こんにちは。 初めて、質問させて頂きます。 私は一人暮らしの学生の者です。 昨日、愛していたハリネズミが旅立ちました。 その子を飼い始めたのは1年弱前からで、当時はまだ2歳でした。 それから一人暮らしの私のお家に来てくれて、たくさん私を癒してくれました。その子は臆病でしたので、触ると針を立てて威嚇しましたが、頑張ってお風呂にも入れてあげました。 最近は就活や学校の事で忙しい事もあり、ゲージ内をあまり掃除してあげられなかったり、お水を変えてあげなかった事もあります。 そして、昨日、とても体調が悪くなり、餌も食べられなかったので、手元で動物用ミルクを与えてあげました。辛そうですが、頑張って力を振り絞って飲んでくれました。 その後、通っているのが県外の大学で、午後は大学に行かなくてはなりませんでした。その間にあの子は死んでしまったのです。苦しんで死んでいったのかと思うと、あの子がとても可哀想になりました。 そうした、飼い主としてはあってはならないことをしてしまい、あの子が幸せに生きてくれたのか、もっと生きてたかったのだろうと、いうことを考えますと、とても罪悪感と後悔に苛まれ、涙が止まりません。 私はあの子にきっと恨まれているのでしょうか。 あの子に許して欲しいです。 幸せにしてあげられなかった後悔と罪悪感をどうすれば良いのでしょうか。 よろしくお願い致します。
ペットの犬を殺してしまいました 迎えて1週間ほどしか経っていませんでした。 その子のことは諸事情あり迎える1年ほど前からずっと可愛がっていました。 いざ家に迎え、その子のことは本当に大好きでした。とても可愛くて、迎えるまえからずっとなにを買ってあげようかどこに行こうか、どんな新しい世界を見せてあげようかずっと考えていました。 しかし、なかなかご飯を食べないことに腹が立ち、呼んでも来なかったりしてイライラしてしまいました。イライラを犬にぶつけてはいけないと思いながらも我慢できず、首元を掴んで持ち上げ床に投げてしまいました ぐったり横たわってしまい、我に返り抱き抱えすぐに病院へ連れていきましたが、心臓に作用する促進剤も効かず、どんどん鼓動と呼吸が弱まり息絶えてしまいました。 レントゲンを見せていただき、頚椎を脱臼して死んでしまったと説明を受けました。 獣医の方に本当のことが言えず、テーブルに乗ったのを降ろそうとして手が滑ったと嘘をついてしまいました。 殺意があった訳ではありません。イライラを、ちいさな生き物にぶつけてしまった結果です。 本当に愛していました。うちにきてくれてとても嬉しく思っていました。 時既に遅くなってから泣き悔やみ、なんどもあやまり、もう二度とおなじようなことはしないとその子に誓い、火葬してもらいお骨を持って帰ってきました。 自分がしたことがあまりにも最低すぎて、悔やみきれません。 今は少し落ち着き、その子の死にもう二度としないと誓い、その子を心の中で生かしてあげようと、前を向くつもりです。 私の一時の感情で死んでしまった子は、受け入れてくれるでしょうか。どうしたら、安らかに眠ってもらえるでしょうか。 自分のした罪は絶対に消えません。この罪を消そうなど思いません。背負って、反省し、今後に生かしていきたいとおもっています。 どうか、私のせいで命を落とした子が、私を恨んでも文句はいえません、ただ、安らかに眠って欲しいという願いでおります。
死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。
よろしくおねがいします。 誤食で病院に連れていったところ、全身麻酔で内視鏡を使うしかないと言われ、軽い気持ちでお願いしました。 が、数時間後には麻酔から覚めることなく死んでしまいました。 病院の説明では、原因はわからないが心臓が弱かったのかも、だけでした。 死んでしまったのは運命だから仕方し、獣医さんもよかれと処置した結果だし、生き返る事はないので受け入れないといけないのはわかっています。 しかし人的ミスの可能性は言わない、麻酔リスク説明なし、こんな事は今までなかった等、言い訳ばかりで、謝罪のことばも口先だけのように思ってしまいます。 麻酔のミスとは決して言いませんでしたが、私はそれとしか思えません。 動揺していてうまくこちらの気持ちを話せなかった事に後悔し、10万近くの請求を払いなんで払ってしまったのかと。 火葬に数万円かかり、エサやペットシーツ等をちょうと大量に買い足したばかりでこちらも数万円の出費があり、お金に関して損したという卑しい自分もいます。 納得できない病院の対応、死んでしまった事実、訴えて世間に言いふらしたい本心、許さなくてはという建前の間でどう心に折り合いをつけたら良いのでしょうか。
