hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 わからない」
検索結果: 2628件

愛犬の死

14歳3ヶ月で亡くなりました愛犬に後悔とごめんねばかりで毎日泣いています。自分の意思で早朝から夜遅くまで週末も会社の日々を7年、長時間の留守番、長年寂しい思いをさせていた上に一緒に居る時は日常の色々にいつも苛々し犬にあたってしまった事もありました。命を預からせて頂いた責任や命の重みを軽視してしまっていました。このままでは駄目と生活や考えを改め一緒に居る時間を増やし大事にしてきたつもりですが転居数回、一緒に居る人や環境変化多い生活に付き合わせ日々の中でも自分優先の考えや行動が多々でした。 3年前仕事をしながら資格を取る事に決め段々と余裕が無くなり私の中に消したいのに消えない自分がいました。犬を撫で微笑みかけながら「可愛いいい子何年も寂しい思いをさせてきた分も世話させてね、甘えてね、長生きしてね」と言いながら心か頭のどこかで「寝たきりになる前に、、、歩けなくなる前に、、、いつ死ぬの」という言葉が出てきて犬に見えない様に自分の頬を叩いていました。 1年前から2週間に1回の血液検査、私は獣医師の前で萎縮してしまい聞いたり言ったりが殆ど出来ず家族である自覚も足りず時々検査や処置に疑問を抱き転院を考えながらもその病院へ行っていました。 ある昼間いつもと全く違う様子ぐったりしていたのに当日朝に病院へ行っていた事もあり夜に嘔吐もしましたが薬をあげて様子を見てしまいました。翌朝病院へ行き入院以降絶食絶水点滴のみで9日目朝に10gだけフードをあげガツガツ食べたと。その翌朝誤嚥か何かで肺炎を起こしたと酸素室の話も無いまま急変すると今日明日わからない、点滴を病院と自宅どちらで続けるか聞かれ連れ帰りその日の夕方息を引き取りました。亡くなる迄の長時間お腹を激しく上下させとても速い呼吸、苦しく辛そうな様子ばかり鮮明に出てきます。入院は私にとってだけの安心でしかありませんでした。特にここ数年どれ程痛みや辛さを我慢し頑張ってくれていたか、体調悪い中歩み寄ってきてくれたのも力を振り絞ってのことだった、なのに私は無理をさせてしまっていた、わかろうとしていなかった考ていなかった、と。10gのフードをガツガツ食べた、生きようとしていたと思えてなりません。じーっと私を見ている子でした。余裕のない私と私の中の消したい気持ちを感じ取っていたと思います。あの時、別の病院へ行っていたら等の後悔も次々と出てきます。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

母親の死

今年の7月18日に母を癌で亡くしました。 発見が遅く約2ヶ月の闘病生活でした。 幼少期の親の離婚などで 私は母のことが嫌いでした 年明け、母が体調崩し出した時には 「私はお母さんに愛されてると思ったこと 1回もない‼︎」 など、、酷い言葉を言ってしまいました 絶対にお母さんみたいな大人にはならん と昔から心に決めて生きてきました でも、約2ヶ月の闘病生活の間 母の必死に生きようとする姿 どんだけ辛くても笑顔で 周りの人に感謝をする姿 頑張るから、と毎日、亡くなる直前まで 言っている姿を見て 母の凄さに気づきました 学校終わりに毎日病院に通い 今までにないくらい、喋って、笑って、泣いて、、1番幸せな2ヶ月間でした。 母が亡くなった直後は正直ほっとしました 学校終わりに病院、家帰って学校 とゆう生活から解放された。。と思い。 でも、今は、悲しさや怒り なんで?なんで私なん? とゆう気持ちが増していくばかりです もうすぐ5ヶ月が経とうとしてますが 時の流れの早さに 自分の気持ちがついて行けてなくて 色んな言葉にプレッシャーを感じます 私は少し精神疾患をもっているのですが そのせいなのか、母を亡くしたからなのか 自分でもわからなくなります。 学校も辛いです。 先生からは、 ・集団行動ができてない ・病気だから仕方ないんでしょ ・周りの生徒に迷惑 など言われました。 そんなこと言う大人が居るんや と 正直ショックでした 兄は、休学してもいい、辞めてもいい と言ってくれますが 母が女手一つで働いて 通わせてくれた学校を、休学や辞める 決断はできませんでした 文章ごちゃごちゃですみません。 今は八方ふさがりでなにもかも どうすることもできません。 この悲しみや辛さから 抜け出す日はきますか?

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

お隣の方が孤独死されました

こんにちは 初めてご相談させていただきます 宜しくお願い致します 7月の中旬ぐらいから帰宅して家の扉を開けると嗅いだ事のない独特な臭いがするようになりました なんだろ。。。と思い臭いを辿っていくとどうやら押入れから臭うことがわかりました 今年は梅雨も長く湿気とかでこもってしまったのかなぁ。。。と思い消臭剤やら沢山買ってきて置いたのですが一切なくならずむしろどんどん臭いが酷くなりました 心配になり管理会社の方に来てもらい。。。臭いの原因がお隣さんからだと知らされました お亡くなりになってその臭いだとわかりました すぐ退去したいのですが次の引っ越し先の手続きやらでまだ引っ越し出来ず今も住み続けてます(発覚してから3日です) 臭いは少し落ち着きましたがはやり外から帰ってくると臭います あとご飯も食べれなくなり食欲も減ってます 外に出る時隣の扉を見るのも怖くて走って外に出てます お隣の方とは1回だけ挨拶した程度だったのでほぼ接触はなかったです そのような状態でかなり心が辛いです とりあえず臭いを消そうとお線香を焚いて過ごしています 引っ越しは決まりそうなのですが使っていた服や物、家具などに臭いが付いてる気がして正直な気持ちを言うと次の引っ越し先で使うのは気持ち悪く感じてしまいます でも全部を買い替えるお金もないのでそうはいきません 大切にしている物も捨てたくないです この場合次の引っ越し先でお祓いとかしていただいて供養?してもらった方が良いでしょうか? ここ数日不安で気がおかしくなりそうです 普段メンタルは強い方だと思っているのですが今回ばかりは辛くて悲しいです あと数日の我慢なのですが不安でたまりません あと押入れを今開けた状態にしてますが押入れの中を触るのも怖いです。。 何かアドバイスがあれば教えていただきたくメールさせていただきました 宜しくお願い致します

