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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死後 」
検索結果: 1253件

絶えない欲を無くすにはどうしたらいいですか?

現在育休中です。 出産前の私の働く原動力は、誰かを見返したい、上司に認めてもらいたい、誰にも負けたくない(お給料面でも生活面でも)、欲しいとおもった物を我慢したくない、旅行に好きなだけ行きたい!という欲まみれでした。 そんな中でも、人を妬み、羨み、物欲が途絶えない事に心底疲れてはいましたが、分かっているのに感情は止まりませんでした。 その感情のお陰で仕事を頑張ってこれたというのも事実であり、お給料も満足のいくお給料をもらえていました。 しかし、昨年子供を出産し、自分の命よりも大切なものができ、幸せを毎日感じる反面、ママ友同士の会話の中で、妬み、僻みを感じる事が多々あり、仲良くしてるはずなのに、そんな相手にまで負の感情が芽生えます。 また、来月仕事復帰するにあたりお給料面を相談すると、以前より30万円もお給料を下げられ、自分が仕事仕事と努力してきたものはなんだったのかと怒りが芽生えてきてしまいました。 これが、いい機会だ、お金の使い方、これからの生き方を見直すいいチャンスだ、と思ってもまだ納得できない自分と、子供にこれから不自由なく生活をさせてあげたい、子供の為にお金を稼ごうと思っていた矢先の事だったので、まだ心のモヤモヤが晴れません。子供の幸せはお金でなく愛情を注ぐ事だと分かっていますが、気持ちが落とし込めません。 自分の絶えない欲や相手に対する妬みや僻みに心底疲れます。 出産前と後では何故働くのかの理由を変えないといけない事もわかっています。ただ自分の中で納得のいく答えが見つかりません。 この気持ちをどうしたら払う事ができますか?どうしたら気持ちを改め働く事が出来ますか?どのような心構えで働けばいいのでしょうか?何の為に、何を目標に働けばいいのでしょうか? とても苦しいです。 お返事頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。

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2023/08/03

天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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心の整理をつけるにはどうすればよいでしょうか

先日この場所を知り始めて質問をしました。 1つ回答をいただけたことで少しだけ心が軽くなった気がしました。 また一つ心を軽くできればと質問をさせていただけたらと思います(これも1つの煩悩なのでしょうか) 去年、小学校からの友人の訃報が届きました。私にとっては親友と言える友人でしたがこの20年はお互い環境も変わり年に1度年賀状を送り合い数年に一度メールか電話をするそんな繋がりでした。訃報は友人の奥様から手紙で知らされたため詳しい事はわかりませんでした。 訃報を知り半年以上がたちますが、普段は心に無くても、ふと、心に上がってきて辛く悲しくなる時があります。 いつ、どこで、何が原因で亡くなったのか、どこにお参りに行けばいいのかもわかりません。無くなった友人の知り合いには伝が無く、奥様とも直接の面識はありません。またそのような状況で悲しまれているだろう奥様に聞くのも躊躇ってしまっています。 どのようにして心の整理をつければ良いのでしょうか、詳しい事を訪ねる手紙を送っても良いものなのでしょうか。 話が少しずれてしまいますが、20年ほど昔に良くしてくださっていた叔父を亡くし、10年程前には父が亡くなりました、どちらも未だに思い出し悲しくなる事があります。 叔父、父、そして今回の友人それぞれ夢に出てきた事があります、言葉を交わせたことはありませんがどの夢の時も穏やかな状況で逢えていたので叔父も父も友人も向こうで安らかであってくれればと願っています。 取り留めの無い文になってしまいました、よろしくお願いします。

