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hasunoha 問答検索結果 : 「 悟り 」
検索結果: 2103件

弱い自分が嫌いです。

生きているのが嫌になりました。 と言っても最近何か特別嫌なことがあったわけでもなく、ただ漠然と、生きているということから逃げたい、ような感じです。 今自分がいる環境に耐えられないでもなく、何かに最善を尽くして努力した結果だめだったとかでもありません。何もしようとすらしない、ただ楽をしていたいだけの弱い自分が嫌いです。そんなことを一人で考えて泣いて、もっと嫌になって、悪循環です。 家族も友人にも恵まれています。両親には莫大なお金をかけさせて留学もさせてもらって、遠距離の彼氏は電話で泣き言を言っても嫌味ひとつ言わず優しく聞いてくれます。 もっと苦労している人、目標に向かって努力している人は沢山いるのに、面倒なことを避けたいだけの自分がただの甘えのようで、もっと嫌になります。 だったら何か努力しろとか、自分でも思います。怒られて、当然です。 ただ、生きることを自ら選んで生まれてきたのではないから今いる世界から消えることくらい選択肢があっても、なんて考えてしまうのも事実です。 これから先自分に来るであろう課題の数々に立ち向かっていける自信がありません。 まとまりのない文章で申し訳ありません。なにかご助言お願いします。

有り難し有り難し 26
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配偶者の病気

初めまして。 誰にも相談できず、悩んでいます。 少しでも心が楽になる言葉をいただけたら幸いです。 どうぞよろしくお願いします。 主人(50歳)が余命一年から二年の癌になり、今は治療中です。 本人には余命宣告されたことは伝えてありません。 ただ本人は自覚症状や痛みや治療などからあまり長くは生きられないのではないかと思っています。 私はもちろん全否定して励ましたりはするのですが、それが逆効果になり、本人は落ち込んだりします。 主人は大好きだった釣りやゴルフができなくなり、歩くことも困難になり、人生の楽しみを失ってしまいました。 正直毎日落ち込んで沈みがちな主人を見ているのが辛くて悲しくてしんどいです。 どんな言葉を掛けたらいいのか何をしたらいいのかわからないんです。 本人に生きる希望を持って少しでも前向きになり、治療を頑張ってほしいんです。 でも病気の痛みや治療の辛さを我慢している主人に少しでも長く生きてほしいと思うのは自分勝手なのだろうかと思ったり、 余命宣告されているんだから治療を頑張らなくてもいいのではないのかと思ってしまう時もあります。 私も気丈に前向きに明るく振る舞ってはいますが、どう病気と死と主人と向き合っていいのかわからないんです。 できるならお互いが心穏やかに過ごしたいので、そんな心持ちになれるような言葉や所作など教えていただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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会社に行けない

現在、リモートから出社に切り替わったのですが先週から全然出社できていません。 出社しないと、とは思うのですが朝になると無理と思って会社に欠勤の連絡をしてしまいます。 こんな事の繰り返しです。 自分が嫌で、毎日自殺を考えてはまた朝になると欠勤してしまいます。 仕事内容が気に食わないわけではないのですが、環境の変化に弱いのが以前からの悩みでした。この間までリモートや新しい仕事を教えられたりする際にかなりの拒絶反応があるくらいです。 精神科には通っていますが、お金がないのですぐには行けません。 悩みを誰かに聞いてもらうにも、誰もいません。 親には電話で連絡したりしますが、「甘ったれ」「わがまま」と怒鳴られます。 休み続けてしまう自分が大嫌いです。明日こそは行く、と何度も誓うのですが行けません。 やはり私は甘いでしょうか? 出社しやすい気持ちになるにはどう過ごせばいいでしょうか。 家にいる時は読書やノートに漫画を描いたり小説を書いたりなど趣味で過ごすようにしています。 夢なんですが、今は趣味でも世の中にいずれかの作品を出していきたいなと漠然とした考えはあります。 そういう過ごし方をしていても、やはり会社やお金、あと親の罵声を思い出してしまいます。 そういう時もどのように落ち着いたらよろしいでしょうか? 分かりづらい、回答に悩むような質問ですみません。 回答宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 13
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ただ無為に生きている

わたしは26歳女で会社員をしています。 恋人もおり、収入もそれなりにあり、身体に大きな問題もなく、生きています。 ですが、自分自身生きることにあまり意味を見いだせておらず、積極的に「生きたい」と思えません。 かといって積極的に死にたいわけではなく、「痛みを伴わずに死ねるなら死にたい」くらいの気持ちしかありません。 多くの人間が当たり前に願う「長生きしたい」「子孫を残したい」などに共感できず、ただ死ぬのは痛いから惰性で生きています。 かつては家族に対して不誠実な行いをした父親に対する怒りや、恵まれた環境に生きる人への反骨精神のようなもので精力持って生きていたのですが、いまはもう、父親とはほぼ縁を切りそこそこの学歴と職を得て、そういった負の原動力も消えました。 今生きているのは惰性です。 恋人のことも、抱きしめたときの温かさに心地よさや愛しさこそ感じますが、それが「だから長生きして一緒にいたい」とつながりません。 あたたかくて、いまこの瞬間の心地よさに包まれて目を閉じて眠り落ちて朽ちたい、そう思ってしまいます。 わたしはなぜ、こんなにも空っぽのまま生きているのでしょうか。どうしたら、活力が生まれ、生きることに向き合い丁寧になれるのでしょうか。

有り難し有り難し 15
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