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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お墓 」
検索結果: 1710件

地元に対して消えない罪悪感

お世話になっております。 最近どうも心に引っかかっていることがあり相談させていただきました。 ひとことで言うと、「自分を犠牲にした友人達を思うと、私だけ自分のやりたいように生きていいのか」という罪悪感があるという悩みです。 私は地方出身で、漠然と「いつか上京するんだろうな」と思いながら育ちました。なんとなく生まれ育った町の中で生きていくのが窮屈で仕方なかったんです。残念なことにあまり好きになれなかったのかもしれません。 結果として、大学を卒業して就職したあたりで関東に住むことになり、現在は都内で自分の望んでいた環境で幸せです。 一方、地元の友人達は大学で県外に出ても戻ってきた人がちらほらいました。中にはずっと地元に住んでいる人もいました。 しばらくは「なんだかんだみんな地元が好きなんだなぁ。」と思いながら友人達と関わっていました。 しかし、そのうち彼らから、「私も結局(地元から)逃げられなかったな」や、「地元がこんな状況(寂れている)なのに東京に行ったやつ許せない」「あなたが地元に帰ってこないなんておかしい」「地元を離れるなんて親が泣くよ」など言われたり意見を目にしたりするようになりました。 地元を離れ、関東で嫁に行ったことに対し、なんとなく嫌味のような事も言われひどく傷ついたこともありました。 そして、地元の友人達の中には、自分を犠牲にしたり何かを諦めて、地元に戻ってきた人も意外といることに気づきました。だからこそ傍から見ると自由に生きている私にあたりがきつくなってきたのかと思い至りました。 結局、自分の幸せを考え、地元の友人とは全員縁を切りました。 私は今幸せです。愛する主人がいて、好きな環境で今までで一番幸せな時を過ごしています。 だからこそでしょうか、地元の友人達に対して罪悪感を感じてしまうことがあるのです。 彼らが幸せかどうかなんて私が知ることではないし、知る由もない。どんな人生を歩んでもそれは彼ら自身の選択です。私には関係ないしその責任はありません。それでも「私こんな幸せでいいのか」と不安になったり罪悪感が拭えません。 地元で関わっていた人に、あまり幸せそうに見えない人が多かったことを思い出してしまいます。彼らの幸福を推し量り勝手に憂うなんて図々しいとも思うのですが。 どうすれば楽になれるのでしょうか。教えて下さい。

有り難し有り難し 8
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初盆について

ご相談させていただき、ありがとうございます。 父が昨年9月初旬に亡くなり、今年初盆です。 初盆と一周忌を8月のお盆に一緒にすると母が決めました。 実家は九州で、私と弟は神奈川に住んでいます。 コロナの様子を見ていると、大分落ち着いたように見えますが、夏に飛行機に乗って帰省して良いのかかなり悩みます。 私と弟はなるべく実家に帰りたいと思っていますが、母は神奈川はまだコロナが落ち着いていないから、そして弟も私も小さな子供がいると渋っております。 また、親戚は同じ九州といっても他県で少し離れており、皆んなお年寄りなので、やはり一周忌に無理してきてもらうのは‥と母は思っているようです。 そうなると、母一人で初盆 一周忌の法要をさせることになります。 両親は数年前に住んだことのない所へ移住した際、父は母に「自分が亡くなったら、皆んなにわざわざここにきてもらうのは申し訳ない」と言っていたそうで、それを母は思い出したようで、無理しないでと心細そうに言っているので、本音かどうか分かりません、 弟は昨年の49日の法要も台風で移動できずにいて、初盆は実家に帰りたいと言っています。 初盆、一周忌の法要はその時期にすべきものでしょうか‥?と言いましても、延期したとしても、いつコロナご落ち着くか分からないので、随分先に延期になる可能性もあると考えると頭を悩ませるばかりです。 アドバイス、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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縁を切りたい人がいます