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先祖のお墓について、今後どうすべきか

2人姉妹です。長女は嫁ぎ県内に住んでいます。 次女の私は、現在は実家に住んでいますが、結婚し実家を出ることになります。 父は散骨を希望しています。私は父と折り合いが悪く、墓守をするつもりはないため散骨に賛成しています。(母については希望を聞いたことはありません) 少し複雑なのですが、先祖のお墓は2箇所あります。どちらも市内です。 墓Aは、「○○家」の墓石が立っており、先祖の名前も沢山彫られています。 墓Bは、「○○家」と書いた墓石と呼べるようなものは立っておらず、整地もされていません。先祖の誰の遺骨が入っているのか、実際遺骨を入れたのか、近所のお寺に2箇所も先祖の墓がある理由すらもわからないのです。 墓Aは、40年近く前に亡くなった伯父の遺骨が入っており、その家族がお参りしているようですが、墓Bには行ったことはないようです。その家族は町内に住んでいますが、伯父が亡くなってから一切の交流はありません。他の親戚も同様の付き合いのようです。 私たち家族は、墓A、B両方へお参りをしていましたが、母が重い病気にかかってから墓参りをする余裕がなくなり、数年に1回程度しかお参りに行かなくなりました。墓Bのあるお寺へのお布施も収めなくなり、20年近く経ちます。 だいぶ昔ですが、自分は墓Bには入ると父が言っていたので、墓Bが私の実家の墓ということになるのだと思います。しかし、今は散骨を希望しているため、墓Bに父が入ることはなさそうです。 今後、墓Bはどうすべきなのでしょうか?今のうちに父に何とかしておいてほしいのですが、父は自ら動くタイプではありません。姉は実家の事は自分には無関係という考えなので、両親が亡くなったとしても積極的に動くことは期待できません。嫁いだ後に墓のことで揉めるのは避けたいです。墓じまいについても調べましたが、遺骨がないかも知れないことを思うと、それが正しいのかもわかりません。 長くなり、わかりづらいかと思いますが、ご回答をお願いいたします。

有り難し有り難し 10
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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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亡くなった子どもについて教えてください

私は去年の夏に初めて妊娠した双子の赤ちゃんを5ヶ月で死産しました。 悲しくて悲しくてどうしようもなかったのですが、2ヶ月後に仕事復帰してからは仕事で気を紛らわしていました。 そこから半年ほどして、再度妊娠しました。 双子ではなかったけど、どちらか1人が帰ってきてくれたととても嬉しかったです。 しかし、その子も6ヶ月で緊急帝王切開、超早産となり生後数日で亡くなってしまいました。 答えのない質問であるのは分かってますが、なんで私の子どもだけがこんな目に遭うのか、 周りは元気な赤ちゃんを産んで当たり前のように幸せに暮らしてる中でなんでこんなことになるのか分からなくなってしまい、ここで何か掴めたらと思い質問しました。 会えるなら会いたいし、早くあの子たちのところに行きたいと言う気持ちがあります。 でもそんなことしても子どもたちのところに行けないと自分に言い聞かせてなんとか生きている状態です。 どうして二回もこんなことになったのか、 亡くなった子どもはどこに行くのか、 自分が死んだらその子たちのところに行けるのか、 もしまた妊娠するとして亡くなった子どもがまた宿ることはあるのか、教えていただきたいです。 質問多くなってしまいましたがよろしくお願いします。

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浄土真宗と曹洞宗の天国とは

こんにちは。 最近祖父が亡くなり、葬式も終わりました。 私は結婚していて、実家は浄土真宗、母方の実家は曹洞宗、嫁いだ先は禅宗です。 今まで浄土真宗のお葬式や法要などで実家の祖父母を供養してきましたので、浄土真宗のお坊さんの話をたくさん聞いてきました。 そのうちに、浄土真宗の考えに安心できるようになりました。 今回亡くなったのは曹洞宗の祖父です。 浄土真宗だと亡くなってすぐに浄土に行けるそうですが、調べると曹洞宗だと山を越え川を渡り裁きを受けて長いことかけて六道に分かれるのでしょうか? 今祖父はどこにいるのでしょうか。 49日までは祖父は修行をしているのでしょうか。 足も悪くなっていたのに山を越えて険しい道を一人で苦戦しながら行っているのではとすごく心配です。 寝たきりのままなくなった人でも、ちゃんと天国まで歩いていけるのですか? また、宗教が違っても天国で会えるのでしょうか? もう1つ引っかかるのが、私はお菓子の仕事をしているのですが、たまに祖父母が家に来たときにケーキがあれば出していましたが、最近は来る回数も減りあまり食べさせてあげられませんでした。 なので、シフォンケーキを焼いて棺に入れたかったのですが入れられませんでした。 クッキーだけは入れられたのですが。 そこで今はシフォンケーキは祭壇の前にお供えしてあるのですが、祭壇や仏壇にお供えすれば食べてもらえるのでしょうか。 もっと祖父にお菓子を食べさせてあげたかったです。 子供の頃はたくさん遊んでもらったのに、大人になってからは愛想が悪く、笑顔もあまり見せられませんでした。 曾孫には会わせてあげられたし、曾孫とは元気なときには楽しそうに遊んでいたのでそれが救いですが。 今からでも祖父に何かしてあげたいです。 亡くなってとても悲しいのに、普通にお腹が空いたり、普通に生活できてしまう事に罪悪感を感じ辛くなります。。

