日本では誰かが亡くなってしまうとお葬式が行われますよね?お葬式をすると仏様の弟子になるんですよね?仏様の弟子は地獄に落ちないのにどうして日本人は大体の人が地獄に落ちると言われているのですか?まず地獄に落ちる人はいないのでは?
すみません。もう想像が全然消えなくて相談させて下さい。 最近、昔した悪いことを沢山思い出しました。小学校の時に借りた本を返せなかったこと、露店でメロンをお店の人が間違えて二個も渡したのに黙っていたこと、観光地で恐らく100円を拾って自分のにしたこと、中学生か高校生頃恐らく7年ほど前、近所で1万円を拾ったのに自分のものにしたこと、試食を多めにとったこと…多分これからまだまだ出てきます。全部謝れなきゃ死後に罰が下るんじゃないかって怖いんです。 もちろん、これは私の1つの想像です。誰から聞いた訳でも皆さんがそんなこと言っている訳でもないことは理解してます。でも、死後のことは誰にもわからないのでもし、もしあればって怖いんです。今、謝る努力をしなくてとても後悔したらどうしようって。凄い罰でずっと苦しんだらって。 家族には死後のことはわからないんだから考えても仕方ない。それなら皆罰を受けることになるよって言われました。でもわからないからこの想像があってるかもって思ってしまって、皆が罰を受けるのも嫌で怖いんです。 皆だったら怖くないかもしれないって自分を慰めたりしたんですが、いや個室かもしれないずっと1人かもって怖くなります。 友達の連絡先は必死に探してます。でも中学校が違うこともありなかなか見つけられません。露店も同じお祭りにいったり、イベントを実施した場所に連絡して探すべきではと思ったりします。何年も前なので確かな情報はありませんが。試食は手紙を出そうと思ってます。拾ったお金は今からでも郵送したり近所の交番に行ったりして返しにいくべきかと思っています。 上記の行動は多分普通の人よりオーバーな行動だってわかってます。でも死後の罰が怖いんです。すごく痛くて謝れなくて後悔したらって。 反省は何度も何度もしてます。もうしないって誓いたいんですが、もし忘れたらって思う自分もいて誓えてないです。 家族は全然死後の罰なんて心配してなくて、自分もしたことあるよと明るく言ってきます。でも、私はそんなあったらあった時なんてなかなか思えなくて。吐き気が止まらないです。ずっと吐き気がします。心配で吐き気が止まりません。 全部謝って回るべきですか。皆さんも謝れなかったことありますか。死後の罰が心配になりませんか。怖いのと吐き気でおかしくなりそうです。自分が大罪人に思えてきました。罰が怖いです。助けて。
まず素朴な疑問のうえ、お坊さんの限りある時間と質問を増やしてしまい頭が下がります。 死後の行き先は生前の「行い」によって左右されるというのは勿論ですが、 こちらのサイトでもいろいろ知恵を授かっている内に、 死後の「裁判」は良い悪いの数直線上では計れないところもあると感じています。 たとえば、ある人は日本に住んでいて、 まったく仏教に触れていなかったとしたら? ある人は仏教に触れて、 仏教の「表面上の」知識は身に付けて、 それでもなお多かれ少なかれの悪い行いをして… 後者は私ですが、少なくとも「知っていて尚悪いことをする」のと、 知らずに悪いことをしたのとは、やはり裁判の天秤の重さに違いがあるのでは?と思いました。 「弥勒菩薩は兜率天に住み…」 「虚言はいけない」 「丸々寺は誰々により開かれ」 「般若心経」 「お寺や神社の真ん中を歩いちゃ駄目。」 「蚊を殺しただけで地獄」 「獄卒が火であぶる。」 私はこのような「情報」を得て、我を顧みることもなく過ごしています。 ただ蚊は殺めません。 仏教で守るべき掟も、出家された方にとっては、いままでとはより厳しくなると思います。 まず、 出家された僧たちにある戒律は、破ったときにのちの自分に降りかかるのでしょうか? それとも守ることで人のため、世界が良くなるべきの「願い」の要素がありますか? また、「在家」まではいかないが仏教を信仰する私として、 表面上の仏教を(インターネットで閲覧できる限りの知識を)覚えるごとに 死後の裁判の「ものさし」が厳しくなるということはあるのでしょうか。 おなじく、お坊さんとも一般人とも、仏教の知識が死後の「ハンデ」とはならないでしょうか?
