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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5031件
2022/11/03

死を前にして

当然ですが、死は誰の目の前にもあって、それを余命という形で知らされた時は感謝すら覚えました。言葉どおり、死ぬ気で生きて来ました。 宣告された期間を超えた今、すでに余生な生活の感覚で、 すでに亡くなっている数人の友達を思うと、自分の死んだ後の周囲の人間は、こんな感覚なんだな、という経験もさせて貰い、恐怖より安堵でした。 ところが最近、夫に、ここ10年の間、(私から)愛されていると思えない、と言われました。 がっかりして、身体中の力が抜けました。 私なりに愛してきたつもりでしたが、彼の求める形では無かった事、ずっと彼はその想いを持っていること。私には同じ10年という時間は残されてない。その上、体力が明らかに落ちてきて出来ないことが増えてきているのが分かります。彼は、病気の事は知っていますが病状は知りません。 でも、そんな言い訳よりも私の気持ちが落ち込み過ぎて、家にいるのが辛いです。 何をする気も起きず、生きる素晴らしさを毎日見せてくれていた植物たちの世話すら出来ないのです。 ましてや生きている大切な娘の前で元気に振る舞えず、『大丈夫?』と言わせてしまっています。 娘が情緒不安定になるかもしれない、と心配です。  私が元気に明るく居ることが1番良いとは思うのですが、どうしてもできず、かと言って家を出ることもできません。 心を落ち着けて暮らす(少なくとも娘の前で)には、なにか試す方法はありますか? 教えて頂きたいです。  いつ死んでもおかしくない状態で生きる気がなくなった今、早く死んだほうが周りの人にも良いのだろう。 彼は私が居なくなった後の事を思い、今は耐えているのなら、早く死んであげたい。 いつ死ねるかな。 と、だいぶネガティブです。

有り難し有り難し 9
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父親の死について

父が余命僅かな状態です。 元々厳格な性格の父でしたが、心の病を患った事により、引きこもり、家族に対して理不尽な暴言や暴力を奮うようになり、家族を完全に支配していました。 幼少期より父に対して恐怖心があり、思春期の頃には毎日死んで欲しいと願っていました。父の言いなりの人生で、父が死んだ後、本当の自分の人生が始まると思っていました。 大人になってからは、さすがに毎日死を願う事はなくなりましたが、それでも苦手意識は変わらず、同じ空間にいると怯え、吐き気がする状態でした。 人に言えば、いい歳なのだから親のせいにするのはおかしい、自分の人生なのだからと言われてきましたが、どうしても父に対する恐怖心が拭えず、怒られない・バレない選択をしてしまい、思うように生きれませんでした。普通とは違う、自分の家庭が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 歳をとり性格が丸くなり、父がこちらに歩みよろうとしている事は分かっていましたが、受け入れる事はできませんでした。父から受けた人格否定や暴力、辛くて毎日死にたかった過去の日々をどうしても水に流す事はできなかったのです。 そんな父の病気が発覚し、想像していたような開放感はなく、悲しみや、父の不遇な人生が可哀想に思いました。しかし、父をただただ心配し悲しむ家族の中での疎外感も感じてしまいます。 私も父を許し、最期の時を過ごすべきなんだろうと思います。父が悪人ではなく、病気がそうさせていたのだと、分かっています。しかし、納得できない自分もいます。 結局は、私が全て飲み込むしかないのかと。 長年連れ添った伴侶を亡くす母の気持ちも痛いほど分かっており、できる限り助けたいと思っていますが、当たり前のように支援を求めてこられると腹を立ててしまいます。私の心の葛藤にも目を向けて欲しいと思ってしまいます。 父に対して、穏やかに、できる限り苦しむ事なく最期を迎えて欲しいという気持ちは本当です。仏教ではどのように考えるのか分からないのですが、次の人生があるならば、次は幸せな人生を送って欲しいと願っています。私には関係のないところがいいですが… まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。私は自分の心をどのようにもっていけば良いのでしょうか。父の最期の時にどのように接すればよいのか、どうかご教示下さい。

