疲れと怒りで心が悲しい
疲れと怒りで自分の心をコントロールできなくなりました。
最近では「今から僧侶になったら仕事はありますか?」と俗人として尋ねたとき
「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」
と立派な返答がありました。
しかしその方自身は寺を生業に豊かに生活し、立派な返答とは異なる子育て話や美容室代はどこから?と思うほど綺麗に飾っていました。
仏教でビジネスをなさっての言葉で、説得力がありません。
不審感が爆発しそうに感じました。
人の心は小さなきっかけで歪みが生じてしまいますが、半分救われ改善しては半分傷ついてしまう。心が転んでしまう。
苦しんで生きていても人の幸せは喜べます。
しかし僧侶で結婚しても良いけれど、子育てママアピールをしながら、普通の人より派手な生活をしつつ人に説法をする僧侶は苦手です。
違和感があって近づきたくありません。
反対にその浄土真宗は、先進的な経営を全面に自ら堂々と公表して多くの信者の心を獲得しました。
その方が清々しく爽やかで好きです。
他宗派ですが、宗派を変えようと一瞬でも思うほど新しいビジネスモデルの素晴らしさを尊敬しています。正直、先進的な考えを受け入れて時代に発信した僧侶の方々を大好きになりました。
どこも生き残りをかけて頑張っているのなら、中途が僧侶になっても仕事はない可能性が高い点は綺麗な言葉ではなく正直に言えばよいと思いました。
「僧侶は職業ではなく、仏様を拠り所として生きる生き方です」と僧侶を仕事にして豊かな生活をしている方が言うと、檀家離れが起きる気がします。
自分は僧侶を職業とするだけでなく、ママアピールし、YouTube発信で広告を出し、他の質問者にヤフー知恵袋並みのタメ口で近所のおばさんレベルのアドバイスで自分を宣伝する人からの一言ゆえに、人間とは何か、また僧侶の個々人の違いを感じ、墓と先祖を持つ俗人は不安を感じました。私は病気のため死が隣にあります。
苦しんでいるからこそ、悲しいのです。
有り難し 11
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