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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死後 」
検索結果: 1253件

母が他界しました。

母が他界しました。63歳でした。 3年半闘病しました。2年間は食べる事も飲む事もできませんでした。 旅行が好きな母でした。私が社会人になってからはいろんな所へいきました。 最後の旅行の時「あなたと後何回いろんなところへ行けるかな。」とポロっと言われました。その時は「何言ってるのー?」と笑って返しましたが、その旅行が最後の旅行になりました。何故こんな事を言ったのかずっと心に突き刺さっています。 亡くなる3日前に急に体調が悪くなり、肺炎でした。施設に預けていましたが、亡くなる前日少し状態が良くなり、付き添いを止め、私も自宅に帰りましたが、夜中に1人で逝ってしまいました。 「付き添いをしてあげればよかった」「仕事で忙しいと言わずに時間を作ってもっと会いに行ってあげれば良かった」いろんな感情がぐるぐる回っています。3年半も頑張ってくれて、もう辛くないんだから前を向かなきゃと思いますが、どれだけ泣いてもふっと気を抜くと涙が止まりません。 そばにいて貰いたくて、分骨したいと思い骨壷ペンダントを買いましたが、家族に言えずにしまっています。 分骨も悪い事ではないとインターネットで見ましたが、やはり身内にお願いできません。また遺骨を砕く勇気も私がありません。身体が鉛のようで何もできないです。 このままじゃ母が心配しそうです。

有り難し有り難し 15
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極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

有り難し有り難し 110
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死の恐怖から未来に希望が持てません

はじめまして。 初めてご相談させていただきます。 現在高校3年生の女子です。 私は最近死の恐怖に囚われています。 死んだ先に何があるのか、死んだら無になってしまうのか、私はいつ死ぬのか、いつか死んでしまうのに何で一生懸命に生きるのか、死んで大好きな家族とお別れしなくないなど考え出したら止まりません。普通の高校生というとこれからの明るい未来に想いを馳せ、夢を抱くような時期だと思うのですが、自分の最終的な未来が死だと思うと怖くて怖くてたまらないのです。自分の最終的な未来が死だと思うと何だか未来に希望が持てません。 私はなんのために生きるのでしょう? 実は半年前にも死がたまらなく怖かった時期があるのですが、何とかあまり考えないようにしてこの瞬間を生きることに一生懸命になることで忘れることが出来ていましたが、また考えるようになってしまいました。初めて死ぬ恐怖について考えたのは高校2年生なのですが、死ぬ恐怖のことなんて一切考えてなかった幼少期の無邪気な自分に戻りたいとも思います。そのほうが幸せなのかなと思います。でも一度考え始めると本当に自分でもどうしょうもないくらい止まらなくて、苦しいです。授業中とか友達とくだらない話で笑ってる時も考えてしまいます。周りの人たちは日々を楽しんでいるように見えるのにこんな自分が嫌になります。 今の私の気持ちが楽になる方法はあるのでしょうか? たいへん長く読みにくい文章になってしまい、申し訳ありません。私にとって人生の先輩であるお坊さんに何かしらのアドバイスやお言葉を頂けたらと思い、相談させていただいました。

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どうしても浄土真宗のお経をネガティブな解釈してしまう

どうもこんばんは 以前からの質問を見ていただければ分かると思うのですが、無量寿経の41願について「信心決定したものは諸根が具足する。だから諸根の具足していない者は救われない」といった解釈に気を取られて、ずっともんもんとしておりました それで、ハスノハでお坊様の意見を聞いたり、本で調べたりしたところ、「その解釈ではみな救うと誓っている18願の誓いが守られないからそれは我々に関係のない菩薩様への願だ」「十住以上の菩薩様は三悪道に堕ちることがないので、浄土を願わないものもいる。そうした聖道門の方々を浄土門へ引き入れるための願」「諸根ケツルというのは念仏という大道を知らないこと。哲学者や聖道門の方々も名号を聞くことで諸根具足することができる」「42願~48願を見ると、他方国土の諸菩薩というのは名号を聞くとただちに三昧を得るような方々であるので、われわれには関係のない願」「そもそも障害というのは実体的なものではない」「身体に不自由がないというのは、浄土へ行くのに不自由がないこと」という頭では合点できるような説明がたくさんありました。ハスノハの皆さん、ありがとうございました。 けれども「けれども」なんです…。「もしも」41願が念仏者が諸根具足するという願だとしたら、体の弱い自分は救われないかもしれない…。と、この「もしも」が頭から離れないのです。おそらくこれは、阿弥陀様への疑いと、自力のはからいでもって、このような状況になっているのだと思います。 この「もしも」というのを消す方法はないでしょうか…。そんな上手い方法はないとは思いますが、なんか愚痴みたいになっちゃいました、すみません。阿弥陀様を疑ってしまい、お経をネガティブに解釈してしまう自分がいる。それが悩みです。

有り難し有り難し 51
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「蜘蛛の糸」について

私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?