有り難し有り難し 8
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母の死との向き合い方

昨日、母が亡くなりました。65歳でした。くも膜下出血を発症し約23日間の入院生活の中、一度も意識が戻ることなく逝きました。 母は自転車で10分ほどの場所に一人暮らしで、ある日曜の夕方から連絡が取れなかったのですが、土日はよくそのようなことがあるので、出かけているのかな?と少し気になったのですが、その日はそのまま就寝しました。 しかし朝になっても連絡が取れず、これはおかしいと駆けつけたところ、意識を失っていました。 緊急手術で一命は取り止めましたし、自発呼吸も戻り頑張ってくれていたのですが、脳が腫れたことで状態が悪化し、そのまま静かに逝きました。 私の意向で延命はしない決断をしました。 とても美人な母でしたので、色々なチューブが身体に入って寝たままの姿でただただ生き延びさせてしまうのはかわいそうだと思ったのです。 自然な形を希望しますと、主治医へ伝えました。 母の状態が悪化してから私はずっと病院にいたので、母の最期の瞬間まで耳元で語りかけ続けることができました。心臓が止まるその瞬間までも隣に居られました。 覚悟する時間を与えてくれた母に感謝しています。 しかし、この入院期間中とても後悔の念に苛まれ続け、今も自分を責め続けてしまい、とても苦しいです。 連絡の取れなかったあの日、大丈夫でしょっと思わずにすぐに駆けつけていれば、もっと早く気付けば、もっと母のことを大事に思っていれば、検査を受けさせていれば… 結果は違ったのかもしれないと、私のせいでゴメンねゴメンねという思いが涙と共にどんどん湧き上がってきます。 大人になってから口うるさい母になかなか素直になれず、邪魔だと思った時や反発する時など多々ありました。 本当は世界で一番大好きだし、感謝しているし、素直じゃない娘でゴメンねと伝えたいのに、倒れてから意思の疎通も出来ず、何も伝えられず、このような形になってしまいました。とても悲しいです。 唯一、コロナの影響で小学校が休みだった息子の世話を毎日しに来てくれていたので、それは幸せだったかなと… もっと孫と一緒に居たかったはず、これからを楽しみにしていたはず、何でもしてくれて、守ってくれて、私と孫を世界一愛してくれた母の死と、自分の後悔の念と、どう向き合っていいのか、答えが出ません。 今日は納棺の儀です。また母の顔を見て泣いてしまいそうです。 一番驚いているのはきっと母です。

有り難し有り難し 11
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死を考えています

もういい加減、生きているのが苦しいです。 あまりこういったところで書くべきではありませんが、簡単な経緯をお話しさせてください。 読み飛ばしていただいてもかまいません。 小学校に上がる前に父を亡くし、母が鬱病になりました。 祖父母の家と行き来しながら母と二人で暮らしていたのですが、あるとき父の知り合いでもあるという男が家を出入りするようになりました。 この男ははじめは優しく、母や私ともよく遊んでくれていました。 二人とも傷心でしたのですっかり信用しきってしまい、母は再婚し私は娘になりました。 これが間違いでした。 男の希望で私たちは引っ越し(ここから少しずつ家族や友人との関係を絶たれていきました)、隔絶された家の中で私たち母子はほとんど奴隷と言っていいような扱いを受けました。 男は毎日ささいなことで激怒し物を壊しては気の済むまで土下座させ、そのあと何度も殴るという有様でした。私を殴るのは母の役目です。 この頃にはもう逃げるなんて発想すらなく、常に死と隣り合わせで、恐怖で震えながら寝る毎日でした。 同時期には学校でいじめも受けていました。 もともと泣き虫でいじめられっこ気質ではありましたが、転校後のそれは教師も含めて大変悪質なものでした。 家にも学校にも休める場所がなく、毎日死のうかと考えていましたが、なんとか生き延びて今に至ります。 これらのことで精神を病んでしまい、様々な後遺症が残りました。 元から持っていたらしい発達障害と合併して生活が非常に困難です。 具体的には高校中退、大学にも行けず就職はおろかアルバイトさえろくにできません。 どうしても納得いきません。 例えば私が重大な罪を犯して、その報いとして今の状況があるなら納得はできます。 なぜ、私は真面目に生きてきたのに、他者から一方的に理不尽に人生を壊されなければならないのか。 世の中に善悪や法則などないのだから、なんでなんでと言っても仕方ありませんが、あまりに遣る瀬無いです。 人に優しく誠実に、と生きてきたつもりですがなにもかも無意味でした。 この先にも希望がありません。 私だってできることなら誰かに愛されたかったし、自分や誰かを愛してみたかった。 勿論自分にそれだけの価値や魅力がないことも理解しています。 生まれてこなかったほうがよかったとすら思います。 なにがいけなかったのでしょうか。