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コロナの影響で四十九日をとりやめる

7歳、5歳の子供を持つ40代の主婦です。 先月、夫(54歳)が亡くなりました。 浄土真宗です。 菩提寺はありません。 当初、四十九日を葬儀を行ったセレモニーホールにて親族16人で行う予定で進めておりました。 しかしながら、夫の母と私の実父が共に80代であり、コロナに感染したら、と不安になったため、自宅で子供と私3人で行うことに変更しました。 夫の実母(私の義母)もその方がいいとおっしゃってくださりました。 ところが、本日義母より、私たちがコロナに感染しないかとても心配なので、四十九日はやらずにいた方がいいとお願いがありました。 確かに私がもし感染でもしたら、幼子がいるのでとても困ります。 そして義母は、亡くなった夫も、私たちのことをとても心配していると思うから、是非そうして欲しい、家でそれぞれお祈りしましょうと言って下さっています。 義母がそう言っておりますので、何かあってからでは遅いので、大変心苦しいのですが、そのようにしようと思っています。 ただ、そのような場合、本位牌の開眼とご本尊の開眼供養はどのようにすればいいでしょうか。 コロナの状況がまだまだわからないので、一周忌など、コロナが落ち着いた頃合いで、先々になってしまってもいいものでしょうか。 それとも、四十九日にしなければ意味を成さないものなのでしょうか。 全く知識もなく、知恵もないため、どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 23
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黒い蝶と御線香の匂いについて

私の姑は6年前の夏に癌で亡くなりました。 亡くなってからでは夏休みは何処にも連れて行ってあげれないと、まさか亡くなると思っていなかった数日前に動物園に家族で行きました。 木々が多い動物園ですが、やたらと黒い蝶とトンボが飛んでいるのを、気付けば見ていました。あんなに飛んでいたのに、帰る前に沢山いたねと言っても、私以外気付きもしていませんでした。 後から思えば、姑が一緒にいたのかな?なんて思えたですが、最近7回忌を迎え、命日のお墓詣りに行きました。亡くなってからも、たまに黒い蝶を見る事がありましたが、帰ってくると我が家の庭に黒い蝶が飛んでいました。 前々から、義父の家に行きお仏壇に御線香をお供えしたり、お彼岸などのお墓詣りをして帰って来ると数日間鼻の周りにまとわり付くように線香の匂いが取れません。 これは何かの忠告か、姑は何か訴えたい事があるのでしょうか。それともただの偶然とか気のせいでしょうか。 今回のお墓詣りの3日前には、子供の玩具が丑三つ時に鳴り出したり、今も鼻に付いている御線香の匂いも喉の奥と言うか苦いような匂いで、義父の家の空気も淀んでいる様な何かが変でした。正直、気持ちが悪いです。 そして姑が近場にをうろついているとしたら、あまり良い気分ではなく、もう出てきて欲しくはないし、今後は続いて欲しくないです。 何をしたら無くなるのか、お祓いのような事をすれば良いのか、どうしたら良いのか分かりません。 宜しくお願い致します。

