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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 人生 」
検索結果: 20305件
2023/09/07

病気を患い仕事や人生の向き合い方に悩み

40代男性です。妻子持ちですが単身赴任のため、週末だけ家族という生活をしています。 仕事はノルマがきつく、業績志向や人間関係にも疲れストレスが溜まっています。なかなか成果が上がらず、自信も失いながらも、家族のため我慢しながら(皆多かれ少なかれだと思います)仕事を続けています。 その折、先日奇跡的に早期に病気が見つかり手術を受けることになりました。無事に切除でき初期だったので安堵しています。 日頃仏壇への朝夕のおつとめや菩提寺への参拝など欠かさずしており、今回神仏やご先祖様のご加護を感じない訳にはいきません。 悩みというのは、今後の自分や仕事への向き合い方についてで、 ・自身の修行と思い今の仕事をもう一息頑張る。 ・自分と家族のために体を労わる(仕事の仕方を考え直したり、転職も考える) どうしたものかを悩んでいます。 仮に余命宣告があったなら、迷いなく後者を選ぶのかなと思いながら、楽な方に何か逃げるかのように思えなくもなく、とは言ってもこの病気を1つの転機にし、生き方を考え直しなさいというメッセージにも思えてなりません。 もしくは途中で仕事や責任を放り投げるような後ろめたさ、面倒は起こしたくないと言ったような感情が決断への二の足を踏んでいるのかもしれません。 お釈迦様の一切皆苦、中道の教えなどございますが、こうした場合どう考え、どう自分に活かしていけばよいのでしょうか? ヒント、アドバイスを頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
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2023/03/25

大切な筈の母の人生を、奪ってしまった

数年前、母が癌になり、当時相談させていただきました。戴いたお言葉に心が救われ、今でも感謝でいっぱいです。今回はその後の話です。どうかよろしくお願い致します。 せっかく助かった母の命を、私が縮めてしまいました。それが苦しいのです。質問と言うより、誰かに聞いていただきたいのかも知れません。 母は癌になり絶望しましたが、薬が効き、奇跡的に癌自体は落ち着きました。しかし体力が無いのと認知症が進み、要介護3となりました。 介護が始まった頃、両親と兄と私の4人で暮らしていました。もっとも私は、介護のために戻った形です。家族仲としては、家族で遊びや食事に行くことが多かったのですが、父はカッとしやすく、暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人でした。兄に言わせると発達障害ではないかと。しかし兄も似ており、母と私は心身共に押さえつけられていました。 母の介護については、介護申請、ケアマネ探しに至るまで、全て私が行いました。要は、介護の負担があまりにも私に偏り、ヘトヘトになりました。母はトイレも介助が必要でした。夜、トイレに起きるのですが、父も兄も、全く動こうとしませんでした。数時間おきに起きる母を私が介助し、朦朧としたまま仕事(身体も神経も擦り減らす仕事であり、残業も多いのです)に行く毎日でした。身体が限界だと訴えるも、父と兄は逆ギレし、ケアマネに相談するも、効果的な対策がありませんでした。  私は家を出ました。しかし、私にとって母は、自分よりも大切です。母も、私がいないと耐えられないと言いました。結果、実家の近くに居を構え、仕事帰りに母を迎えに行き、朝また実家に送り届けるという生活になりました。迎えに行くと、母はベッドに倒れ込み泣いており、父は平気でテレビを観ていることが多々ありました。放っておけず、夜勤明けでも迎えに行きました。ボロボロで、やっと仕事をしていましたが、いやだと思った事はなく、母と過ごせることや、母に喜んでもらえるのが嬉しく、幸せでした。 そんなある日、つい母に怒りをぶつけてしまいました。母は泣いてひっくり返り、私は怒鳴りました。その10日後、急に起き上がれなくなり、病院に行くと大腿骨骨折でした。きっと私が原因です。手術は成功しましたが肺炎を起こし、点滴でやっと生きています。長くはなさそうです。怒りを抑えられなかった後悔と申し訳なさで、生きるのが辛いです。