有り難し有り難し 52
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甥の死

今朝、主人の兄の長男が亡くなりました。22歳でした。詳しい状況はわからないんですが、事故だったとの事です。あまりに突然のことで、信じられないのですが現実として受け止め、兄家族のサポートをしなければ…と気を引き締めています。 しかし、気持ちとは裏腹に何をするにも実感を伴わず、心が体から半分出ているような感覚です。主人は私よりもショックが大きく、気持ちの浮き沈みが激しくなっているのがよく分かります。 兄家族とは一年に一度会うくらいで、それほどお付き合いはありませんでした。でも主人と義兄さんの仲は良く、甥っ子も主人に懐いていて、ウチにご飯を食べに来たりする素直で可愛い子でした。そして、妹たちのことをいつも気にかけていた優しいお兄ちゃんでした。 私も主人も兄家族のために出来ることはしてあげたい…と強く思うのですが、今はかける言葉すら思いつきません。義兄さん義姉さんにはまだお会いしていません。お二人の心中を思うと、これからどう接してあげるのが良いのか?何と言って声をかけてあげればいいのか、考えあぐねています。大切な人を無くした人に何をしてあげるのが良いのか…お知恵をお貸しください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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2022/10/27

死を経験し、自分の生活に罪悪感

自身の結婚式を控えていましたが、 その2週間前に67歳の父が旅立ちました。(結婚式は延期しました) 病気が分かってから、父の希望通りに自宅で過ごし、前日まで大好きなお酒を飲んでおりました。 いつかは…と覚悟はしておりましたし、亡くなる前日まで父と会っており、伝えたいことは全て伝えていました。 ですから、亡くなったと知らせを受けた時、後悔はありませんでした。 誰にも迷惑をかけず、みんなから惜しまれ、最後を迎えた父を尊敬し、その生き様、とても羨ましいとさえ感じていました。 葬儀までは忙しく過ごし、 そして日常生活に戻ったときに、今までとは違う感情が襲ってくるようになりました。 ふとした瞬間、もう父はいないのだなと寂しくなるのです。 結婚式も、孫が生まれた時も 父には見せられないと思うととても悲しいく胸が苦しくなります。 気分転換にでもと、遊びにも誘われますが 「父がいない」のに「母は実家で寂しがっているのに」自分だけが楽しんでいいのか? と考えてしまい、物事を心から楽しめないのです。 そして、ここ最近は、両親健在な同年代の友達を羨ましい、というか恨めしく思ってしまうのです。 なおさら同年代から誘われた遊びは避けてしまいます。 会社では、50代の人でさえ両親健在な人もおり、あまり落ち込んでいても迷惑かと思い 表面上は明るく振る舞っています。 あまり相談する人もおらず、 楽しむことへの罪悪感と、人への嫉妬の感情 どうしたらいいのか教えてください。

有り難し有り難し 16
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友達の死について

先日僕の通っていた学校の友人Aが自らの手で命を断ちました。 その子とは同じ職種であり、良き友人としてこれからも色々僕たちでして行こうと約束していました。 実は学校在学中にも別の友人Bが自らの手で命を断ちました。 この二人も友人同士でした。 Bはもともと心がとても弱く未遂をたくさん起こして来ている子でした。 でも僕とAと接しているうちにだんだん症状が緩和されて来たのでたすが、突然心に負担のかかる出来事が重なってしまい、亡くなってしまいました。 僕とAは自分が力になれなかった事にとても後悔しそんなバカな事するべきでは無いと思いました。 こんな出来事がありAがこんな事をするなんて微塵も思いませんでした。 でもよく考えてみれば、僕とAの職業はとてもストレスがかかり将来の不安が付き纏います。地元からも離れ簡単に帰って来れる場所では無いど田舎に住んでいました。 相談できる友人もすぐ近くにいなかったと思います。 先月にも結婚をし家庭という不安をのしかかり 色々混ざり合っていたかもしれません 今回も色々重なり合っていたかもしれません。 先月に会った時はそんな予兆は感じられませんでした。 でもそれが間違いで何か小さいsosを出したかもせのしれません。 ただ僕がAのsosにBの事もあり勝手な思い込みで拾ってあげれなかっただけでは無いか 僕は何故同じ過ちを繰り返してしまったのか、Bは助けてあげれたのでは無いかと心がとても苦しいです。 この気持ちどう整理をつけたら良いでしょうか?

