今月、母が亡くなりました。今年に入ってから離れて暮らしはじめたので、仕事帰りに、毎日電話をかけるのが日課でした。自分では出られない母に父が電話を繋いでくれて、具合が良い日も悪い日も、声は聞けたのに。もう、それができないということが、苦しくて、苦しくてたまりません。実家に帰っても、母の着ていた服、使っていたものが、あの日からすべて遺品と言われるのにも、改めて母が他界してしまったのだと感じてしまい、辛くて仕方ありません。皮肉にも、遺影は素敵な笑顔でほほえんでいて、見るたび、もう楽になれたかな、痛みから解放されたかな、良かったのかな、、と思っては、そこから明るく話す声が聞こえず、亡くなったあの日の、まだ少しあたたかかった肌のぬくもりを思い出し、涙が止まらなくなってしまいます。決して高いものではなくとも、残された指輪やネックレス、これはどこで買ったものなの?誰に貰ったものなの?写真に一緒に写っているこの人は誰?生前気にもならなかった小さな事が沢山積み重なり、本人しか答えを知らない情報を、生きているうちに聞いておかなかった自分を責めて苦しくなります。頭では、そんなことを言ったところで生き返るわけでもなく、答えてくれるわけでもないと知りながら、やはりこの現実とのギャップに胸が潰れてしまいそうです。昔から、割と信心深い方でしたので、人が亡くなった後はこうなる、ああなる、等死後の世界のお話は全て信じていました。今も勿論信じてはいるのです。でも、母が亡くなってしまってから、心のどこかではなんだか全てが綺麗事としてしか捉えられなくなってしまい、遺影を見ながらお経を唱え、実際には食べれるわけでもない、飲めるわけでもない、母の好きだったものを仏壇に備えながら、私はいま、何をしてるんだ?と考えてしまうことが多くなってきてしまいました。スーパーに行けば、母の好きだったお菓子を手に取っては悲しくなり、昔一緒に行った店に行っては、母とこんな話をしたなと思い出して悲しくなり、お母さんと並んで歩く子供と街中ですれ違っては、心を引き裂かれたような気持ちになってしまいます。まわりの方は、優しく声をかけてくださいます。自分が精一杯生き抜くことが最高の供養だ、母が必ず見守ってくれているのだと言われても、今、とても、とても苦しいのです。呼びかけても母が返事をしてくれない現実に、頭がおかしくなりそうです。
祖母が亡くなってから半年が過ぎました。未だなお立ち直れておらず、ふとした時に悲しみや絶望に苛まれます。 わたしはおじいちゃんとおばあちゃんが昔から大好きでした。とてもよくしてもらいました。とても可愛がってもらいました。10年以上前におじいちゃんが亡くなったときも大変つらいおもいをし、泣いてばかりの日々が続きましたが、おばあちゃんを支えないとという気持ちもあり立ち直れたような気がします。しかしおばあちゃんも亡くなった今、生きる希望がありません。わたしをあんなに可愛がってくれる人はもういません。わたしももう良い歳なのに、はやくわたしも死んでおじいちゃんとおばあちゃんに会いたいという気持ちばかりです。おじいちゃんとおばあちゃんがこの世にいないなら死にたいです。思えば、小学生の頃でしょうか。死というものを知ってから、わたしがこの世で最も恐れていたのはいつかくるであろう祖父母の死でした。寝る前に手を合わせて祖父母と家族の健康を祈ることが日課となっていました。それほど恐れていた祖父母の死を経験した今、もう怖いものはなくなりました。ひたすら祖父母に会いたいという気持ちしかありません。このまま生きていても二度とおじいちゃんと話せないしおばあちゃんのおにぎりと卵焼きも食べられない、二度とふたりに会うことができないことをふとしたときに思い出し、絶望し打ちのめされます。思い出の場所や外食した店、買い物した店など日常を過ごす中でふとしたときにも思い出がたくさん甦ってきて悲しくなったり泣いてしまったりします。仕事は頑張って行っています。趣味も楽しめてはいます。でもやっぱり祖父母に会いたいと思ってしまいます。仕事帰りにお墓に行き、ひたすら泣いて疲れて帰るという日もあります。夢にも出て来てくれるときもあります。 この気持ちは日にちが経てば落ち着き、癒えるのでしょうか。亡くなって少し経った頃、地元のお寺さんに供養に行った際に教えていただいたのは、悲しむのは悪いことではない泣いていいということでした。とても救われました。しかし半年も経ったのにまだまだ悲しく苦しいです。 わたしはどういう気持ちやおもいで日々を生きていけばよいのでしょうか。わたしはどうしたらよいのでしょうか。
