私の母子手帳を見つけたので何気なく見ていたら、「今までの妊娠」というページの「出産年月日」に私の生まれた2年前の日付で記載がありました。 「現在の子どもの状態」というところには「健・否・死」を丸つけるところがあるのですが、年月日意外何も記載がありませんでした。 今まで母親にもそのような話も聞いたこともないし、祖母に聞いても全く知らないと言われ、母親は既に亡くなっておりそのことについて知る人はいません。 その年齢はまだ母親が結婚していない年齢だったので何か理由があってということかもしれないのですが、このまま放おっておいてもよろしいのでしょうか。それともこれも仏教で言う「因縁」というのであれば、何かしたほうがよろしいでしょうか。
今日彼岸の入りなのでお墓参り、仏壇に手作りの団子をそなえました。その後朝食・昼食を食べる気がなく、ゴロゴロと寝てしまいました。何もやる気が起きず、どうしようかと思い書きました。母親の死から少しは立ち直ったように自分では理解していましたが、まだまだでした。この先、どうしたらいいかわかりません。
今回も僧侶の先生方に仏道に基づいたご指導を賜りたく、よろしくお願いいたします。昨今毎日のように児童虐待や過ぎた虐待によって子どもを殺してしまう事件が後を絶ちません。「ごめんなさい」「許して下さい」と懇願する逃げ場の無い子どもに対し、まるでいたぶるように死に至らしめる内容のニュースや新聞記事を見て抑え切れない怒りが湧き起こり、加害者である親を僕の手で殺したいという感情が激しく湧き起こり抑え切れません。何故なら僕も幼少期に感情の起伏の激しい母親から、肉体的・精神的暴力に支配されて、逃げ場無くされるがままだったからです。なので逃げ場無くされるがままの子どもが、必死に懇願する気持ちが痛い程分かるのです。なのでそういう記事を見てしまいますと、一瞬にして「この親を俺が殺す!」と極めて強い殺意が湧き起こり自分自身の感情のコントロールが効かなくなるのです。どうか先生方、そういう時にでもブレ無いように心を保つにはどうすれば良いでしょうか?よろしくお願いいたします。
最近、受験生なので勉強に没頭していました。 すると突然、自分の確実にある死を意識させられました。 学校がないことや歴史の勉強で歴史に圧倒させ られてしまったことが理由にある気がします。 今までも考えたことはありましたが、 自分なりに楽しく過ごそうくらいしか思っていませんでした。 しかし、最近になり自分や両親が死んだら と想像して勉強も手につきません。 今を楽しく生きたいし、夢もあって叶えたくて 勉強しているはずなのに消えてなくなってしまうんだ、と考えてしまい苦しいです。 そんな中、知っている方が亡くなってしまい さらに抜けられなくなりました。 死後の世界はあるのか 生まれ変わったりするのか なんてずっと考えてしまいます 考えることは悪くないかなあと思うんですが もう少し楽に生きたいし、 その頃に戻りたいです。変な質問ですみません
プロレスはショーとしても、プロのボクシングや総合格闘技は相手を痛めつけて勝敗を決めます。 私も学生時代は格闘技をやっており、試合直前には、やられる恐怖を、克服するために、相手を打ちのめすイメージを想像して付けて奮い立たせました。 この精神は、良くないものでしょうか。 プロの選手は気持ち的には試合前には命を懸けてリングへ上がります。 かつてプロのボクサーが命を懸けて闘うと言って、母親が黙ってしまった場面もありました。 おそらく、その時の本人の本心でしょう。周りでボクシングで死んでしまった友人を見ながら試合をするのですから。 実際、障害を負ったり、死亡してしまった事例も有ります。 その恐怖を相手を壊す精神に変えて。 観戦者からしてみては美談としても捉えられますが、結局、ルールのなかといえ、死を覚悟して試合をするのは良くない事でしょうか。
私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。 母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。 例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。 私は、その時トートバッグが欲しかった 初詣に行く前にトートバッグを買いました。 今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・ もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は 分かってはいなかったけれど、 あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ 最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。 苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく パソコンやっていた事もありました 母が亡くなって気づきました パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも いい事だったと・・ 母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。 あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった 私はおかしいのではないだろうか・・ と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります 私はずっと、自分中心に生きてきた 自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?
