はじめまして。高校2年生です。 自分は将来の夢を聞かれた時、 「普通に笑って、毎日平凡に暮らしたい」と思ってます。自分は、中学時代に地獄のような経験をしました。僕は、中一の頃に不登校になり、同時期に高校生の兄も不登校になりました。そして、その時期に父方の祖母と祖父が亡くなり、父の兄が多額の借金だったりと、不幸な事が続きました。そのせいか父は精神が不安定になり、暴言や暴力をするようになりました。毎日が地獄で、死にたいと思ってました。不登校だったので、幼稚園からの友達もみんな失って、何も頼れるものがありませんでした。それから何とか色々あり、今は割と平凡に暮らせてます。毎日学校に行けて、バイトして、好きな物を買って、好きな人がいて、それが今すごく幸せです。夢が中々見つかりません。 ただただ静かに暮らしたいです。 こんな気持ちを、分かってくれる方いますか?
最近になり、死について深く考え始め、このままだと自分は無間地獄に落ちる身だと気づきました。それからというもの、生きるのが辛くなってしまい、座るのが辛くなってしまったり、ご飯を戻してしまったり、過去のトラウマの幻聴がずっと聞こえてきて泣くのをやめれなかったり、体調が悪くて学校に遅れて行く事が増えてしまいました。このままじゃ行けないとは本当に分かっています。死後が怖いからって今生きるのを諦めていけないのもわかっています。でも、浄土真宗に出会い、阿弥陀如来様の事を知れました。でもやはり疑蓋が外れません。どうしても疑ってしまうのです。阿弥陀如来様の救いはすぐ側にあるはずなのに、完全に信じることが出来ません。余計にがんじがらめになってしまいました。今ここで死んだら無間地獄に行くんだと思うと余計に焦ってしまう自分がいます。もう自分には無理なのかもしれないと思ってしまいます。もし皆様から疑蓋についてや浄土真宗の心構えなどあれば教えていただけると幸いです。
神様、仏様に「死なせてほしい、殺してほしい」とお願いするのは失礼でしょうか? 私は現在20代前半ですが、身体のコンプレックスや、何をやっても思い通りにいかない人生に疲れてしまいもう死にたいと考えています。 ですが知恵袋などで似たような質問を調べてみたところ、「神様は死を忌み嫌うのでいけない」や「逆効果で長く苦しんで生きることになる」 などの回答がありました。 やはり殺してほしいなどと身勝手な願いは神様や仏様は叶えてくださらないのでしょうか?今の私にはもう死しか救いがなく他の方法は考えられません。 私は京都在住で、最近はお願いを叶えてくれる神社やお寺をずっと探しています。 また、自殺をしたら地獄に行くのでしょうか?神様や仏様が叶えてくださらないのなら、自分で命を絶とうと考えているのですが、 これもまた許されないことで、地獄に堕ちてしまうのでしょうか? 神仏に委ねることも、自分の手で終わらせることも許されないのならば、もうどうすればいいのかわかりません。 ご回答いただけると嬉しいです。どうかお願いします。
私は小学6年生の元日、初めてアームカットをしました。 頭の中に砂嵐が流れ視界が黒ずんでいるような感覚で、まともに考えられず傷つけてしまいました。 傷つける寸前、初めに「死にたい」と思い、次に「死にたいわけじゃない」「傷付ければ今までの償いになる」と言い訳をしました。1度目は滑らせただけでしたが、その時点で「こんなことをしても償いになるはずがない、むしろ罪を重ねているのではないか」と思い始めました。しかし、「中途半端は嫌、どうせなら血が出るまで」「切れば報われる」「今までの辛さはこんなものだったのか」と自分に言い聞かせ何度も切りつけました。途中「傷が残れば皆に私が今まで耐えていたことを認めてもらえる」と考えが浮かび少し嬉しくなり、そんな自分が怖くなりました。血を見て焦りました。もう後戻りはできないと感じました。 耐えきれず、すぐに母に私の行いを告白しました。懺悔のつもりでした。母は母自身を責めていました。そして私を叱ってくれました。その日私はもう二度としないと母と約束しました。 しかし、中学1年生になり、また傷つけてしまいました。1度目の傷が薄くなっていくことに不安を覚え「自分は今まで耐え、頑張ったのに認められない。それに姉にばかり注目がいく、切ればまた私を見てもらえる」と思ったからです。姉は何も悪くありません。私が勝手に姉を僻んでしまったのです。皆口を開けば一言目は姉で、私のことは話にすら出ないこともあり寂しかったのです。 その日から恐らく百何十回と切り、ほとんどが消えない傷として残りました。 ある日、ネット検索をしている時に"仏様の体に傷をつける"ことが大罪になると記載されているのを見ました。 私は「人は死後仏様になると聞いたことがある。なら生きている今、自分の体を傷つけることも大罪なのではないか」と考え、焦り、不安、恐怖、後悔が押し寄せました。 そして、自傷に対する仏教的なお話を伺いたくここへ書き込むことにしました。 初めて切った日が元日なことにも罪悪感を覚えています。元日を選んだ理由はなく、偶然その日に我慢が切れてしまったのです。 今年の元日からアムカはしていません。しかし、心療内科の薬を過剰摂取してしまいました。 心配されずとも、私の辛さを家族や先生に理解して欲しかった。 こんな私は死後、地獄に落ちるのでしょうか。許されないことをしてしまったのでしょうか。