家族みんなで可愛がっていたハムスターが亡くなりました。かなりの高齢で、家族みんなに見守られながらの大往生でした。 最期まで、家族みんなで介護をさせて頂けたので悔いはありません。 小学生の子どもも、「たくさん幸せにしてくれてありがとう」と語りかけていました。 しかし、亡くなったその日に 「ハムスターって死んだら天国に行けるんだよね?」 「ひいおばあちゃんとかみたいに、見守ってくれてるのかな?」 と、子どもに質問されました。 私は咄嗟に 「ちゃんと天国に行けるよ。見守ってくれると思うよ。」 と答えてしまいましたが、よくよく調べたら、動物は畜生道に行くとのことで、どのように子どもに話したら良いか分からなくなってしまいました。 (極楽浄土と天国がほぼ同義になってしまっている点も、私の認識不足と子どもへの伝え方が悪く、申し訳ございません。) 子ども自身の精神的ダメージも大きく、子どもにも分かりやすく、かつ柔らかい言い回しがないか模索しておりますが、なかなか思いつかず苦慮しております。 同時に、悔いがないとはいえ、ハムスターがちゃんと安らかなところで眠れているのか心配です。 まだ日が浅く、取り留めのない文章になってしまい申し訳ございません。 どのように捉え、どのように子どもに説明すべきなのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。
夫と二児を持つ者です。詳細はプロフィールに書かせて頂きましたが、独身時代の過ちに苦しみ続けています。 結婚を機に転職して連絡を絶ちましたが、半年程前からあることをきっかけに「相手の奥様が今になり不倫を知り、私のことを調べているのでは?」と不安に駆られるようになりました。 怯える日々を過ごした末 先日ついに相手と話し、過去のやりとり等を消すよう頼むという情けない行動を取りました。 その際、「今も好き」等と言われ、あろうことか「私も忘れていない」等と口走ってしまいました。 毎日思い出しているのは本当です。ただ、決して恋しいからではなく、一日の間に何度も後悔に苛まれて思い出しているというのが実際です。それなのに… 書き起こすとゾッとしますが、このようなことを言った心情を振り返り白状しますと、 久しぶりに彼と話し、当時の自分が顔を出してしまいました。相手を喜ばせ気を引くような言い方をしてしまいました。 また、奥様に見つかり訴訟を起こされたりしないよう守ってほしいという思いもありました。 もう、自分が醜くて吐きそうです。 夫とは学生時代から付き合っており、当時は遠距離でした。こんな私を一途に想ってくれる、優しく真面目な人です。 大好きです。何があっても傍に居させてほしいです。 夫と子供達を失うかもしれないと思うと耐えられず、それを防ぎたいと足掻いた結果、今回の見苦しい行動(不倫相手と話す)に至りました。 過去に夫や相手の奥様に酷いことをした上、この度の対話でも毅然とできず家族を裏切った自分が信じられず、呆然としています。 毎日起きている間中、過去を含め一連のことを思い出し、罪悪感で苦しくて動悸がします。夫や子供達と居ても、心の奥は後悔でいっぱいで、上の空の状態です。 こんな汚い私は、地獄に行くでしょうか。 もし生きている間は一緒に居られても、死後はもう夫や家族の元にはいけないでしょうか? 罪を償える可能性は、もう残されていないでしょうか? また、因果応報と言いますが、私の行いの報いが家族に行ってしまうこと等はないでしょうか?親の悪行の報いが子に行くことがあると何かで聞いたことがあり…おかしくなりそうです。 どうか、お言葉をお授けください。
こんばんは。中東宗教であるゾロアスター教やイスラム教では、生きていた時の善行と悪行、あるいは懺悔の度合いなどでそれぞれ天国(浄土)へ行くか地獄へ行くかを裁かれるなどと言われています。これは日本でも、閻魔様などと言われて日本人の基本的な宗教観になっていますよね。 私は敬虔な真言宗の家庭に生まれ、「朝起きたら食事がお不動様に祀られる」というのが当たり前の光景で育ちました。そんな家庭で、よく「いいことをしたら天国へ、悪いことをしたら地獄へ」と教えられたものです。 「神仏を信じ恐れたり感謝したりし、清く正しく生きる」。こういった思想は、仏教的に言えばどこの宗派にあたるのでしょうか? 多分ですが上座部仏教や禅宗は違いそうで、きっと大乗仏教的な考えですよね。日本人に根付いているのかそれともうちの家庭が特殊だっただけなのか気になったので質問させていただきました。お読みいただきありがとうございました。
私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。
