母の姉と姉の旦那は数年前に他界してます。 夢の中で母の姉が夢に出てきて『1月24日に旦那が亡くなった。探してる』と話してました。 母は変わっており姉が亡くなった際、葬式にも行きませんでした。 私もほとんど会った事がないので行ってません。 日付を言っており困った顔をしていたので色々これから不安になります。 夢占いを見ていたら余計不安になりました。 故人は何を伝えたかったのでしょう? 回答宜しくお願い致します。
プロフィール後半に少し書かせていただきました。 脳腫瘍があるかも知れないと病院で言われる数日前に昼間家事をしている時に「大丈夫」や別の日に「お焚き上げ」と聞こえてきました。その時は気のせいかと思っていましたが、大丈夫はこの事だったのかと思いました。しかし、お焚き上げが何をお焚き上げするのか全くわかりません。何か考えられる事はございますか。 ちなみに、前の家は飛び出したので45年前に亡くなった父の形見のカメラしか故人の物は持っていません。姉のも母のも写真すらもありません。父のカメラも45年も経っていますし、私は父とは1ヶ月程しか一緒では無かったので違う様な気がしています。 ちなみに、父方の血縁者は39才までで亡くなっています。祖父はわからないのですが、父、おじ、姉は39才で亡くなっています。 私も39才の時に交通事故に遭いましたが足を19針縫うだけで済みました。姓が変わっていた事と亡くなった家族が助けてくれたんではと思っています。 私はとにかく頭部と足の怪我は異常に多いです。物が降ってきたり、ぶつかってきたり。こんなに何事もなく生きているなとも思います。怪我はしますが復活してるので。 5年前に酒に酔いこけた時に前にこけたのですが、右足のふくらはぎに人に掴まれた様な手形みたいな、指のあとみたいなのがついてなかなか消えず最近やっと薄くなってきました。 書いていると今までの不思議をたくさん書いてしまいましたが、わかる部分や思われる部分だけで構いません。 私は子どもの為にまだまだ元気でいなければいけないし、無理かもと思う事も度々ありますが、目に見えない何かには負けたくないと思っています。 よろしくお願い致します。
宗教の創始者もしくは教えに否定されたらこれから生きていくには皆様ならどうすると思いますか?神様は霊なんでしょうか?分かりにくくてごめんなさい。
初めての投稿です。 拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。 1年間で続けざまに家族(祖母、猫2匹)を3人失いました。 去年の夏に猫を1匹、2週間程前に祖母、昨日猫を1匹亡くしました。 皆平均寿命以上生き(祖母に関しては104歳の大往生でした)、特に不自然な死というわけではないのですが、あまりにも立て続けに起きる死に対して不自然さや、次は誰が…という恐怖を感じずにはいられない状況です。 この手の話は全くの無知で見当違いでしたら申し訳ないのですが、例えば死者や他の何かが生者を連れて行ってしまうことなどはあるのでしょうか? 私自身も幼少期からずっと病気が治らないこともあり、何か良くないものに憑かれているのだとしたら、一度お祓いなどをお願いした方が良いのでしょうか? また、考えれば考えるほど何かに結びつけて考えてしまい、不安が膨らんでしまいます。今年数十年ぶりにお寺へ初詣へ行けたのですが、何故か境内の墓地や誰もいない山道に引き寄せられ降りられなくなって怖い思いをしたり、翌日インフルエンザに罹って治療が何ヶ月も長引いたりと、初詣の日に何か怖いものを連れ帰ってしまったのだろうかとか、そこで買ったお札に失礼があったのではないか(一度貼って剥がした際にお札が少し破れてしまいました)、緊張で頭が真っ白になりお釈迦様にきちんとご挨拶ができなかったことや、長年お墓参りに行けないこと、祖母の遺体を母がスマホで撮影したこと、仏教ネタのお笑いや音楽を観ていることなど、あの時あれをしたからこれをしたからと関連付けて考えてしまい、不安に押しつぶされそうです。 何か原因があるのか、不安になる必要はあるのかということが知りたいです。 お忙しいところ大変恐縮ですが、どなたかお坊様にご回答の方頂けましたら幸いです。 大変お手数おかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。
