもなりました。 一周忌、取り乱すのではないかと心配でしたが あの日に戻ることもなく、 一年踏ん張ってきた心で、手を合わすことができました。 実は、最後に見た娘の後ろ姿が思い出されて どんな顔をしてたんだろうと、気になっていました。 とても不思議なんですが、お盆に娘の夢を見たんです。 娘はあの日と同じ、高校の制服姿でした。 そして、気恥ずかしそうに笑ったんです。抱きしめることもできました。 ただの夢かもしれません。 だけど、「ああ、娘は今、楽になっているんだな。」そう思えて なんだか安心できたのです。 とても、可愛い笑顔だったんですよ。 これからも、気持ちが上がったり下がったりの繰り返しかもしれません。 生きていたら当たり前の事ですよね。 きっと、私は大丈夫です。 もう少し余裕ができたら、お寺巡りしたいなって思っています。 もしも、訪ねて行ったときは、どうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。

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相談出来る人がいない。

過去の歴史を振り返っても世界は常に様々な事がある。 争いや災害などなくなる事など決して無い世界で、その時代時代で、人は悩んで、苦しんで、喜んで、楽しんで、悲しんで、嘆いて、様々な感情を抱えながら、それでも人は今を生きている。生かされている。生きていけない。生きるのをやめる。生かしてくれない。様々な状況がある。 生きる事が怖いです。 死ぬのはもっと怖いです。 大切なものを無くす不安、恐怖、悲しみを味わいたくないです。 自分は死にたい訳でもありません。 大切な人に悲しみを与えたくないから。 だけど、いつも、、、。わからないです。 他人を羨んだり、自分を自慢したりもしません。 何かを望んでいる訳でもなく、いつも自分の心は真ん中にあってほしい。 なぜなら様々な出来事に自分の感情が揺れるのが怖いから日々を精一杯生きてるだけです。 それでも年齢を重ねて感動が薄れていく気がします。 けどいつか必ず来る悲しみを味わうのはもう嫌です。 今の世の中は物が溢れているところもあれば、その日その日を食い凌ぐので精一杯のところもあります。 あればあるほどいいとは思いません。 無ければ無いでこした事はないけれど、全く無いのは虚しいです。 モノや感情も同じ事で、自分にとってちょうどいいを見つけて、探して、見失ってその繰り返しです。 豊かとは何か?頭で考え、心で感じ、身体で実感する。 人生はそれの繰り返しで、過去の思い出をふと振り返り愛され、悩み葛藤し、肩を寄せ合って生きてたあの頃が懐かしく愛おしく思います。 今が不幸せという事ではありません。 十分に幸せだと思っています。 救いの言葉を下さい。 自分はどうやって生きていけばいいでしょうか? よろしくお願いします。

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死にたいと親に言ってしまった

はじめまして、こんばんは。 私は20代大学生です。中学生くらいの頃から、容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたいなーと考えていました。 確かに、今も自分として生きるのは辛いです。何かの拍子に死んで、別の人間になりたいと思います。 不謹慎ではありますが、自殺した人のニュースを見ると、同情やショックでなく、生きなくていいことへの羨望しか感じません。 それはそれで問題だとは思うのですが、今一番の問題は、母に、つい死にたいと言ってしまったことです。 最近は、もともと自分が嫌いなところに持ってきて、コロナ禍で外出できないことや先行きが不透明すぎること、そのくせ国家試験や受験などのために勉強しなければいけないことなどのストレスが重なり、それにうまく対処できなかったことが原因かと思います。 自殺する勇気もないのに死にたいだなんて言っても、周りに迷惑だし、引かれるし、メリットなんてありません。 どうせ寿命が来たら人間は死にますよね。 「身体と心、どちらかが限界に達すればその時に死ねる、どっちが先に壊れるかはさほど問題じゃない。」 このような考え方から、死にたいと思っても口に出さずにやってきました。 しかし、前述の通り、去年の10月ごろから母に「死にたい」「屋上に行ってみたけど飛べなかった」などと話してしまうようになりました。 親じゃない人に表出したのなら、「構ってもらいたいだけだ」と一蹴されるくらいで終われていたのでしょうが、人に弱みを見せるのが苦手なので、できません。前向きで天真爛漫な人物だと周りからは誤解されているようです。そう誤解されればされるほど自分を繕って、疲れてしまうので、昔から悩みを話せるのは母くらいでした。 こんな歳になっても、親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて、私も年甲斐もなく甘えていましたが、 「死にたい」だけは違うと自分でも思います。母は深く傷ついているでしょう。 母の相談相手といえば、母の姉(伯母)なのですが、伯母も旦那さんが病気療養中なので、私が死にたがっていることなど相談できないと思います。 こんな歳になってこんな形で親を苦しめたことは反省していますが、死にたいのは事実だし、どう謝ればいいか、どうしたら心配をかけずに済むか分かりません。 私はどうすればいいのでしょうか。