有り難し有り難し 37
回答数回答 2

恋人の死

出会って4年、すぐに結婚を望まれていましが、私は子育て中。この間、様々な出来事ありましたが、この春、子も自立し、ようやく新たな生活をと思っていた矢先、彼の病気がわかりました。 今年に入って、彼の体調が悪く、病院に行くようにと言いましたが、仕事への責任感も強く、また、病院嫌いもあり、ケンカ絶えず、諦め?見守るしかない状況でした。もっと、アプローチの仕方があったのでは。と、とても悔いが残っています。 体調が優れない日が続き、説得して入院をしたのが6月、8月末までの治療を目標に治療に専念していました。彼は、本当に頑張りました。しかし、その治療も、症状が悪化して、半分も出来ませんでした。 彼は、8月半ば、余命告知すぐに、病状が悪化し、先日逝ってしまいました。 彼には、死ぬなど予定なく、無念だったと思います。 私達は、籍を入れるタイミングを失ってました。病気がわかってから、彼は、元気になって結婚しよう、と言っていたので、私も、彼に添いました。ただ、彼が、8月、籍を入れたいと言い出し、私もそのつもりでいましたが、結局、彼が意識消失して、お身内から入籍の許可がありました。彼が言った、その時、籍が入れれず、彼の落胆は大きく、口数も少なくなりました。 私は、婚姻届を私の宝物としました。全てが遅かった。 現在は、彼のお身内は、とても私を気遣い、彼の妻として接して下さいます。感謝しています。 ですが、私は、現実が受け入れられません。いつも、彼といるような、彼を求めて探しているような・・・ 彼と、リスタートしたいです。 気持ちも身体も整わない状況です。仕事も休職しています。泣いても泣いても、どうしようもなく、私は、私の事ばかり思っているようで… ホントに自分がイヤになります。 どうか、よいお導きをお願いします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

息子の死

はじめてお話させて頂きます 昨年の夏に二十歳の息子が事故で亡くなりました。 先日は一周忌と新盆の弔いを行いました。 現在の私は 息子の位牌や墓前では 息子が悲しまないように、心配しないように 笑顔でいることに努めています。 ですが、頭では理解していても 心は現実を受け止めきれていません。 休日は1日中涙が止まらない日もあります。 息子の事故当時一緒にいた友人達は 月に一度は家に来てくれて、他愛も無い話をして 帰っていきます。 息子を忘れないでいてくれることが とてもありがたく思えます。 その友人達や、私の会社の人、親戚以外で 息子の事故を知っている人には会いたくありません。 優しい言葉を頂いても、現実を突きつけられているようで 悲しくなります。 息子は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか? 息子に会いたいです。 ただただ、息子に会いたいです。 この場でお話するのは間違いなのでしょうが・・・ 私は、死後の世界もその類の話も信じてます。 なので自殺をすると、息子と同じところに行けないと 思っているので自殺も出来ません。 今はただ、自分の寿命が尽きて 息子の所に行けるのを待つのみです。 優しい言葉も、明るい未来も要りません。 今でも、明日にでも息子に会いたいです。 皆様、まだ二十歳の息子は なぜ死ななければならなっかたのでしょうか? 会いたいです。

有り難し有り難し 40
回答数回答 2

死にたくないのに死について考えてしまう

何故だか、死について考えてしまいます。 死を選んでしまいそうで、怖いのです。 私は心療内科に通っており、一人で遠出するのもかなり緊張してしまう状態です。症状が酷いときはお薬を飲んでしのいでいますが、『いい歳して、ろくに外も歩けないのか…』と思うと、苦しくなります。 苦しい気持ちはありますが、私自身、非常に恵まれた環境で生きていると思っています。一度メンタル面で体調を崩し退職したものの、現在はなんとか仕事に就けています。両親も健在。家庭環境や人間関係に困っていることもありません。傍から見れば、何一つ不自由のない生活だろうと考えています。 ですがある時、ふっと頭に『死にたい』という言葉が浮かびました。 自分でも非常に驚きました。年金もらうまで死ねない!なんて思っていたはずなのに。自殺についてなんて、少しも考えたことがなかったのに。 しかしよくよく考えてみれば、私には資格もなければ趣味もありません。なんの取り柄もない人間だと思います。心の奥底では、そんな自分に価値がないと思っている気がします。 決して死にたくはないのです。ですが気分が落ち込んで、今ではうっかり死を選んでしまいそうです。自分がコントロールできなくなるような気がして、恐ろしくて仕方がありません。 自分の中に生と死の2つの考えが頭から離れず、どうしてもソワソワしてしまいます。 私はおかしくなってしまうのでしょうか。どうしたらいいのか分かりません。 生きる知恵、良い考え方を教えて下さい。しっかり生きて、人生を楽しみたいです。 うまくまとめられず読みにくい文章になってしまいました、お許しください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 71
回答数回答 4

母親の死

ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・

有り難し有り難し 13
回答数回答 1