自分は極悪人の様なので死後、地獄に堕ちます。 今も苦しいですがネット情報によると地獄はそれ以上の苦しみを最短でも1兆年以上服役しなきゃならないらしいですね。 途方もない時間ですが自分は人間界に相応しくない生き物なので頑張って地獄で生活しようと思ってます。 これは余談ですが昨日、地獄の夢を見ました。 自分は薄暗い洞窟の様な場所に居て目の前には魔物さえも近づく事を恐れる線路(恐ろしい何かが通過する所)に立ってました。 自分は地獄から抜け出す為に線路の先にあるトンネルに走ろうとしますが中々辿り着けず恐ろしい何かが警笛を鳴らして走ってくるので素早く安全な所まで逃げました。 逃げ遅れた人達が居たのですが彼らは恐ろしい呻き声を挙げて苦しみ出します。 夢はここで終わりました。 以前から自分は人からよく嫌われるし憎まれ口も叩かれるので薄々、極悪人の自覚はありました。 虫も沢山殺したし、嘘もついたし、悪口も言ったし、今思い返せば人が嫌がる様なちょっかいも出しました。 他にも恐らく自覚してないだけで悪い事をしてるでしょう。 そんな極悪人の私が地獄に堕ちるのですが地獄で生活する際の心得、或いは模範的な生活の仕方があれば教えて下さい。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
久しぶりに投稿します。 いつも通勤の時に、田んぼの脇から地域が見えるような形で立っている、身長130cmくらいのお地蔵さんの前を通っています。 お地蔵さんは誰かが親しみを込めているのか、あるいは地域の方の集まりで作っているのか、手作りの帽子を季節ごとにかぶっています。 特に嫌な感じもしないので、朝気がついた時に、車ですれ違いながら「おはようございます、今日も見守っていてください」と簡単に挨拶して通勤しています。 ただ、インターネットを見ていて、道端のお地蔵さんには手を合わせてはいけない、というような記事を読んでしまい、特別何が起こったわけではないのになんだか怖くなってしまいました。 お地蔵さんに挨拶をするのは悪手なのでしょうか?
6年前に迎えた1羽のうさぎについてです。 先週、体に腫れている部分があり受診した所、癌かもしれないとのことで去勢手術をすることになりました。事前にリスクの説明はありましたが、まあ大丈夫だろうと手術当日も特に声をかけることなく頭を撫でて送り出しました。 その後手術自体は成功したものの、麻酔から目覚めることができず、蘇生も叶わず亡くなりました。 思わぬ別れに涙が溢れて止まりません。 思い出しては泣き、泣き止んでも不意に涙が出ます。 魂は49日まではお家にいるということですが、今もあの子は傍にいるんでしょうか?また、49日を過ぎてしまったら、傍にはいないのでしょうか? お答えいただけますと幸いです。 よろしくお願い致します。
例え何かを為そうとしても、何か努力をしようとしても、自分の人生を生きようとしても、いずれ戦争ですべて奪われます。だから、何を感じるのも苦しい。ずっと泣きながら生きています。 そして、死んでもまたこの世界に生まれてしまいます。自我とは物質的肉体に付随するものでしかありませんし、極楽浄土なんてフィクションの産物にしかすぎません。確かなものは死と絶望と残酷な営みだけです。もしも極楽浄土が本当に存在するならば、この世界中で起こっているありとあらゆる残酷な環境の中に生み出される命に説明がつきません。どうして、戦地や過酷な独裁国家の中に、まだ人は生まれ続けるのでしょう。いつかの自分がファーストペンギンとしてシャチに食い殺される可能性は、この世界が終わるまで永遠に付きまとい続けます。 だから、この人生も、今の平和も、「人類」という営みも、何もかも束の間の嘘でしかありません。