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hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 」
検索結果: 29083件

自殺未遂

自殺未遂の後遺症で近いうちに死んでしまいます。 これはふとした気の迷いのせいで、この頃はネガティブになってたのか、どんどん悪い方に行き難聴の次はついには命さえあと少しという最悪の状況になってしまいました。 病は気からと難聴になったときふと思ってましたがなんとなく死にたいという前の私じゃ考えられないようなネガティブさにいつのまにか振り回されました。 視野が狭くなってて未来とかいろいろ考えられなくなってたし、いろんなものに無関心になってました。正気なときとネガティブなときがあるのです。 障害で仕事先が限られること、自分の能力に自信がないこと、楽しみがないことで内心絶望して自殺を試みたのだと思います。 自分の体で実験するくらいのノリで死のうとしてしまったんです。 現実に向き合うことさえできないような人間が死や死後の苦しみに耐えられる自信がありません。自殺した人間は基本的に大きな苦しみを追い続ける死後が怖いです。 私という人間の人生はあと少しで終わるし、また人間に生まれ変われるのか、もう極楽や天国へ行けないのか、もし地獄ならその長い苦しみに耐えられるか不安しかないです。 現実から逃げ続け、命の期限を勝手に設定してしまいました。散々死ぬ方法や確率以外にも自殺したらどうなるかもみたのに頭がはっきりしてなくてどう行動したらの結果がわかってなくて。死んだら自分が終わること理解できてませんでした。自分のメンタルが弱いばっかりに家族を悲しませることになるのは少し悲しいです。自分の人生があと少しで終わるのも怖いですがネガティブなループに気づけない限り難聴と違って避けられなかったことなのかもと、もう少し思い切ってサイクリングが早ければ違ってましたが。 死ぬときの苦しみも怖いし、自殺行為の末の死なので、死後どうなるか不安です。 あと体が動くうちにやっておいたほうがいいことのアドバイスが欲しいです。

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寺嫁が離婚を迫られました

住職である夫から離婚を迫られました。 理由は兼業僧侶の夫に家事育児を私が強要した結果、病弱な主人が心身ともに限界に達し、娘を捨ててでも奴隷のような生活から解放されたいというのが、一番の理由です。 今年の2月に別居し、2ヶ月後に初めて離婚を切り出されましたが、それまでの間主人からは1度も連絡なく、現在まで娘にも会いに来ませんでした。 寺嫁としての心得が不足していて、寺の運営に口出ししたことは平に謝りました。 しかし、私も41歳で病弱ながら出産し、産後うつの状態にあり(今振り返ると、ですが) とてつもなくイライラしながら、できる限りの家事育児はこなしてきました。主人が帰宅する頃には疲労困ぱいで、先に寝てしまうことも多かったので、主人に家事をお願いする場面も多かったですが、主人が病弱なことも理解していますから、できる範囲で構わないとお願いしてきました。 しかし主人は日ごろから、感情の起伏が激しい私を怖がり話し合いで結婚生活を進める習慣はなく、私の愚痴を適宜義父母に話し、結果三人が怒り頂点に達し、追い出されるように実家に帰されました。 しかも、離婚の話し合いに入る前に、私を実家に返したことを理由も含め伝え、私が寺に戻れない状態を作ってしまいました。 また、話し合いがこれまでに一度ありましたが、義父母がほとんど話し、主人は2人だけの話し合いに、全く応じてくれません。 慰謝料も、要求したいくらいだと迫られ、寺というところは、ここまで一方的なのかと戸惑っています。 このまま、主人家族の要求をのむしかないのでしょうか。

