仏教について調べていると、葬式とその後の供養が最重要トピックの用に扱われているのが不思議です。 親や先祖の供養ってそこまで大事なのですか? 血縁ってそこまで重要なのかしら? 先祖供養は儒教ではないのかしら? いえ、私も木の股から生まれたわけではないので、縁なり因果なり何かしらあるのだろうとは理解はしていますが。 この世に産み落としてくれたことは有り難いのですが。 血のつながりばかり大事にしなくてもそこかしこに縁はあると思うのです。 個人的に家族の縁が薄いこともあり、 親や先祖のことはよく知らず供養もしていません。 私の死後供養してくれるものもおりません。 しかしそんな私が死んだ時も 仏さまなら何とかお慈悲をくださるのではなかろうか というのが信仰を持ちたいと思った動機なのです。 「私と仏さま」の話ならわかる気もするのですが「私と先祖と仏さま」の話がよくわかりません。 先祖供養が必須なら、親のない人間は仏さまに救っていただけないのでしょうか。 そもそも私の理解が間違ってるのかもしれませんが、 苦しみの多い輪廻の輪から解脱するため修行をしよう、また大乗仏教においてはいろいろな仏さまの力を借りたりおすがりして解脱にいたろう、 というように仏教的な死生観を解釈しています。 修行が足りず仏さまとの縁も結べなければ輪廻の次の段階に進むでしょうし、 宗派によっては生前から成仏しているわけですし 浄土系の宗派では阿弥陀さまのお慈悲によって極楽往生できるでしょうし…。 死後、死者の行く末に関して、生者はどれだけの干渉ができるのだろうか、というのが疑問です。 それは死者本人と仏さまの間の話ではないのかと思います。 そうすると供養とは何のためにするのでしょうか。 お教えをいただければ幸いです。
私は今年受験生の高校3年生なのですが、今までは子供だからと家族から見逃してもらえていた迷惑がとうとう限界まできてしまいました。 親にはここまでお金をかけて育ててもらってとても感謝しています。だからこそ迷惑をかけたくない、消えてしまいたいと思うようになりました。 将来は福祉系に進みたいので、そのための専門学校に進めるように、家系が苦しいながらに親は私に出資してくれています。 ですが、私のように親に迷惑をかけているやつのためにお金を出させていることに対して、また何度も同じことで怒らせてしまっていることに対してとても申し訳ない気持ちと罪悪感、何度も同じことを言わせているのに直せない自分がとても嫌になってしまいました。 どこかへ消えたい。できるだけ誰かに迷惑をかけずに死んでしまいたい。 最近そう思うようになりました。 また、そんな風な考えをしている自分はまるで構ってちゃんのようで気持ち悪いですし、そんなことを親に知られたらまた言い訳をしているだとか、そんなことを言って反省しているふりをしている、と言われそうでとても怖いです。 でも消えてしまいたいという気持ちは変わりなくこんな気持ちは若気の至り、受験生ではよくあることでまとめられるような半端なものではないんです。 どうすれば誰にも迷惑をかけず、楽に死ねますか? また、どれくらい親に恩返しすれば死んでもいいと思いますか?
