実際に見える鑑定士の力と亡き恩師の生き方
先日、鑑定士に人生を見てもらいました。この方は能力があり死期が近づいていると死臭がして寿命がわかるそうです。実際に当たると言うより見えていること前提で話しています。娘は右足が短く足の長さが違うのですがそれも言われました。主人の母方の家系は高血圧で、それも言われました。性格に関しては当たったり外れたりでしたが、私だけ現在の腸内環境のことだけ言われて先の健康のことは言われず、さらに肩の上をチラチラ見ていたのが今になって気になります。でもその方は、霊がいますとかそんな商売はせず、霊がいる証明をできないから不安を煽ることは言わないと母から聞きました。鑑定料はお気持ちで壺とか石とか売られるわけではありません。人の人生を豊かにしようとされています。ここでも何度も相談させていただいた私の恩師はそんなものを一切信じませんでした。目に見えた物しか信じない。そして鑑定士もまた、目に見えた物しか信じないし、四柱推命の力も少し使っているけど9割は頭であなたを見ている。信じなくてもいいけどね。と言っていました。私個人としては、鑑定士は四柱推命と心理テクニック、鋭い勘と観察眼の他色んなことを勉強し努力しているから"見える"と言って通用しているんだと思います。でも、娘の足などの他にも見える以外で説明がつかないことが多いのです。私は極端な性格で寿命や死後の世界、カルマなど白黒つけて答えが出ないものが怖いです。それに鑑定士よりも恩師の方が私のことを理解してくれています。亡くなった今でもです。鑑定士が見えても私は見えないから信じない。仮に1年後に死ぬと言われてもやることは変わらないし自殺しない。これでいいのです。仮に寿命を言われたとしても、余命半年と言われた恩師の方が余程怖かったと思います。恩師のような何事にも惑わされず、何でもかんでも答えを出そうとせず、曖昧なことはそのままに、在るがままに生きたいのです。頭では分かっています。あとは自分の思う生き方を実行するだけ。それなのに短命なのか死ぬのか鑑定士という掴みようない人、力に振り回されています。恩師と鑑定士どちらにも同じアドバイスをされ2人の信念や似ている所があるのに決定的な所が真逆です。もっとインチキ臭ければ一蹴するのに対極にながらも生き方が似ているので戸惑ってしまい2人に共感しています。恩師の教えを胸に私らしく生きたいのです。鑑定士のことは忘れて。
有り難し 20
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