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検索結果: 958件

出家について

私は、虐待されて育ち、つい最近まで『虐待によるPTSD』によるフラッシュバック等に苦しみ、22歳で実家を追い出された時には、体重38キロ程度で水しか飲めず、高校時代の教諭を頼り…生活保護に入りました。 その後、保護を施しと感じた為に辞退届を提出し、大手メーカーに就職。 その頃、父から紹介された男性と結婚しましたが、父が元主人に借金をしていることが分かり、更に催促があると言われ、短期間で不仲になり離婚しました。 31歳になる今、社会人でありながら大学にも通っており、貧困は何故生まれるのか?自分のような哀しみを背負う子供を少しでも、救済したいと考え、当初、社会福祉士を目指しておりました。 そんなある日、下腹部の傷みから嚢腫がみつかり、すっかり喪失感と傷みで動けなくなっていた時に…。 ある人に、『自分は7年間の修行を終え、まだ未熟ではあるが、一人の女性を祈り救う使命を師から授けられている』と言われ、無償でご祈祷をして頂きました。 初め、半信半疑ではありましたが、勧められる通り、墓参りへ行き、その頃から不思議な夢、鈴の音、声など特に敏感になり、小さい頃から怖い怖いと思っていた霊感のようなものが、違う形で開いたのが分かりました。 それから、先祖を降霊し、母に愛されるが為に愛を伝え、父を説き伏せました。 私の先祖は天皇皇族より派生、親王より臣籍降下してからは、海軍参謀、総理大臣家へ嫁ぐなどし、祖父の代まで華族で、代々、神道です。 血脈故か分かりませんが、私は誰も怨まず、怨み苦しみ亡くなった方に、徳を積まれて亡くなり神格化されているような方を降霊させて頂き、浄化する。俗世から離れ、日々祈る生活が出来ないものかと、最近考えるようになりました。 神道の出家と言うのがよくわかりません。 女性を僧として、受け入れて下さるお寺、出家の方法など、詳しく教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 23
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2021/05/24

出家すべきか?

お世話になっておリます。 在家の人間が出家してお坊さんになることについて相談させてください。 私は現在、32歳の会社員として働いています。 昔から人よりいろいろな面で劣っていると思うことが多く、孤独感を感じたり、生きる意味がわからないなどがあり、出家するという事に強い興味がありました。(もちろん、出家したからといってすべての辛さから開放されるとは思っていません。お寺も組織ですし、人間関係の辛さ、修行の辛さもあるだろうとは認識しています。) 日々生きていく中で、どうしても何か大きな目的を求め続けてしまうのです。これは何の意味があるんだろう?いずれ死んでしまうのに、確実で変わらないことなんて無いのに、と考えてしまい、心に大きな穴が空いていてそこから生気みたいなものが抜けている感じです。 仏教や禅を本などでは学んでいますが、やはり体験にまさるものは無いのでは、と考えています。出家して修行したい、そうすべきなのでは?と考えることが最近増えています。 皆様の出家に至った経緯や、その時の心境、出家するということについて、ご意見をいただけますと幸いです。 何卒よろしくお願いいたします。 以上

有り難し有り難し 24
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出家するということ

こんにちは。今日は出家するということの意味について質問いたします。 俗世間は修行の場であるとつくづく思います。この数週間、こちらは夏休みということもあり、毎日仏教について学んだり瞑想したり、とても大きな生きる知恵を得ています。もちろん、知れば知るほど自らの至らなさや愚かさにビックリがっかりして足踏みすることも有ります、仏教初心者ですが残りの人生かけて努力するつもりでおります。 そこで質問です。俗世間は生きてゆく上で避けられない修行の場です。 ですが、出家するということはこの俗的な苦しみを出来るだけ避けて清らかな心にする、悟りに最適の場所を選ぶ、そういうことなのでしょうか。 出家できる環境の人もいればそうでない人もおります。 学校に例えますと、ある専門学校があるとします。そこにいくと専門職につく最適な近道になるわけです。 ところが、学校に行きたいけど状況が整わず行けない人もいます。学校になど行かなくても通信教育を受けたり、別の道は沢山あるでしょうけど、指針がしっかりないのです。 それに、こういう状況を、まあ縁だからしょうがないだろうととることもできるかもしれません。(今世はそういう時でないとか) 出家しないと得られないこととはなんですか? また、出家する人としない人の違いはなんでしょうか? お坊さんがたが、なぜ出家なさって生涯にわたってお釈迦様の教えに忠実に生きて世の中の人々の役に立とうと考えられたのか、ご自身の経験などを教えていただけると幸いです。 子供が三人おりますし、修行のみならず毎日はたくさんの喜びと幸せに満ちていますので、何もほかの人生を望んでいるわけではないのですが、出家されてお寺に従事されておられることが理想的だなあ、とちょっと思ってしまうのです。それは現在に不満があるからなではなく、仏教の生き方がまさに真の道だなあと思うからです。 回答お願いいたします。