は三年前に再婚しました お互いに再婚同士です 縁を切りたいのは夫の亡父の後妻(72歳)です 義父と不倫の果てに母亡くなった後同棲をはじめ15年程前にに入籍したようです 母は父の不倫を知り無念の思いを抱えながら23年前に53歳の若さで癌で亡くなりました 夫の身内はもとより後妻の身内も誰一人この結婚を祝福した人はいないと聞いています 父(享年83)は8年前に糖尿病の合併症で亡くなりました 後妻は夫の実家に独り暮らしをしております 折々実家を訪ねますが その際後妻は、父と恋愛していた頃の話を楽しそうに 時には涙ながらに話してきます 母の無念を思うとそんな話を聞きたいはずがないことが解らず無神経極まりない事だと思いすし 許せません あらゆる事に無頓着で無神経な言動をする人で 行く度に不愉快な思いをします 友達もいないようです 両親の遺影の下で寝食している神経も理解できません あたしが同じ立場だったら父が亡くなった時点で身を引いたとおもいます 夫も義弟も後妻を両親のお墓には入れたくないと申しております 優しい兄弟なのでそれが細やかな抵抗なのだとおもいます この人の老後の面倒を看るのも嫌ですし これ以上かかわり合いたくないと思ってしまいます 後妻には空き家になっている自分の実家もあり住むこと食べることには困らないはずです 父の七回忌も済んだことですし、この際後妻には籍を抜いてもらいたいと思うのですが こんな事を思うわたしは酷い人間でしょうか? このまま静かにしているのが良いのでしょうか? こんなことばかり考えてしまい自分が嫌になります よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 50
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死の受け入れ方が知りたいです。

祖母が亡くなってから半年が過ぎました。未だなお立ち直れておらず、ふとした時に悲しみや絶望に苛まれます。 わたしはおじいちゃんとおばあちゃんが昔から大好きでした。とてもよくしてもらいました。とても可愛がってもらいました。10年以上前におじいちゃんが亡くなったときも大変つらいおもいをし、泣いてばかりの日々が続きましたが、おばあちゃんを支えないとという気持ちもあり立ち直れたような気がします。しかしおばあちゃんも亡くなった今、生きる希望がありません。わたしをあんなに可愛がってくれる人はもういません。わたしももう良い歳なのに、はやくわたしも死んでおじいちゃんとおばあちゃんに会いたいという気持ちばかりです。おじいちゃんとおばあちゃんがこの世にいないなら死にたいです。思えば、小学生の頃でしょうか。死というものを知ってから、わたしがこの世で最も恐れていたのはいつかくるであろう祖父母の死でした。寝る前に手を合わせて祖父母と家族の健康を祈ることが日課となっていました。それほど恐れていた祖父母の死を経験した今、もう怖いものはなくなりました。ひたすら祖父母に会いたいという気持ちしかありません。このまま生きていても二度とおじいちゃんと話せないしおばあちゃんのおにぎりと卵焼きも食べられない、二度とふたりに会うことができないことをふとしたときに思い出し、絶望し打ちのめされます。思い出の場所や外食した店、買い物した店など日常を過ごす中でふとしたときにも思い出がたくさん甦ってきて悲しくなったり泣いてしまったりします。仕事は頑張って行っています。趣味も楽しめてはいます。でもやっぱり祖父母に会いたいと思ってしまいます。仕事帰りにお墓に行き、ひたすら泣いて疲れて帰るという日もあります。夢にも出て来てくれるときもあります。 この気持ちは日にちが経てば落ち着き、癒えるのでしょうか。亡くなって少し経った頃、地元のお寺さんに供養に行った際に教えていただいたのは、悲しむのは悪いことではない泣いていいということでした。とても救われました。しかし半年も経ったのにまだまだ悲しく苦しいです。 わたしはどういう気持ちやおもいで日々を生きていけばよいのでしょうか。わたしはどうしたらよいのでしょうか。

有り難し有り難し 17
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ちゃんと供養出来ている?見返りを求めていることになる?

