祖父は苦しんで死んだのではと今でも思ってしまいます。
昨年の夏に祖父が他界しました。余命宣告をされており、私と母は祖父がいい最期であってほしい、と自宅で介護に取り組みました。
特に母は看取りたいという希望を強く持っていましたが、祖父は私が仕事中、母が30分目を離した間に亡くなりました。
私は祖父と過ごした時間が「看取り」だと思うと母には伝えましたが、最期を看取れなかったことを大変悔やみ、自分を責めていました。
その祖父の亡くなり方に気になる事があります。
発見時は天井に両手を仰ぎ、目と口を開けて亡くなっていたそうです。
母は周りの人から「昔に亡くなった妻(私の祖母)が迎えに来たから手を仰いだんだね」と言われ、母も納得していました。
しかし、私は息が苦しくて助けてくれって手を出していたんじゃないかと今でも思っています。
亡くなる前日、痰を出す力もなく、呼吸がうまくできなくて苦しそうでした。
わたしは祖父の息苦しさ知っていたのに、手伝えば痰はほどほどに出せているな、と勝手に大丈夫だと思ってしまいました。
「じゃね!じいちゃん!また明日!」
と手を上げたら、「おう!」と笑顔で返されました。明日はじいちゃんに会えると確信しました。
そうしたら次の日亡くなりました。
たしかに息苦しさはあったけど、顎で息をするほどではありませんでした。しかし、痰は自力で出すには厳しいものがありました。
人は普通、息が苦しかったらもがきますよね。
仰がれた手は痰が苦しくてもがいた手だとしか思えませんでした。
今となっては事実はわかりません。
悔やんでも仕方ないこともわかります。
遺族はああすれば、こうすれば、と自分を責めることも知っています。
しかし、自分が一番苦しみに気づけて対応できた筈なのに、どうして大丈夫だと思ったんだろう、と後悔しています。
母へじいちゃんは苦しまないで幸せだったよ、と言った自分に嫌気がさします。
楽になれて良かったね、は遺族が故人は楽になれた、解放されたと思わないと辛いから出る言葉だと思います。私は、当の本人が苦しんで亡くなったらそれは苦しんで亡くなったのだと思います。
結局最後に祖父に苦しい思いをさせたかと思うと祖父に申し訳なく、亡くなった時の祖父の苦しみを思うと涙が出てきます。
どうしたら祖父への後悔から解放されますか?
あと、こんな考え方は祖父に失礼でしょうか?
こんな私にアドバイスをお願いします。
有り難し 11
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