20年近く一緒に住んでいる高齢犬がいます。その子の死がとても怖いです。 目も耳も悪くなり、横になって寝ていることが多く、撫でてあげたりしていると、その子の死が怖くて涙が出ます。離れるのがとても辛いです。 私が若かった頃は、遊びに出ていくばかりでなかなかゆっくり可愛がることも出来ず、凶暴な犬のため、小型犬ですが手をあげることもよくありました。そのことをとても後悔しています。 なんであの時たくさん可愛がらなかったのか。たくさん動けなくなった今になって、たくさん撫でてあげてももう遅い。今まで夜遅くまで一人にしてたことも、手を出したことも、記憶力の良い愛犬は忘れてなんかないと思います。 まだ死んでもないのに、先のことを思うのはその子にも失礼なのに、いつかは離れてしまうことを考えると辛くて辛くてたまりません。その時は私も一緒にいなくなりたいと、本気で思います。幼少期から一緒にいた子が居なくなる恐怖と不安。生きる希望が無くなってしまいそうです。
こんにちは。 初めての相談です。 私の母は一人暮らしで、17歳の猫を飼っていましたが今年の初めのほうに自宅で突然死しました。 猫は発見までの数日寒い中空腹に耐え元気でいてくれました。 私には重度の猫アレルギーの子がいて、引き取ることはできませんでした。 里親も考えましたが17歳のため見つかりにくいことが予想されましたし、「猫は家につく」というので、住み慣れた母のにおいが残る家で生活させ、私が毎日通って世話をすることに決めました。 春夏秋と高齢のため寝て過ごす時間が長いですがマイペースに過ごしたようです。 しかし晩秋になり食事量が極端に減ってきました。 寒さのせいかもとおもい、タイマーで部屋を暖めたり、湯たんぽを複数用意したり、毛布を増やしたり、食事をお気に入りの部屋に移動させたりもしましたが、10日ほどで母の迎えがきたようで、ある日いつものように訪問すると固くなっていました。 寒さが強くなってきていたのでペット用のカーペットを選んだり、こたつを買おうかと調べている矢先でした。 亡くなったことについては高齢ですし、本格的に寒くなる前に母が迎えにきてくれ、もう寒い思いをしなくてもいいのだと思っています。 しかしエアコンがタイマーだったので寒い中で我慢して旅立ったのか、誰もいない暗い部屋で旅立ったのかと悔やんでなりません。 もっと暖かい部屋でせめて母を待たせてやればよかった。 それよりずっと人がいるような里親を探してやればよかったのじゃないか。 そんなことをぐるぐる考えています。 私が夫の実家に帰省するときは2回ペットシッターさんにお願いしましたが、「里親を探さず、お母さんの思い出のある慣れた部屋で気ままに過ごすほうがいい」と言われ、自分の決断にその時は納得していました。 しかし今となれば、もっと環境的にも気持ち的にも暖かく見送ってやれたのじゃないかと思うのです。 そして私は猫が亡くなってから気が回らず、すぐに葬儀の予約をし、遺体を安置させてしまいました。 あとになり、体を拭いてやればよかった、ブラッシングしてやればよかったとおもっても遅かった。 そのことも悔やんでいます。 猫は葬儀・火葬後家の近くの霊園で眠る予定です。 どうしたらあの子と私は救われますか? よろしくお願いいたします。
2020年の1月4日(土)に最愛の父が亡くなりました。死因は肺癌の治療での免疫力低下に伴う細菌性肺炎でした。何ヶ月も前から癌の治療はしていて、体調も良い日が続いて一時は退院したのですが、年末前に急に肺炎を起こし、そこからはひたすら悪化の道を辿り、当日は看護師の方も予想できないくらい急に亡くなってしまいました。そのため家族は誰一人として付き添ってあげられませんでした。父は12月28(土)に還暦を迎えたばかりで、そこから丁度一週間後の出来事でした。 そして、丁度今から1時間半ほど前に愛犬が亡くなりました。父の死から1週間が経った1月11日(土)に急に呼吸が苦しそな姿を見せ始め、様子を見て悪化するようだったら病院に連れて行こうと思っていたところ、今日の深夜になって急変してしまい、先ほどそのまま息を引き取りました。愛犬も1月5日に10歳を迎えたばかりでした。 父も愛犬も節目の年齢を迎えてから10日もしないうちに亡くなってしまい、さらにその期間がほぼ1週間ということ。