有り難し有り難し 14
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自分の弱さが嫌いです。

こんにちは よろしくお願いします。 心の病になって27年以上経ちました。 きっかけは、母親に連れて行かれたカルト宗教でした。 そこに軟禁されて、「悪霊がお前に憑いている、先祖の霊がお前の命を狙っている」、などと半年間言われ続け、母親もその教祖に心酔して、トランス状態で私に対し、「お前は心が弱い」「普通の人生を生きたいなどと言っているが何が普通だ!」などなど、私の行動、思想信条、生き方全てを否定してきました。その時から、酷い頭痛持ちにもなり、自分が何を感じ、何をしたいか、どう生きればよいのかわからなくなりました。 そんなことを長年続けている自分、母親を憎み続けてる自分、未だ立ち直れず、社会にも出れず、自分に負けて、人生を人任せにしている自分が情けなくて辛いです。 ある意味、魂を抜き取られたような気がします。 母親からは距離を置いて、もう4年以上連絡を取っていないのに、私はまだ母親に依存しようとしているところがあるのでしょう。 自分に自信がなく、他者に認められると自信が持てるような錯覚をしている自分は最低です。 他者に依存しているのです。 故に、直ぐひとを憎みます。 こんな大人気ない精神のまま、歳ばかり取ってしまい、なんのために生きているのかわかりません。 この苦しみから、少しでも解放されて、母親から精神的に自立し、自分の人生を自分の脚で生きることは、もう不可能なのでしょうか? せめて、他者に依存することから、脱却したいです。 アドバイス、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 3
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人生の二択。どうしてもどうしても答えが出ません。

以前と重複することもあると思うのですが、またご相談させてください。 楽器の技術系の仕事のことで悩んでいます。 昔この仕事に就くのが夢で学校に通いました。 しかし特種な勉強の過程でノイローゼのようになり、自殺未遂をし、自分のメンタルの弱さではとても太刀打ちできず、一旦諦めました。 しかしあれから何十年も経って音楽系の職場で働く中で、「せっかく一度習ったからやってみればいい」と言われています。 何年も前からそう誘われています。 今環境は見方によっては恵まれていて、 ・教えてくれるプロがいる ・そのプロの人は、昔教わっていた人とは違い、かなりラフで優しい ・環境も整っているし、時間もある ・私自身に才能があると言われる 上記の理由で「絶対にその仕事やった方がいい」と言われます。 一番厄介なのが、自分で言うのもおこがましいのですが、最後の「才能がある」と言われることです。 変な話、これさえなければ長年だらだらと悩まず、キッパリ諦められるのに。とすら思うのです。 一度は完全に諦め、気が楽になっていました。 でも先日、また「ちょっとやってみないか」と言われてやってみると褒められるという経験をして、「もし才能があるのならこれを生かさないのは勿体無いのでは…」と、また同じことで悩み始めています。 本当に、自分が優柔不断で情けないです…。 本当に本当に辛い特訓です。 毎日猛特訓など、もう絶対にしたくない。 この年で昔と同じ道を辿りたくない。 自由に生きたい。 という気持ちと、 せっかく才能があると言われているし、この不安定なご時世、強みになる技術を身につけるチャンスもあるのに、やらないなんて勿体無さすぎる。 という気持ちと、 何年もずっとバイトで同じ仕事をしている自分と、やりたい仕事に就いて輝いている同年代を比べて、「私は本当は才能があるのに誰も分かってくれない」などと身も蓋もない馬鹿なことを考えて自己嫌悪に陥る日々を変えたい。 皆から認められたい。 という3つの気持ちがグッチャグッチャで、二日間一睡もできず悩んでいます。 こういうことで一睡もできなくなり体調を崩すほど、メンタルが弱いんです…。 以前「答えはあなたの中で決まっているはず」と言われました。 でも今、どうすればいいのか本当にわかりません。 情けない自分ですがお力添えお願いします。