この世界の本質は、破壊と暴力と残酷な営みだけです。私達は死んだ後、更に過酷な環境の中に産み落とされる覚悟をしなければなりません。そして、強制的にもたらされる死はもう目前にまで迫っています。 存在しているのが辛い。物質的存在から逃れられない自我が辛い。脳科学的に言えば極楽浄土なんて信じるのも難しい。なぜなら、超常的上位存在なんて本当は居ないからです。あるのは残酷な物質的営みだけ。 ・物質的世界や自我や人類の営みなどといったものは、全てが偶然の産物でしかない ・必然性や何かの意図が介入していないということは、どこまでも無秩序で残酷になるということ ・それでいながら、結局は物質世界から逃れることなどできない。死んでもまた他の生き物の感覚器官が「自分」になるだけ だから、ありとあらゆる平和や慈悲やぬくもりが嘘のように感じられ、「どうしてこんな世界じゃないんだ」と苦しくなります。愚かにも、嘘っぱちな温かいものを望み、「これらが尊ばれる世界であるべき」などと思ってしまいます。その度に、残酷な真実との落差に苦しくなります。何を為すのも、希望を持つのも苦しい。死ぬことで物質的世界から「本当に」解放されるなら、安心して生きられるのに。 どうして極楽浄土を信じられるのですか。こんな残酷な世界で。私は悪くない。世界が悪い。だってこの世界は本当に残酷だから。慈悲や幸福よりも破壊や暴力や不幸の方がずっと大きくて強い世界。
こんにちは。質問お願いいたします。 うちの父は、10年以上前に亡くなっています。 墓はあるのですが、魂入れをしていないので、そうなると現在、魂はどうしているのでしょうか? 今さらですが位牌を作ろうとは思っているのですが、今さら刺激するより、そっとしておいた方がいいでしょうか? (ちなみに、墓守りは私以外に守る人がいません。) お答え頂けましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
神様は、人を嫌いになったりするのですか?シンプルな質問ですが、人を嫌いになったり諸々あったら怖いですどうぞ教えて下さい。
どちらかというと貧しい家庭ですが、きちんとしたお仏壇がありました 父は、毎日朝夕食前には正座をして線香をつけてご先祖様に手を合わせていました 母も毎日お水と炊きたてのお米をお供えし、父に倣って手を合わせていました なのに先日、母は自死を選んでしまいました 父は第一発見者 ご先祖様や仏様が全てを守ってくれるわけではないとわかっているけれど 父も母もあまりに報われないと思いました あんなに真摯に手を合わせていたのにこの仕打ちなのか… 私は、神も仏もご先祖様もないと確信しました このまま父は報われずに死ぬのかな なんだか気の毒だな… 私もずーっと生きてるのがつらい 未来も見えないし、いいことがあるわけないと確信してしまっている だって今までも私も報われなかったから そういう虚しい一家なのです 母は自死 父は母に自死され きっと私にもそんな過酷な運命が訪れるに決まっている 育ってきた環境がそこだし、血筋ですもの もうこれ以上つらい思いを重ねて生きていたくない 報われないのなら
小さい頃、自分はおばあちゃんおじいちゃんと お坊さんが好きだとずっと言っていた記憶を 何気なく思い出したんですが 現在、真言宗様で信心しながら そう言えば介護施設で働いてるなぁと。。。 自分の未来を自分で わかっていた様な。。。たまたまなんでしょうが 少し 自分で不思議に思って 私の昔の言葉は 未来の自分へのメッセージだったんでしょうか? 世の中 白黒つく事ばかりではなく 目に見えない不思議な事がたくさんありますし おきています。 この世はそういう 場所なのかもしれないですね。目に見える事だけが全てではなくて、、、そう思う事がたくさんあります。