主人と子供は2人のみで経済的にもギリギリだね、と話していたので避妊しておりましたが 体調悪くてまさかと思ったら3人目妊娠 体力的にも、つわりで動けない 子供たちのお世話もままならない 家事もできない 私も働かないと義母が入院中で、入院費の支払いが出来なくなってしまうのにつわりが酷く休みがちになったり、出勤しても顔色が悪いと早退を勧められたり… なんとか産めないかと主人と話し合いましたが 現状、生活が成り立たないのが目に見えているし 二人の子供で手一杯な事もあり泣く泣く中絶をしました。 手術までの時間、名前をつけ、毎日話しかけて、どうしても産めないものかと悩み、やはり産めない…の繰り返し 実は、主人と結婚前にも1度妊娠しており、 私の母親に反対されたり、倒れるほどの貧血や吐き気などひどいつわりで主人と話し合いも進まない、仕事も行けない、など 精神的に参ってしまい中絶をしました。 その事もあり、もう二度と中絶はしたくない!という気持ちが強く 避妊もしっかりしていたのに今回の妊娠 中絶手術の時は麻酔で眠ってしまっており、 その日は意識が朦朧としていましたが 翌日からなんて事をしてしまったのだろう なんとか産めなかったのだろうか あの子に会いたかった等 自分勝手ですが 後悔しかしません。 でも、今の生活と今いる二人の子供たちの事を考えて出した答えだから…と 主人に言われますが、頭では理解しているつもりでも心がついて行きません。 結婚前に中絶してしまった子の供養は毎月月命日に近い休日に主人と子供たちとお線香とジュース、おかしを持って行っています。 今回の子も毎月お参りに必ず行きます。 でも、二人とも会いたかったというのが本音です。 支離滅裂な文章ですみません…。
中絶をしました。 大好きな彼氏との妊娠でした。 避妊に失敗したようで予期せぬ妊娠でした。 お互い今は若く、夢を追いかけていて経済的に子どもを育てていけないという事で中絶を選択しました。 それを決めた時は悲しかったけど、お腹の中にいる短い間だけでも心から愛して大切にしよう、また戻ってきてくれたときの為に夢を叶えて準備して笑顔で迎えてあげようと前向きに考えていました。すごくすごく愛おしい存在でした。つわりでさえも幸せでした。 手術の日が近づくにつれて不安は募りましたが、手術さえ終わって体調も回復すればまた元気に仕事ができると思っていました。 でも、実際中絶をしたら取り返しのつかない事をしてしまったと気づき後悔して毎日生きるのがつらいです。 私は命に関わる仕事をしています。 なのに一番近くにあった小さな命を自らの判断で殺してしまった。 罪悪感と悲しさ、被害者ぶっている自分が信じられなくなりました。 それからというもの人と会うことも話すことも避けるようになり、いつも胸が苦しくて赤ちゃんのことを考えてしまいます。 今は仕事も休みがちになり夢からどんどんはなれ、活動量も落ちて家に閉じこもるばかり。 夢のために赤ちゃんを堕したのに命を無駄にしてしまいました。 だからといって動き出す活力はないし、誰とも話したくないのです。 小さなプレッシャーにも勝てなくなりすぐに泣いてしまいます。 言葉も詰まってしまいます。 自分はもう何もできないんじゃないかと不安でたまりません。 ただの甘えなのでしょうか、、、 大好きな彼にも心配をかけてばかりで次は彼が参ってしまい2人の仲も壊れてしまうんじゃないかと不安でいっぱいです。 もう自分ではコントロールできません。 だんだん、明日が来るのが怖くなりました。 どこかに消えてしまいたいです。 跡形もなく、なくなってしまいたい 意識がある事、もたれる事が苦しいです。 死のうと試みましたが怖くなってダメでした。怖いものばかり、覚悟もありません。 家族や彼を悲しませるのも嫌なので、私の存在自体を無かったことにしたいです。 私が幸せになることが赤ちゃんの一番の供養だとは思っているのですが、とにかく早く楽になりたいです。
