努力について
よろしくお願いいたします。
道徳なんかですと、「努力は必ず報われる」というな感覚だと思いますが、仏教ではそのような場面に関しての考え方はございますか。
例えば、高校、大学受験や難関の資格試験等に関してです。
特にこういった合格、不合格のはっきりしたものでは、不合格になり、尚且つ諦めてしまえば何も残らないと思っております。
高校、大学受験は期限があるものなので仕方ない部分もあると思いますが、
難関の資格試験については、諦めても努力は忍耐として精神に残る。諦めてもそれまでの知識は役に立つ。
というような言葉は、最初の決心を諦めた後ろめたさをごまかすための、気休めや言い訳に思えてしまうのですが。
仏教は未来をつかさどるものではないと伺った事がありますが、努力は実るも実らぬも結局、自分次第の能力のみでしょうか。
よろしくお願いいたします。
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