我が家にある主人の 親の仏壇に私の親の位牌を一緒に並べてもいいですか?同じ宗派ですが…
自死で子供に先立たれた親です。 いのちの集いに参加したい気持ちがありますが、仏教でも宗派には拘らずに出向いていいものでしょうか? 私自身それほど仏教に詳しいわけでもないのですが。 気になりましたので、一応質問させていただきました。 ご回答いただけると助かります。
改宗について教えてください。 改宗すると、改宗以前の先祖も改宗されたことになるのでしょうか? それとも、戒名の付け方が宗派で異なるので、戒名を受けた時点の宗派はずっと変わらないと考えるのでしょうか? お墓は個人管理地の個人墓です。
今や自分はともかく親が何を信仰しているかも分からない場合が多いと思います。そして特定の菩提寺を持たない場合において、祖父母の墓参りなどで直面する、お墓の前で唱える言葉の意味についてどう考えたらよいのか悩んでいます。 基本的には自分が信仰する宗派において、自分自身のために唱えるのは理解できるのですが、故人のために唱える場合は、どういう意味があるのでしょうか。 そもそも故人は自身の信仰によって成仏されていると思うのですが、それに対し後世に他人(親族です)が言葉を唱えることの仏教的な意味を知りたいです。 また、〇〇宗を信仰された祖父のお墓の前で、▲▲宗を信仰している(もしくは何も信仰していない)孫が唱える言葉は何が良いのでしょうか? 一般的には〇〇宗のお墓の前では、〇〇宗の言葉(例えば南無阿弥陀仏など)と教えられたのですが、よくよく考えていくと自分の信仰していない宗派の言葉を「形式的」にだけ唱えるという事になってしまい意味があるのかな、と思い始めました。 浄土宗などは念仏を唱えることに意義があるという点では、形式上であったとしてもある程度は理解できるのですが、浄土真宗やその他禅宗などにおいては意味があるようには思えないのです。 今まで深く考えず、親に教えられた通りに唱えていたのですが、勉強すればするほど分からなくなってきてしまいました。 迷える子羊をお救いください。
今まで全く宗教とは無縁だった訳ではなくごく普通のかと思いますがいつも法事などでお寺に行ってもお坊さんの説法を短時間聞くのみでいろんな宗教的な悩みなど聞いてもらえる場所がなかったです。 普段は特別故意にしているお寺がある訳でもなくただお参りして帰ってくるのみで、何かの節目があれば特別にお祓いなどしてもらうだけです。 もっと気軽にお坊さんと宗教の話ができる機会ができる場所はないのでしょうか? ただ新興宗教のような信仰の亡者にはなりたくなく、普段仏壇にお参りするだけではなくもっと生活の中に溶け込んだ宗教が欲しいです。 それともっといろんな宗派がありますがその教えを一方的に説法などで聞くだけではなく質問や詳しい話を聞きたい場所を提供して欲しいといつも思っていますがなかなかそのような機会や場所はないです。 実際の所、先祖や親がやっていたので自分も同じ宗派と言われてもどうして良いか全くわからずじまいです。 例えばお経一つとっても何を言っているのかさっぱりわかりません、他宗派のは意味はわからなくても言葉はわかるのもあります。 あなたの修行が足りないと言われても修行の仕方すら誰も教えてもらえないです。 般若心経は解説等たくさんありますがそのほか話目にすることはありません。 もう少し誰にでも平易にわかりやすく教えてもらいたいといつも思っていますが。 日本の仏教界はこんなものなのでしょうか? お坊さん忙しいのでそんな暇はないのでしょうか?
初めまして 実の親との事なのですが少し愚痴っぽくなってしまうかもしれませんが書かせて下さい。 私は幼少期に火遊びをしたら手をコンロで炙られたり、言うことを聞かないと火のついている線香を当てられたり、冬に裸で外に出されたり…ほかにもいくつかされていました。(父母共にから) 当時はそれだけ自分がいけないことをしたのだと解釈していたのですが自分が親になり普通じゃないのではないかと思うようになりました。 少し話は変わるのですが祖父が私の母親と喧嘩をしたまま死に別れてしまい母は形見を大事にしています。 それを見て形見を大事にするのではなく生きている時にその人自身をもっと大事にすればいいのではと思いました。 なので私も今実家に行くのがすごく苦痛なのですがいずれは死に別れ2度と会えなくなってしまう日が来ると思うと、、、 ですがなかなかされたことに納得できません。 今も約束していた事をお願いしたら「都合が変わったからその約束はなかったことに」と言われ、こちらも都合が変わってどうしてもその約束を守ってもらわないと住む場所さえなくなってしまうと話しても、「そちらの都合は知らない、それを想定してなかったお前が悪い一切助けることはしない」と言われています。 なぜこうも自分が娘にしてあげたいことと自分がされてきたことされていることが違うのか、自分がおかしいのかと悩んでいます。 自分の親との付き合いかたが全然わかりません。 どうしたら良いでしょうか? 混乱していて文がまとまらずわかりにくくすみません。 よろしくお願い致します。