お世話になります。 お布施の相場感について教えて頂きたいです。 この度母が亡くなり、葬儀屋さんの紹介頂いたお寺さんに四十九日法要と新しい仏壇への魂入れをお願いすることになりました。葬儀屋さんから四十九日だけであれば、3万円と案内がありましたが、今回仏壇への魂入れもあるので、お布施の相場を葬儀屋さん経由で聞いたところ、5~10万円とのことでした。 そして、後日、お寺さんとのやり取りの中で、古いお仏壇の供養と、子供の頃に亡くなった父の位牌の件でどうするか?というご提案を頂きました。 古いお仏壇は仏具店にて魂抜きお焚き上げをお願いできますが、父は宗教上の理由から、亡くなった当時戒名をいただかず、位牌もない状態です。 お寺さんと相談し、古い仏壇は仏具店にお任せすることになりましたが、父の件は、夫婦位牌にして、父にも戒名を授けていただけるという流れになりました。 お寺さんには無知な私に色々と教えていただき、大変有難く、お布施でも礼を尽くしたいのですが、今回母の葬儀でまとまったお金が出ていき、経済的に厳しい状況です。 今回父の分の戒名と夫婦位牌へ母と合わせて魂入れとなると、もともとの5〜10万円に加えて、いくらほどお布施を追加したらよろしいでしょうか。 お寺さんに聞きましたが、冗談ぽく「たくさん笑」と言われました。気持ちの問題なのでそうとしかお答えできないかと思いますし、ご配慮をして頂いた上で、ユーモアあるご回答だったと思います。 ただやはり、失礼のない相場感を教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。
先日、母方の祖父が亡くなり、お顔を見に父と隣に住む父方の祖父母とともに祖父の元へ向かいました。 祖父の顔を見て大泣きする私に、父方の祖母は「そんな悲しんじゃだめよ。あなたの従姉妹は小学生のときにお父さんが亡くなったんだよ?」と言いました。 父の兄は私が中学生、従姉妹が小学生のときに若くして亡くなりました。 私も従姉妹も一人っ子で、年もあまり離れていないことから、よく引き合いに出してくるのですが、祖父の遺体を前によくそんなこと言えるな、と今になってモヤモヤした気持ちというか、怒りがこみ上げてきました。 母はそんな祖父母に来てくれてありがとうと言ってました。私が母ならありがとうと言えない、と思ってしまいました。 隣同士だから嫌でも会ってしまいますが、一緒にいたくない、もう話したくないって思ってしまいます。 もともと父方の祖父母は私よりも同居してる従姉妹が好きって感じで、それが会話に滲み出てるのが苦手でした。反対に母方の祖父母は優しくて大好きです。 嫌な気持ちになったからこういう比較はやめてくれ、と直接言ってもいいんでしょうか。一時的な感情だと思うのですが、誰にも言えなくてモヤモヤしてしまい、質問させていただきました。
あの子の分まで、2倍頑張らなくては‼前を向いて歩かねば!と、がむしゃらに独り生きていました。 しかし、やはり、自分に甘く、ダラダラした生活するときもあり、(こんな私じゃ駄目だ!)と、数十年経った今も、愛しい我が子に申し訳なく苦しいです。 (もぅ、全てを捨てて我が子のところに逝きたい)と毎日考えています。 ほんの数か月でしたが、、、 お腹に居たとき、本当に本当にいとおしかった。お参りして泣いて、胎児のエコー見て泣いて。とてもいとおしかった。 怖かっただろう、痛かっただろう…ごめんなさい。ごめんなさい。考えると苦しいです。 どうすれば、我が子と私は平穏の中、二人で余生を過ごせるのでしょうか。 今でも我が子を想うと悲しくて罪悪感が消えません。
