hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2817件

検体になる(2)

前回「検体になる」で、臓器移植の話になり、お答えが、賛成派と反対派に割れました。お勧め頂いた本を読んでから、改めて、私の意見、意思をお伝えするということで、しばらくお時間頂くことに致しましたが…。 ところで、その前に、ちょっとお聞かせ願えますでしょうか。大谷派は「臓器移植反対」の立場にある、というのは分かりました。「臓器」を「移植」することに反対なのですね、では、「献血」や「輸血」は、仏教的にはいかがなのでしょうか?「輸血」は「移植の簡単バージョン」のようなものです。「輸血」も生きている人間からのご厚意で頂くようなもので、「輸血」させてもらえなければ、亡くなる可能性もあります。宗教的な理由で「輸血を拒否」する患者様もおられます。その場合は、「輸血」が必要になった際にどのような処置をとるのか、話し合い&説明する必要があるのですが、そのことを『エホバの証人』という名で資料ファイルしています。仏教の世界で、臓器移植に賛成、反対の意見があるのならば、中には「輸血拒否」を望む方もいらっしゃるのでしょうか?前もって手術等に備えて、自分の輸血用血液を採血しておく『自己血採血』という方法を選択することも出来ますが、緊急時には、他人の血液を「輸血」するしか方法がない場合もあります。もしも、「輸血を拒否」する方がおられるのでしたら、どうなさるのかなと…。それに、「献血」は生きている皆様のご厚意で成り立っていますが、その「献血」自体、若者の減少、高齢者の増加で危機的状況にあります。さらに言うと、特種な血液型の場合は、血液センターに登録され、自由に!ではなく、その血液型の血液を採血させて頂きたく為に、必要な時に呼ばれて「献血」となる人々もいます。ややこしい話になりますが、その辺りを踏まえた上で、ご説明頂ければと思い、再度、質問させて頂きたくことに致しました。お返事お待ちしております。

有り難し有り難し 92
回答数回答 5

やるせない思いとの付合い方

何度か相談させていただいています。いつも、ありがとうございます。 三十代半ばに近付き婚活も続けていましたが、ここのところはもう拘らずにあるがままでいようと吹っ切っていたところでした。 先日、職場の育休中の職員がお子さんを連れて職場にいらしたことがありました。 またその後に上司が第二子妊娠で繁忙期に産休に入り翌年度には別の上司に変わるとの発表があり、またやるせない気持ちが戻ってきてしまいました。 そして友人が、入籍すると言う話を聞きました。友人の話は勿論祝福したい気持ちで、職場の同僚や上司の話もおめでたい話だなとは思うのに気持ちが落ち着かなくなるのです。 自分は自分、周りがどうであっても自分が変わるわけではない。自分の気持ちを決めているのも自分自身、自分は自分の幸せを見つけようと思うのですが、気持ちがモヤモヤして置いていかれたような気分になります。 人を羨んでいるわけではない、それぞれの幸せは良いことだとも思います。 でも、とても寂しい。私は、どうしたら良かったのだろうと苦しい気持ちになります。 いつまでも独身で親にも悪い気持ちになります。家庭も持たず、孫の顔も見せてあげられずに私は親不孝なんだろうかと。 最近は結婚すれば、それで全て幸せと言うわけではない。自分の人生を生きよう、自分自身で満足できる生き方を見つければいいと思うようになっていました。 今は気持ちが落ち着きません、このまま一人だったらどうしようとどうしようもない気持ちになります。 この気持ちと、どうやって付き合っていけばよいのでしょうか。 今は、とても苦しい。 もう既に遅いのではないかと苦しくなり、これからどうやってこの気持ちと付き合いながら生きていけば良いのか分かりません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