有り難し有り難し 31
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祖母の死

長文になりますがご了承ください。 先月、母方の祖母を亡くしました。 死因は入院先の病院で食事をとっていた際に喉を詰まらせてそのまま心臓が止まってしまったそうです。 入院は今回が初めてではなく過去に何度か熱が出て高齢のため念のため入院という事はありました。 しかし今回は治療も終わっており退院日も決定していて退院日前日の入院先での食事中の出来事だったようです。 100歳を超えていて自分で食事をすることはできなかったので看護師の方に食べさせてもらっていたんだと思います。 自分で食事をしていて喉を詰まらせてしまったのであれば百歩譲ってしょうがなかったのかなって思えるのですが、看護師が食べさせて喉を詰まらせたということが本当に納得できません。 祖母の食事を担当してくれていた方が注意してくれていれば喉に詰まらせる事はなかったのではないかとつい思ってしまいます。 帰省した際に父と2人きりで話す時間があり、父も死因に納得いっていない様子だったのですが、母は病院を責められないと言っていたそうで本人がそう言っている以上、母の気持ちを尊重しようということになりました。 小さいときからとても可愛がってもらっており、一人暮らしのため県外に住んでしまったのと最近だとコロナの影響もありなかなか会いに行けていなかったのですが、必ず祖母の誕生日には親戚一同、施設に集まってお祝いするのが恒例になっていました。 来年の誕生日会をするのをすごく楽しみにしていたので本当に悲しいです。 母は普段から辛い事や悲しい事はあまり表に出さない性格で、私も似ている部分はあるのでそんな私でも悲しみに耐えられず葬儀も涙が止まらなかったのに亡くなった連絡をくれたときも、霊安室に一緒に行ってくれたときも、葬儀中も母の涙を見ることがなく気丈に振る舞っている姿を見て胸が苦しくなり今も思い出すと涙が出てきます。 ずっと泣いてばかりではいけないしいつかは受け入れなくてはいけない事はわかっているのですが、死因に納得いっていないことが余計に引きずってしまいます。 身近な人の死を経験するのは今回が初めてではないですが、立ち直れる気がしません。 夜になると祖母のことを思い出しては泣いての繰り返しです。 どうしたらいいのかもうわかりません。 ご教示いただけますと幸いです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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母親の死

昨年、10月の下旬にに母親が亡くなり、 先日ようやく、納骨が終わました、 それまで、お墓が無かったので なので、お墓の購入したため納骨まで 時間がかってしまいました。 今回の相談は、昨年に母親の死の原因は 正月に旅行に母親と行って帰ってきたら、 前から持病の心臓病が悪化してしまい、 その後、3カ月ほど入院してしまい、 退院してからは、母親の生活は自由が なくなり自宅は鼻に酸素付ける 酸素療法になり、外出は車椅子が必要な 生活になりました、なので毎週末になると私が休日は車椅子、押して外出して ました、そんな生活をして約7カ月が 過ぎようと、してたら 急に亡くなりました、亡くなった当日は 平日で仕事だったので昼休みに母親と 電話で話をしてふつうでした、でも事態は 急変して、夕方になったら妹から意識が ないと、連絡が来て急いで帰宅しましたが もう既に息を引き取った状態でした 最後が見取りが出来なかった事が 後悔したり、昨年の正月旅行をやめとけば こんなことには、ならずもう少し母親も、 長生きできたなと後悔したり自分のせいで こうなってしまったと、いつも考えて しまい、心が苦しく張り裂けそうな思いが いつもあって毎日が苦しいです。 ただ旅行は毎年2回は母親と二人で行ってたので、母親も旅行は楽しみにしてました 入院中も退院したら旅行に行くと言ってたので、よけいに自分をせめてしまいます。 寝てる時も1ヶ月のうち2回ぐらいは 母親が、夢に出てきます 私はまだ独身で母親と二人で 生活してたので、毎日、帰宅しても 話し相手もいなくなり、喪失感があって 寂しいです。ちなみに妹は別居中で父親は 私が二十歳の時に亡くなりました。