未だに1人になると、母のことを思い出して涙がとまりません。 思い出すのも、後悔ばかりです。 物心ついた時から父親がおらず、女手一つで、私を含め3人育ててきた母です。 貧乏であまりいい思いをしてこなかったので、よく母に当たったりしていました。こんな家に生まれたくなかった、とか幸せだと思ったこと一度もない、とか。 反抗期とひねくれた性格もあって、本当に酷いことばかり言ってしまったこと後悔しています。 地元から離れていたので、母の死に目にはあえませんでした。 母の友達から、母がよく私のことを心配していたと聞き、愛されていたこと、それに応えられなかったことがすごく悲しいです。 社会人になって、親孝行しようと思っていた矢先のことでした。一度も親孝行できず、なにもしてあげられていません。 母はずっと働いてばかりの人生でした。 いつか楽にしてあげたいと思っていました。 抗がん剤治療を受けながら働いていた母でした。 母なら大丈夫だろう、いつか治る、死ぬわけないって、思ってました。 なんで母が死ななきゃいけないんでしょうか。 母の代わりに私がしにたかったです。 もう地元に帰る家もありません。居場所がありません。 わたしも母のところにいきたいです。 母に会いたいです。
悩みは妻が葬儀の時に、霊前で焼香の時安らかにお眠り下さいと願ったあと、地獄に落ちろと思ったようです。とてもお父さんが好きだったようでなんでそんなの事思ったのか、ずっと反省と後悔をして不眠症で病院に通っているのですが良くなる気配がないです。本人は生き地獄の末、死んでからも地獄に落ちると仏教の教えにあると、言っています。どうすれば抜け出せるでしょうか?一度、お坊さんと話をしようと連れて行ったのですが、怖くて行かないと言うので。回答をお願いします
はじめまして。 2020年の4月半ば、ガンで父が亡くなりました。 1月の終わり頃に首にしこりがあると言っていて、そのタイミングで私も父に関する嫌な夢を見てしまったので気がかりだったのですが、病気に行きなよ、程度で終わってしまい、3月の半ばには酷くなり即入院。 ですがもう手遅れで先は長くない。覚悟しておいて下さいと言われ絶望していました。 そんな父が入院して1ヶ月で、食事もとれなくガリガリに痩せ、血圧が下がりそのまま亡くなってしまいました。朝早く病院から呼び出され母と病院に行った時にはもう息を引き取っていました。 私はなぜあの時に無理矢理でも病院に連れて行かなかったのか後悔していました。亡くなってすぐの父の手は暖かくて、お見舞いに行った時に手を握って意外と力余ってるねと笑っていたのを思い出し涙が止まりませんでした。 葬式などを終えひと段落し、霊感がある母と喋っていると、父の気配も何も感じない、死んだ事に気付いていないのでは、と言っていました。 確かに血圧が下がり、眠るように意識が遠のきそのまま亡くなったのでもしかしたらまだ魂は病院を彷徨っているのではと不安になりました。自分の死に気付かない等あるのでしょうか?父は生前、人は死んだら何処へ行くのか、魂の話や心の話をよくしてくれました。 そういった事を理解していても、いざ自分が亡くなったら分からないものなのでしょうか? また、父は入院する前私が買ってくるのを楽しみにしていたプリンを食べられずに入院してしまいました。ガマンしていたお酒もタバコも、好きなお菓子も、食べたかったプリンも、お供えしたら食べて貰えますか?亡くなったらゆっくり休んで病気で食べれなかったプリンもタバコもお酒も楽しめているんでしょうか? 父は病気の苦しみから解放されて、今苦しまないでゆっくり休めているんでしょうか? 質問責めですみません。 ご回答よろしくお願いします。
以前に「最愛の母を死なせました」として、ご相談をさせていただいたものです。 3月31日に母の四九日法要と納骨を済ませまして、その後4月7日に母の霊に遭遇しました。 状況は明け方4時頃、寝室で眠っていたところ足の部分に重みを感じ、上体を起こすと母が布団の上に座り込んでおり、目が合うとすっと消えてしまったというものです。 母の姿ですが、癌の闘病中のもので、抗癌剤で頭髪は抜け落ち、身体もやせ衰えているという、亡くなる頃の姿でした。 この姿からすると、母は未だ病苦から解放されてはいないのでしょうか。その苦しみを訴えるために、私の前に姿を現したのでしょうか。 また、何故信頼し合った親子であったのに、目が合うや否やすっと消えてしまったのでしょうか。 ご意見・ご教示をくだされば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
今度身内の三回忌があります。 ですが、コロナ禍ということもあり 家族だけで手を合わせ、お坊さんにも来ていただかないことにするそうです。 自分たちでお経をとなえるとすれば、どのお経をよむのがよいでしょうか?