生きるのが辛い、 希死念慮が頭の中を支配してくる毎日に嫌気がさしてます 自分を見失っているのが良くわかる気がします 数年前に当時の義理父が癌を患い個人事業主であった為、仕事を手伝って欲しいと当時の妻から頼まれ 請け負ってから 全ての歯車が崩れました 義理父の他界、疎遠てあった母親の自殺、 別居から離婚、子供には会えず 仕事もコロナ渦における先行き不透明な 状況 誰にも話す事ができない孤独感と閉塞感 いつも周りを気にしてしまう自分 今まで自分なりに真面目に一生懸命生きてきたつもりです もう疲れた楽になりたい
40代、無職、独身、天涯孤独(両親は母親はがんで病死、父親は借金苦で自殺)彼氏も友達もおりません。 学生時代もいじめられて孤独、会社も仕事もできずくびになって以来 引きこもりです。 どこをどうひっくり返しても、幸せだって思えた瞬間もありませんし 体験も皆無です。 無理に幸せと思おうとして生きてきましたがもう ネタ切れです。幸せは考え方次第、ともいいますが本当に、全く ないんです。もし死んだとしても、(孤独死か餓死でしょう、全く相談できる人も理解者もいませんので、たった独りの自分だけの力でどこまでできるかわからないので)悲しんでくれる人もおりません。 この辺信じてもらえないことが多いですけど、本当です!! 餓死=自殺扱いですよね? このサイトで必ず自殺者は地獄へ行く訳で ないというのを読んで少し心が軽くなりましたが、私でも大丈夫でしょうか、、、。必ず地獄送りでないのなら、精一杯できることやって みようかなという気持ちになってきました。 死ぬこと自体は全く怖くないし、この世に未練もありません。 ただ死んだ後まで、もう苦しみたくないだけなのです。 生まれ変わることにも抵抗ありません。 今の自分が消えてくれるなら万々歳ですから。
大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。
結婚1年目の夫です。 1月に挙式も終え、4月には第一子を授かります。 まだ同居しておらず、出産後に同居する予定です。 最近になり、妻とのやりとりが激減し、私に対し敬語を使うようになりました。 理由を尋ねると、私に対して「無」ということでした。 恐らく、関心が無くなったということだと思います。 ちょっとずつが溜まった結果のようで、話をしようと試みても避けられてしまいます。 話し合いができないので、自分なりの考えをまとめてみました。 冷たくなり始めたのは、2月に入って、本格的に出産に向けての準備が始まった段階です。 また、出産後の新居も探さなければならず、かなり忙しくなりました。 金銭面でも、妻が退職することになるので出産後は厳しい生活が予想され、特に金銭面に関しては前向きな話ができていませんでした。 子供の準備等もできておらず、段取りが全く取れていませんでした。 その頃から敬語を使われるようになりました。 恐らくですが、妻から見ると私は積極的に何もせず、自分だけで準備させられているように感じていたのではないかなと思います。 確かに、私から準備についての話をするのが遅く、話した時には妻の母親と2人で買いに行く段取りを立てたと言われました。 負担をかけてしまったなと強く感じています。 もちろん、何もしていなかったわけではなく、不動産を巡り、子供用品を調べて準備の際に円滑にできるようにしていましたが、伝えきれていたわけではないのでそう思われて当然だとも思います。 そんな中、最初に述べたような話があり、私に対して「無」だと言われました。 一瞬の怒り、それを感じないほどの絶望と悲しみと不安と様々な感情が芽生えました。 直後、出た答えが死を選ぶことでした。 現在も死が1番楽な道に思えて仕方ありません。 わたしには、人の人生を背負うことは荷が重かったのだと思います。 背負った妻の人生をすでに不幸にしてしまいました。 私には人生は難しすぎました。 感情がぐちゃぐちゃに混ざってどうすればいいかわかりません。 感情を抑え込むたびに、自分を殺している感覚があります。 以前の私は妻とどう関わり、どう笑っていたのか思い出せません。 私は消えるべきでしょうか、 夫婦仲は元に戻せるでしょうか、 もう心が限界です。