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助けてください。死にたいです。

死にたい。助けてください。高一です。 父や祖父などの影響で、物心ついたときから医者になるのが夢でした。 小さい頃から父に「〇〇(私)はお医者さんになるんだよね」と言われてきました。 なぜなりたいのか自分で考えたときは、人の役に立ちたいということで決着がついたのですが、今はもう何が何だか。 精神的に不安定で、学校ももう三日休んでいます。 今朝母に言われました。 「皆勇気を振り絞って行ってるんだよ」 「誰かに何かされたわけじゃないでしょ」 「〇〇には休む理由がないでしょ」 私は頭がおかしいんでしょうか。 皆はやってるのにやってない。 虐められてもいないのに辛い。 周囲に説明して理解されるような理由もないのに学校に通えていない。 母の言っていることが正しいのは痛いほどわかります。 理由が無いわけではないのですが、普通の人には理解して貰えません。自分でも上手く言い表せません。 相談できる人がいないので昨日は相談窓口にかけてみましたが、話しているうちに呆れられているように感じて怖くなって切ってしまいました。 できるのなら学校を辞めて通信制高校に通い勉強をしたいです。 その傍ら精神科に通い、ボランティアなどをして社会勉強やコミュニケーションを普通にとれるよう努力したいです。 今は友達もいますし先輩や先生とも話せますが人と関わるのが怖くて仕方ないです。 被害妄想も激しいです。 自分しかいない空間から死ねとか聞こえてきますし、人が沢山いる空間はとにかく苦しいです。 自分のこうした経験から、今は、精神面で人の支えになれる仕事に就きたいと思っています。 親は反対しています。 今通っている高校は偏差値63くらいなので、そこにいた方が勉強の苦労は少ないだろうと言っています。 世間も親も、通信制高校には偏見があります。 「医者になりたいんでしょ(=だったら行け)」と強く言われて死にそうでした。 でも今更物心着いたときからの夢を否定したら生きていけません。 人の役に立ちたいのは本心ですが、私は医者という名前に拘っているだけのような気もします。 そもそも通信制高校から医者になれるのかわからないし、なれたとしても私みたいなおかしい人間に担当される患者さんが可哀想なんじゃないかと。 もう生きる希望がないので死んでしまいたいです。 何が言いたいのかわからなくてごめんなさい。

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老いて死に向かう事

介護の仕事をしています。 そして家では相棒の20歳の猫が弱っていく様を目のあたりのして、 人間も動物も歳をとり身体が思うように動かなくなり肉体的にも精神的にも痛く辛い思いをするように思います。 なぜかはわからないけれど命には寿命があって、皆いずれ死なねばならない。なのになぜ命は、わざわざ苦しみやすく出来ているのか、 脳ミソが、老いて寿命が近くなったら自動的に幸せホルモンのようななにか痛みを緩和させて穏やかになるような麻薬物質でも分泌すればよかったのに(そういうものがあるかもわかりませんが)、なぜそのように進化せず、やはり苦しみがちになるのだろうかと疑問に思っているのです。 また、相棒の猫は確かに20年いっしょに暮らしてきた家族だけれど、言葉を通してなにをしてほしいか、なにが食べたいかを迅速に伝えられない訳だから、きっとひとりぼっちで寂しくて、体も痛かろう、初めて老いて初めて死に向かうのに淋しかろうと、100%助けてあげられなくてすまなくて悲しくて眠れません。 やはり施設で暮らす高齢者の方々も寂しい思いで暮らしているだろうと思います。猫と比べるなと言われるかもしれませんが、同じように思ってしまいます。 道元禅師の生死の巻で、薪と灰の話、 前後裁断があったかと思いましたが、 今の私には死はやはり老いた先にあるもののように思えてなりません。身体の細胞ひとつひとつが活動できなくなった先にある死で、やはり苦しまずにはいられないんじゃないかと感じてしまいます。 あのお話だったか、生と滅にそれぞれ“さきありのちあり”とあった気もしますが、なにか私が今目の前にしているものの解釈のヒントになりそうなのに、いまいち理解ができません。 わかりにくい質問で申し訳ないのですが、ようは、なぜ命は苦しまなければいけないのか、なぜ苦しむのに生まれてくるのか、そしてそれをずっと繰り返してきたはずなのに、脳ミソが苦しみを除外するよう進化しなかったということはやはり必要があっての苦しみなのかしらと素人考えをしているわけです。かといって私の相棒の猫さんが死に向かって1人老いて苦しむのは切ない事です。。。それらが不思議で切なくてならないのです。 自然の摂理だから仕方がない事なのでしょうか?

有り難し有り難し 37
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2023/12/02

科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

有り難し有り難し 15
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