夫が先月末、47歳で急死しました。 大動脈解離で倒れてそのまま。 私は36歳、年の差婚です。 6歳の娘がおります。 この2年ほど夫とは育児や家事のことで喧嘩が絶えず、別居もしましたが、亡くなる直前、ようやく二人の歯車が少しずつあって、あーこのまま幸せに暮らしていけるんじゃないか、と思った矢先のことでした。 倒れた瞬間、夫は私を呼びました。 助かりこそしませんでしたが、出先で同じ空間にいたので、倒れてすぐ娘と駆けつけ、救急車で祈る気持ちで付き添えました。 色々な奇跡が重なって、誰もが助かったと思いましたが、助かりませんでした。 そんな夫の通夜葬儀は、喪主として立派に務めることができたと思います。 その後の手続きなども、なんとか頑張ってこれたのも、周りの支え合ってこそです。 ある日、夫の携帯電話を整理していたところ、とあるSNSに通知があり、夫の友人かな?と開いたところ、それは夫が鍵をかけて私の愚痴をつぶやくアカウントでした。 それはもう、目を塞ぎたくなるほど、頭が真っ白になるほど、ひどい言われようで。 一瞬、体中の血の気が引くほど落ち込みましたが、急に、あれ?でも私も夫のこと悪く言ってた、お互い様なのでは?と思え、それまで、夫の命を奪ったのが自分がストレスをかけたせいだと罪悪感で潰されそうだったので、お互いに苦しんでいたから、もういいじゃないか、と思えました。 それから、なんというか、心にあった黒い靄が全部晴れて、清々しく、娘と一緒に第二の人生を歩もうとすら思えています。 ただ、そんな自分が怖くもあります。 またこんな気持ちでいて、夫の供養にならないのでは、という思いもあります。 私のこの感覚は、不謹慎でしょうか? それとも、生きるということは、こういうものなのでしょうか? 今までは、人のことも自分に対しても、お天道様は見てるから立派であらねば、と思って生きてきました。 でもなんというか、人間はみんな愚かなんだ、だから毎日自分が幸せで、自分の愛する人が幸せなら、なんでもいいか、と思えています。 すごく生きやすくなった気がしますが、これは人の道に外れた生き方か教えていただきたいです。 よろしくお願いいたします。
昨年、実父を亡くしました。 私は父にとって一人しかいない実子です。 私の両親は、15年ほど前に離婚しました。 父は昔から浮気癖があり、何度か離婚の危機もあったようですが、私が結婚するまで婚姻関係にありました。 ついに我慢の限界で離婚しましたが、父はその数日後に以前から関係のあった女性と婚姻してしまいました。 おまけに、その女性の連れ子とも養子縁組をしたのです。 そのことを知ったのは、父の再婚後数年経ってからでした。 離婚後も、私が帰省したときなどには3人で食事をしたりもしていました。 私はもっと連絡を取りたかったのですが、父の新しい家族に遠慮してしまったのもあり、普段は年に数回の電話やメールで近況を知るだけになりました。 数年前より、父の体調が優れないとのことで、入退院を繰り返している旨の連絡がありました。 そして去年の夏に、父の再婚相手から初めて電話があり、父の容態がかなり悪いことを知らされました。 それから父が亡くなるまで、父の嫁と連絡を取り合うようになり、最期を看取ることもできました。 再婚後間もなく体調をくずしがちになり、ずっと父に寄り添っていてくれた父の嫁には感謝していますが、 母とまだ婚姻中だった頃に無言電話を何度もかけてきたこと 単身赴任中の父の部屋に自分の下着や写真などを目につくところに置いていたこと など、母へ離婚を迫るような行為があったことなどから、わたしはどうしても許すことができません。 父の嫁は父の預金など全てを父の生存中に自分の名義に変えていたため、私には父の遺産がありませんでした。 養子の娘には実の父親がいて、時折交流しているとも聞いています。 私にはたった一人の父がもうこの世にはいないのに、と思うと更に悔しくなります。 納骨後、父の嫁から一度連絡がありましたが、今までの怒りをぶつけてしまい、絶縁状態です。 今年は初盆ですし、その少しあとに一周忌です。 このまま父の供養ができないのは辛いですが、どうしても向こうの家族を許すことができないのです。 父のことも許すことができません。 心が狭いと自分を責める毎日です。 少しでも気持ちを楽にしたいです。