5年前に母親を亡くしました。 未だに手元に遺骨がある状態です。 母は未婚でしたので夫と名のつく者はおりません。 個人のお墓を建てればよいと言われますが私自身お金もなく、また母の実家のお墓は遠方ですし葬儀自体母の実家(禅宗)とは違う宗派(東本願寺)であげてしまったので当然入ることはできないでしょう。 私自身先日事故に遭い「死」という言葉が頭をよぎり 今ある遺骨などどうなるんだろう何とかしなくてはと 強く思うのです。 幸い大したけがもなかったので良かったのですが 母親の遺骨をいつまでも手元に置いておくのは良くないと いう思いに至りました。 どうすれば母も私も心穏やかになる解決方法があれば お教えいただきたいのでよろしくお願いします。
こんにちは。初めて質問させていただきます。過去の自分の言動についてです。 私は両親が共働きで、小さい頃から祖母の家で面倒を見てもらっていました。私のいとこも祖母の家で暮らしていて、よく一緒に遊んでいました。祖母の家には祖父の母親の仏壇があって、祖父は毎日その仏壇に手を合わせて供養をするように早口で何か唱えていました。小学生だった私は、その仏壇がある部屋に誰もいなくなった後、祖父の真似をして私も仏壇に話しかけるということをしていました。その時私は、何かしらを話し終わった後、最後に「いとこが早く死にますように」と言っていたんです。仲が悪かったわけではなく、むしろ毎日遊んでたぐらいだったのになぜかそんなことを、覚えてる限りですがしばらくの間毎日言っていました。もちろん本気で死んで欲しいと思っていたわけではありません。その当時は死というものをあまり深く考えておらず、このこと以外でも、何かに無性にイライラして独り言で「死ね」と大声で言っていた時期もありました。(今はそんなことは無くなって、いとことも仲良しです)百歩譲って自分で思っているだけだったらまだ心の中にしまっておけたのですが、身内の死を、しかも先祖の仏壇に願ってしまっていたので罪悪感がすごいです。かと言って、本人に直接言っていたわけではないので本人は知らないですし、仏壇の人に謝るのもなんか違うなと思います。 いまさらどうしようもないのはわかっていますが、どう気持ちを整理したらいいでしょうか?
北朝鮮情勢が緊迫し、アメリカが日本海に空母を送り込んだあたりから「自分は近いうち死んでしまうのではないか?」と思うようになってしまいました。 戦争に対する恐怖感は、ここで他の方の質問の回答を見てだいぶ無くなりましたが、(といっても北朝鮮に加え中国や韓国も怖いですが) 最近、調べ物をしてたら「死海文書によると2018年に人類滅亡」とか、今年とそれ以降の人類滅亡に関する予言とか、そういった予言の記事を偶然発見し見てしまい、最近はそっちの方に恐怖感を抱いています。 ノストラダムスの予言の後に生まれたので、ノストラダムスに関してはあまり知りませんが、2012年のマヤ文明の予言にはすごくビビっていた記憶があります。 そういった記事を見てしまったおかげで、頭の中で終末の時の感じとかを想像してしまったりして怯えたり、「今すぐ世界の終わりが来たらどうしよう」などといったことを四六時中考えてしまったりするようになって体調がさらに悪化し、この間主治医に相談して精神安定剤もまた飲み始めましたが、それでもこの胸の気持ち悪さは治りません。主治医の先生には環境が変わって気が張ってるのかな?って言われましたが、そうでもない気もします。 「まだ見たい景色や、やりたい事も沢山あるのに、若いうちに死にたくない!そういった予言怖いわ!そんな全人類が一斉に死ぬなら戦争で死んだ方がまだマシ!だけど戦争も怖い!」って思うのと、今までの人生ろくなことがなかった自分の母親の人生についに光が射し始めているというのに、こんな予言に振り回されたり恐怖感を持ち体調を思いっきり崩したりして母親を振り回している自分が恥ずかしいです。 一日でも長く生き延びるために、この負のスパイラルから抜け出したいです。 長文乱文失礼しました。
感情のコントロールが難しいです。特に、怒り、鬱、楽しい気分の3つです。 仕事をしていても、感情的になりやすく、怒りと楽しい時には大きな声が出てしまったり、鬱っぽい時には何もしたくなくなったり。元々、気分障害を患っていた時期があり、鬱の時には希死念慮もありましたが、今では鬱の時でも死にたいという気持ちは殆どなくなりました。逃げたい、とは思いますが。 怒りを誰かにぶつけてしまうこともあります。いい歳である母親にとか。職場の人間に愚痴をいうとか。 アンガーマネジメントについては学生時代に習っており、6秒考える、深呼吸する、など対処は知っています。 気分が平坦に落ち着いているときは理解しているのです。どんな感情も表に出しすぎると毒になること。誰かを傷つけることがあること。望んでいる自分の姿ではないこと。ですが、感情的になると何も思い出せないのです。 仕事柄、本当は冷静でありたいこと。鷹の目で俯瞰していたいこと。穏やかに職場の子どもと接したいこと。選択肢を間違えたくないこと。 心穏やかに、いつも冷静にいるには、どうしたらいいのでしょうか。私自身も、周囲の人間も傷つくことを私は望みません。特に仕事で子どもに穏やかに接したいです。還暦を過ぎた母親に甘えて怒りをぶつけるのも辞めたいです。