本日、背中をさーっと一瞬触れられる感覚がありました。突かれた訳でも叩かれたわけでもなく、さーっと背中に触れる感じです。 霊感はなく、そのような経験も初めてです。 びっくりして振り返ると勿論何もなく、背中側の服が少し捲れてる感じでした。 霊的なものに身に覚えもありません ちょうどその時ある事を悩んでおり、行動に移すかやめておくか考えていたときでした。 どちらを選んでもデメリットがある可能性がゼロでないことで、大体答えは出ていますが、自分の中では100%まで決められず なにかそのことに対するメッセージなのではないかと思ってしまいました。 メッセージだとしたら背中を触れられるのは、その決め事をやめたほうがいいのか、行動していいのかどちらの可能性があるでしょうか。 その瞬間はびっくりしたことで少し怖いと思いましたがすごく嫌な感じまではしなかった気がします。 少し落ち込み気味なので、ただ励ましてくれただけなのでしょうか。 ストレスなどで霊的なものは関係なく、気の所為でしょうか
不思議なことが続いたので、質問します。 私は、有名な稲荷神社の鈴を持っています。厄除けのために買いました。 毎日、一日の終わりに、【今日も平和に健康に、安全に過ごせてありがとうございました】とお礼を言っています。 で、ある日、行ったこともない神社にお参りをする夢を見ました。そこには巨大な白い狐の像があって、不思議だなーと思いながらお参りしました。 そして先日、パソコンのキーボードに200ml以上の水をこぼしてしまいました。絶対にやばい状態だったのに、次の日にはウソみたいに元通りになったんです、。確かにお稲荷さんの鈴に[パソコンを直してください🙏]と、お願いはしましたが、本当になおってしまうなんて…。 この鈴のおかけで危険なことから守ってもらえたことが他にもあります。 不思議な気がしてなりません。やっぱり、お稲荷さんの力でしょうか?
生きていると殺生を完全に避けるのは難しいかと思います。 現在、動物達に生きている間も苦しみをもたらす構造への反対の意味を込めて、食べるものだけでなく身につけるものも含めてヴィーガンの生活をしています。 だけど植物ももちろん生きています。苦痛というテーマに対処するにはヴィーガニズムは妥当だと思われるのですが、殺生への対応が悩ましいのです。 私が精神的に参っていた時に、周囲の人々に私を個人として尊重して貰えたことがとても嬉しくて、自分も愛情ということを大切に生きていきたいと強くおもいました。 だけど集約畜産の話題を通じて日々の避けられない殺生について考えた時、大きな矛盾を感じるようになりました。 私には帰依してる宗教はありませんし、霊能力もありませんが、スピリチュアリティのことは大切に思っています。 なので、私の願いとしては、殺してしまうという、あまりにも莫大で取り返しのつかないように思われることについて、殺されたいのちも助かるようなことがしたいのです。 殺されたいのちにも救済はあると、実感出来る瞬間に出会いたいのです。そのような世界であって欲しいし、そうでないなら近づいて欲しいです。(煩悩でしょうが、諦めたくないのです) 年末に神社の大祓式にも行きましたが、木を切り倒して作っている切麻を振りかけるところが自分に合わず、自分で儀式を設けて定期的に行えばいいのではとも思うようになりました。 季節の変わり目ごとに自分で身を清めてから献血に行くなどしてそれを行うつもりです。 でも、上のことも全部自己保身なのかなとか、殺されたいのちに救済があると考えること自体事態を軽く見てて、甘いのかな、ということも考えてしまいます。 でもこのままは辛いです。いのち達についてそんなのあんまりじゃないかという気持ちもあるし、夥しいほどの殺生を死ぬまで避けられない自分も汚れてるのかななどと思ってしまいます。 ベストを尽くしたいですし、誇りを持てる自分でありたいです。 殺されたいのちと、自分自身に対して、どう向き合うのが誠実で、愛なのか、ご助言を頂きたいです。 建設的なものに集中したいので、できれば、厳し目のお言葉は控えていただければありがたいです。 また、もし霊の見える方がいらっしゃって、日常的な殺生について何か視えたことやお考えなどありましたら、どうぞお聞かせください。
