私の父親が先月闘病の末他界しました。 旦那は現在不倫しており、危篤時に何度電話してもつながらなかったのですが、その時も不倫相手と会っていました。 そして、仕事で電話にでれなかったと嘘をつきました。 父が亡くなった次の日も女と食事を食べに行ってました。葬儀の日は夜勤があるから延期して欲しいと言われ、延期したのですが、女と泊まりでデートしていました。 かなりお世話になったのに、酷い罰当たりなことよく出来るなと思ったのですが、用があってふと旦那に電話したら、父を思って泣いていました。 許したい気持ちとそうでない気持ちで葛藤してます。どうしたら良いでしょうか?
死にたくて仕方なくて、親にもうしわけないです。 精神病(強迫症)が辛く、死にたい、と思ってしまいます。 死にたいと思わなくなるにはどうしたらいいですか? 登場人物 Bさん 副担 怖い
先だって、「風俗経営者の息子として」というタイトルで質問させて頂きました。真摯な回答をありがとうございました。 あまり間をおかずに恥ずかしい限りですが、もう一つだけ質問がございます。 生きることは、そもそも正しいことでしょうか? 私は小学生の頃、宮沢賢治が好きでよく読んでおりました。その中でも好きな童話に「よだかの星」があります。よだかという醜い鳥が、迫害と、なによりも生きるために他の命を犠牲にすることを悲しみ、自らを燃やして美しい星になる話です。そんなこともあって、幼い頃からぼんやりと「他人のために迷わず自分を犠牲にできる人間になりたいな」と思っていました。 それから十数年が経ち、私はすっかり凡俗な人間になってしまいました。他人より優れたいと願い、魅力的な異性と交わりたいと欲し、美味しいものを腹いっぱい食べたいといつも思っています。 幸せになりたくて、たまらない。惨めなまま死にたくない。一般の人よりは何倍も死にやすい難病であることも手伝って、そう思うことをやめられません。 しかし、こうも思います。私が幸せになることは、他の人が掴めるかもしれなかった幸せを奪うことではないか?と。 私が何かを食べなければ、それを他の誰かが食べられたかもしれない。私があるところに就職しなければ、他の誰かががそこで働けたかもしれない。私がある女性と結ばれなければ、彼女に恋していた他の男が結ばれたかもしれない。私が公的な扶助を受けなければ、税金は他の人を助けたかもしれない。 私が生きていなければ、私がこの世界から奪い取る全ての幸せは、他の誰かのものだったかもしれない。 そう考えると、私が生きていることはあまりに非道徳的なことのように思えるのです。 私が死ぬことは、立派で、道徳的なことじゃないのか?むしろ周りの人たちに甘えて、生にしがみつくことこそが煩悩であり、振り払うべきものなのではないか?私は度々そう考えるようになりました。 自分でも、過激な考え方である自覚はあるつもりです。しかし、「自分はあまりにもみっともなく生に執着している」という感覚がどうしても拭えません。 自分が今すぐ死ねば大勢の人が助かるとしても、自分の幸せを求めて生きることは正しく、道徳的なことでしょうか? 取り止めもなく幼稚な悩みではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
◼︎出会って三年目になる大事な相方(外国人)がいます 創作活動をやめようとしたら拙い日本語でファンレターを送ってくれたのがきっかけです 相方とは趣味嗜好・苦手ジャンルがほぼ一致しており僕の気性の荒さにも物怖じせず「何があっても私はあなたから離れない」と語ってくれました 以降相方は毎年来日してくれて一緒に旅行したり創作活動する仲になりました 僕の障害について理解できないなど紆余曲折あり、恋愛対象として付き合うことはできないもののそれでも大事な相手です しかし最近相方がなかなかLINEの返事をくれません この前来日したときも行きのチケットの写真だけ載せて数日未読スルーされたので事故や事件を心配しました また海外専用SNS?