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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 不安」
検索結果: 1644件
2024/03/14

これから生き続けていくことについて

僕は30代後半で年収600万くらい、子供二人、車も持っていて一見不自由のない生活をしています。 しかし今の仕事は10年近くやっていますが毎年毎年、年度末にかけてプレッシャーが重くくうんざりし、毎年毎年同じことの繰り返しなのにストレスが大変大きくうんざりしています。 子供も小さく育児ノイローゼ気味で妻がもし亡くなったとしたら、とてもじゃないけど子供を見ることはできないなと、考えても仕方のないことを考えてしまいます。 仕事は人間関係もきつく、残業等で遅くなれば妻の機嫌は悪くなります。 こっちも残業なんかしたくはないのですが。 こんな感じで365日中300日くらいは暗い気分に包まれていて、いっそ死んだら楽になるんだよなと、死について考えることもここ数年多いです。 僕の死は妻や子供に対して大きな負担になってしまいますが、それにも増して僕をとても大事にしてくれる母を僕が死んだら本当に苦しめてしまうことになり、中々死ぬという選択は思い止まっています。 しかし安楽死できる薬が目の前にあったとしたら飲んでしまうと思います。 仕事は残り30年近く、人生の残りは40年近く平均寿命までありますがそんなにやっていける自信はないです。 こんな自分ですが健康的な精神の持ち主になることはできるでしょうか。

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はやくしにたーい

何度かここにお世話になっております。 中学生の頃から自分の存在意義が分からないのと将来への不安からずっと死にたいと思っています。 しかし日に日に一分一秒でも早く死にたいという思いが強まるばかりです。 鬱なわけではないんです。 よく食べ、よく寝て、よく笑っているとは思います。 ただ早く死にたいのです。 早く解放されたいんです。 ポジティブな死です。 病気や事故で亡くなられた方には大変失礼ではありますが、自殺以外でどうにか早く死にたいです。 愛を注いで育ててくれた両親にも申し訳ないです。 生きたいと願うのがよくて、死にたいと願うことはいけないことでしょうか。 なぜ私は生きているのでしょうか。 最近職場の人が事故で亡くなりました。 なぜ私ではないのか。 なぜ善良で人望もあるあの人が亡くなって私が生きているのでしょうか。 私はブスで優しくもないし、なにか社会に役立てることもありません。 生きる価値などこれっぽっちもありません。 有事に命をかけて人を守ることができたならば初めて自分に価値が生まれるのではと思いこの職に就いたのに現実はスマホをいじりながらただ1日が過ぎるのを待つばかりです。 なんのために生きているのでしょうか。 仕事を辞めたいのにお金もなく勇気もなく、この田舎では転職活動すらままならない環境です。 なにも楽しくない。 こんなに楽しくない生活を続けることになんの意味があるのか。 価値のない私が生きていることになんの意味があるのか。 もう早く死んで全てから解放されたい。 将来への不安、存在意義の追求、全てのことから解放されたい。 日本でも安楽死をさせてくれればいいのに。 あー早く死にたーい。 生きることから解放されたーい。 文章がめちゃくちゃでなにが言いたいのかもよくわからないですね。 すみません。

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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

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2022/11/04

楽観的な生き方が出来ません。

人生を深くとらえすぎてしまい、最近なかなか心から楽しめません。あまりに考えすぎてしまい悩んでいます 私はよく、戦争の記事を読みます。 自分と同じ世代の子どもたちが、人間魚雷に乗り、しぬと分かっていて突撃しに行くことが、自分だったらどうかと感情移入しすぎてしまい、家族を思い嗚咽するほど泣いてしまうことが多々あります 特攻隊の方の手紙・遺書をよみ、なぜ何の罪もない人間が、罪深き別の人間に殺されなければならないのか。大切な家族がいて、まだ若いのに家族や恋人を残し、自ら突撃した時の痛み・苦しみを考えるだけで、苦しく、涙が止まりません 自分は普通に生きているけれど、何かに立ち向かう勇気もないし、辛いとすぐ逃げる。そんな自分が心底嫌いです。自分のかわりに生きて欲しかったと思ってしまいます 数年前、学校で被爆者の方の体験談を聴きました。どれだけ月日が過ぎようと傷は消えず、皮膚が少しでも張ると激痛が走るそうで、毎日体重計に乗り管理しているそうです。 地獄のような苦しみの先に命を落とした人も、地獄を経て生きている人も、どれほどの苦しみ・不安・憎しみ・痛みを感じていたのかと思うと、辛くてたまりません。 自分だったらと思うと恐怖で震えてしまい、なかなか寝つけなくなることもあります。 最近、North Koreaの映画を見ました。 人間としての扱いを受けれない人間が今も山のように、この同じ空の下にいると知りました 脱走がバレれば拷問。処刑。脱走しなくても強姦。妊娠。公開処刑。強制労働。餓死。劣悪な衛生環境。病死。それも、大切な家族や友人がされている、苦しんでいる、死んでいく様子を見る。 これ以上に辛いことがあるかと。 自分は、人生結局なんとかなるから大丈夫。や、どんなときも希望をもて。などの名言がとても好きだったのですが、もうどうでもよくなってしまいました。ただの綺麗事だと。 「俺たち、食ってトイレして働いて寝て。なんのために生きてんだ?」と、強制労働者の子の言葉がささりました。 100年前後の人生。私たちは何をしているのか。生きる意味は?頑張る意味は? 19歳で、こんなことを考えすぎて、空虚な、抜け殻のような自分になってしまいそうです。 自分だったら、家族だったらと恐怖に脅え、何も楽しめません。 当事者でもないのに苦しいです。 どうすればよいですか。