いろいろ調べてもわからず大変困っていた際にこちらのサイトに巡りあいました。よろしくお願いします。 結婚を考えている彼が、私の姓を名のりたいと言っていることに親が激怒し、結婚を反対しています。 我が家は2人姉弟で、弟が家を継ぎ、家(先祖やお墓)の面倒を見ることになっているのですが、長女の私が結婚をして、相手がこちらの姓を名乗ると家の面倒を見るのが彼になってしまうからというのが親のいい分です。 婿養子にはいるのではなく姓を名乗るだけなのですが、宗教的にはそうなってしまうのでしょうか。 また、宗派によって違うのでしょうか? 彼との結婚を諦めるつもりはありませんが、出来れば、親にも祝福してもらって結婚したいです。アドバイスをよろしくお願いします。
はじめまして。 夫長男(妹2人)、私は長女(一人っ子)の夫婦です。夫の両親は健在で別居、私は母を亡くし父が近所に住んでいます。 相談したいのは、将来仏壇をどうすれば良いのか、ということです。 夫・私とも実家に仏壇があります。将来親がなくなったとき、夫実家の仏壇は当然私共が引き受けることになろうかと思いますが、私の実家の仏壇も引き受けることは可能なものでしょうか。 私としては、実家の方も守っていきたい気持ちですが、スペースの問題などもあり、宗派も異なることから、いろいろと悩んでしまいます。 方向性が決まると、私の老父も安心できるかと思うので、アドバイスいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。 私の父方の家は浄土真宗、母方は日蓮宗です。 私自身は幼稚園からキリスト教の学校に通わされました。 いかにも宗教感に鈍い日本人の家庭といったところでしょうか。 しかし、親も高齢になり、自分は長男でもあるため、家を継ぐことになるのですが、肝心の仏教の教えが全くわかりません。残された仏壇に対してどういう風に毎日向き合えばいいのか、どのような決まりがあるのか、無知な状態です。本を読んでも今まで葬式くらいの時しか自分は関わっていなかったため、自分一人になった時、どのようにすればいいのかわかりません。 親は毎日、仏壇にお供え物をしてお祈り(表現が正しくないと思いますが) しています。南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏とか念仏を唱えていますが、 私はきっと人に教えてもらわないと意味が理解出来ないと思うのです。 どういう風に仏教を勉強してこれから向き合っていけばいいのでしょうか。 浄土真宗と日蓮宗の教えとは何でしょうか。宗派が違っても仏教はうまくやっていけるものなのでしょうか。それともうちの家が特殊なのでしょうか。 キリスト教ではカトリックとプロテスタントはかなり教えが違い、結婚生活を続ける上でどちらか一方に合わせるということを聞いたことがあります。 あと、非常に失礼な質問かもしれませんが下記教えてください。 親は時々身延山というところでお守りを買ってきています。有名なお寺なのでしょうか。 また、元嫁の母(義母、キリスト教)に、私の家は仏教ですよ、といったところ、仏壇に誰を祭っているのかと聞かれ、私は答えられなかったのでその質問をそのまま私の母に伝えたところ、誰を祭っててもいい、失礼な質問する人ね、とかなり怒っていました。その怒りの要因についても私は理解できないままです。 長くなってしまいましたが、もうアラフォーですが、自分のルーツと向き合うためにも仏教について少しづつ学んでいきたいと思います。 よろしくお願いします。 親も宗教観を押しつけるようなことはしてこないのでこちらからも質問はしにくい部分があります。
私は一般家庭(という表現がそぐわしくなかったらすみません)で育ち、いま結婚を前提にお寺の方とお付き合いをしています。 出会ったのがコロナ禍ということもありお互いどちらの親にも直接会うことなく同棲が始まり、コロナが下火になってからそれぞれの両親に挨拶しました。いわゆる両家顔合わせは未だ行えていません。 相手のお家は代々続くお寺なので身構えていたのですが、お会いした際は優しく接してくださいました。 ただ、結婚に向けた話し合いなどについて話を振ると、するつもりはあるが落ち着いたら、折を見て、と先送りされておりそれなりの月日が過ぎました。 その割にあちらのご両親からは私の年齢のことを陰で言われたり、結婚の話は進めてくれないのに「早く子どもをつくれ」などの発言がありました。現状私は他人なので家を大事にするのは当然なのでしょうが、その発言を聞いた時からあまり歓迎されていないのかなと感じました。 宗派の違いなどもあるでしょうが、お寺の方の結婚の準備というものはどれくらいの時間をかけて行うものなのでしょうか。 年単位で結婚に関する進展がなく上記の発言があった場合、身を引いてほしいという意味で捉えるべきでしょうか。 まとまりのない文章で恐縮なのですが、忌憚ないご意見をお聞かせいただければ幸いです。