初めて相談させて頂きます。私は、物心ついた頃から父親から虐待を受け、死んだ父親を憎み続けています。昔は虐待=躾けと言う安易な図式が罷り通っており、警察や児相・教師も全くあてには出来ませんでした。 父親は私に身体・経済・精神的な虐待を好んで行っており、母方の祖父から叱責を受けても逆ギレして祖父を殴り倒す始末。しかし、私の妹には只々甘く、私には決して出さなかった学費を出して大学まで行かせました。 その反面私には小学生の頃から「働け、無駄飯喰らい」「家に金を入れろ奴隷が」等と暴言や暴力を浴びせ続け、私が虐めに遭い大怪我を負った時も虐めの主犯格の減刑嘆願を進んで行うなど、私と言う個人を否定し続けました。 母親は私を庇ってくれましたが如何せん体が弱いので父親から殴り倒されていました。 私はその後母方の親戚からの助けを得て何とか高校に進学し、父親から逃れたい一身で未成年ながら一人暮らしを始めました。 しかし、高校卒業後に父親と出所した虐めの主犯が押しかけて金をせびりました。 私はとうとう爆発して、気がつけば父親と虐めの主犯は血塗れになっていました。 その後私は逮捕され少年院に入り、出所後は母親の面倒のみを見て、父親は放置して、話しかけでもしたら即殴りまくり、父親は何度も意識を失いました。(あれだけやって人殺しにならなかったのが今でも不思議です) 結局、母親は暫くして癌で他界し、妹も今では行方知れずです。私は母の骨を母方の墓に納め、父親を捨てて別の所で1人暮らしをまたしています。今でも夢の中で父親が薄汚い姿で私の足に縋り付き、「一緒に地獄に落ちよう」と言い、私は必死に振り払い、父親を殴り飛ばした所で目が覚める。これがもう2年以上続いてます。 私は父親を父親とは思ってませんし、思った事もない。しかし、もう40歳を越えた今、あの男に縛り付けられるのも御免です。 一体どうすれば、父親を永久に振り払い、正しい人生を穏やかに歩めるのか?まとまりの無い分かりにくい文章で申し訳ありませんが、何卒ご教示頂きたく思います。
先日、急遽家を空けることになり、2歳のハムスターを1週間放置してしまいました。以前も1週間留守番させたことがあったのですが、大丈夫だった為、今回も大丈夫だろうと思いました。ですが、2歳という高齢だったこと、1歳半を過ぎた辺りから、腫瘍が出来出血していた為もあり、帰宅したら亡くなっていました。餌を充分与えたつもりでいましたが、足りなかったのが一番の原因です。 このハムちゃんは、なつくことはありませんでしたが、とても生命力が強く、元気があり、腫瘍ができても一生懸命生きていました。ですが、なつかなかったことで時折目が行き届かないこともあり、結果的に私が死なせてしまいました。帰ってきたときに、餌は全て無くなり、うんちもきちんとしていた為、まだまだ生きれたと思います。 もっともっと生きたかっただろうと思うと、本当にかわいそうなことをしてしまいました。きっとハムちゃんは私を恨んでいると思います。腫瘍も、ストレスが原因でなってしまったみたいです。 ハムちゃんは私なんかに飼われて不幸だったと思いますが、どのように弔ってあげればよろしいでしょうか? 私は一生ハムちゃんに恨まれ、地獄にいきますか?? 教えてください。
幸せを求めると失敗する恐怖がつきまとう。 不安を取り除こうとすればより苦痛は増し、 一つ不安を解消する度、新たな不安が現れる。 努力が実って幸せを感じてもあっという間に 消え去って、また不足感に苛まれる。 なにこの無限地獄。 努力とか目標って聞こえはいいけど、 要するに「今の自分はまだ駄目」と否定してるだけ。きりがない。 「頑張る」という価値観にうんざり。 そうやってうんざりしてる自分、 常識からはずれる不安に苛まれる自分、 何が真実なのか混乱する自分、 求めて得たものに本当の幸せはないと悟っている自分、 色んな「私」が溢れかえってます。 きっと「私」という概念そのものが ただの感覚であり幻想なのでしょう。 ありのままに安らぐことはできるのでしょうか。 白隠のように生きたい。
皆んなが皆んなそうではないかと思うのですが、やっぱり闇を抱えてる人いるんですかね。例えば、帰る家があるのに、車中泊とか外泊。仕事で、明るくとか優しく接してるけど、実は借金地獄。急に音信不通。とか分かりませんけど。そう人には差別とかするわけではないですが、どういう言葉とか接し方しますか?