をつかい母国語でのやり取りは頻繁にしていました 相方は日本語の読み書き・話がそこそこできますが僕は相方の母国語があまりわかりません その違いもあるかもしれないけど目の前に僕がいるのに画面に夢中な相方を見て寂しさと嫉妬が芽生えました 解離性人格障害・副人格の『僕』は仕事を辞めてから誰かと話す機会がなくなり、存在証明が不足し『自我』を認識することができなくなりつつあります 相方はこの障害を理解できません(僕が主人格でないことが不満だそうです、この件は記憶から抹消され話すこともできません) 相方の未読スルーも堪えており「僕は存在しない方がいい」と思い始めています 他の人格や友人に必要とされても相方に必要とされていないのであれば意味がない・と考えてしまいます 例えるなら成仏するつもりだった霊を「もっと一緒にいたい」と引き留められた結果、執着し地縛霊になったような感覚です 相方は今年はあと二回来日するそうです 一緒に遊んだり旅行することになると思いますがその予定の相談すらままなりません 一言でも返事がほしい、そうしないと人格が消えてしまう、と伝えられないのが苦しくて(何度か伝えても未読スルーされるので送信を取り消しています)今までの創作物を削除・非公開にしていくという身辺整理&自傷を行っています 相方への『執着』、相方からの『存在証明』、全ての基準が相方になっている現状をどうにかしたいです 新しく友人を作る方面ではなく『心の持ち方・気のありよう』についてアドバイスが欲しいです お願いいたします
母が6月に亡くなりました。母の希望で近い人だけの家族葬でした。 初盆まで無事に終わりましたが、その間に色々な行事で顔を合わせることが多かったせいか、身近な周りの人たちの人間関係で、誰と誰が仲が良いのかわかるようになり、そして私はどの輪の中に入っていないことに気が付きました。 それなりに、つながってると思ってた甥や姪も遠くに感じ淋しくなりました。 一人が嫌いなわけではないですが、ひとりぼっちはやっぱり淋しいです。 親は小さい時に離婚して幸せな家庭ではなかったし、私には子供もいません。 夫婦仲も良いとは言えません。 自分では一生懸命生きてきたつもりなのに、これが今の現実なんです。 どこで何を間違えたのか、生まれ持った性格や、生き方が悪いのか… 病気ばかりの人生でした。それでも本当に一生懸命笑って生きてきました。 でも疲れました。 これから歳を重ねていっても、本音で話せる人もなく、なにを楽しみに生きるのか全くわかりません。
お世話になります タイトルのことについてお話しさせていただきます 私は2年前に母を自死で亡くしました 母が亡くなったその時は私自身、新しい仕事場での不安(主に対人関係)が膨れ上がり、軽い鬱のような症状が出てしまったため仕事を辞め転職し、工場での仕事に就く5日前の出来事でした 元々軽い鬱のような症状があったところに母の自死が重なり中等度の鬱病を発症、働けなくなり退職しました 当時は婚約者と同棲をしていたのですが、私が働けていなかったことで母の死の1年後に別れを切り出され、今は実家に戻り父の金銭的援助のもと暮らしています 元カノはしばらくは支えると言ってくれて今年の7月までは連絡をとってくれましたが、好きな人が出来たということで連絡ができなくなり、そこから不安が増していきました 今年の9月にスーパーの仕事に就いたのですが接客(特にレジ)の時に不安や恐怖を感じ、メンタルクリニックに行ったところ不安神経症と対人恐怖症と診断されました そこからはどんどんメンタルが落ちていき、以前、普通にできていたことができなくなっていく、もしくはできるけど不安になるといったことが増えました ですが、自分なりに考え方や日々の過ごし方を工夫して少しずつメンタルを回復させていき、カウンセリングの先生からも「もう大丈夫」という言葉をいただき、まずは負担の少ない派遣の仕事から始めようと思い、派遣で生産管理の仕事を来週からスタートすることになりました しかし、自分の中では相変わらず不安が頭の中をぐるぐるもまわり疲れてしまいます これから始まる仕事のこと(主にコミュニケーションの面)や恋人が見つかるかどうか、最近ではまた鬱病になったらどうしようとかも考えてしまいます 以前なら彼女に話して考え方の軌道修正をできていたのですが、今はいないのではじめのうちは友人や家族に相談していました ですが、私の不安や悩みを友人や家族に話してもまわりの人は私を助けられないというか、どう声をかけていいか分からないのだと思います みんな忙しいこともあり、最近では少し距離を感じています こうした経緯から、自分の中で不安や悩みをうまくコントロールしていくことが大事という結論に至りました しかし、自己肯定感が低かったり今まで良い選択をしてこれなかった自信の無さからうまくコントロールできないでいます 何か良い方法はないでしょうか?