愛犬は腰が悪くて寝たきり生活ではあったものの、1月10日(金)まではいつも通り元気に吠えて食事も排便もしていたのに、丁度父の死から1週間が経った日に体調不良になったこと。この立て続けに起きた不幸はただの偶然なのでしょうか?強い疑いがあるわけではないのですが、あまりにもタイミングが悪すぎたので、もやっとした思いがあります。 そして、先ほど愛犬が亡くなった際に母が「あの段ボールの服捨てなきゃ。あれが届いてから2人も亡くなった。」と言っていたことも引っかかりました。この「段ボールの服」とは、5~6年ほど前に亡くなった父の叔母の旦那さんの所有物であった未使用の洋服のことで、父が年末前の肺炎で2度目の入院をした後すぐの時に叔母から「誰も使わないし捨てるのも勿体無いので是非使ってください」と父宛に送られてきたものです。母はこの「(血の繋がっていない)故人の私物」が不幸の元になっているというのですが、そういうことは起こり得るんでしょうか? また、元旦に私が父の代わりに仏壇や仏様の掃除をしたのですが、その過程で何か罰当たりなことをして、それが原因になってしまったということはあるでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。
以前にもこちらに質問をした者です。 熱中症で愛犬を亡くしました。 私の不注意と慣れた頃の油断で起きたことでした。 亡くなってから毎日お線香と餌、おやつを供えて手を合わせ、話かけています。先日初七日を迎えました。ベルのことを考えたり生きていたときに撮った動画を見返していると、自分以外に誰もいないはずなのに、物音が聞こえます。 ベルが近くにいるのでしょうか? まだ亡くなって間もないですが、今まで家族の一員だったベルがいないと、やはり寂しくその存在は大きかったと日々感じます。 たまたまペットショップの前を通り過ぎたときに、ベルと同じ毛色の子犬がいました。思わず近寄り、抱っこしてしまったのです。懐かしさと、またペットを飼いたいと思ってしまいました。 亡くなったベルはどう思うでしょうか。 私の不注意でベルは亡くなりました。もっと気をつけていれば、ベルは亡くならずに済んだのに。また動物を飼う資格はありますか。
10日前、愛犬が急死しました ちょうどこちらで別の質問をした直後でした 持病もなく、まだ若く、病院でも原因不明でした 前回の質問の際、私は自己中心的な考えで家族がいなくなれば…と、最低な考えをしていました ペットは純粋で気の変化を感じやすいと聞くので、私の悪い感情が愛犬に移ってしまったのでしょうか 愛犬の死は私が招いた因果でしょうか 私の悪行が私ではなく、私の大切な存在に行ってしまうことはありますか 毎日、遺骨の前で謝り、冥福を祈っていますが、それ以外に出来ることはあるのでしょうか 自分が最低すぎて、生きるのが辛いです
先日祖父が亡くなりました。そして祖父が亡くなった2日後愛犬も亡くなりました。 祖父は施設に入っていて、コロナ禍ですので本当に危ない状況になって連絡があり、家族で会いに行き、その2時間後に亡くなりました。94歳で大往生だと思っています。しかし、愛犬の死については少し引っかかってしまいます。 愛犬は祖父が亡くなる前日、自宅の2階のベランダから落ちて入院しました。毎朝ベランダに出るのが日課で、その日もいつもの様に母がベランダに出ていましたが、目も見えなくなりまだ朝は暗いのでこのような事故が起きたのかと思います。骨は折れませんでしたが下半身は麻痺していて、命はありましたが介護が必須になりました。お見舞いに行きましたが本当に苦しそうでした。そして祖父のお通夜の日の朝に亡くなったと連絡がありました。その日は友引でしたので、祖父が寂しくないように一緒に連れていってくれたのかなと思います。愛犬も洋犬で16歳まで生きたので大往生だと思っています。このまま命があっても自由に動けず昼間も1人で留守番なので愛犬のためなら、生前とても可愛がってくれた祖父と一緒に逝くのは幸せなのかなと前向きに考えています。 しかし、母が自分のせいてこうなってしまったと責めているところもあります。愛犬も恨んでると不安に思っているところがあります。兄もショックを受けていて、生きている意味が無いと受け入れられてない状況です。私も一気に大切な存在を亡くし、頭が混乱しています。 愛犬が恨んでいるのか、感謝してるいるのかそんなことは愛犬にしか分かりません。ですが、どうしても気になってしまいます。あの事故がなければ生きてたのかなと思ってしまいますし、これも運命、寿命だったとも思っています。今はこの気持ちの波が激しいです。 愛犬は恨みながら、まだ生きたかっと思って亡くなったのでしょうか。幸せだったと感謝してくれているのでしょうか。祖父の死と続いてしまいとても憔悴しています…。何かこの死の連続も意味があるのでしょうか。上手くまとまらず申し訳ありません。お助け下さい。