有り難し有り難し 122
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これからの母との付き合い方

初めて相談いたします。よろしくおねがいします。誰に聞いてよいかわからず、悩んでおります。 私の母のことなのですが、心の持ち方についてご教授願いたいと思っております。 両親は私が15歳の時に離婚し、それから母親だけで育てられてきました。ちなみに私は一人っ子です。 大学、大学院はバイトと奨学金でなるべく母には迷惑をかけずに勉強し、就職後は毎月母の収入以上の仕送りをしています。 母は私が就職をしたころから、依存するような発言をしており、それが不快です。 また私の生活に色々とアドバイスをくれるのですが、その発言が耳障りでつい辛く当たってしまいます。 母の面倒は生涯に渡って見るつもりでいますが、何か納得してないような気がしています。 心のどこかで、両親のせいで貧しい思いや嫌な事があった上に、就職してからも仕送りをし続けている私は何のためにこんなことしているんだろう?と考えています。 見返りが欲しい訳ではないのですが、私が苦労する(労力を使う)意義が母親のためだけなのか?と思うとやりきれないです。 自活してちゃんと働いて生活しているのに、どうして色々言われないといけないのか。と思ってしまいます。 最近私が結婚して、母がより一層私に依存してきます。 今は別々に暮らしていますが、いずれ一緒に住むと思うと不安です。 どのような心の持ち方をすれば、母に優しく接することができるようになるか教えて欲しいと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 108
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2022/11/03

死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

有り難し有り難し 18
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消えてなくなりたい

夫にいつ捨てられる不安です。 私は体が弱く働けず、外出などもあまり出来ません。 ここ2年ほどは特にひどく外食をするのも苦痛です。 そんな私に夫が嫌気を感じているのが分かります。 自分の意思ではどうにも出来ない事なので解決しようがありません。 勿論そんな人間と一緒に暮らすのは夫にとっては楽しくもなければ重荷なだけで、私を嫌いになっていくのも分かります。 離婚すれば夫は幸せになるのかもしれませんが私にはその決断が出来ません。 いっそ死んでしまえれば夫も幸せになれるのに。 明日目が覚めなければいい。自分には生きてる価値などない。それどころか周りを不幸にする悪です。 私も毎日夫に捨てられるんじゃないかとビクビクしたり、思うように動けない事に罪悪感を持って生きてることにほとほと疲れてしまいました。子どもも居らず、夫もまだ30代半ばなのでいくらでも人生やり直せます。 夫のため自分のために死にたいのです。 そして図々しい事ですがせめて最後くらい苦しまずに死にたい。 こんな人生は望んでいなかった。 せめて人並みに生きたかった。 貧乏でも健康で夫婦で笑いあって生きたかった。 自殺したものは地獄に堕ちて生きていた時より苦しい思いをすると聞きますが、それは本当なのでしょうか。 死んでも苦しまなければいけない程に私は悪なのでしょうか。

有り難し有り難し 19
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生きたくない人が生きていくための心の持ちようを教えて下さい。

夫の事でご相談です。 夫には障害があり、以前より生きづらさを感じていました。生きていたくない、でも自殺は苦しいし、惨めだ、との思いで日々いました。 二年前の事ですが、意識喪失で死にかけたことがあり(自殺ではありません)、妻である私の発見が早く、助かったのですが、あの時に自分は死ねていたかもしれない、なのになぜ今生きているんだ、という思いが残ったと言います。 二年前以降、気持ちはもちろん体調もすぐれず、生きていくのがより苦しい状況にいます。その上、発見者が妻である私であったことで、私が放っておいたら死ねたかもしれないのに、自分の気持ちを知っている人間がなんで余計なことをしてくれたんだ、と恨む気持ちが消えないと言います。 あれから二年、夫は、以前にも増して、自分はなぜこんなに苦しい思いをしてまで生きていなくてはいけないのかと悩み、そして、死ねたかもしれない可能性を断ち切ってしまった私に対しての恨みを持っています。 そこで、ご相談です。夫は今後どのような心持で生きていけばよいのでしょう。私に“自分は今後どうしたらいいんだ。死にたい、死ねたかもしれない、という思いが自分の中をぐるぐる回って苦しい、救って欲しい。”と言われるのですが、私には何と答えたら良いのか分かりません。 私自身、こんなに苦しんでいる夫を見ていると、夫の言う通り、二年前に重度障害、脳死(自分というものがなくなればそれでいいと)や、死去できればその方が幸せだったな、と思うのです。

有り難し有り難し 28
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