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hasunoha 問答検索結果 : 「私 坐禅 」
検索結果: 1124件
2023/10/09

大事にされなかった恋に執着してしまう

29歳です。8ヶ月ほど付き合った8歳年上の方がおりました。顔が物凄くイケメンで高学歴だったので、37歳で何故独身?と思いながらも猛アタックに押され麻薬のようにハマってしまいました。凄くモテる人で、今までの彼女は二桁はいると言っていました。 最初の1〜2ヶ月ほどは連絡がマメに来たり、会う頻度も多かったのですが少しずつ減っていき、長い時は4日以上返事が来ない時もありました。会おうとしてもなかなか予定が決まらず、電話をして約束をしても前日に確認をしたら「ごめん明日無理」とドタキャンされてしまったり。 それでも会うと「一人で悩ませてごめんね」などと優しい言葉をくれるのでなかなか嫌いになれませんでした。私が困った時に駆けつけたり、仕事で疲れた時に労わってくれるような思いやりは全く無かったのにです。話し合いを何度も持ちかけましたが、毎回濁され逃げられてしまいました。 そんな事が続くうち、別れは唐突で「他に好きな人ができたから別れて欲しい」と言われました。それも私の大事な仕事が終わり、お疲れ会をやろうと会う約束をしていた当日の朝にLINEできました。その後直接話しましたが、その2ヶ月前から女性と食事に行き、その人が好きになったという事でした。「〜ちゃんは俺と付き合っていても幸せそうに見えないからこの方が良いと思う」と言われました。 私は彼のどこが好きになったの?と思われるくらい最低な人だと自覚しているのですが、結婚など将来の事も色々と考えながら付き合っていたので執着が手放せないでおります。彼のSNSを見てしまったり、それで新しい彼女との写真を見て凹んでしまったり。その人より自分が劣っていたんだと自信がなくなってしまいました。もう彼のことを考えるのを辞めたいです。

有り難し有り難し 26
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 60
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実母の存在を感じないところに行ってしまいたいです。

こんにちは。3回目、お世話になります。 1回目の質問のとき、実母について「被害者意識から立ち直ること」とお教えを頂きました。 でもあのときのお坊さんの回答に心が救われて、前を向いて生きて行こうと思えるようになっていました。 それが最近、また実母に苦しめられる日々が続いています。 一番苦しいのは周りの人(近所・親戚・兄の支援者)の悪口を延々聞かされます。 最近のこともしっかり覚えているので認知症ではないと思いますが、被害妄想だなとはっきり分かります。 と言いますか、母は若いころからマイナス思考が強く、いや43年生きてきて母以上にマイナス思考の強い人に出会ったことはありません。 1つ例を申し上げますと、学生の頃、私はある賞を頂きました。 それを母に言うと頭をかかえて「あーっ、もうそんなウチに良いことばかりあるはずがない!今度は絶対不幸が起きる。起きるに決まってる。」と鬼の形相で言われました。 話は戻りますが、最近の話を聞いていると、人の善意をちゃんと受け取れない母が悪いだけだと思います。 けれどそれを言うと、今度は私に怒鳴り散らします。 だから沈黙をすると「親の言うこと、ちゃんと聞いとんのか!」と怒鳴り散らします。 私は先月、とうとう持病が再発しました。 それで目が覚め「電話に出ない」という決断をしました。 そしたら最近、嵐のように着信を入れてくるようになりました。 私は主人にお願いし、体調が悪いから遠慮してほしいと頼んでもらいました。母は主人の前では泣いて「私は話がしたかっただけなの」と言ったそうです。主人はその涙に騙されて「お母さんが可哀想」と言ってました。 が、翌日、母は電話をかけてきました。 「昨日の電話を忘れるほど呆けた」と思いましたが、ちゃんと覚えていて「お母さんだって調子悪いんじゃ!」と恫喝の嵐。 もう殴りに行こうとさえ思いました。でも体が動きませんでした。 私が再度、着信拒否を続けると、母は主人に電話をするでしょう。主人が着信拒否をすると主人の親にしかねません。 主人は電話に出るべきと言ってます。 けど母の存在を感じるだけで、前向きに生きようと思っていた私の心が澱みます。そして母と揉めた近所の人や親戚まで私に助けを求めてきます。 言葉悪いけど、はっきり言います。 この母を私はどう扱っていけば良いと思われますか? すみませんが教えて下さい。疲労困憊です。