有り難し有り難し 12
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2024/01/19

自分を変える力が欲しいです。

はじめまして。 文章をまとめることや伝えたいことを相手にお伝えすることが苦手なのですが、頭のなかで考えていること、普段の苦しみを変えたいという気持ちで文章にしてみました。 お忙しいところ恐縮ですが、読んでいただけるだけでも嬉しいです。 毎日なにげなく過ごしているなかで良いことも悪いことも感じ、学んでいます。そのようなことをこれからの人生に取り入れたい、そのように変わりたいと思う気持ちはいくらでも考えることや人には指摘できるのに自分ではこのようにやってみようと思い試してみますがなぜか不安になります。不安を感じやすく、イライラしてしまい、ときには攻撃的になってしまい後悔の毎日です。 私自身に余裕を作る方法も見つからないです。誰かに話すことも嫌われていると常に不安なので悩みを聞いて貰うことにも勇気がでないです。いじめにあっていたことや私の性格、精神疾患のことなどで前向きに考えることができないです。 誰かの訃報を知り、その方の人生から感じることや学ぶことがたくさんあり取り入れたい、旅立つときに私自身は後悔が少ないような、残された方々にも涙を流すよりは笑って貰えるような人生にしたいと考えることはできますが、どのようにしたらそのような過ごし方ができるのか見つけることを諦めそうなときがあります。 生きている今も地獄のように苦しですが、亡くなったあとのことを考えることが増え生きている今も死後も地獄と考えてしまいます。 毎日が暗いので自分の人生に過ごし方に光が差すような過ごし方ができるようアドバイスをいただきたいです。

有り難し有り難し 4
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自分がもうイヤ過ぎます…

ここで正直に話しますが、私はよく嘘をつきます。それが元で人間関係を壊してしまったり、壊れてしまったりしてきました。正直になれば楽になるというのは理解しています。しかし、自分だけよければという思いが強く、その思いでまた…という感じです。10数年前の自分と比べたら、今の自分はその頃よりもくすんで荒んできていると感じるようになりました。誤解を招く行動も目立つようになり、職場で目をつけられた事もありました。 先日の夜、9歳の息子が私の頭を撫でてきたのですが、その時に不意に涙が溢れてきました。私にはこんな自分だけど、愛してくれている人がいる、支えてくれる人がいる、と…。そう思った時、これまでの自分の行動、行いに対して激しい嫌悪と後悔が一気に押し寄せてきたのです。 それ以来、ふとした瞬間に自己嫌悪に襲われ、悶々としています。もう許されない、やり直すにはもう遅いのではないかと…。荒んでしまった自分を立て直し、やり直す事はまだ出来るのでしょうか。失った信頼を築くのは容易くないとは充分理解しています。もう苦しい思いはたくさんです。嘘で失った信頼、絆はもう戻らない、そう思うと胸が締め付けられる気持ちです。自業自得ですね…。人の財物(心など)奪うだけの人生はもうたくさん、これからは人に与える人生にしていきたいのです…。 (心のモヤモヤを全て吐き出してしまいました…)