昨日、愛猫が病気で亡くなりました。 まだ1歳にも満たない、瞳の綺麗な子猫でした。 実は、この子の前にも、猫を飼っていたのですが、その猫も1歳になる前に、同じ病で亡くなっています。 現代獣医学では治らない、なぜ発症するのかも分からない病気でした。 発症した猫のほどんどが、苦しみ抜いて死んでいきます。 うちの猫たちも、最後まで苦しんで、なぜ苦しいのかも分からずに、死んでいきました。 しかし、その病気の発症率は10%未満だそうです。 どうして、うちの子たち、二匹ともが、そんな酷く辛い思いをした挙句に、死ななければならなかったのでしょうか?
先日、愛犬を自宅で家族と看取りました。 13歳の小さなかわいい子、うーたんといいます。 土曜日に異変を感じ、その後容態が急変し、月曜日の朝に息を引き取りました。 脳腫瘍でした。 土曜日曜と連日で病院に行ったものの、病名の候補をいくつか告げられ、はっきりとした診断はありませんでした。つらい検査だけで、大変なストレスだったことと思います。ふらふらする足元で階段から踏みはずすこともありました。自分のせいで、死期を早めてしまったに違いありません。 あのとき病院に行かなければ、あのときゆっくり寝せておけば、、あのときちゃんと見ていれば、、あのとき獣医さんが、、あのとき、、あのとき、、と後悔と懺悔ばかりです。 私に出会わなければもっと幸せだったのではないだろうかと、出会ったことさえも否定してしまいます。 小さな命をまもることを心に、これまで大切に大切に育ててきましたが、最後の最後で取り返しのつかない、命にかかわる過ちをおかしました。 あんなに優しくて愛のかたまりだった子が、なぜあんなに急に苦しい死となってしまったか。 自分のせいで。自分が性急に病院に行ったりしたから。あんなに病院が嫌いな子だったのに。もっと冷静にうーたんの気持ちだけを考えて行動したらよかった。 悪夢のように土日のことが繰り返し繰り返しループし、自分の人生があの2日間だけになったようです。このループが、脳腫瘍による旋回の症状と重なります。 悲しみを癒すとか乗り越えるなんて、そんなおこがましいことは考えていません。 うーたんにとって一番よいことを教えていただけますでしょうか。 お話を聞いてくださってありがとうございます。
あえてタイトルは過激なものにしました (勿論こんなことはしたことはありませんし、するつもりもありません) たとえ話として お寺の壁に 糞尿・ペンキ・動物の血などをかけたりして汚した場合 元の白い壁に修復するのは難しいのでしょうか? なんでこんな質問をしたかというと 大分県中津市に合元寺と言うお寺があることを知ったからです 大河ドラマの主人公にもなった軍師官兵衛ですが、豊臣秀吉から豊前国に領土を与えられ、その土地に元々いた宇都宮鎮房は秀吉の伊予国への転封命令を拒んで、黒田軍と合戦になります。後に宇都宮家は黒田家の重臣となる条件で降伏・和睦しますが最終的には中津城内に呼び寄せられて謀殺されます。 合元寺で待機していた宇都宮家臣にも討手が向かい不意をつかれた家臣たちは皆討ち死にしたそうですが、返り血を浴びた壁は、何度塗り替えても血痕が浮き出てしまうため、寺の壁を赤塗りにしたそうです。 普通に考えたら、お寺の壁を何らかの手段で汚したり、落書きをしたとしても 白く塗り直せば痕跡は残らないと思うのですが、合元寺の場合はそうではなかったから赤塗りにしたようですが、これは怨恨、怨霊などが実在すると考えるべきなのでしょうか? 例えば病院の手術室の壁が手術着が青や緑になっていたりするのは、 赤い血を長時間見て、他のものを見ると赤の補色である青緑が視覚上に残像として残るためであり生理学的根拠があるのですが、 一度血で汚れた寺の壁を赤く塗らなければならない根拠はないように思えます。 このほかにも 世界では ティムールやツタンカーメンの墓をあばいた人が次々と不幸に見舞われたとか、 日本では将門塚を撤去しようとしたGHQ関係者が事故死したとか そのような話はいろいろあるのですが、 科学では説明できない現象や怨霊は存在すると考えるのが妥当でしょうか?