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2023/02/18

これからどうやって生きればいいのか

小さな頃から心配性というかネガティブな性格で、物事を悪い方に考えてしまう癖がありました。 最近の世界情勢(戦争等)やコロナ禍で、つらさや不安を感じることが増え、塞ぎ込んだりふと泣いてしまったりする日々です。 1歳の息子の将来や、妊娠中のお腹の子どもの未来を勝手に悪い方に想像し、眠れなくなることもしばしば… そんな気持ちの中、1ヶ月前までは元気だった祖父が先日急死しました。 身近な人の死は初めてで、毎日祖父との思い出を思い出し、伝え残したことを考えては涙が止まりません。 葬儀の時に見た祖父の姿がフラッシュバックします。 身近な人を亡くすことがこんなにつらいと思わず…もうこんな経験はしたくないと思ってしまいます。ならばもういっそ自分がいなくなりたいとすら思ってしまいます。 いなくなれば、不安な未来も、大切な人の死も経験しなくて済むのではと… 支離滅裂な文章で申し訳ないのですが、 これからどのような気持ちで生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。 何かにすがりたくてここに辿りつきました。どうかアドバイスをいただければ幸いです。 よろしくお願い致します。

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夫に離婚したいと言われました

結婚して6年、夫に離婚したいと言われました。知り合いの方の突然の死から自分の人生の事を考えると 私との結婚生活を終わりにしたい、来月には自分はこのアパートを出ていくからと急に言われました。 夫との子供はいません。去年末体外受精で妊娠し流産しました。もともとは夫は子供を欲しがってはいませんでした。 他に女性はいないそうです。  夫には努めている会社のトップの女性80歳に凄く憧れています。お付き合いを始めた当初は そこでは働いてなくて、私との結婚を機会にその女性の努める会社に転職しました。その方とは男女関係はないそうです。その方の生き方、意見や将来の会社のことを話す事に凄く尊敬しています。   会社は小さく上司と営業の先輩1人、会計の人の規模です。上司と先輩は会社の空き部屋に住んでいます。上司はosho和尚をアメリカで何年か崇拝してたそうです。  特殊な会社だなと私も周りの友達達も夫でも感じています。夫は休みの日も上司と会って会社の話をしています。 その会社に努め始めは本当に辛そうでした。上司と先輩とからの教えでメンタルがボロボロになってました。自分を会社に努めれるよう変えていかなくてはと、本当に努力をしていました。 本当に夫は変わっていきました。夫の家族も本人には言えないけど変わったと言っています。夫は自分お意見に自信を持って話します。時には人に押し付けます。友達たちがひいていくのが見てて分かります。 夫は私の事を本当に愛してくれています。今でも愛しているそうです。でもこの先、自分が目指しているところに行くには私がいてはだめだそうです。 私はその上司が夫の事をずっと洗脳して行ってるように思えてしまってます。これも夫の望んできた選択なのですがこんなに愛情深く、まだお互いに愛し合う気持ちがあるのに別れるのは嫌です。 言われて一週間経ちますが今まで通りの会話をしテレビを観たり食事をしてます。そんな中、夫は新しい家を探したりしてます。  どのような心持ちでいればよいですか。洗脳は解けないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

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いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

有り難し有り難し 13
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私の家族関係と将来について

相談を見て下さり、ありがとうございます。久しぶりに質問失礼します。 私は両親が離婚していて今は義父と実母、弟と犬2匹と暮らしています。 また実の両親は7年前に離婚・別居しており、1年前に今の義父と再婚しております。 私と弟は成り行きで母に着いてきてくれたのですが義父と再婚するまでは小さなアパートで貧しいながらも女手一つで育ててもらいました。義父と再婚してからは義父が新しく建てた家で暮らさせてもらっています。義父と母には感謝しかありません。 また実父も離婚した原因(不倫と聞いています)の張本人ではあるものの、親子の縁は切る事が出来ずたまにパソコンの操作などを教えて貰いに行っております。また、実父の父親(私の祖父)には特に可愛がってもらっていたのでそういう面でも親しくしています。それに加えて父方の実家がかなり続いているらしく(自慢になりますが私で12代目らしいです)墓を守らなければならないのですが、それを私が途絶えさせるのも罪悪感でいっぱいです。 まぁこんな感じで幸せに暮らせればよかったんですが、私も大学生になり将来のことを考えなければならなくなってきたのですが実父、実母、義父の3人の介護や仕送りのような補助などのことを考えるととても不安になります。 それに、わたしにもし子供が出来た時、実父側と実母・義父側のどちらにつくかを選ばなくてはならないかと思います。実母・義父を選べば実父側の今までを潰すことになりますし、実父を選べば実母や義父を裏切ることになってしまいます。今も生きている父方の祖母、母方の祖父母に相談してもお互い、自分の方を選んで欲しいということになってしまいます。 私は弱気ですしこんな事で悩んでしまうのですが、弟にはこんなに心苦しい重荷を課せたくありません。 長文になってしまい、申し訳ないのですが、お坊さん方からの「第三者」として、そして「仏教視点」でのアドバイスや心構えを教えて頂きたいです。

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