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検索結果: 1100件
2022/07/01

お盆の墓参りを7月から8月に変更すること

東京で生まれ、暮らしてきました。菩提寺は曾祖父以来、23区内の浄土宗のお寺です。母が亡くなって以来、命日やお彼岸、お盆にはお墓参りを欠かさないようにして三十年以上過ごしてきました。 今年のお盆は、結婚した娘夫婦を墓参りに誘ったところ、7月は都合がつかないとのことでした。8月の旧盆の時期であれば、家族の都合がつきそうです。しかし、さして信心深いわけでもないのに、長年の習慣を変えて8月に墓参りすることに多少の抵抗があります。これまで親戚も皆、当たり前のように7月に墓参りをしてきました。お寺のお盆の行事も、やはり7月です。ただ、そうした行事が気になるわけではありません。 お墓参りはいつでもよいといった話は聞きますので、8月に新しい家族ともども墓参りをするのがよいのだろうと思いつつ、やもやした気分が残っています。普段は、割り切って生きているほうだと思いますが、割り切れない自分が不思議です。 おそらく東京でも8月にお墓参りする人が少なからずおられると思いますし、そうした実態を知らないからスッキリしないのだろうと思っています。 なにかアドバイスを頂戴できますと幸いです。

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生きるとは?

いつもお世話になっております。 今週も、新しい経験ができ、新たな自分を見つけることができ、ありがたいなあと感じています。その中で、「なぜ生きるのか」についてある考えに至りました。 生きている理由は、ご先祖様からの課題を解決するためだと考えます。これは、兄弟間でも異なるのではないかと思います。課題解決のために、身体と能力を与えられたと考えます。解決方法は、行動実験してみて、五感で自分がどう感じるかということを実証することだと思います。自分の内面を見つめることだと思います。 例えば、坐禅、書道、神社参拝、寺院参拝、コーラス参加、仕事をする、家事をする、テニスをする、など日常生活すべてを行動実験にすることができるのではないかと思います。この行動実験が修行なのかと思います。 だから、いろいろなことをやってみるというのは大事なことで、これが自分に与えられた課題を解決していく近道だと思います。 とはいっても、課題が何なのかと認識したり、五感を使いこなしたりというのは、自分のことなのに難しいですよね。これらがよくわからないから、苦しむのかなと思います。 生きるとはどのように考えますか?

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数珠について

 単身赴任先での不貞を隠して、離婚調停・裁判を起した夫と4月に離婚しました。  私は、5月に溶連菌感染症による血栓性静脈炎、膝窩動脈補足症候群という珍しい病気が発見され入院・手術し、現在は足の痛みと裁判中からの鬱病、過敏性腸症候群で、13歳の老犬の面倒をみながら通院中です。 近年は専業主婦でしたので、身体のこともあるので、求職へのの焦りもあります。      元夫の実家Yは曹洞宗で、私の実家Aは、浄土宗です。  26年前の結婚時に私の実家がお世話になっているお寺の住職より、結婚のお祝いで曹洞宗のお数珠を二人にそれぞれ頂き、仏事や主人の単身赴任中も月に一度程度、主人の実家のお墓参り等に愛用していました。  私は、出身の高校が浄土宗の門下であった為、宗教の授業もあり、授業の一環として本山での修行の後、戒名も頂きました。  この様な状況なのですが、曹洞宗の数珠をどの様にすればよいか思案しております。  私としては、浄土宗の信仰の中で育ってきたこともあり、浄土宗を信仰したいのですが、可能なのでしょうか? 戸籍もAには戻らず、単独で新しくつくりました。理由があって現在もYの姓のままです。  ご助言よろしくお願いいたします。

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入信したくないのは私の心が間違っているからでしょうか?

某新興宗教の信者の家庭に嫁ぎました。結婚直前に義母からそのことを知らされ、彼に「私も入信しないといけないの?」と確認したところ、「いやなら入らなくていいよ」と言ってくれたのでその言葉を信じて結婚しましたが、地域の信者の方から次々に会合や行事に誘われます。 信じていない者にとってはその場に居ることもつらくかんじるような集まりでしたのでことわると義母から 「なぜ反対するのだ」と言われ 「反対はしていない、お義母さんの信仰は自由です。私にも信仰しない自由があります。彼は結婚前に入信しなくてよいと言ってくれました」というような説明をすると 「それは息子が優しいから言っただけだ」などとしかられましたが、入信しないで30年近くすごしてきました。 最近になり義父が病を完治できず、施設に入居しました。すると信者の方2人がちょくちょく面会にきてくださいます。立派な行いと思いますし、とても感謝しておりますが、だからといって入信をまたすすめられたらいやだなと思ってしまいます。 信仰とは神様とか仏様とかと自分の心がどう向き合うか、ということで、つきあいでするものじゃない、とわたしは解釈しています。また、結婚するまで隠していて後から無理矢理のように入信させるやり方、選挙運動、書籍や新聞などたくさんお金を使わせる事などに不信感を持っていますし入信を勧める時の、「私たちは人として正しい道を進んでいる。あなたは道を間違え真っ暗闇に居るのだから私たちが導いてあげる」という言い方にも抵抗があります。 私は心が狭いでしょうか?人様から非難されるようなことをしているんでしょうか?