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自分だけ完全に別の世界

率直な意見が聞きたいです。 わたしは現在23歳で、生い立ちを簡単に説明します。元々兄弟や親戚は全くいない状態で、幼い頃から両親の虐待、いじめ、父親に捨てられてから母子家庭、父親と離婚した理由をわたしのせいにする母。その後の生活も母親の言葉の暴力や生活的支配【極端に厳しい門限や私の意見や行動の否定的発言】が続いた状態です。 そんな中私が大学に進学し1年目、母が癌で亡くなりました。わたしは天涯孤独になりました。その時の感情はあまり覚えていませんが、幸せになるために生きようという前向きな気持ちだったことは確かです。母の死後学費や生活費をアルバイト掛け持ちや奨学金で賄い、無事に大学を卒業。その後新卒で正社員として働き出しました。ですがここまでの過程で私の人生がおかしくなります。大学当時一回り年上の彼氏がいました。その人とは半年ほどお付き合いしていましたが、経済的価値観などが合わずお別れしました。お別れしたのが社会人になる2ヶ月前です。別れを告げたのは私の方なのに、別れた後パニック障害と鬱になり、生きる気力を失っていました。簡単に表現すると肉体は生きているのに心が死んでいました。その時心療内科に通院し、なんとか四月から働き出すことができました。しかし働いた会社が外れで、さらに精神的負荷がかかり、入社5ヶ月目で突発性難聴になり現在休職中です。社会人になり、朝から晩まで働いて最低限の収入を得る。この無意味な生活をこの先もずっと続けていくのかと思うと気が狂いそうになり、正直復帰するどころかもう死んだ方が楽だなって思います。というのも別に働くことだけが辛いのではなく、ただでさえこの若さで天涯孤独だの精神疾患だの普通の人にはあまりない状況に置かれてる中で健常者の中に混ざって生きていくことにもう疲れました。なんのために生きてるのかもわからないし、鬱の薬飲んでもイマイチ気持ちが晴れないし、希死念慮が強いため入院も勧められこんな現実。正直もうみたくない。皆さまがわたしの立場ならどうしてますか?意見聞かせてください。

有り難し有り難し 23
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何度も何度も赤ちゃんを失っています

初めまして。 宜しくお願い致します。 結婚6年目の今年4月、2回目の死産をしました。 お腹の赤ちゃんが突然心臓を止めてしまいお腹の中で亡くなっていたのです。 これで連続2回目です。 プロフィールにも書いてありますが、天国に4人の赤ちゃんがいます。 4人も授かったのに私の腕には誰1人といません。 死産の原因は私の不育症です。 今回しっかり不育症の対策して薬も飲んでいたのにダメでした。 対策しても亡くしてしまい、もう絶望しかありません。 人生子供だけじゃないのは百も承知ですが1人だけでもいいから生きてる我が子をこの手で抱き締めたいんです。 健康で元気な赤ちゃんを抱き締め笑顔で病院を退院したいんです。 人生は修行。 旅行先で訪れたお寺の方の説法で聞きました。 人生が修行なら私の人生辛すぎます。 どうして私だけ当たり前の事が出来ないのでしょうか? 明日への希望、生きる活力が沸いてきません。 「どうして?なぜ?」を考えても仕方がない事は分かっていてもどうしても考えてしまいます。 私は元来明るい性格だと思います。 日々に感謝し生きる喜びを感じたいのです。 でも今までの経験からもうそれが出来そうにありません。 真っ暗なトンネルを歩いてるようです。 どうしたらいいのでしょうか?

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2023/08/25

人と関われない、苦痛

昔から1人で過ごすのが好きです。花火大会などイベントは人混みが嫌なので行きたくないです。しかし、ひとりぼっちで過ごす自分に惨めさ?(うまく言えない)も覚えるような矛盾したところもあります。 昨年、うつ病を発症し休職を経験しました。原因は他人との関わりが多くなりすぎてキャパを超えてしまったからです。仕事で関わりのあった人に悪い人はいなかったです。 ここまで自分は他人との関わりにストレスを感じてしまうのか、と悲しくなってしまいます。もう諦めましたが。 ただ、幸い仕事には復帰できたので生活に問題はありません。相変わらず付き合いの悪い無愛想で何考えてるかわからない奴だなと思われていることでしょう笑。 趣味はギターです。以前はバンドを組んでいました。そこでもメンバー間の付き合いやライブハウスの人との関わりなどストレスを感じてしまいあまり楽しめませんでした。音楽とギターが好きなのは変わらないのですが、なんというか周りのように、うまく立ち回れない自分が惨めになります。もう諦めましたが。 やはり何ごとにも人との関わりが生じます。仕事、趣味、あらゆること。 極力人との関わりを減らしてストレスを感じないように工夫しています。 これから40代、50代と歳を取っていくでしょう。このまま人との関わりが苦手なまま。 今まで自分なりに人付き合いを頑張ってきたつもりです。でも周りとは仲良くもなれません。心が開けません。カウンセリングも占いも運動も勉強もできる限りの努力はしました。 こんな人生もありですよね?もう人と関わるのが苦痛なのを恥ずかしいとか思わなくていいですよね?私は仕事以外は本当に幸せです。仕事以外は…