初めて相談をさせて頂きます。宜しくお願いいたします。 先日親戚の四十九日法要と納骨がありましたが、その際に僧侶の方が「参列者の名前を間違えて唱える」という場面がありました。 ※卒塔婆を立てる参列者の名前を読み上げていったのですが、私の家族全員が「名字」を誤って読まれました。 ※私の名字は、故人が生前 結婚する前まで名乗っていた旧姓でもあります。また故人は生前私達の家に対して大きな愛情を持って接して下さいました。 ※墓所と法要を行ったのは葬儀会社が運営する霊園です(今回の僧侶の方は霊園職員の方が手配。霊園と提携するお寺のようです) 亡くなる直前まで私達の家族を愛して下さった親戚。私の家族もまた故人を愛していましたし深く感謝しています。だからこそ今回「名前を間違われた」事は悔しく感じました。 法要後、思わず僧侶の方に『恐れ入りますが名前を間違われて読み上げられました。▲▲(間違った名字)ではなく、●●(正しい名字)です』と申し出てしまいました。 しかし僧侶の方は「じゃあ墓前納骨時に言い直しますから」という『軽くあしらわれた』と感じる言動を取られました。これには参列者一同唖然となりました。 今日の為に必死に準備をしてきた施主や関係者全員、そして私の家を心から愛してくれた故人の事を思うと…あの言動は非常にショッキングでした。 納骨時には正しい名字で言い直してお経を上げて下さいましたが、参列者全員わだかまりが残ってしまい非常に残念です。 実は前回、祖母の回忌法要においても同様の事件がありました(回忌数を間違われて読み上げられた) 連続して類似問題が起こり、悲しさと憤りを抱いてしまいました。 霊園職員の方には「2度連続で誤って進行された」と抗議したので次回以降はこのような事がないよう願うばかりです。 さて、このような事態を経験してしまったのでお伺いしたいのですが、法事の席で僧侶の方が名前や回忌数など「参列者にとっての重要点」を誤って進行する事はあり得る事なのでしょうか? またこのような誤りがあった場合、参列者はどのような対応を行うのがベストですか? そして…故人に対する供養はどうすれば良いでしょうか?今回はモヤモヤが残るような法要となってしまい…故人に申し訳ない思いがあります。 稚拙な文章で恐れ入りますが、お知恵を拝借願えますと幸いです。宜しくお願いいたします。
はじめまして。 私は2度中絶をしました。 1度目は21歳の時です。 当時1年程交際していた恋人との間で妊娠が発覚しましたが彼の親御さんから強く反対をされました。 私は彼とお付き合いする前からうつ病等の精神病を患っており治療中でした。 彼の親御さんは、「精神の弱い人間が子供を産んでも障がい者しか産まれないから産んで欲しくない」「精神病の嫁は要らない」と仰り、彼も親御さんには逆らえず、中絶して欲しいとの考えでした。 私は最後まで悩み考えましたが、自分の経済力のなさや、この精神状態で1人で育てていけるか自信が持てず、中絶を選びました。 その後、彼と別れましたがしばらくは現実を受け入れられず、自殺未遂を繰り返しながら過ごしました。 4年程経ってから、精神病も落ち着き心の整理がつき、かなり遅くなりましたが水子供養をしました。 現実27歳でこの度また中絶をしました。 優しくて素敵な彼と付き合って2ヶ月目で妊娠が発覚しました。 自立し精一杯生きているつもりでしたが、経済力はまだ乏しく生活はギリギリの状況で、彼は会社員ですが自分1人生活するのにやっとの経済力です。 2人で話し合った結果、今回も中絶を選びました。 自分の愚かな欲張った行動でまた命を絶ってしまい、私を選んでくれた赤ちゃん2人にとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。 産んであげられなかった自分を醜く思います。 2人の命への懺悔の気持ちと自己嫌悪で死にたくなりました。 ですが、これ以上愚かな行動を重ねないよう、どれ程苦しくとも懺悔し2人のことを胸の内に抱き自分の行いを省みて、日々を生きていかねばならないと思います。 