【神仏を欺く事】自分本位に生きる事【疑城胎宮に留まる事】

ご縁欲しさに神社仏閣に参拝している者です。 それだけに満足出来ず家でもネットや書籍による独学、或いはお寺のお話会イベント(?)で得た知識で祝詞やお経を唱えたりしています。 …はい唱えているだけなんです、仏教の戒律は守っていません。かつては戒律を守る為、このサイトを熟読したり、実際に質問をさせてもらったり、僧伽を探し回ったり、本気で出家を考えたりしてました。 十善戒、…どころか五戒すら守れない、なかでも「邪淫」「飲酒」「瞋恚」「妄語」どうしてもコレらを抑える事が出来ませんでした。 全て過去の“あやまち”やトラウマ、自身の力の無さからくる今の自分の境遇に激しい怒りを覚えたり、酒を飲みながらノリノリで真言を唱えたり、お経を唱え終えたら邪淫を始めたり、邪淫の後にお経をしたり… いつもがいつもこうではありませんが、こんなバチ当りな日があります。 もっと正直に書くと私は“悟り”になど興味が無く、全ては神仏とのご縁が欲しいから参拝、真言お経をしているだけなんです。 当然大乗の仏教、他者の救済にもあまり興味なく自分や家族にさえ幸があれば他者などどうでもいいとさえ思っています。 しかしそんな私にもバチなど当たらず、それどころか神仏から驚くべきご縁を頂いたり、望み通り幸を頂いたりしています。 …そんなんだから【今のままで良いか】とさえ思い始めたりしています。 仏教には厳格な戒律や崇高な思想がありますね、それが真言やお経の中でも書かれていたりしますよね。「○○に帰依したてまつる」「衆生と共に○○」みたいな。 仏教の戒律は“約束”なんて軽々しいものでない、中でも真言を唱え心に描く仏様には“誓願”とまで言いますね。 “悟り”を拓く気など無いのに、衆生を救済する気など無いのに、ただ仏様が好きだからって理由で、お経や真言をする自分が好きだからって理由で仏様を欺き心地の良い疑城胎宮の中で“仏教ごっこ”を楽しむのか… それとも…?どうすればいいですか? 私のようなロクでなしでも今こそが真剣に人生、そして仏教を考える上で一種の“ターニングポイント”のように感じられたので質問させてもらいました。 興奮故に支離滅裂で読みにくかったらすみません。 仏様に直接教えて頂き、直接罰を与えて頂けたら一番ラクなんですが…私自身ハッキリとモノを言われないと分からない者なのでよろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

友人関係ふっきれそうです。

何度も同じ内容の相談で失礼します。「友人との関係がぎくしゃくしています。」「不安です。」等でお坊様方に相談、ご回答を頂き本当にどうもありがとうございます。お陰様で吹っ切れそうです。彼女達と話しても私は不快になる。それから私は直接勧誘はされてはいないのですが私以外3人のうち2人が某新興宗教にいつからか解りませんが加入していた事がわかりました。それが決め手になりました。私の実家は浄土真宗本願寺派ですし夫も偶然ですが浄土真宗本願寺派です。二人共新興宗教とは無縁で生きてきました。浄土真宗本願寺派の事(仏教)を私も夫もきちんと勉強した事はありませんが私の実家の母は毎回菩提寺の行事等に参加をしております。母の実家は曹洞宗なのですが祖父祖母はお寺参りを欠かさない2人でした。そのような環境で生きてきた私は全く新興宗教に興味がありませんし興味を持とうとも全く思いません。そんなことより持病の症状を寛解期に持っていく為にはどういう食事をしたら良いか(避けなければいけない食べ物もあるので)等自分の身体の事を中心に考える様になりました。 お坊様、どうもありがとうございます。またhasunohaにお世話になってしまうかもしれませんがこの件については吹っ切れました。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

私が2才の時に病気で他界した祖父

はじめまして。できるだけわかりやすく書くようにいたしますが、途中文章がおかしな所があるかもしれませんがお許しください。 私の父方の祖父は、私が2才の時にがんで亡くなりました。姉達は憶えているそうですが、私は幼かった事もあり祖父の記憶が全くありません。祖母の部屋に飾ってある写真を見て、『あのおじさん誰?』と言ってしまった事があります。 それから私は大人になり、実家を出たので一年に一回は祖父のお墓詣りには行っておりました。昨年子供も生まれ、お互いの祖母や親戚に我が子が可愛がられている様子を見て、これまで祖父の死を意識した事がなかったのに急に祖父に会いたくなりました。一番はやはり、祖父にひ孫を抱っこしてほしいという思いからかもしれません。 それからというものの、今まで知ろうとしなかった祖父の事を父に聞いたり、写真をもらって持ち帰り家に飾っています。その写真を見るたびに寂しくなり、会っていっぱい話したい、聞きたい事がたくさんある、どうして早くに死んでしまったの?という様々な感情を抱きながら日々をすごすようになりました。 祖父からすれば、あのおじさん誰?と言われたし、20年以上時が経ち今更写真をもらって飾ったりして、ひ孫をきっかけに思い出して悲しんでいるなんてとても都合がいいなとあの世で怒っているのでしょうか? そして、日々祖父に会いたいという気持ちが大きくなるばかりです。 この気持ちはどう整理すればよいでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1