有り難し有り難し 26
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出家すべきでしょうか

3年前、30歳を前に元々の精神障害が悪化、思考が停止して、従事していたクリエイターとしての仕事ができなくなりました。 その後、改善しようと様々な努力を重ね、治療にもかなりの額を使いました。しかし逆効果で副腎疲労というものが発症し、心身ともにさらに酷い状態に陥りました。 他にも、治療をしている3年の間に、なぜか以下のようなことに見舞われています。 ◯飛蚊症が出る ◯外斜位になる ◯耳鳴りが止まず、酷くなる一方 ◯顔が歪み、違和感あるほどの面長になってしまう ◯若くして薄毛が酷くなる ◯性器ヘルペスを移される ◯ストレートネックが発覚 今まで犯罪を犯したことはなく、人として真っ当に生きてきたつもりです。間違った生き方をした覚えはありませんし、誰かに酷い迷惑をかけたこともないと思っています。 それにも関わらず色々な病気や症状に見舞われ続けていることに現実がよくわからなくなっています。自殺するつもりはありませんが、自殺しても妥当だと思うくらいの条件だと思いますし、実際に地獄を味わっています。 もう何をしても上手く行く気はしませんし、生きてる意味がわかりません。 出家などして煩悩を捨て去るしか道はないのでしょうか。

有り難し有り難し 28
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2023/08/13

出家の覚悟について

私は、国家公務員として38年間勤めあげた定年退職者です。公務員生活の後半はボランティアでライフセーバーも経験しました。 もともと人のために役に立ちたいという気持ちを強く持っていましたが、こだわりの強い性格のためか、自分自身を省みることなく頑張りすぎることが何度もあり、そのたびに精神的に落ち込んでしまい、公務の現役時代にはうつで2度休職しました。 定年退職後に、子どもたちの夢や希望に寄り添いたいという思いから、教育支援業を立ち上げましたが、私の経営能力のなさから半年で廃業いたしました。 今回の教育支援業の失敗で、情けない思いでいっぱいでどこかに逃げてしまいたいと思いましたが、会社を整理するまでは頑張ろうと思っています。 公務は防災に関する職種で、ライフセーバーも人命救助の最前線でありました。しかし、防災でもライフセービングでも、どうしても救えない命があるという事に悩んでしまっていました。 第2の人生を教育支援業に賭けようと頑張りましたが、その失敗でも苦しんでいます。 いまは、「私は誰も助けることができない」という思いで、死んでしまいたくなることもあります。 いつかは出家したいと思っていた時期もあって、会社の整理が終わったら、臨済宗妙心寺派の「第二の人生プロジェクト」で出家したいと考えております。 もともと、宗教や精神世界、心理学や哲学に惹かれるものがあって、中学の頃から独学で座禅や瞑想をすることもありました。 仏教は書籍で薄く独学した程度ですが、ネットでテーラワーダ仏教を学んだりしています。 こんな妄想や煩悩でいっぱいの精神的に弱い私なので、自分自身61才での出家の覚悟があるのかどうかさえしっかりしていないように思います。 そんな私でも、人の悩み苦しみに寄り添いたいという思いを強く持っています。その思いだけで出家する事について、なにかしらアドバイスをいただければと思います。 忌憚ないご意見をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

有り難し有り難し 22
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