高校生です 朝起きたりニュースなどで人が亡くなったということを見たときに、死に対する恐怖感や不安感に襲われます。 人が生きる年齢を100歳だとしたときに親はもう50歳で人生の半分が終わっていて、自分は今までの事を6回ほどしたら死んでしまうということを考えてしまい恐怖や不安に耐えれなくなります。 今の生活を失うのが怖く死後の世界があれば今までの生活をできるのか、また死後の世界でも寿命があるのかを考えてしまい何もできなくなってしまいます。 自分は今までコンビニのガムや親のお金を盗んだりしてしまっていて、自分が死んだときに親は迎えに来てくれるのかと考えてしまい、もしかしたら誰も迎えに来ずそのまま地獄に行ってしまうんじゃないかと怖くなります。 自分は学校も行かず外に出るのもいつの日からかストレスになってしまい、親が亡くなったあと一人で生きていけるのか考えて怖くなります。 死後の世界がなければどうなってしまうのか、死ぬときは痛いのかなど考えてしまい吐きそうになります。 自分は今の親と兄とペットがいる生活がとても嬉しいです、でも年齢を考えたら自分が最後まで残って一人ぼっちになるのが怖いです、死後の世界で同じ生活がしたいと考えたときに少し嫌な気持ちに近いような感情が出てきてしまい、自分は親の事や今の生活を本当は嬉しく思っていなんじゃないかと不安になってしまいました 自分が家族や今の生活のことをどう考えているのかわからなくなってしまいました。 死後の世界があるのかなど知りたいです。 うまく言葉にできているか分かりませんがアドバイスをいただければと思います。
24歳です。16の時に約16mの崖から飛び降り、半身麻痺で生き残りました。 その時もうつ病で、飛び降りる直前からの記憶ははっきりと残っています。 当時は「死ななきゃ」と思っていました。 鬱病で学校にも行けず。片親で母親からは死ねばいいと言われ、弟にもこんな姿を見せ続けるのは恥ずかしい。 飛び降りる直前、下を眺めて足がすくみ下を眺めていたら、背後から待って!と見知らぬ方に叫ばれました。 その時に、「早く飛び降りなきゃ」と思って飛び降りたんです。 その方が通報して下さって治療が早かった為か助かりました。 それから、怪我の治療に半年以上入院して、精神科病棟にも半年程入院、その間に私のために行動してくださった方が沢山いて。 頑張って生きようと、行政を介して親の元を離れ一人暮らしをして、就職をし、1年半会社に務めましたが、直属の上司に警察沙汰に発展するストーカー行為をされ、その上司は懲戒解雇となりましたが、それ以降メンタルを崩し、退職。 3ヶ月後にペットショップにてバイトをしておりましたが、 あまりのワンオペや、数日の休み(店長指示)明けに行くと、世話を放棄された動物が大量死、その処理はバイトの私任せ。休みの日も自分が世話をしに行くしかなくて。動物が大好きな私は耐え難かった。 果てには、出張(イベント出店)先で初めてお会いした他店舗の社長に会う前から嫌われており、店舗の方全員に丸3日虐められ、挙句には飲みの席で薬物を勧められた為、バイトを辞めました。 その後、生活保護を受けてただベッドの上で天井を眺めている毎日。 私は、もう頑張れない。頑張りたくない。気力が本当になくて。もう生きていたくないし、血税で生かされていたくもない。あの飛び降りた日、雲一つない青空を見て決意したあの日から、死にたいと言う強い気持ちは何も変わってない。変われなかった。 でもこんな私のことを心から想ってくれている友人達がいて。 1人は、元夫を自死で亡くしており、もう1人も、友人を自死で亡くしていると。 他にも想ってくれている方がいる。でも特にその友人達に、辛い思いをさせたくはない。 でもそれで生きられる程強くないんです。もうつかれたんです。もう、生きていたくない。 許されないでしょうか、死を、死を自ら選ぶことを。 許して欲しいです。生きるのを辞めることを。