お坊さんのご意見をお聞かせ下さい。 数年前に祖父が亡くなり、親戚のおばちゃんと話していた時のことです。 そのおばちゃんは、「自分自身もいつかあの世に旅立つ時が来る。その後も残った家族にしっかり見てもらいたい(供養してもらいたい)から、今しっかりとご先祖様の供養をしている」と言っていました。 それを聞いた私は、独身で結婚の予定も全くありませんし、このまま天涯孤独になる可能性もないとは言えません。なので、例え自分が独りで息絶えたとしても、「その後を姪たちに見てもらえたら・・・」「供養するという姿勢をしっかり見て覚えて欲しい」と同居こそしていませんが少しでもその姿勢を見せたいと毎朝のお仏壇にご飯を供えることを買って出ました。 もちろん母の家事を軽減させたいという理由もあります。 うっかり寝坊してしまった時や、家の別の用事をする時などは母と交代してやっています。ご飯が残っていたとしても、毎日お供えする分だけのお米を研がないといけないので、体調が優れない時は正直なところ、面倒だなと思ってしまうこともあります。ですが、私が今存在するのはご先祖様があってこそ。自分だって毎日お腹を空かせて食事をするわけなのだから、ご先祖様だって同じと言い聞かせ、今も続けています。ちゃんとやっているでしょ!と、つけ上がっているつもりは一切ありません。 もちろん、日々見守って頂いているという感謝もありますが、既にお話した通り、将来自分が生命を全うした後、残った家族に見てもらいたいという気持ちがあるのも事実です。 果たしてこれは見返りを求めているということになるのでしょうか? ちゃんと供養出来ているのか心配になってきました。 どうかご見解をお聞かせ下さい。

有り難し有り難し 23
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曹洞宗における分骨について

祖母が先日亡くなった者です。 葬式も終わり、現在は四十九日法要と納骨後の段取りを決めているところです。 しかし、遺骨について少々困っていることがあります。 祖母は入院中の突然死でしたので、遺言書も口頭での死後の整理についての指示も残されていません。 何より、分骨や仏壇の大事にしていた仏像などの管理については一言も話を聞けていませんでした。 この先どのように供養すべきか検討していると、 叔父が私と母に無断で「長谷寺に分骨をする」「仏壇の仏像は俺があげたものだから回収する」と言って問い合わせなどし始めているのです。 勿論生前から祖母が希望していたり祖母が本当に大好きなお寺であったりすれば賛成なのです。 しかし、実際には祖母はあくまでも(失礼な言い方ですが)「美しい観光地」として好んでいました。 更に生前に祖母は母に「(菩提寺はあるけど)出来れば自宅の傍に骨を埋めて欲しい」と話していたといいます。 もしその言葉が本音であればと考えると、菩提寺から遠く離れた縁のないお寺に分骨するのは果たして良いのか悩んでしまっています。 そこで、 ・曹洞宗における分骨に対する考え ・遺族の意向で仏さまの意志と関係なく分骨してしまって良いのか ・分骨した場合、合葬になるということは、骨が他人のものと混ぜられてしまうのか ・祖母が好んで仏壇に置いていた仏像はそのまま置いておくべきか 以上について伺えたらと存じます。 何より祖父と叔父が仏教についてあまり詳しくないので、 祖母の意志と関係なく暴走してしまっているのではないかと心配です。 もし宜しければ助言いただけると幸いです。 よろしくお願い致します

有り難し有り難し 6
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お位牌を手放す際の諸手続きに関して

<お位牌に関しての相談です> 両親のお位牌を本体とは別に作っていただき、現住所である海外の自宅に置いて手を合わせております。このことは、実家がお世話になっておりますお寺の御住職もご存知です。実家の宗派は真言宗です。 よかれと思ってやっていたことですが、最近日本に住んでいるきょうだい達が、私の身に何かあった際の、私の自宅にある両親のお位牌の扱い方に不安を覚えていると聞かされました。 ・私の主人は日本人ではなく日本語も話せないため、私の身に何かあっても、お仏壇(小型のものです)やお位牌に関して、日本にいる私の家族と話し合うことができない ・私のきょうだい達は、日本から両親のお位牌を受け取るためだけに、海外の私の自宅に来るようなことはしたくないとのことです。 ・予想される色々な状況を考えて、主人を含むこちら(海外)の義理の家族に後のことは頼めない。 結論としましては、大変残念ではありますが、私の存命中に両親のお位牌を手放して、きょうだい達の精神的負担をなくしたいと思います。 お世話になっている御住職に相談させていただくことも考えましたが、きょうだい達の耳に入ることを避けたいと思い、こちらでおしえていただければ有り難いです。 また、お位牌と共に日本から持ち込んでおります鈴、鈴棒などの仏具一式も手元にございますので、その扱いについてもおしえていただければ幸いです。なお、私自身は仏事等で年に一回は日本に行きます。  お位牌をそばに置いて手を合わせることばかりを考え、想定できたであろう問題について何も考えなかったのは迂闊であったと反省しております。