生きる日々が生き地獄のような日々だとしても、決して自ら命を絶つことはせず、どんな苦難も生きるうちに与えられた罰だと考え生き続けたい。そして地獄で永遠に罪を償いたいです。 ですが、そんな考えは自分勝手なのではないかとも思います。 私のような人間は、罰さえ与えられる価値もないのではないか。 2人の命を言い訳に狡く生きようとしているだけなのではないか。 そのような考えが巡り、生きるべきか死ぬべきか分からなくなりました。 こうしてお言葉を頂戴したいと助けを乞う自身もとても気持ち悪いです。 何が正しいのかわからなくなりました。 長文に重ね乱文で申し訳ありません。 読んでいただき、ありがとうございました。
25年くらい前の話です。私小学生の頃、一緒に暮らしていた猫がいました。 元々は近所に住み着いていた野良猫が生んだ子でしたが、親離れをして自らうちに来て、そのままうちの子になりました。 とても賢い子で、私にとって姉妹のような存在でした。一緒にお風呂に入るのが好きで、いつも私がお風呂に入る時は、お風呂の蓋の上に座っていました。 その日は、お風呂を沸かし過ぎていました。猫はいつものように蓋の上に上がって来ました。 お風呂のお湯が熱くて触れないくらいだったので、私がお風呂に水を入れようと蓋をずらした時、猫がバランスを崩して熱いお湯の中に落ちてしまったんです。 私は鳴き叫ぶ猫を助ける事もできずにオロオロしていたら、母がお風呂場に来てくれて猫を助けてくれましたが、猫もパニックになっていて、暴れて充分な応急処置はできませんでした。 その後、猫は病院に行って入院しましたが、全身のヤケドが原因でそのまま亡くなりました。 まだ2歳くらいでした。あのヤケドがなかったら、もっと長生きできたのに、私が痛い思いをさせて死なせてしまいました。 亡くなった後は供養をしてもらいましたが、私のせいで亡くなったという事実は変わらず、いくら私に悪気がなくて、まだ子供だったとはいえ、許される事ではないと思い、ずっと後悔しています。 その猫が亡くなった後も、たくさんの猫と暮らしてきました。母と2人で野良猫が増えないよう避妊手術を行ったり、捨てられた猫たちを保護したりと、たくさんの猫と関わり、一緒に暮らしてきました。 今思うと、亡くなった猫は、我が家がたくさんの猫と出会うきっかけを作るために、うちに来てくれたのかなと感じています。それでも…あんな亡くなり方をしなくても良かった筈なのに。 私がお風呂を沸かしすぎなければ、一緒にお風呂なんて入らなければ、直ぐに助けてあげられてたら…痛かっただろうな、辛かっただろうなと、思い出すと胸が痛くなり、涙が出て来ます。 私はこの出来事から何を学べば良いのでしょうか。どのように向き合えば良いのでしょうか。 うちに来てくれてありがとう。姉妹ができたみたいで嬉しかったんだよ、一緒にお風呂に入るの凄く楽しかったよ。辛い思いをさせてごめんね、許してくれるかな、私がそっちに行ったら、また会えるかな。 こんな風に猫を想う私の気持ちは、天国に届いているでしょうか。
〔編集部より。規約により投稿の一部を修正しています。〕 はじめまして! 私は5人家族でした。母と姉は4.5年前からある宗教に入っています。しつこく勧誘をされ、自分の親が意味のわからないことを延々 と話している姿に毎日涙がとまらず、私は家にいることが嫌になり、家を出ました。 お父さんはすごく優しい人で、理解はしようとしました。 でも結局、確証のない話ばかり聞かされて毎日言い合いばかりしていたようです。 兄は全く聞く耳も持っていませんでした。私が実家に帰るといつもその愚痴や、昔から仲が良かったのでたくさん話をしてくれました。とゆうか私も本音で話せる家族は兄しかいませんでした。 ですが去年の11月から兄は鬱病になりました。私はこの原因はその宗教にあると思っています。 仕事が大変なのは聞いていましたが、兄はもう9年ほど同じ所に勤めていました。今さらその原因が仕事だとは思えないです。 そして5月10日、兄は薬を大量に飲み、自殺を図りました。 病院に搬送され、一命は取り留めたものの、13日の夜、亡くなりました。 