業務をしている最中、無意識にずっと気を張りすぎていてきついです。 実家暮らしの20台前半。 しばらくニートだったところ、ついこの前ようやく就職が決まり、働いて数週間ほどになります。 先日、行きの通勤電車に揺られているとき、泣きそうになっている自分に気づき、もうだめだと半ばパニックになって仕事を休みました。 入社してすぐだというのに、今からこんな調子で先が思いやられます。 私はもともと母親に強いコンプレックスがあり、依存がある反面自立したい心があります。どうにか母親に対する依存から抜け出して精神的に自立したいと思うのですが、働くことに慣れていないのもあってか、あまり職場になじむことができず気を張ってばかり……。 同僚や先輩に声をうまくかけることができず、気軽に相談できる人がいません。 家族にこのことを話せば、辞めたらいい、と言われるのではないか、そしてその言葉にすぐ乗ってしまうのではないかという不安で家族には不安を話せません。 最近では業務中に腹痛や胸痛もでてきていて、階段を見れば転がり落ちる想像など自分を害する想像を毎日するようになってしまいました。 母親に対しての依存から、もう辞めてしまいたい、家にいたいという甘えの心から、苦しさは出ているのだと思います。むしろ辞めることを願っているのだとさえ思えます。 その証拠に、今、責任のある仕事を任されるのは怖いな…と感じている自分がいるのです。身体か精神かを壊して、休みがちになってしまうのではないかという恐れがあるから。 でも今辞めたとて後悔は絶対するのです。あのときまだ頑張れたよね、と。 辞めたくないのです。 でも苦しい。助けてほしい。もういっそ楽にしてほしい。 このような思考は甘えだとわかっています。 僧侶の皆様には、ぜひどうかこんな貧弱なメンタルをもつ私に喝をいれていただきたいです。 よろしくお願いいたします。
24年前に母親が大腸癌の手術をしました。父親は愛人の元へ行き、私は義務教育でお金もなく、食べるものもなく、毎日お腹はぺこぺこで過ごしていました。 母親は助かりましたが、この24年間「私はもう長くない。もうすぐ死ぬ」とずっと言われて大人になりました。私は青春を知りません。部活もした事がありません。合コンも旅行もした事がありません。家の事をしなければならなかったから。 やりたい仕事は、家を出てアパートを借りなければできなかったので、母親を説得したら一時はOKを出します。いざ辞令が出たら「私は孤独死するんだわ。やっぱりひとり」や「お前にはできない。その仕事は失敗する」とずっと言われ、疲れ果て、会社も辞めなければならなくなりましたし、最近もそうです。 母親は私に会社を辞めさせて満足だそうです。 エンジニア辞めさせて満足だそうです。 町工場に行け、と母親からの命令です。 これで母親が大好きな兄が目立つそうです。 私の人生は何だったのか惨めです。 私の人生は家族らしき人たちの女中さんでした。 仕事も女としての幸せも何もありません。 死ぬ死ぬ脅迫も法的に罪にしてほしいです。 私の人権は誰にも守られません。 仏教も。
父親が4年間うつ病の末、自死を選択してなくなってしまいました。 亡くなる一週間前がかなり辛い状態だったようで、のたうち回る状態でした…。 セカンドオピニオンとして他の病院で診察を願うも、精神科に通院している患者は医師の紹介状が必要らしく、診察すら見てはくれまでんでした。 理由は法律…。 緊急外来で、うつ病を隠し診察していただきましたが、血液検査等異常なしでした。 後日、父親が掛かり付けの心療内科の医師から呼び出しを受け、母親付き添いで病院に行った時に暴言と手のひらを返したような態度をされたみたいで、紹介状を書いて頂いたものの… 次の朝に命を絶ちました…。 母親もその時の父親の状況すべてが思い浮かぶたびに泣いてしまうようです。 父親は浄化、成仏できなのでしょうか? 母親と私はどのようにしたら前向きに歩き出すことが出来るのでしょうか…? エネルギーの強い言霊を教えてください…