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初盆

今日、弟に、跡取りしたのが弟だから目上の者にもてなしをするのもどうかと思う、と云う理由でお寺さんに来て頂いて読経はするが法事はしないと言われました。 そんなのは理由にならない。お供えもそれなりに包むのだから今まで母がしていたような事が出来るはずと反論しました。 まだ日も浅く年忌も続くのだからそんなに簡素化しなくても親から遺されたものもあるのだし出来るはずです。 何年も経てば子供(私達兄弟)だけで法事をする事になるでしょうが、年忌の浅いうちは伯父(叔父)叔母や親交の暑かった母の友達もお供えやお参りに来てくださると思うので、世間一般にしてほいしのですが、、、。 最近の言動で、早く煩わしい行事から離れたいという感じです。 そんなに親を弔うことが嫌なのか? と尋ねたら、 私に指図されるのが嫌だと。 私は、お供えを頂いたら粗供養を返すという事を忠告しました。この辺りでは半分返すのが一般的です。 私や兄にしていないだけなら言いません。 伯父や叔母に対して後手後手になったから、母は当日に渡せるように用意していたよ、と。(まあ、何故私達にはしないの?のニュアンスも含めていました。それなりに包んでいましたから。) 今まで母と一緒に法事の準備をしていたのは私だから、母がしていたことを伝えておこうと色々言いました。 それがそんなに口うるさく煩わしく感じたのでしょうか、、、。 もう関係を修復する気力は私にありません。 今後、私は私で母の供養や父の供養はしていこうと思います。 うちの檀家寺は50回忌で仕上げでまだこれから両親と祖母の年忌を執り行う事になりますが、あの調子だと祖母はもっと簡素化されるのでは?とも思います。 (祖母の年忌にも私は回向をするつもりです) 私が単独で供養をする場合、檀家寺が良いのか、供養を受け付けているお寺なら私のやり易い場所でも良いでしょうか? 今までもお遍路した先や高野山、所縁の深いお寺などで供養や回向を申込んできました。お経木や卒塔婆、読み上げ等、私の出来る範囲で精一杯。 そうする事で私が納得し、気が狂いそうだった心が落ち着いてきました。 お遍路も次は別格を巡ります。 お寺参りしていると早く両親に会いに行こうと思っていた気持ちが、いや、もっと私はこっちで頑張らなきゃと思えるようになりました。 お遍路の力は大きかったです。

有り難し有り難し 47
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家を出たい主婦

50代の専業主婦です。2人の娘は家を出ています。夫婦2人になって、喧嘩どころか無視状態。無料のシェアハウスだと思って生活しています。再雇用の夫は月給16万円、年金は、娘の仕送りに消えてます。私は、亡くなった実両親の家を相続し賃貸の収入が7万円あります。習い事、ジム代、ランチ代等、自分の小遣いにしています。 主人の「いつかやる」の言葉に信頼がなく、疲れ果てました。20年以上前に亡くなった義父、13年前に亡くなった義母のものが、隣に建つ家の中にそのまま。何度言っても...。俺がやる!お前は何でもすぐに捨てろと言う、と怒られ無視され...。お墓の墓誌に義母の名前が掘ってないのでそれを言っても「いつかやる」。 家には、ブラウン管のテレビが2台、フイルムカメラ5台、50万円で買った25年前のPC、etc。納屋には義父の自転車、農具など。おまけに車を買っても下取りに出さない。20台以上の車。義父母が残してくれた土地があるのでサビサビのかわいそうな車たち。 頑固過ぎてもうクタクタです。主人亡き後は、全て片付け、家も壊し、土地を売って(見積もってもらうと8千万)マンションに住みたい、と思っています。しかし、そんな先の事より今このままでは、我慢できなくなっています。言っても無駄とわかっていても目に入るので。 住み込みの仕事を探したり、シェアハウスを探したり... 。別荘地の賃貸とかもいいなあ。 一人になるのは寂しい、でもこんな冷たい関係を続けていくのも辛い。何かアドバイスをいただけたらと思います。

有り難し有り難し 23
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お寺でお話を聞いたり、修行体験することはできますか?