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いつか死ぬことが怖い

はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。

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何が原因か、私たちはどうするべきか。

私の知人が今月、車で煉炭自殺をしました。 その車は私たち夫婦が売ったもので まだ名義変更も済んでない車でした。 その現場に行き行った行為、現状です。 1. 後輩、同級、主人、私で 自殺車両を自走した (車両を動かす前に供養など何もせず動かしました) 2.車両外に酒と塩を撒き線香を 1人2本ずつ焚き盛り塩も添えた (ジュースや酒は帰り際にその場に流し お菓子などは車内に置いたまま車屋に受け渡した) (車内に私物や酒や塩、供えたお菓子が残っていたがそのまま受け渡した為、解体屋が処分した) (車内に釣竿なども置いてあり、こざこざの物を後輩の方が供養はせず持ち帰った) 3.代表者2人のみ自走後に神社にて供養済み (残り2人は、何もせず過ごしてます) 4.知人の私物は大事にしてた物を 親族の方に相談をして譲り受けた 5.ある日を境に、主人、同級、後輩の身に 怪奇現象らしき事が起きはじめた。 (夜中に目が覚める、数珠がちぎれる、真っ黒な夢を見る、金縛り、足音など) 投稿者は気配っぽいのは感じるのだが 気になるほどではありません。 (自殺された知人が夢に出てきて笑っていた) 6.知人の親族は葬儀はせず、火葬だけされました。知人はお経も読まれず火葬だけされ 本当に成仏できるのでしょうか。 以上です。 近いうち寺院の住職の元に行きます。 行くまでの間、間があるので ダメだった点や、住職の元に行くまでの間 気をつけるべき点などがあったら 教えて頂けないでしょうか? 気持ちの問題とはみんな思っていますが 色んな情報に今、右往左往しており 恐怖心が勝っている為、私以外の方々が 毎日不安になりながら生活しています。 怒らせてしまった霊魂を鎮める為には まず、謝るべきでしょうか。 どなたか寺院に行くまでの間お力添え 頂けないでしょうか。

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いつか来るかもしれない戦争が怖いです

最近、プーチン政権とウクライナの戦争の話をよく見かけますが、その中で、次は日本ではないかという意見を目にして、それ以来戦争のことが頭から離れません。 もちろん戦争というのはとても恐ろしくて怖いものであるのは周知の事実だと思います。 ですが、数日前にその意見を見てから、 「いつ日本に攻めてくるんだろう」 「自分はあと何回朝を迎えられるんだろう」 「島国で逃げ場もない中、どこに逃げたら生き延びられるんだろう」 という考えが、ずっと頭の中にこびり付いて離れなくて、ここ数日ずっと不安と緊張で気持ち悪い状態が続いています。 両親の顔を見る度に、「自分はあと何回両親と話せるんだろう」と考えて泣いてしまったり、夜も熟睡出来ず、何度も目が覚めるようになりました。 戦争が恐ろしすぎて、戦争で死ぬのとコロナで死ぬの、どちらの方が苦しくないんだろう、と考えたり、今目の前の線路や道路に飛び込んで死んだら、日本で戦争が起きたということも知らないうちに死ねるのかな、戦争が起きる前に死んでしまった方がつらくないんじゃないか、と、死を考えることが怖いあまり、逆に死んでしまいたいという矛盾した考えを抱いてしまいます。 不安でネットで色々調べてしまうから、自分自身で余計に不安を煽っていることは理解しているのですが、最新の情報を常にチェックしておかないと、いざ戦争が起きた時に出遅れて死ぬのでは、と思ってしまい、寝ている時と仕事の時以外は常に色々調べてしまいます。 解決方法がある問題ではないのですが、少しでも気持ちを楽にしたいです。 私の周りにいる人達からは、考えてもいないのか、あえて話題にするのを避けているのか分かりませんが、全くそういった話を聞かないので相談することも出来ず、こちらでご相談させて頂きました。 こういった、解決方法のない問題に対しての不安を和らげる考え方などがございましたら、教えて頂けますと大変ありがたく存じます。

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2023/07/16

内側の僕からの反論?