中学生の頃から既に35年以上、希死念慮と闘いながら生きています。子供の頃、母親から「お前なんて生まれてこなければ良かった。お前のせいで離婚できない。私が不幸なのだから、お前は幸せになる権利はない。」と言われました。両親が仲の良いところを一度も見たこともなく、二人は私が21歳の時、離婚しました。 工業高校しか出ていない父は、いつも学校でトップだった私を「生意気だ」と言い可愛がってくれませんでした。母からも、「お父さんは、お前を愛していないんだよ。だからお前は誰からも愛されない。」と言われ続けました。 両親から褒められたことは一度もありません。 自殺を何度も試みましたが、まだ成功しません。 30代前半で、家族から離れたくて、外国に留学しました。そこで、ある男性と出会い、彼は私の本当の家族の様な存在になりました。しかし、私の希死念慮は消えず、彼と付き合っている時も、自殺を計りました。その時、私を助けてくれた彼は、決して私を見捨てませんでしたが、とても悲しんでいました。そのことを知り、私は、彼の為に生きようと決心しました。それからは、一度も自殺未遂はしていません。 しかし、1年半前に、日本に来て私と暮らすはずだった彼は、突然死してしまいました。私は、現在、どの様に生きていいのかわからなくなってしまいました。 私が男性と付き合うたびに嫉妬してきた私の母は、今回の彼の死を喜んでいます。私はこの母を殺してやりたいと思いますが、犯罪者にはなりたくありません。この母に対する怒りを鎮めようとすると、鬱がひどくなり何もできなくなってしまいます。 今も死にたくてたまりません。精神科でもらう薬もほとんど効いていません。 私は残りの人生をどの様にまっとうすればいいのでしょうか。 助けて下さい。
助けて下さい… 昨年、娘を私の不注意による事故で亡くしてしまいました。 それから、とにかく「早く死にたい」という感情しか沸きません。 最近、小学生の上の子が父親との関係が悪く、父親は息子に対し、とても嫌みな言い方をするので、「僕は愛されていない。こんな家に居たくない」と、泣く事が増えてきました。 父親も、娘を亡くしたストレスで、感情のコントロールが難しい部分はあるんだと思います。 しかし、息子は、メンタルがあまり強くないため、いつか自殺をするんじゃないかと不安で不安でたまりません。また、子供を亡くしでもしたら…と、不安で夜も眠れません。 生きる事に疲れました。娘を亡くし、生き地獄を生きてる私は、今度は息子の事で悩み苦しまなければならないのでしょうか? 私は、神様に仏様に嫌われているのでしょうか? 人生は修行だ…と言いますが、周りの家族は、笑顔でお出かけしています。 何かしら悩みはあるのだろうけど、羨ましく、妬ましくて仕方がありません。 子供を残して母親が死んではいけないと、毎日必死で生きていますが、限界が来そうです。 私は、一生このまま生き地獄を歩まなければならないのでしょうか? 鬱、パニック障害…薬を飲みながら必死で生き、子供の為に仕事もしています。 この先、神様、仏様が私を穏やかに導いて下さる日は来ないでしょうか? 娘の死を生き地獄に、苦しみ生きるのが、私の人生であり、運命でしょうか? ならば、いっそこの人生を終わらせたいと願うばかりです。
毎日「死にたい」と思ってしまう… でも、死は怖いです。 でも、自分より先に大事な人たちがいなくなるのはもっと怖いです。 でも、生きてるのが辛いです。 子どもたちが居るからなんとか踏み止まっているけど… 毎日が辛いんです。 私なんかより大変な思い、嫌な思い、辛い思いしてる人がいると思います。 でも、私も毎日1日1日過ごすのが苦しくて、辛いです。 母が居ないから悲しくて… おばあちゃんがいなくなってしまって悲しくて… 前の会社の上司の言葉(罵倒された)が忘れられなくて苦しくて…急にその人の顔、声、言われたことを思い出すと怒りが来て、そして苦しくなります。 前の仕事を続けたかったのに…悔しくて… 信頼してた人に裏切られて、人が信じらられなくて… こんな自分が母親なんて子どもがかわいそうで… こんな状況逃げ出したいと思ってるけど…どうにも出来なくて… ただ毎日辛いです。 もうどうしていいかわからないんです。 助けてください。