有り難し有り難し 4
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死の恐怖

いずれ寿命、病気、事故で死ぬ時がきますが死後の世界は現世の人の想像でしかないので死ねばおわりとしか思えません。死ねばうまれる前と同じでこの世に存在せず無になるだけという人もいました。 何度か火葬場でたちあいしたことありますが遺骨みると本当にさっきまで肉体あった人だったのにと思え何ともいえない気持ちになりました。自分も死ねばいずれ骨になるとはわかっていても火葬は数千度の高温でやくし嫌だなと今も思います。 日本は国土面積狭いので火葬が一般的ですが土葬できる場所もあり探しましたが管理者の話では白骨化するまで土にうまってるから火葬ほど骨もきれいに残らず土の下は苦しいですよといわれ気分が暗くなりました。猫ぐらいの大きさの小動物を土葬した場合の経過画像が掲載されたサイトがありみましたが人間より小さいのできれいに土に帰っていました。人間はそうはいかないのだろうなと思いますが。家族は皆火葬でいいといってますが私だけ土葬希望した場合一人だけの墓になります。死ぬ時は皆一人といいますが死後墓に一人というのは普通ですか。欧米のように土葬が普通ならかぞくの墓ではなく個々の墓になるので当然ですが日本は家族の墓という考えが普通なので。  多分20年後気がわりして自分も火葬でいいとなれば家族と同じ墓ですがやっぱり土葬希望だと自分で場所探し墓地購入しなくてはならないので先の話とはいえ気が滅入ります。土葬より凍結があればそれがいいですがその制度自体今はないので。 なぜ皆、火葬でいいといいきれるんですか。死ねば感覚も神経も死んでるので熱いわけないんですが数千度で焼くというのが私には火あぶりの刑と同じ残酷なことにしか思えず子供の時からずっと嫌だなと思ってます。 子供の時初めて火葬場へいった時、寒気と恐怖を感じたのを今でも覚えてます。

有り難し有り難し 10
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友達の死について

はじめまして。 聞いて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。  学生の時、仲が良かった友人がいました。 どこか遊びに行ったり、出掛けたりすることは少なかったのですが、校内で会えば一緒にお話をしたり、ふざけあったりする友達でした。  去年、その友人が亡くなったという話を聞きました。 私自身、卒業してからは友人と連絡を取らず、みんな元気に頑張ってるんだろうな、そろそろ結婚してるかなー?などと勝手に思い、気にもしていなかったんです。  久々に友人と会った時に亡くなったことを知らされました。 ちゃんと連絡をとっていれば最後のお別れが出来たのかなと本当に後悔しています。 今になって取り返しのつかない、 どこにぶつければいいのか分からない喪失感や悲しみに途方に暮れています。 また、自分の目で見たわけではないので 信じられない気持ちもあり、言葉では表せないくらいの感情が渦巻いています。 同い年で、若くして亡くなった友人の笑顔ばかりがぼんやりと思い浮かびます。 時間が解決してくれるのでしょうか? 最後のお別れが出来なかったことを本当に後悔しています。伝えたかったこともあります。 わたし1人でもできる供養みたいなことはあるのでしょうか? ただただ毎日を迎える度に思い出されて辛いです。

有り難し有り難し 6
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病による希死念慮と自死は罪になりますか?

こんばんは。お忙しい中お目通しありがとうございます。 以下の質問内容は大変失礼な事かもしれません。不快な思いをさせてしまうかもしれません。先にお詫びをさせて下さい。申し訳ございません。 現在、重度の鬱病を患い通院および治療中の者です。今 真剣に自死を考えています。 「私一人いなくても、何も問題ないのではないか」「私がいない方が、家族や周囲にとって幸せなのではないか」 そこで質問です。このような希死念慮を抱くことは罪でしょうか?また…自殺を決行したら大罪にあたるでしょうか? この考えの引き金は昨日我が家で起こった事です。 昨日は家族揃って年内最後のお墓参りに行く日。墓所は高速道路を使わなければ行けない場所にある為、早起きが必須です。 しかし前夜は鬱病由来の不眠症で3時過ぎまで眠れず(医師から睡眠導入剤を処方されていますが効果無し) 今朝は鬱病の日内変動という症状が悪化(日内変動とは「主に午前中に鬱症状が強く、時間の経過と共に改善する」という症状。回復するのは大抵夕方です) 更に先日、鬱病に加えて「鉄欠乏性貧血」も発症している事が判明。体の中に貯蔵鉄がない、よって常に酸欠・脳貧血のような状態です。 鬱病由来の不眠症と日内変動、更に貧血が加わり、早起きが出来ませんでした。 無理矢理起き上がろうとすると、脱力感・目眩・激しい動悸・頭痛・鬱々感・焦り等が暴走し、パニック状態になりました。 結局、私はお墓参りに行けず留守番…。 家族からは「そんな状態で行っても先祖も喜ばない」と言われました。 一人家で寝たきりとなってから悔し涙が止まらず「何も出来なかった。迷惑しか掛けていない。役立たず」と自身の不甲斐なさを嘆き続けました…そして冒頭の希死念慮に至ります。 実は以前も今回のように『大事な用事を自らの体調不良で潰す』という事があった為「まただ」という悔しさが一層強まっています。 改善しようと必死に努力中ですが病は悪化する一方で、毎回負けています…。 鬱病も貧血も完治の見通しが立たない現状。こんな状態の私が生きている事により家族や周囲に迷惑ばかりかけている…本当に申し訳なくてたまらない。 なので、いっそ早々に消えてしまう方が良いのではないか…そう強く思うのです。 このような状態ですが、病の悪化に伴い 自ら死を望む事、或いは自死を決行する事は罪となるでしょうか?