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ひとりっ子同士の結婚➡︎仏壇

夫とはひとりっ子同士の結婚でした。苗字は変わりましたが、現在、夫と暮らすアパートに私の先祖代々・両親を祀っている位牌を祀っております。仏壇ではありません。 夫は義父を亡くしており、現在は実家で義母が仏壇を所有しております。 この度、3人での同居が決まりました。義母も私が旧姓の位牌を持っての同居であることは理解してもらっています。 旧姓側の菩提寺様には私が供養できる間は苗字が違っても供養を続けなさいと教えていただきました。 質問は、 1階に夫家系の仏壇、2階に旧姓の仏壇を置くしかないのですが、気持ち的には私の家系を置かせてもらっている、と思っているので失礼に当たらないだろうか。という事。 また、お盆など夫側のお寺さんは自宅で読経などの供養はしていないのですが、旧姓側は毎年住職に来て頂いて読経が有りました。アパートにも来て頂いていました。今後は旧姓側だけ、というわけにもいかず、住職に読経をお断りする事など出来るのでしょうか。 いずれは旧姓側は永代供養になると思うのですが、現状のまま先祖を供養するための方法を教えていただきたいです。 長文読んでいただきありがとうございました。宜しくお願い致します。

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ご住職の対応について意見を聞きたいです

長文を失礼いたします。 私の母が亡くなった折、私の父が私の母の永代供養のお願いのためにお寺へ出向いた折、私からいくつか住職に質問をいたしました。 「私、葬儀社の方にかなりお世話になりまして、で、その方たちは亡くなった方に対して一礼を欠かさず、敬意を尽くしているようにみられました。 私はお経の意味などはわかりませんが、この一連の(お経をあげる式の)動作中に、何かそうした「敬意を表す」ような行動は含まれるのでしょうか」 といった内容のものです。その住職の言動などに、どこか投げやりっぽい感じを受けましたもので。 住職の回答ですが、端的に「お経をあげることがこうした敬意になります」というものでしたが、なんとなく私は納得できませんでした。 続けてあげていただいたお経の意味をおたずねして、それについても説明していただきました。 「納得いただけましたか」という問いに対して、私は「あとは個人個人のとらえ方になってくると思います」みたいなことを言ったと思います。 その直後にご住職が激高しまして・・・。 「お前、俺のあげるお経より葬儀社の人間のほうが礼を尽くしてるっていうのか、そうなら全部葬儀社の人間に供養してもらえ!」 「俺の方が(葬儀社より)上にきまってるだろ!」 「こっちは商売でやってるんじゃないんだ!お前がそんな態度なら金は返す、そのかわりこの戒名は返してもらう」 「●●(父の名前)とのご縁もあって、特別に永代供養という形をとったが、こんな態度をとられるとは思わなかった」 私も「それは違う」「誤解だ」と色々言いましたが、聞き入れようとはされなかったように見受けられます。 最終的には「お前の言うとおり誠意なんてのは個人個人のとらえ方だろうから、それならお前が納得する寺を探せ!」と怒鳴った後、住職は席を立って退席されてしまいました。 私自身「お経なんて何の役に立つのか」といった気持ちがありましたし、そうした気持ちを見透かされていたのかもしれません。 それにこうした質問は「場」にそぐわないものでしょうし、私のような気持ちを持つ人と接する場合、かなり不愉快であっただろうとも思います。 しかし、あそこまで面罵されるとは思いませんで・・・。 二人で平謝りしたことでとりなしを得ましたが、個人的には今後の事も考えています。ほかの方のどんな見解でも聞きたいです。よろしくお願いいたします。

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自分を許せず責め続けてしまいます

こんにちは、また相談させてください。 とにかく自分を責めることをやめられません。 もうほとんど癖になっています。 大きいことでも些細なことでも、もう何年も前のことであっても、何度も何度も蒸し返しては責めてしまいます。 時には自分を痛めつけることもしてしまいます。 心の中で謝罪ばかり繰り返しています。 なんでちゃんと考えずあんな言い方をしたのか なんで間違えた時に対処法が思いつかなかったのか なんで大丈夫と思ってしまったのか なんでおかしいとすぐ言えなかったのか 今更思い返してもやり直せないと思いながら、ぐるぐるといつまでも考えます。 それが原因で体調を崩し寝込むことも多いです。 そのことで家族に心配され、また心配させてしまった罪悪感から自分を責めてしまいます。 「そんなことで」と言われるのが怖く、相談もできません。 いつまでも同じことを繰り返しつらいです。 自分でも責め続け、周りからも責められていると感じます。 反省して同じことをしなければいい、とよく言われますが、一度の失敗をなかなか許すことができません。 罪の意識に押しつぶされそうで、最近は死について考えることが多くなりました。 そんなことばかり考えて楽しいことも心から楽しむことができず、なにもする気が起きません。 このままでは頭がどうにかなりそうです。 なにかアドバイス頂けたら嬉しいです。 よろしくお願いします。

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結婚できなかった、これからの人生が見いだせません

来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 93
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