有り難し有り難し 10
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妥協の仕方を教えてください

自分の理想が高すぎるのか、自分の力を過信しすぎているのか、とにかく妥協が下手です。 私は趣味で同人誌を書いています。 しかし、話を作る段階ででいつも1か月以上躓いてしまいます。拙作を読んでくださった方々からご感想をいただくことはそれなりにあるので、発想が貧困というわけではないと思います。 ただ私が、「私ならもっと良い話が思いつくはず」と、延々修正を繰り返してしまうためです。 正直、私の絵は人並み程度で、話が上手いと言われても絵が上手いと言われることはあまりありません。私自身、実際本になった自分の作品を読むと、頭の中で考えていたときは面白かった話が、稚拙な絵のせいで微妙に思えてしまいます。 なので、どれだけ自分が頑張って時間をかけて良い話を考えても、どうせ本になったときこの程度のレベルまで落ちるのだから、キリのよいところで妥協しなければと考えました。でなければ、私の今の作業ペースではとても締め切りに間に合いません。 絵に関しては、何度書き直したって下手なのはわかっているのだから、時間を優先して適当にキリをつけようという諦めが出来てきました。しかし「話」に関してはその諦めが付けられない状態です。 私ならもっと良い話が思いつくはず、私ならもっと書ける、という過信が邪魔をします。 交通費や同人誌頒布会の参加費を既に支払っていることからも、時間をかけて作品を練って今回は見送るということはしたくないです。 自己評価に実力が追いついていない私に、どうか妥協の仕方を教えてください。

有り難し有り難し 20
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死を意識せずにいられない。どうすれば前向きに生きれるのか。

初めての質問失礼致します。 拙い文章で長文となってしまうかもしれませんが、回答いただければ幸いです。 私は自分の職場で一昨年父を看取りました。 精神障害をもった父で事故なのか自殺なのかわからない状態で病院に運ばれました。 亡くなってから1年くらいは何とか普通に生活していましたが、仕事の関係でカルテを読まなければならない機会があったのです。 そこに事故当時に私や家族がどういう状況だったのかということが詳細に書いてあり、事故当時のことが今起きているかのようなフラッシュバックが起こるようになってしまいました。 職場に居ること自体ストレスになってしまい、半年頑張りましたが、仕事をしてる時でも突然父のことを思い出して泣き出してしまったり、体調を崩してしまったので情けないですが退職を考えています。 また、、職場自体赤字で残業をしても残業代がつかないというブラックな状態になってしまったのでついていけないということも退職を考えざるを得ない理由の一つです。 私は今、現在心療内科にも通院していますが、医師にもうつ病すれすれの状態で頑張っている状態と言われました。 幸い、フラッシュバックをすることがなければ普通に生活できますが今の死の現場に居るのは非常に大きなストレスなので今の職場には長くいない方が良いとも言われています。 幸いにして2、3年くらいは余裕で暮らしていけるくらいのお金は手元にありますが、これからの人生をどう暮らしていけば良いのか途方に暮れています。何だか生きることに疲れてしまいました。 思い出すことと退職後、大したスキルももっていないのでこれからどうやって生活していこうかと不安でたまらなくなり、私も死んでこんな記憶を思い出さずに楽になりたい、といつも考えてしまいます。 残された家族のことを思うと非常にショックを受けると思うのでそれをせずに何とか生きている状態ですが死の誘惑は常にあり、毎日気力を使ってなんとかそれに打ち勝っています。 こんな私はどうしたらもう少し前向きにきちんと現実を見据えて適格な行動を取って生きていけるようになるでしょうか。 何かアドバイスいただければ嬉しく思います。 長文ですが、目をとおしていただきありがとうございました。感謝いたします。

有り難し有り難し 41
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心配するのをやめたい、でも出来ない

