ASDのありのままとは、何でしょうか。
初めまして。
私はASD(アスペルガー)の気があり、人付き合い全般が苦手です。
人の心が分からないというよりは、分かり過ぎて、それにどう応えたら良いのか分からなくなる感じと言いましょうか…。
幼い頃から、私は人に怯えられる事の多い人間でした。
繊細で泣き虫。感情の起伏が激しく、与える印象、実際の中身、本質、その全てがちぐはぐで、それが不安を与えていたのだと思います。
人間性の定まらない私に、人は怯えて近寄らなくなります。
私の意見を入れずに出た結論だけ私に伝えて去ったり。
私の振る舞いの原因を『知能の遅れによる幼さ』と取る人もいました。
憶測で広まった噂により、見ず知らずの人の悪意に晒された事もありました。
かといって極端に振る舞いを変えると、それはそれで別のトラブルに発展します。
現在は大人になったのもあり、比較的無難に振る舞えている自信がありました。
しかし先日、三年以上勤めている職場で、発達障害という言葉を通して未だ同僚に見られている可能性を感じる出来事があり、その自信が揺らぎました。
私の行いに対して『二人で』事情を聞きに来て、理由は曖昧なまま結論だけを伝えられたような感じです。言われた事に反論した瞬間の、二人の怯えた目が心に張り付いていて消えません。
私の半生を費やした努力は何だったのだろうかと無力感と怒りと、これから先への恐怖と諦念で頭が一杯です。
そうして、私は多分ここを一番に相談したいのだと思いますが…。
相手に、そう見られていると思うと、自分の中の『そういう所』がむくむくと膨らんで行くように思うのです。
それが私の『本質』で、相手はそれを『見ている』だけなのでは…と。
相手が恐れているように、強い言葉で言い負かし、幼子ほどの知能しか無いように振る舞いたいとも思ってしまいます。
そうした衝動は、良くも悪くも常に人の視線に晒され続けそれに応えてきた努力の結果として染み付いてしまった気がします。
誰かに『良い人』と強く信じて貰えないと『そう』になれないのです。
そんな親や恋人が居れば良いのかもですが、親は疑う側の先頭で、恋人も友人も居ません。
人によって見え方の変わる自分の『何処』を信じ、自分を見れば良いでしょうか。
また、私のように生来の衝動性が強く、慎む事で人の中に居る人間が『ありのままに生きる』とはどういう状態なのでしょうか。
有り難し 25
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