個人の行いは社会の行いに通じる、逆も然り自殺の原因は苦しみがほぼだろう、詳しい原因はそれぞれだが、周りが与える影響が、その人の行いを左右するのは事実であろう。 故に他の人の自死は大小あれ社会全体に影響を与える(水滴と水槽の理論)ので我々は自殺者をなるべく減らす様に行動しなければならない。自死が増える→社会が病む→苦しみが増える→自死が増えるのループこのループの最初は社会が病むかもしれない。 とはいえ、実際に追い詰められている人は周りの事など考える余裕などないであろう。よってその様な場合は理論構築よりも寄り添いや共感で心の余裕をつくる必要がある。 以下、理論構築精神的に余裕のある時に参照 ケース1 自分なんか 何らかのの理由で自己肯定感が低下した場合、これは方っておくとなぜ自分だけ→恨みに変化する。 原因となる自己肯定感の低下を解決できればいいがそれが不可能なケースも存在するはず。自分の価値観を変える、若しくは多角的な視点を持つ必要がある。恐らく実物的な苦しみは消えないが生きがいは生まれる事になるので恨みには発展しにくく自死まで考え辛くなる可能性がある ケース2 環境による攻撃等 この場合は自身が疲弊していくため特に正常な判断がし辛くなるのでは。一番はその環境から離れる事だかそういう訳にもいかないパターンも存在するであろう。この場合は自分自身と周りから距離を取り休息が必要になるだろう。何もかも疲れたは限界のサインなのですぐ自分を危険から守れる安全な場所を探すべきなのだろう。動けるうちにどれだけ安全な場所を探し回復できるかが鍵になりそうだ。 ケース3 理想への解離 このケースは自分が思い描いていた理想とのギャップに苦しみケース1と同じように自己肯定感の低下に繋がる。いろいろな状態が考えられるが手っ取り早い解決法は今に満足する事であると考える。今この瞬間をマイナスではなくスタートと考えてこれから進めばいいし進めず後退しても意外とどうにでもなる(社会保障等を使うなど)と気楽に考えるのもありかもしれない。仮に未来への絶望があったとしても今スタートラインに立てているので(少なくとも死んでいない)この状態から自分にとってプラスになる可能性の行動をすればすぐに今より好転。 ケース4 恋愛関係の悩み よくわからん がアイツの意見なんですがどうなんでしょう 長くてすみません

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老猫の看取りについて

以前、相談をしてお答えを貰った者です、あれから色々ありまして、毎日今この時を大切に共に生きようと楽しく生きてきました。今回は前に相談した家の老猫の話です。 前回、居なくなるのが不安で仕方ないと言っていましたが、あの時はまだ老化が出てきたばかりでジャンプをしたりご飯を食べたりと今思えばまだ元気でした。 先月辺りから食欲もなくなり元気もなくなり眠ってばかりで、病院に連れていき検査をしてもらいました。 膵炎と診断され、高齢猫、16歳なのでいつ最期がくるかはわからない覚悟をしていて下さいと言われました。 膵炎の薬は無いとの事で、対処療法として皮下点滴をしに病院に通っています。 次の血液検査で数値が下がっていればいいのですが、そうでなければ治療が長引きます。 高齢猫にとって病院に行くストレスも物凄いものだと思います。 膵炎は痛みが出ると先生が仰っていました。 猫本人は皮下点滴をすることで少しは痛みも楽になっているみたいで、今はゆっくりゴロゴロしています。 私はこの子と出会って沢山の事を教わりました。 だから最良の選択をしてあげたい。 本音を言えばもっともっと一緒に暮らしたい。 でもここまで一生懸命生きて今苦しんでいるこの子にまだまだ頑張って生きろとはさすがに言えないと思いました。 お坊さんに質問です。 人間でも自然死が尊重されつつあります。動物もそうだと思います。 同じ死を迎えるにあたって、私は自然死が良いと思います、何もせずゆっくりと死に向う方が穏やかな死に方になると聞いたことがあります。 ですが、痛みだけは取ってあげたいと思っています。 でもそれは病院で点滴をしなければなりません。 私が愛猫にしている行為はただのエゴでしょうか。 この子を苦しめているのは病気だけではなく私自身なのではないかと思ってしまい、悩んでいます。 私がしている行為、お坊さん方はどう思われますか? お答えを頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。

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