こんにちは。はじめまして。47歳二児のシングルマザーです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 一昨年の冬の仕事帰りに第一声が届き、昨年から時々何かメッセージのようなものを頂戴するようになりました。 昨年1月4日の朝には「クレリックになりなさい」と。'クレリックとは何だろう?そんな用語存在するのかな?'その時初めて耳にしたものでした。 その後も様々なメッセージを頂戴するのですが、この世のものとは思えぬ複数人で同音を繰り返し唱えている!?とても気になり調べた結果、宇宙の始まりの音?聖音というものでした。 無知な自分に何を求められ、様々なメッセージに私はどのように応えていくべきでしょうか。 アドバイス等々ございましたらお言葉宜しくお願いいたします。
長くなります。読めるところだけで大丈夫です。 昨日、誕生日を迎えて25歳になりました。 個人的に、今までで1番悲しい誕生日でした。 3月末日に愛猫を亡くしました。 初めて保護シェルターで出会った時に『絶対にこの子にする。』と予定には組み込まれていない形で彼を引き取りました。 一昨年、胆嚢炎で1ヶ月に2回の開腹手術を行い成功し元気に走り回るくらいに回復しました。 母親は、彼が死ぬかも、と勿論心配していましたが私は 『絶対に大丈夫、死なない』と謎の自信があり、母親と猫を支えました。 今年3月、猫が体調を悪くし当日に病院へ。 原因は分かりませんでした。 この時、自分の『大丈夫』という一昨年の自信はありませんでした。 それでも彼を信じなくてどうする。頑張れ、でも、頑張りすぎなくてもいい 彼を抱きしめて声をかけました。 広い草原、緑がさぁーっと広がって、かけっこし放題、お花もあるかも、涼しい風が吹いてる。 小麦畑もいいね、貴方は白茶だから、かくれんぼしよう、と心や声に出して伝えました。 それから2日後、私は彼の息遣いを眠りつつも確認 呼吸音が落ち着いた頃に起き上がり「おはよう、元気?」と声をかけました。 その時、いつも挨拶してくれるように大きな声で鳴いたあと 一段と呼吸が荒くなりながら立ち上がりました。 運んであげようとまずはトイレへ、するとそうじゃないのかまた自分で動き出し 太陽の差し込む窓辺で、家族が見守る中息を引き取りました。 まだ、書ききれない思い出もあります。 私は、彼の死を辛いと思わず 捨て猫の時の苦しい環境から、私たちに引き取られ、幸せな天寿をまっとうしたとポジティブに、また会おうねと気持ちを切り替えました。 ですが、体は正直なもので涙が止まらなくなったり タイトルの通り、夢では彼を失う事をとてつもなく悲観的に悲しみ 虹の橋を渡った彼に私の未練で心配を掛けてしまわないか、そんな自分が嫌です。 勿論、散々悲しみました。彼が亡くなった時、行かないでとも呟きました。 悲しむことは悪いことでは無いことを理解はしています。 ですが、ペットロスがとてつもなく 持病の鬱などにも影響してしまい そんな私を亡き猫は、心配してないか、苦しんでいないか、心配です ここまで読んでくれてありがとうございます。 もし良かったら、ちょっと慰めてくれると幸いです。
すべてのことが悪い方向にむかかている、昔は自分の選択ミスが多かったが今思えばそのような方向にもっていかれていたのかもしれないとおもえてきた、物事のタイミングや間がものすごく悪い なぜなのかわなからない 人にも言われた、何かに 取り憑かれているみたいだとこれをなおす方法があったなら教えてください、もう死ねしかないでも死ぬのが怖い,どうすればよいのですかずっと毎日現実感が無く 宙に浮いている感じで気力もないなぜほんの少しの行動がこんな悪い方に向かっているのかわからない、死ぬのに怖くならない心がまえか運勢がよくなることを教えてください
もう早く死にたい疲れたしいやになった、楽に死ねる方法やしぬのをちゆうちゅしなくなる心構えをぜひおしえてください,精神的経済的身体的状況でき すべてのことが悪い方行に何十年もまえからすすんでいる どうにもならないのでたすけてください。苦しく生きることではなく、らくになりたくてしにたいのです