浄土真宗の生き方について
お世話になっています。
最近、結構普通に使っていたのですが、気になる言葉を見つけました。それは「自力」と「他力」です。
僕は、この二つは捉え方の問題ではないかと思いました。
まず、大前提として宇宙は縁という繋がりがあり、主体的な実体はありませんよね。つまり、例え歩くという行為ですら、「歩かせてもらっている」わけです。このように考えるのが他力です。
一方の自力は、「自分が悟った」「俺が努力した結果だ」などと、全てが自分の力でやっていると思っている人達なのではないかと考えています。つまり、大前提に「自己中心性」があるわけです。
悟った→自力
悟らせてもらった→他力
生きている→自力
生かされている→他力
もう1つ、観点を変えた考え方として、他力=あるがまま、自力=思うがまま(自我意識)があるとします。
こういった解釈はどうなんでしょうか?
これは少し極論かもしれませんが、仮に地獄という苦しい所にいるとします。
そこから脱出しようとするのが、自力です。あるがままの状態なんだから脱出する必要はないと考えて脱出しないのが、他力です。
そうなると、他力の生き方は人間のはからいが一切なく、どうしようもない気がします。生きる上ではやはり自力のはからいも重要だと思うのです。
それとも、自力や他力という言葉にあまりこだわらない方がいいんでしょうか?
有り難し 10
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