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死にたくないのに死について考えてしまう

何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。

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ハムスターを死なせてしまいました

先日、急遽家を空けることになり、2歳のハムスターを1週間放置してしまいました。以前も1週間留守番させたことがあったのですが、大丈夫だった為、今回も大丈夫だろうと思いました。ですが、2歳という高齢だったこと、1歳半を過ぎた辺りから、腫瘍が出来出血していた為もあり、帰宅したら亡くなっていました。餌を充分与えたつもりでいましたが、足りなかったのが一番の原因です。 このハムちゃんは、なつくことはありませんでしたが、とても生命力が強く、元気があり、腫瘍ができても一生懸命生きていました。ですが、なつかなかったことで時折目が行き届かないこともあり、結果的に私が死なせてしまいました。帰ってきたときに、餌は全て無くなり、うんちもきちんとしていた為、まだまだ生きれたと思います。 もっともっと生きたかっただろうと思うと、本当にかわいそうなことをしてしまいました。きっとハムちゃんは私を恨んでいると思います。腫瘍も、ストレスが原因でなってしまったみたいです。 ハムちゃんは私なんかに飼われて不幸だったと思いますが、どのように弔ってあげればよろしいでしょうか? 私は一生ハムちゃんに恨まれ、地獄にいきますか?? 教えてください。

有り難し有り難し 46
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何を言われても死ぬと思います。

去年の12月に夫が救急車で運ばれ、1月に小腸がんの発覚、1か月の余命宣告を受けました。抗がん剤治療をしてうまく合っても5か月程しか生きられないと言われ、本人がしないという選択をしました。 夫は当時35歳でした。 1月で私は仕事を辞めて、毎日病院にお見舞いに行っていました。 その後緩和ケア病棟を経て在宅医療を受けています。 最初のうちは良かったのですが、体調がどんどん悪くなり、痛みがひどくなり、今はもうトイレもベッドで行い、自分で寝返りを打つこともできません。 介護は義母と2人で行っています。義両親とは物理的に距離が離れているところに住んでいたので、年1-2回しか会うことはありませんでした。 今回共に介護をしてみて、考え方や生活スタイルが違い、ストレスを感じています。 そうは言ってもトイレにも行けない相手を一人で介護することはできないため、なんとか頑張って暮らしています。 夫は食べると腸から出血が増すため、点滴で生きているのですが、その点滴の中に今日から睡眠薬を混ぜて眠らせることにしました。 痛みがひどく、モルヒネや座薬などではもう効果が少ないための、最後の手段です。 痛みが酷い以外にも、私や義母を呼びつけてお願いをされるため疲労が蓄積してしまったことも、混注に踏み切った一因です。(本人了承済みですが) きっとこのまま、どんどん状況は悪化していき、いつか旅立ってしまいます。 本題です。 私は自分も後追いしてしまいそうです。 今は職もないし、夫の介護が生きてる意味になりつつあります。 介護はとても辛いです。 私は親族と絶縁しているため、頼る身寄りもなく、子供もいません。 義母とは争うこともあるので、義父母に頼ることはできません。 友人はいますが、友人がいたからなんなのでしょう? 私が死んだらきっと悲しむでしょう。でもきっといつか忘れます。 生きる意味を探しているのではありません、もう何をすることもできません。 苦しまない自殺があったら、確実に行っていると思います。 死ぬ気になればなんでもできると言いますが、なにかを始める気力がありません。 将来私は1人で死ぬのであれば、今死んだ方が遺骨も夫の墓に入れてもらえるしいいのではないかとしか思えません。 相談したところで、何か解決できるわけでもありませんが、書き込んでみました。

有り難し有り難し 56
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跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

有り難し有り難し 147
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