最近、亡くなった人とお話してみませんか?、、、や、命日占いなど、、 そういう本に目がいくようになりました。実際買いました。 主人が亡くなり、やはり毎日考える事はあの世の世界の事。 亡くなったら、まず人はどうなるのか、どなたが導いてくださるのか、亡くなった人に会えるのか、などなど、さまざまな疑問が頭によぎるんです、 主人も阿弥陀様に会えたりしてるのか…とか、きれいな川見れたかなとか… 話ができない分、月日が経つにつれ、たまらなく主人と話したい、主人に聞きたいことがありすぎて心配になる事があります。 死を受け入れていかなければならないですが、何かしらの気を落ち着かせれる事があれば、、と、何か本を買っていきたいと思っています。 オススメの本を教えて下さい
私の周囲に、守護や視察のお勤めで、お越し下さる霊がいらっしゃるのですが、 私と生前のご縁はなく、 皆様、御自分の懐かしいご家族とは離れ離れになっております。 皆様が天に帰られた際には ご家族に逢えるのでしょうか…。 こんな風に考えるのは出過ぎた事かもしれませんし大変恐縮なのですが、 私のような、赤の他人を助ける事よりも、 「天でご家族と安らいで過ごして頂いたり、 お一人お一人のご親族や 大切な方々の守護者になって頂けたら…」 という気持ちがあります… 叶える方法はあるでしょうか…。 離れ離れでこちらに来て頂いてるのにもご事情があるのかもしれませんが、 「守護者は本来、御先祖様やご縁の深い方がお就きになる」 というお話を聞いて育ちました。 それが本当であれば、 皆様を、ご家族の元に返して差し上げたいんです。 僭越ながら、何か私に出来る事はあるでしょうか… 霊界のどちらでお尋ねすれば ご家族に会えるようになるのか それさえもわからず、皆様の事が心配で御座います。 恐れ入りますが、どうかお話をお聞かせ下さい。
目蓮さんの最期は、過去生の悪行為の報いで壮絶なリンチだったという話は有名ですよね。 前の生は地獄に落ち、その期間が終わって、目蓮さんとして生まれて お釈迦様の弟子になる人生を生き。 地獄に行ってすら刈り取りが完了していない業があったから、リンチを受け、亡くなったのですよね? 前の人生で淫に耽り親を殺して(他の説あり)、地獄にまでいくほどの存在が、地獄での期間を終えたとはいえ、 地獄の次の人生がいきなりバラモン生まれのお釈迦様の二大弟子ですか?!と、驚いてしまいました。 よほどの凄い善因もどこかの過去生で 作っておられたということでしょうか? 2、地獄がらみで疑問に思ったこととして 別の話ですが、このサイトの問答で、或るお坊さんが、ご自身の来世は地獄だと述べておられるのを目にしました。 何ゆえにでしょうか? ご謙遜で、自分は地獄行きと仰っておられるのでしょうか? 熱心に仏道を学び、智慧と福徳の修積に努めておられるご様子なのに、それほどの生き方をして、来世が地獄だとは…。 特に悩んでいるわけではないのですが、 もし教えてくださる方いましたら、宜しくお願い致します🙇
先日祖母を亡くしました。死因がコロナ関連死だったのと、火葬場の混雑により死後11日過ぎにお通夜、その翌日に葬儀を執り行う予定です。 しかし、上記のスケジュールのせいで初七日の法要ができず、また三途の川の渡賃も棺に入れられてないまま本日初七日を迎えてしまいました。 このままでは祖母は秦広王様や不動明王様から良い裁きを頂けないのではないか、三途の川をうまく渡りきれず地獄に行ってしまわないかとても心配です。 とはいえ、本日が初七日なのと自分が喪主ではないため急に法要もできず、仏壇に線香を上げるだけで良いのか、自宅や初七日を過ぎた後何かできることはないのか、不動明王様をお祀りしている寺院に行って手を合わせるのが良いか、なんとかして無事三途の川を渡り切れるようにするために何ができるのか悩んでいます。 祖母は生前大変信心深い日蓮宗の檀家だったため、可能であれば日蓮宗のやり方をご存知の方にご回答頂ければ幸いです。
死後の世界に地獄は本当にあるんでしょうか?親に散々迷惑けたし、いろいろ悪いこともしてしまいました。死んだらきっと地獄におちるかと思うと怖くて仕方ありません。
私は現在生後4ヶ月の娘を育てている新米ママです。 妊娠中の悪阻は産後の今も治ることなく毎日苦しいです。つわりが苦しすぎで馬鹿な考えだと思いますが、自殺を考えてしまう程です。 精神疾患もあり、どうしても1度悩み始めると抜け出せず、自殺を考えてしまうのです。 また、なにかこの悪阻は本当は病気なのではないかと考えると私はその病気にちゃんと立ち向かえる自信がありません。毎日辛い治療はいやです。 なにもかも辛いこと考えると自殺を考えてしまいがちなのですが、死ぬのが怖くてたまりません。 死後の世界はホントにあるのでしょうか。 虚言癖が私にはあり、地獄行きだと考えると怖くて仕方ありません。 最近、大切な叔父さんがなくなり余計に死後の世界に不安を抱いています。 言葉にまとまりがなく申し訳ありません。