先日 実父が亡くなりました。 私は看護師なのに、何ひとつ父の看護をしてあげられなかった。何のために看護師をしているんだろうと、とても空しいきもちです。 さらに、もっと近くに居てあげられたら、もっと孫も見せに来れたし、顔も出せたのでは無いだろうかと 父に申し訳ない気持ちで一杯です。 遠くに住んでるからそこ「親孝行したい時には親は無し」と言う言葉は常に心にあって、一緒に旅行に行ったり 簡単ではあったけど、年祝い 父母の結婚祝いをやりました。 でも、今は親孝行をもっと出来たのはないかと、とても辛いです。
死ぬのが怖いです 私は小学校低学年の頃、数回万引きと、親の貯金箱からお金を盗んでしまいました。 また、小学校6年生の頃には自分がなくしてしまった卒業アルバムの代わりに友達のものを盗んでしまいました。 お金はいつか絶対に働いて返すと心に決めていますし、卒業アルバムは本人に連絡が取れれば返そうと思っています。 しかし、そんな罪滅ぼしをしたところで過去の罪は消えないだろうと思います。 私は最近、死について異様に考えるようになりました。 人のものを何度も何度も盗んだ私は、黒縄地獄に落ちるとサイトなどに書かれていました。 地獄では、様々な苦しみを与えられるそうです。 許されたいなんて思っても、きっと無理なのは分かります。 質問したいことはいくつかあります。 1つ目、死んだらどのような苦しみを受けるのか。 2つ目、どうにか、地獄行きを回避する方法というものがあるのか。 3つ目、その方法とはなんなのか。 夜も眠れないほどに不安で仕方がないです。 人のものを盗んでしまったことについて、今ではどうしてそんなことをしたのか、100数十円しかしないようなお菓子のためになぜ万引きなんてしたのか。とても後悔しています。これらの罪は自分の母親にだけ言いました。それ以外にバレたことはありません。 お願いします。私に上の質問の答えを、わかる限りで教えて頂きたいです。
お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?
既出の質問でしたら申し訳なく思います。 お坊様に拝聴したい タイトルの言いたいことは自分の宗教を決めて良かったと思うか ということになります。 私の実家では真言宗です(神道もやってます)。 私自身、信教することになんら不思議はないのですが、私は次男分家の立場で、自由にしなさいといわれております。 特に宗派、宗教を決めずに郷に入れば郷に従えで生きていました。 ただ、色々と話しを聴いたり勉強していく中で「なるほど先達の言うことにも一理あるな」と思っています 色々と悩み・障害・苦・反省を繰り返す今の自分の生き方に案内をお願いしたく存じます。 よろしくお願いします。
以前、『あなたはダレ推し?』ということで質問いたしました。 http://hasunoha.jp/questions/138 みなさま回答いただいたご存命の推しメンは、「尊敬する師匠」的存在だなぁと思った次第です。 そこで、【身近な人で】ダレを推すのか教えて戴きたいです。 「尊敬する師匠」的存在ですと、ちょっと・・・取っつきにくいというか(質問しておいてすみません)。立派な方なので、本を出されていたり、勉強になる感じというか・・・。 AKB48のように、「会えるアイドル」ならぬ「会えるお坊さん」が知りたいです。 同じ宗派の方でも、他宗派の方でも、お一人でも、複数でも、けっこうです。理由もどうぞ。 ここで紹介したせいで、大変なことになる・・・そんな可能性もなきにしもあらずでしょうか??無理の無い範囲で結構です。宜しくお願いします。
物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです
初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。 私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。 現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。 この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。 まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。) 第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。 これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。 結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。
我が家は菩薩寺がない状態です。 昨今は宗派を問わない民間の祭儀場があり、近隣住民もそこを利用しています。 末代の私が宗派変えを言い出したため、総本山で近辺の菩提寺を探してもらったのですが、檀家を取っていないとのことで、菩提寺探しに難航しています。 急ぎで法要や葬儀があるわけではないのですが、私自身が素人信者なため、経験の深いご住職や僧侶様の教えを頂戴したいと考えているところです。 教えを乞う、というのはおこがましいのでしょうか。素人仏教徒にとって必要なものは一体なんでしょうか。