率直に書くと死にたいです 前を向くとか頑張るとか耳障りで面倒なんです 死ねば全て見ないことにできます、少なくともこの世という地獄は しかしながら、自殺をするという気分がありながらも死ぬことを考えてしまうと心臓が痛くなります これをどうにか抑えることができれば自分は1歩死へと進めそうなので、何かそういう手立てはないでしょうか?
悩みやすい人は見ないほうが良いかと思います。 悪魔は口に出さなくても、心の中でで思っただけで 契約したくないのに 契約させられる場合があると聞いたことがあります。しかもその上契約してしまえば 地獄行き?だとも聞いたことがあります。 酷すぎませんか? というか本当ですか?縁起強迫性障害を患っていてどうやっても抜け出せません。
私は既婚で、子供もいます。 一方的に主人に尽くす夜の生活と日々のストレスに疲れ、一夜限りの不倫をしてしまいました。 後悔ばかりです。何も楽しくありませんでした。 子供と夫に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 もう二度と相手とは会わないだろうと思います。 こんな私は地獄に落ちてしまうでしょうか…。 自分が世界で一番汚い生き物に思えて辛いです。
よく人は死んだら魂が切り離されて天国か地獄に行く、とか三途の川だとか、自殺者は存命時よりも深い苦痛を味わうだとか色々言われますけれど、、、 結局人は死んでしまったら一体どうなってしまうのでしょうか? 分かる方、教えていただけたら幸いです。
彼女がいます。 正直浮気しそうです。気になる人がいます。 でも彼女のことは大事に思っていますし手放したくないです。 浮気しようとしてる自分も許せません。 浮気するくらいなら自殺した方が良さそうな気がしてなりません。 止めることができればいいですけどできない気がします。 もちろん自殺なんかしたら地獄でしょうけど。 あほみたいな質問だと思います。 彼女にもお坊さんにも皆さんにも、こんな自分で申し訳ないです。 どちらがいいでしょうか。
先日、母が亡くなりました。 ずっと母と一緒に暮らしてきたので寂しいし、悲しいです。 母とやり残したことがたくさんあるので後悔してます。 父はまだ健在ですが、父もいつか亡くなるかもしれないし、一人で生きて行くにあたって不安もあるし、苦しいです。 これから楽しいことがあるのだろうか?明るい未来がいつ来るのだろうか? 今は地獄の底にいるような状態で、絶望的です。
両親二人から虐待されてました。 特に同居していた母親はひどい仕打ちをしてきました。 両親二人が生きてるのが許せません。すごく悔しくて、地獄のような目にあってほしいです。 復讐したいです。殺人が愚かとかそう思えません。許せないです。 今すぐにでも本人達のとこにいってバットで殴り潰したいような気分です。 法律とか道徳とか、全部許せません。
今まで何度も御解答頂いています。主人が入院して半年になります。仕事をしている時間はいいのですが、一人が地獄です。皆さんこれに慣れて生きていくのですか?私はいつも同じ事ばかり言ってますがどうしたらよいのかいつも悩んでいます。切り替えができません。
小学3年生の頃に道に落ちていたお守りをわざと側溝に落としてしまいました。 まだ小さく物事の良し悪しがわかっていなかったとはいえ許されないことをしてしまったと後悔し、深く反省しています。 やはり死後私は地獄に落ちてしまうのでしょうか...? また、「善行は罪を浄化する」と言いますが前述したような罪も善行により浄化できるのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
相変わらず過去の悪行に悩みまた仕事も上手く行きません…死にたい気持ちもあります。しかし親の介護もあり死ね訳には行きません…毎日毎日毎日酒に溺れるてます。猛反省はしてますが。自分が地獄に落ちる…来世は酷い目にあうと思うとお酒しか逃げ道はありません。助けて助けて助けて。良きアドバイスお待ちしています。
私は地方から上京し特にお付き合いのある寺院はありませんので自分の葬式をしたいと思えません。 死体は検体にできないかと考えているところです。 葬儀をしないと教義的に問題がある宗派はありますか? たとえば極楽浄土に行けない。 良い世界に生まれ変われない。 地獄に落ちるなど。 お葬式をやる意味を教義的に知りたいです。 よろしくお願いします<(_ _)>
この世にもあの世にも天国にも地獄にもどこにも居たくありません。 もし本当に居心地の良いところがあれば紹介してください。 存在しなければ一切の苦は生じません。 ブッダの「一切皆苦」が真実であるのなら、この世やあの世は苦でしかなく、 トータルとしてマイナスですので存在しないほうが得です。 存在しない=ゼロですから、マイナスよりはマシです。 このように考える人は世の中にたくさんいるのに、 なぜ私たちは存在しなければならないのでしょうか。