お寺の敷居が高く、なかなか一歩を踏み出せずにいます。 最近、即身成仏に興味を持ち、日本で有名な即身仏を見てきました。博物館を見学する感覚で観に行けたのですが、多くのことを教えていただき、感謝しています。そこから、真言宗に興味を持ち、空海、即身仏になった方にも興味を持ち始めました。 禅にも興味があり、居住地に曹洞宗が多いことから、曹洞宗にも興味があります。 実家の方は日本の多くのところにはない風習で、お墓の形が違います。 明治にはいるまで、正式な日本の統治下になかったためか、菩提寺とか、檀家とか聞いたことがありません。 親からは、「宗教は考え方が偏るから、入るな」、「無宗教の人と結婚しなさい」と言われ、本格的に教えをこうことも難しいと思っています。そのような考え方になった背景に、親戚関係があること、また日本人の宗教観から、親の考えも理解できます。 ただ、もう亡くなってしまった人に対する供養(難しいことではなく、いろいろあったけれど、その人なりに一生懸命生きたことを理解し、今自分が抱えている問題をなくして前に進めるようにすると捉えています)と、自分自身の中で懺悔したいと考えています。 できることはやっていますが、まだ供養や懺悔が足りないように思います。 きちんとした師についてやった方がいいとは思いますが、仏教は宗派が多く、どこに行ったらいいか、手続き等が分かりません。境内の仏像を観て、真似をしてみて、どういう思いになるかということもやってみました。神社は気軽に行けるところが多いので、神社で心身を清めています。(通常はお祓いは受けず、お祈りをするだけです) 仏を拝むのも何か気づくような気がしますし、仏法は本を読めばある程度学べますが、 人との関わりから学ぶこともあるかと思うのです。 私に合う仏教との関わり方はありますか?

有り難し有り難し 15
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亡くなった母への気持ち

初めて相談させていただきます。 昨年11月末に実母を乳がんで亡くしました。発症から3年、再発から1年、仕事を辞めてから1ヶ月という短期間での出来事でした。 わたしにとって母はすごく怖い存在で、怒らせたくないという感情が先に立つ存在でした。たくさん迷惑をかけ、たくさん頭を下げさせてしまったという申し訳なさもあります。 わたしは2人出産し、孫を見せることはできましたが、元々あまり喜ばれなかった結婚であったので、2人目の妊娠の時は自分の口から報告できませんでした。 そして母が亡くなる7ヶ月前に双子を妊娠し、1人は成長せずもう1人は中絶という形で、わたしのせいで産んであげる事ができませんでした。 そんなことも母には言えず、容態が悪くなってからも、なかなかわたしからの距離を縮められず、挙げ句の果てに妹から『母は姉の事が嫌い』と言われ、どうしていいかわからず。亡くなったときも強がりから母の前でも家族の前でも泣くことを抑えてしまいました。 怒られても冷たい目で見られてももっと母に正直にいろんなことを話せばよかったかな。 最期はもっと母の子供になって、いなくなる寂しさや何もわたしからしてあげられなかった後悔を、行動に移したらよかったのかな。 と今になっていろんな後悔が押し寄せています。 わたしのせいで母の寿命が短くなってしまったのかもしれない、わたしのせいでいろんなストレスを抱えてしまっていたのかもしれない。 考えれば考えるほどわからなくなります。 せめてもの償いで、命日のお墓詣りと命日に息子とお花を供えることを欠かさずすることにしています。 こんな事で私の気持ちはおさまるわけではありませんが、母には伝えることはできているでしょうか? しっかり見ていてくれていますでしょうか?

有り難し有り難し 30
回答数回答 2