何度も悩み相談してしまいすみません……。 1年近く不安感、恐怖感に悩まされています。 投薬はしておらず、臨床心理士のカウンセリングを定期的に受けながら健常者として仕事に就いています。 臨床心理士の方には「心配事や不安感がでてもその事について調べない。気にしないようにしてみましょう」と言われています。 なにか思いつくと紙に書き出してアウトプットして考えないようにしてきたのですが… 最近その悩み、不安な事を書き出した紙の枚数が増えていくのを見て 「問題を先送りにしているだけではないのか?なにも解決してない、怖い」という気持ちになります。 仕事中も暗い嫌な気持ちに襲われる事が度々あります。 何年も前の過去のことをふと思い出してたまらなく不安で怖くなります。心配事の数は増える一方で、心配事の山にパニックになります…。 具体的には 「そういえば昔ミクシィをしていた…アカウント忘れてしまったどうしよう!成りすまし被害に遭ってたらどうしよう!でも当時の知り合いで連絡取れる人は誰も居ないし打つ手がない、怖い」 「昔会社で給与天引きの団体生命保険に入ってた。退会手続きしてない。どうしよう!延滞ついてたら?当時の住所に督促状きてたら?怖い」 等色んなことが不安と恐怖の対象になっていて、ふとした瞬間に出てきます。一月で60個程湧いてきます。 頭がパンクしそうです。 臨床心理士さんの「焦らない、調べない、気にしない、なるべく放っておく、放置出来る期間を延ばす」という言葉に従ってて本当に大丈夫なのかな?と、それすら怖くなってきてしまいました。 この恐怖感から解放されたいです。 この1年近く毎日苦しいです。 一体なにがいけないのでしょうか。 何故こんな事になったのか、どうしたら元に戻れるのか… なんでも良いので何かアドバイス頂けないでしょうか。

有り難し有り難し 30
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単独行動はいけませんか?皆の優しさが辛いです。

私は現在学生です。 今までは仲の良い友達と2人で昼食や行動を一緒にとっていましたが、今年度その友人が自主退学してしまい一緒に行動する友人がいなくなりました。 クラスには別のグループですが一緒に遊びに行くような友人はおり、特に仲の悪い同級生はおらず誰とでも気軽に楽しく話せていると思っています。 しかし、別に1年くらいお昼だけ単独行動でも良いかなと思いお昼は1人で食べています。 私は1人で昼食を食べる事を特に寂しいとは感じていないのですが、同級生の皆が気を使ってお昼休みに話しかけてくれたりしてその優しさが少し辛いです。放っておいて欲しいとまでは言いませんが、別に気を使わないで普通に話しかけて欲しいなと思います。 私は全然単独行動を気にしてはいないし、クラスの皆と仲は良いと思っています。自分で言うのも何ですが現在の学校以外にも友人は多くおり交友関係に不満は無く、自分に社会性や協調性が欠如しているとも思いません。 皆の優しさが辛いと感じる私は我儘なのでしょうか?やはり単独行動にどこか罪悪感があるからこのように感じてしまうのでしょうか? 長々とすみません。回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

有り難し有り難し 280
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2024/10/11

1年半続く怒り、不安を手放したい

2年前、Youtubeでたまたま観たMVをきっかけにとある音楽グループのファンになりました。ファンといってもライブに行かずグッズも買わずネットでMVや彼らのオリジナル番組を見るだけのライトなファンです。ただ、無趣味で友達もいない私の人生に彼らは光を与えてくれたことは確かです。 しかし半年後、事態は一変します。彼らの新作が、私にとっていわゆる大変な「地雷」でした。詳細は割愛しますが下品で倫理観に欠ける信じがたいものでした。大きく失望し、すぐにファンをやめました。 しかし彼らのファンたちはその楽曲を大絶賛。元々人気のグループでしたがその楽曲をきっかけに人気はさらにうなぎのぼり。大規模なライブツアーも敢行されます。 そのような情報を知るたびに激しい嫌悪感で体調が悪くなるため、自衛として情報遮断を徹底しました。自分で情報を取りにいかないことは大前提として、具体的にはテレビ(特に民放)は観ない、ネットではエンタメニュースが勝手に表示されないように検索ブラウザの設定を変更する、などです。 しかしなんせ人気グループなのでそうした工夫をすり抜けて私の目に入ってきてしまうこともまれにあります(街の大型ビジョン、待合室のテレビなど)。その瞬間、激しい不安感で全身から汗が噴き出しパニック寸前、同時に膝から崩れ落ちるような脱力感に襲われます。 困るのはこのような状態が先週先月から始まったことでなく1年半も続いているということなのです。 仮に私や私の家族が何か深刻な事故や事件に巻き込まれたということなら年単位の怒りや不安は妥当です。でも、私の人生や生活になんの影響も関わりもない音楽グループの一作品がきっかけで1年半もこんな状態なんて異常です。 この不安・怒り・恐怖を一刻も早く手放したいです。お坊様のお知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2