有り難し有り難し 27
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母の死

3週間前に母が他界しました。88歳と4ヶ月半です。血圧、関節リウマチ、リウマチ肺炎で定期的に通院しており数値が良くないとの事で1月の通院時に入院をし1ヶ月闘病の末に直接的死因は細菌せい肺炎 関連性では間質性肺炎でした。医師には入院時に高齢だから五分五分と言われました。ただ自分は一緒に暮らしてて帰って来るのを最後の最期迄考えてたのでまだ実感もなくまだ入院してる錯覚を感じてしまいます。家に母の遺骨があるのに。毎日毎日母の事を考え泣いてばかりです。忌引も終わり仕事再開してはいるものの仕事はしていてもつい母の事考えしまいます。生前の母に対する半介護やらもっとちゃんと親身にしてれば良かったとかああしてれば良かったとか後悔や懺悔ばかりで今これ書いてても涙が溢れてしまいます。時間が3週間前のまま止まっているかの様に。自身は身体内面に障害があって薬を毎日飲んでいます。免疫不全です。この状態(気持ち)かつらいです。母の死を受け入れなければならない のは頭ではわかってはいるのですが気持ちがついてきていないのもあり気持ちの整理が出来ずにいます。 また49日後に母を父の眠るお寺さんに九州に連れて帰省もしなければなりません。航空券と宿は取りました。九州とこっちとで分骨も考えおります。気持ちの整理の仕方どなたか教えてください。お願いします。

有り難し有り難し 2
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愛犬の死

私は愛犬2匹チワワ♂13歳、チワワ♀1歳と旦那さんと幸せに暮らしていました。 ところが今年5月にチワワ♂が亡くなりました。もともと心臓が悪く7歳から月一で東京の病院に通院してました。亡くなる1週間前から調子が悪いことは何となく気がついてましたが前日に病院へ行き検査、お薬をもらってたので安心してました。ところが亡くなる3日前にやはり心配になり病院へ相談し、仕事もあったため仕事帰りにお薬だけを私がもらいに行きました。それから3日で亡くなってしまいました。今となっては、何故あの時病院へ連れていかなかったのか、どうして仕事を優先してしまったのか、少しでも面倒と思ってしまったかもしれない、と後悔ばかりです。もはや私が死に追いやってしまったものです。バカな自分が許せません。 亡くなった子は私一筋でいつも私を守ってくれるような優しい子でした。小さい体でいつも私を守ってくれてました。(ただの通りすがりの人でも) なのに私は守れなかった… お線香をあげるたび泣いてしまい、思い出す度に悔しくて仕方ありません。 残されたチワワ♀は私に一番懐いてはいますが、私の家族にも心を許しており私がいなくなっても心配はしてませんが亡くなった子は私だけだったので、逝った先でちゃんとやれているのか、寂しくしてないか心配です。私も会いたくて謝りたくてたまりません。 今までは愛犬たちに美味しいものを食べさせるため、お薬代を稼ぐため、亡くなった子が大好きだった旅行やお出かけに行くために仕事をしてましたが、亡くなったことで仕事にも集中出来ず、生きている意味さえ分からなくなることがあります。私はこの世に未練もありません。今は残されたチワワ♀がいるから生きているという感じです。私も死ねばあの子に会えるのでしょうか。もう疲れてしまいました。 また亡くなった日はチワワ♀の1歳の誕生日でもあります。そもそも飼ってほしくなかったのでしょうか。 元々は若い子がいれば元気になるとのことで一年程前に迎えました。

有り難し有り難し 10
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