長い相談で申し訳ありません。 父が昨年の年末に亡くなりました。 父は可愛がっていた犬が亡くなり、その後ペットロスが酷くなり、鬱になりました。 また、鬱のため、弱った足腰を急に使った為に、腰骨を折り、身動きできなくなり、趣味だった射撃も鬱になってからは減りましたが、全くできなくなりそのまま亡くなりました。 私は犬が亡くなってからすぐに妊娠し、出産し、また、子供は産まれてすぐ入院し、病気が見つかった為、実家の問題には全然無関心でした。 子供の身体が元気になって、心に余裕ができたときに父の病気が酷くなっている事を知り、父が鬱で辛い時、話ができる時だけ電話で話をするようになりました。 しかし、鬱の人とお話するのはとても大変で、突き放すような事も言ったこともありました。 父は家で母と姉と暮らしていましたが、父の性格が子供のように我が儘で自分勝手なところがあり、そのせいで最後まで鬱病に関して理解をえられることがありませんでした。 そのことにとても苦しんでいました。 父はそれでもとても頑張り屋で、自殺はせず亡くなりました。 父が亡くなってみて、父の存在の大きさを痛感し、後悔が拭えません。 今になって、買っていた鬱病の本を読み初めて、こうしていればもっと父の気持ちを楽にすることができたかも、とか。 また、心理学の本を読んだとき、私は父を助けると言って、ただ、救世主気取りになり、家族の「特別な存在」になりたかっただけなのだと理解しました。 父は電話代が高くなるから…と言って、電話をかけてることが減っていました。 もしかしたら、私が中途半端に父を助けたいと思ったことで、父に酷いことを言っていたと思っています…というか自覚しております。 今ごろ気づいても仕方ないのですし、自分を責めても仕方ないにせよ、それでも自分を追い込んでしまいます。 父は最後まで鬱で、死ぬときは辛くなかったのでしょうか? 最後は幸せだったのでしょうか? 死んで楽になったのでしょうか? どう父の最後を受けとめていけばいいのでしょうか? 思いのまま書いてしまった為に、まとめきれずに申し訳ありません。
2年前3頭飼っていた犬の1頭(次男坊)を突然亡くなり、昨年も1頭(長男)を病気で亡くなりました。 長男の子は看取る事が出来たのですが、次男坊は看取る事が出来ず、朝も普通に食事を摂っていたので病院で亡くなっている姿を見た時も今も受け入れらていません。 亡くなる数日前から変な咳をしていた事に気付いていながら、病院にすぐに連れて行けなかった事、亡くなる前日に病院に行ったにも関わらず、検査を先延ばししてしまった事が悔やまれてなりません。亡くなるまで苦しかったに違いありません。 私は専業主婦で貯金もありません。夫には犬の病院代をお願いすると嫌味を言われるか一万円だけ渡されるかのどちらかで、咳に気づいた時も言えませんでした。 やっとの思いで言った時も一万円渡されただけで、亡くなる前の日に検査もしてあげられませんでした。 私の連れ子なので、お金を出すのを嫌がられても仕方がないのかもしれません。私が貯金もないのもいけなかったのだと思っています。 でも未だに自分への怒りと夫への怒りと次男坊への「ごめんね」しかなく、もしかしたら助けてあげられたのではないかという気持ちが2年経っても消えません。 私が殺してしまったのと同じなのですが、次男坊はちゃんと虹の橋の袂に迷う事なく行けたのでしょうか?どうして助けてくれなかったの?と思っているでしょうか? 看取ってくれたのは病院の先生だけだったので、怖かったり寂しかったりしなかったでしょうか。 私があの世に行く時、また再会出来ますか?