有り難し有り難し 8
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自分の生き方がわかりません。

私は親からよく、心に軸がないと言われます。たしかにその通り、私は生まれて20年間なにか夢があるわけでもなく、貫き通して来たものもなく、何事も中途半端に済まして生きてきました。 先日、人生で初めて舞台を観に行ったのですが、その時本気で演技に向かっている人々の姿を目の当たりにして、何か特化したものや夢もなく大して努力もせず今まで中途半端に生きてきた自分はなんてつまらない惨めな人生を過ごしてきたのだろう、と絶望しました。 自分の生き方について疑問やどうにかしなきゃと考え始めたのは中学3年生の頃からです。あの頃から私はなにも変わっていない。変わろうと努力できない、そんな自分が心底嫌で嫌で苦しいです。絶望を感じた日から、誰に会っても何をしててもつまらなくなりました。生きている心地も無くなりました。何故自分が生きているのかもわからず、本当につまらない日々です。前の自分だったら、それでも生きたいと苦しみ泣くところが、今の私は死ぬのも怖くないと感じるようになりました。 また、私は人に言われても納得できなければ耳にも入れたくない傾向にあり、誰に相談しても解決するわけがありません。治そうと思っても治せません。そんな自分が嫌いです。夢も見つけられない、努力もできない、人の話も受け入れられない、自分が嫌で嫌でたまりません。苦しいです。辛いです。今まで辛いことがあると妄想に耽って逃げてきました。人と話してても仕事をしていても頭のどこかでは自分に都合の良い妄想をして落ち着かない心を満たしていました。でも、もう妄想に逃げるのも辞めたい。妄想でほとんどの気持ちが落ち着くため、友達はかなり少なく恋人は一度もいたことがありません。そんなのも辞めたいんです。私は生き方を変えたいです。今までも何度も何度もそう考えては、結局何も変えられず、親にも呆れられています。 甘えたことばかり話してしまい申し訳ありません。どうか助言くださると幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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最近本当の自分って何だろうと考えるようになりました。

大学4年生になって就活が始まってから、友人が楽しそうにしている写真や、毎日が充実しているSNSの投稿などをみて、今まで自分は何をしてきたんだろう?振り返ってみれば、自分が本当にしたいこと何1つしていない。人生損をしてしまった。と後悔することが増えました。 また、そんな悩みを相談しようと思った時、今までいろんな相談にのってもらっていた幼馴染にさへ「そんなこと気にしなくても」と言われそうで相談できませんでした。 そこでも、今までは幼馴染、親友だと思っていたけど、実は自分はその人にも本当の自分を出せていないのでは?と思うようになりました。 実際、中学生の頃にいじめられていたのをきっかけに高校では同じようになりたくないと、強気のイメージで行きました。その甲斐もあっていじめはなく、友人もでき、今でも交流がありますが、たまに1人溶け込めていないと感じる時もあります。 家でも情緒不安定な姉に悩んでいる母を近くで見ているので、自分は困らせてはいけないと悩みを相談することなく常に明るい子になっています。 外でも内でも自分を演じている気がして、本当の自分がわからなくなってしまいました。苦しいです。

有り難し有り難し 15
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自分ばかり苦しんでいると感じます

 私の育った家には、金も教養もなく、愛もありませんでした。認知症を患った祖父母と、互いに軽蔑しあう両親と、私を時には過剰に可愛がり、時には理由もなく拒絶する姉がいるだけでした。  家の外の社会でも、多くの人たちが、あるときは面白半分に、あるときは明確な(そして理不尽な、と私自身は感じています)敵愾心をこめて、私に対して悪意をぶつけました。それらに対して、ささやかな反抗を試みたこともありますが、いつも叩き潰され、大勢の前ではずかしめられました。そのときに私の肩を持ってくれたり、慰めたりしてくれる者はなく、むしろ嘲りを受けました。  子供の頃から、なるべく人との衝突を避けるように、気持ちを傷つけないように、という思いで生きてきました。周囲からも概ねそのような人柄だとみなされていたと思います。それがかえって目をつけられたのかもしれません。ずっと加圧器の中にいるような人生だったと感じています。  いまの私の悩みは、自分が幸福になるイメージが描けないことです。大袈裟なようですが、私自身のなかに、ともすれば私の生まれる前から、なんらかの呪いや悪い因子のようなものがあって、それに私は一生絡めとられたまま抜け出せないのではないか、救われることはないのではないかという思いがあります。  周囲から愛され、環境に恵まれ、伸び伸びと知性や人格を育てた人を見ると、羨ましいという以上に、もう自分には決して追いつけないほど人生に差をつけられているのだ、と感じます。なにをしても虚しく、意味がないと思ってしまいます。  なにか人のためになることがしたいのですが、人を信じたり、愛情を向けたりすることが難しいと感じます。新しいコミュニティに入ることにも、いつも恐怖を覚えてしまい、なかなか踏み出すことができません。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1