集中治療室の中、他にも生きようとしている患者さんがいる中でも御構い無しにお経を読む。 睨みつけてやりました。 お前らのせいで大好きな兄が死んだと。言ってやりました。 親族内で散々揉めました。葬儀はその宗教方式でやると聞きません。 そのせいで兄がなかなか葬儀をできないのも可哀想なので、もうそれで決まりとゆう運びになりました。でも私は兄が嫌がっていたお経を唱えないと決めたので、その意見だけは絶対に曲げません。 私が話を聞かないなら縁を切ってくれても構わないと言われました。上等です。 親戚の叔母や叔父は、もうあんな奴を親だと思わなくていい、こっちの娘になりなさい、実家に帰らなくていいと言ってくれました。 私は一生その宗教を、押し付けた母と姉を恨みます。 あんな奴らの元では兄も供養できないと思ったので、分骨をして私の手元で好きだったラーメンをたくさんお供えしています☺️ こんな事しかできませんが、少しでも天国で楽しく過ごしてくれたらと願っています。 長文で失礼しました。 毎日悲しくて悔しくて、一生この気持ちが離れないと思うと死んでしまいたくなります。 こんな悲しい出来事をもう他の誰にもして欲しくないです。切実な願いです。兄の死を無駄にしたくないです。
初めまして。誰にも言えず、悩みに悩みここに辿り着きました。すがらせてください。 私には今、大好きな彼氏がいます。付き合って約2年です。 喧嘩もたくさんして、彼に(浮気関係ではないのですが)何度も裏切られ、幾度となく別れの危機に直面しましたが、それでも信じ合い話し合い、別れずに今一緒にいれることはすごく幸せなことだと思っています。 半年ほど前に妊娠し、中絶しています。 しかし、妊娠する可能性がある1ヶ月間、彼との関係もありましたが、彼と別れ話から距離を置いていた期間が1週間ほどあり、振られると思っていた寂しさでその間に彼の親友と浮気をしました。身体の関係も持ってしまいました。 しかも2度目です。1度目のときも、彼に構ってもらえない寂しさで逃げてしまいました。本当に反省しています。 彼のことは大好きなのに、寂しいとすぐに逃げてしまう自分が憎いです。彼は戻ってきてくれたのに。 話を戻します。その妊娠のことは彼に話し、お互いの両親にも話し、堕ろすことに決めました。 彼が学生であり、夢があること、経済面で安定してからしっかり準備ができたときに迎えてあげたいと、話し合った結果です。 簡単ではないことわかっています。そのお腹の子は本当に彼との子なのかは、、前述に示したとおり、正直わからないのです。これも、今回このようになった理由のひとつです。 しかし、彼の子だと信じて話を進めるしかありませんでした。 水子供養にも行っています。2人で今回のことを乗り越えて、2人で幸せになって、次に宿ってくれた命を大切にすることで、今回の子へのせめてもの報いになるかなと、2人で話し合いました。そんな綺麗事で済まされることではないこと充分承知しております。 また、彼には私以外にも過去にも中絶をした経験があります。その話を聞いた時はショックでしたが彼のことが好きだったので乗り越えました。そののちの、今回の出来事です。自分が憎いです。 こんな私たちに幸せになる権利はあるのでしょうか。 また、どういう生き方をしたら少しでも報われますか。教えてください。助けてください。弱い人間で、ごめんなさい。
潮干狩りとか釣りとか、それを生業にしてる人が殺生をするのは当然ですが、自分が遊びでやる事への罪悪感があります。 生命の維持のために他の命を奪う事は世の理です。しかし、第一次産業に携わる方々が、自分達消費者の代わりに殺生をしてくれているのに、その仕組みを超えて、わざわざ自分が快楽を得るために殺生を行うのは、単なるエゴであり、それは捕まえた生命に対し非常に失礼なのでは?と常々感じます。 実際、潮干狩りとか釣りをしている間は楽しいのが、その考えを裏付けるようで辛いです。 しかし、捕まえてしまった以上は、なるべく苦しまないように殺して、美味しく食べようと思います。それが、無駄な殺生をしてしまった自分が出来るせめてもの償いなのではないかと思います。 やはり、潮干狩りや釣りは悪いことなのでしょうか?