初めまして。よろしくお願いします。 先週、野良猫が4匹子猫を連れて、向かいの家の車の下にきました。 数日後、車に乗る際、もしかしたらこちらにも来ているかもしれないと思い、自分の車の下を見てから車を発進させたところ、どこかに隠れていたのか一匹の子猫を轢いてしまいました。ビックリして車の外に出ると、少しの間もがき苦しんだ後、亡くなってしまいました。私は子供達に見せないよう、タオルで身体を包み、段ボール箱に入れて、区に引き取りにきてもらいました。 同時に、向かいの家の車の側に一匹置き去りにされ、じっとうずくまっていた子猫を、すぐに保護しました。 またうちの車庫に来ていたら怖いのと、殺してしまった兄弟猫への罪滅ぼしの気持ちもありました。 そのまま動物病院へ連れて行くと、呼吸が荒く、おそらく肺炎を起こしている、もしかしたらこのまま亡くなってしまうかもと言われ 抗生剤の注射を打ってもらい、あとはこの子の体力と運次第だと言われました。 それから最初の2日は苦しそうに呼吸しながらほとんど寝ていました。少しずつ小さなシリンダーでミルクを飲ませ、3日目にはウェットフードを食べてくれるようになりました。 これで峠は越えたのかもともう一度動物病院に連れて行くと、少し良くなったがまだ急変の恐れがあると言われました。そんな事は起こらないで欲しいと願いました。 最初は一時的に保護し元気になったら猫を飼いたがっている義母にお譲りしようと思いましたが、4歳の娘が大変可愛がり私も愛情がわき、家族として迎えようと名前も決め、用具を揃えた矢先、昨日突然亡くなりました。うちにきてから一週間。私の誕生日でした… 午前中は歩けていたのに午後には立てなくなり、全身が脱力し下顎呼吸をしていました。 タオルでくるんで身体をさすりながら、ずっと抱っこしていました。時折小さく痙攣し、苦しそうに鳴き、もうこの子は助からないとわかりました。 子供達に食事を用意しようと、一瞬毛布の上に寝かせたら一声鳴き、ここにいるよ!と返事をしましたが亡くなっていました。 本日業者に合同火葬にて引き取ってもらいましたが、今も涙が止まりません。殺してしまった子は区の回収なので恐らく埋葬されず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 娘にはお空にいってお星様になったんだよと話し、二人で泣きました。 忘れることのない誕生日になりました。
以前質問させて頂いた老猫が今朝旅立ちました。 日曜日から今日の臨終の時まで馬鹿みたいに泣きました。 ですが、今は恐ろしく冷静です。 愛猫が亡くなった事を知った方から連絡がきたり、お世話になった動物病院の先日に連絡したりすると気持ちが溢れるのですが、それ以外は冷静なんです。 愛猫が飲まず喰わずでいた時は、私だけ食べるのが申し訳ない、可哀想だと言う気持ちが強く食べれなかったのが、亡くなった今日は食べたい欲が急に出てきて…罪悪感を感じながら食べてしまいました。 確かに20年一緒に生きてきたあの子を愛していたはずなのに何故こうも冷静なのか。 友人などが愛猫の事を泣きながら悲しんでくれるのを見ると本当におかしな話ですがもらい泣きしているような感覚です。 悲しい気持ちはあるのに涙も出ない自分に、数時間しかたっていないのにこんな質問が出来る自分に、どこか他人事のような自分にとまどっています。 私はやはり悲しんでる自分に酔っているだけなのでしょうか…?
ペットロスから老い、病い、死について延々と考えてしまう時間が長くなっています。 こちらでいただいた回答を読み返し、少しずつ考えが変わってきたような気もするのですが、死ぬまでの過程で病や老いも避けられないと思いまた怖くなってきてしまいました。 (若くして事故なんかで死ぬのは絶対嫌です…) テレビを見ていても医療保険のCMでウッとなってしまうのですが、そこで疑問が浮かびました。 保険に入っている人はたくさんいますが、全員使っていたら商売が成り立たないのでは? もしかして別にそんなに病気で苦しまずまあ寿命といった形で亡くなる方もそこそこいるのではないかと思いました。 お坊さんは色々な方の死に触れていると思いますが、高齢、そんなにひどい病気でもなく割と明るいお葬式だったみたいなパターンもあるのでしょうか? 高齢で亡くなるとそこまで悲しみに暮れず和やかだったというような話も聞くのですが、身近でそういった例がありません。 そんなに病み苦しむこともなく天寿を全うされたような方の死は珍しいのでしょうか?