いつもお世話になっております。 最近、死後について考えてしまいます。死後の世界は死んでみないと分からないと思っていますが、暇な時間があるとどうしても考えてしまいます。 私はもう小学生の頃の事ですが、万引きをしてしまいました。その他にもたくさん悪いことをしてきました。その事についてはこの自粛中にたくさん悩み、反省をして二度とこのようなことはしないと誓いました。人にやさしく、人から認められる人になりたいと思って自分の性格を改めている最中です。 しかし、盗みを犯した自分はやはり地獄に落ちるのではないか、落ちて当然と考えてしまいます。死後の世界は分からないことなので考えずにこれからの自分の人生について前向きに考えていきたいのですが、上手く行きません。どうしたらいいのでしょうか…?おかしな質問ですみません。
僕の家族は少し複雑で父と離れて暮らしています。昔、色々とあって僕の母の兄は父のことが大嫌いです。お母さんはその母の兄の会社で今働いています。 いつも月に1回ほど父に会いに行っているのですが、母の会社は土曜日もありそして 僕や妹の学校の関係で、お母さんが土曜日仕事を休んで行かなければなりません。 でも、正直に父に会いに行くから休むと母の兄に伝えると絶対に休ませて貰えずさらにお母さんが責められるのは聞くまでもなく分かります。 なのでいつも母は、嘘の理由で休んでいます。嘘をつくと地獄に落ちるなどと言いますが母は地獄に落ちてしまうのでしょうか?母はとても優しく僕は大好きです。 僕は母に幸せになって欲しいし、死後地獄になんて行って欲しくないです。 でもこれからも嘘をついて休むことになると思います。 僕も学校を精神的な理由や行きたくないという感情で休んでしまうことがよくあります、その時母は、熱があるとなくてもそう言ってくれたりします このような嘘をついたりしている僕たちは地獄に落ちてしまうのですか?
死んだら、自分の行いによって、六道のどれかの道を 選ぶことになるのでしょうか。 その中の選択肢に地獄もありますが、自殺した罪で強制的に 送られることはないけど行いによってはそこに行くことに なる場合もあるのですよね? どういうことをしたらその地獄へ行くのですか? 地獄にこだわるつもりはありません。しつこく感じられたら 申し訳ありません。今はそんなこと忘れて 生きなさい、と言われるよりこの疑問点を知りたいです。
ふと死後の世界を考えて、疑問があったので質問させてください。 私は末っ子です。事故や病気にならずに健康体であれば、順番的に私は最後1人で死ぬ事となるでしょう。 結婚などをすればまた違うのでしょうが、結婚はしようとは思っていません。 もし一生独身で生涯に幕を閉じる場合です、天国でちゃんと家族と無事に合流というか、ちゃんと会えるのか心配です。 私の勝手な想像なのですが、死んだ後は 1人厚い雲の中をかき分けて、天国への階段を探し、天国へ目指すというような感じです。その間に道に迷って、天国に行けず、家族にも会えない、という事があるのでしょうか?それが心配です。 それか、死んだ後にちゃんと天国への道しるべがあってちゃんと合流できるようになっているのでしょうか? 死んだ後の事なので、そこに意識があるのかも分かりませんが、死んだ後はちゃんと迷わずに天国に行って家族に会いたいです。 また、私は幼少期には問題児で人に迷惑をかける事をしてしまいました。 私は地獄行きなのでしょうか? 死後の世界とはどういう風になっているのでしょうか?
始めまして。 現在高校三年生、男子です。(17歳) 私は友達が隠していたお金を盗みました。 一回だけじゃなくて何回もです。 盗んだお金は約17万2000円程です。 一気に使ったわけではなく、盗んだたびに使ってて気づいたらこの金額になっていました。 動機は単に欲しい物があってお金が無かったからです。 このような盗みは仏教で偸盗というらしいですね。 盗みを犯すと死後地獄に落ちるのですか?? または変なものに生まれ変わったりするのですか?? このような私でも救われる方法はありますか?? あったら具体的に教えて下さい。 教えて下さいと言いましたがこれも私利 私欲ですよね笑これも煩悩ですね。
こんにちは。 自殺しようか悩んでいるものです。 辛くて辛くてたまりません。 でも自殺してもなにも終わらないのですか? 仏様は罰としてわたしを地獄に送るのですか? 死後の世界が怖くてたまりません。 死んだおばあちゃんのところにはいけないのですか? 教えて下さい。