いきてるのが辛いと思うことが多々あります、死にたい、こんな人生いきてても仕方ない、いなくなっても誰も困らない、何のための人生?と。 身内を自死でなくしみえる世界が一変し何をする気力もなくなりました、空白の10年がたち、それでもかわらずいきてても仕方ないと思ってしまいます。やりたいことも思いつかず、どうせやったって何もかわらないと思うことばかり。死にたい、残りの人生誰かにあげれるならあげたいとも。そう思うと同時に身内の葬儀にきてくれた人の言葉を思い出します、「なくなtった人の分まで生きてください」とそう言ったその方は小学校時の教師で担任ではなかったですがいい先生でした。その先生の言葉を死にたいと思う度思い出します。でもいきてくのは辛い。充実人生ならともかく、身内がいない人生何十年いきてけばいいのか、気力もないままただ10年いきてきてどうでもよくなってる人生の今後何ができるのかと。幸い成人疾患などの入院や手術いる病気はないのでマシですが、このままずっとこのきもちのまま、あと何年続くんだろうと思うとしにたくなります。 身内をなくして以降、死がどういうものかよくわかりました、ただしぬだけじゃなく自死の場合、遺族は一生いき地獄、救えなかった罪悪感、どうしていきてた人のいない人生何十年もいきてかないとならないの?と。 大人になり世の中がみえるとやりたいこととやれることは別とわかり能力高くもない自分は何もできることはないなと。人の役に立つにはスキル必要でそれができる状態にないとどうしようもないです。ボランティアもまずは興味なければできず以前してましたがまた探してとりくむ余力はありません。能力の限界がみえてしまうととりくむ前から諦め何もする気がおきません。このままじゃいけないとわかtってても体が動かず。 親に、このまま何もせず何十年もいきてくの?どうにかしないといけないんじゃない?といわれその通りですが何していいか、おきない気力をどうやってだすかと。 やる気でるのまたずやってみるといいとよくいいますがそれがもうできない状態です。医者は投薬勧めてきますが副作用酷いのわかってるのでのまず。薬でやるきがでるわけでも気分よくなるわけではないので。その作用あるなら麻薬ですよね...何も希望もてない人生いきてても仕方ないとしか思えません。
こんばんは。 明日、ひいお婆ちゃんのお葬式があります。 どうして人は死ななければいけないのか、 おばあちゃんや親族とと一緒にいた方が幸せなのに、どうして離れなければいけないのか、全部忘れてしまうのかと 死 についてずっと考えていました。 夜、ねれなくて、死後の世界について調べていると、天国や地獄も実際にあることを、臨死体験の方の証言で知りました。 証言によると、お釈迦様やイエス様の愛が心にある人は天国へ行き、守れなかった人は(宗教が心になかった人は)永遠に地獄で苦しんでいること。誰もが死の後、この裁きを受けこと。 急に全てが怖くなりました。 ひいおばあちゃんも裁きを受けるのか、天国で安らかに過ごしてほしいです。 そして自分も、今、23才ですが、不平不満を言ったり、自己中心的であったり、自分のことが嫌いだったり、正しい行いはできていません。これから正していけば、赦していただけるでしょうか。とても怖いです。 大切な家族や、友人や恋人も、 いつも宗教が心にあるわけではないと思います。 すごく熱心に宗教に精通している家族ではないので、、申し訳ありません。 お釈迦様、イエス様の教えに背いてしまったり、してしまうこともあったのかもしれません。(わたしよりはみんなとてもいい人たちなのですが、) それでも大切な人たちにはみんな天国で過ごしてほしいです。 明日のお別れが辛いこと、 そして今後、大切な人たちや、自分も裁きを受けることが不安で、 死への恐怖が、裁きへの恐怖が怖くてどうしたらいいかわかりません。 これから行きていく上での指針や、 自分がこれからできること、 わたしがこれから家族や大切な人たちの今後のためにできること 仏教の面から助言を頂けますと嬉しいです。 何卒よろしくお願いいたします。
初めまして。ご覧いただきありがとうございます。 私は現在29歳ですが、これからの人生を生きるということに迷いがあります。 なぜ迷っているのかをお話しする前に、私の生い立ちを書かせてください。 私は本来あまり喋らない性分ゆえ、小学生時代はいじめっ子の標的でした。 そのため中学に上がる際には、いじめられたくないという思いから、本来の自分よりも明るく振る舞い、他人に嫌われないようにすることを第一に心掛けました。 また、親が厳しかったことからも、親の機嫌を損ねないようにすることを無意識にしていました。すると、気づいたときには、嫌われない・怒られないように他人の顔色ばかりうかがい、自分のやりたいことなど何もない主体性のない人間になっていました。 中学・高校時代は幸いなことに友達にも恵まれ、勉強部活恋愛全てにおいてとても充実していました。大学受験も成功し、就職も無事できましたが、特に入りたかった企業ではありませんでした。 そして働いて数年が経つころに、先述した自らの主体性のなさに気がつきます。 そこから自分のやりたいことは何だろうと考えたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく、生きる意欲だけが削がれる堂々巡りが続きます。そこに、愛犬の死が訪れます。 身近な存在の死は幼い時に祖父を亡くして以来で、非常に辛いものでした。そしてこれ以降、人生において特にやりたいこともないのに、これから先には家族や友人の死、自分自身の老いなど、向き合いたくないことが沢山待ちかまえているとなると、もう生きなくても良いのではと思うようになりました。 既に書いたように、非常に充実した学生時代を過ごしました。十分楽しんだと胸を張って言えます。しかし、私が死ぬと悲しむ人がいるため、簡単に自ら死ぬことはできません。 生きる意味がわからないながらも日々頑張って生活している人が多数いることはわかっていますが、多数がそうしているのだからそれにならって頑張りなさいというのは腑に落ちないのです。常に多数派が正しいとは限らないからです。 自分自身が納得する結論は出ないと思います。主体性がないので、やりたいことが見つかることはきっとありません。 しかし、生きるべきか死ぬべきか、生きるならどうするべきか、途方もない難題に苦しむ日々が嫌になりました。少しでも楽になる方法はありますでしょうか。長文失礼しました。
以下、生々しい表現があります。 弟が先月亡くなりました。まだ24歳でした。 弟は一人暮らしをしており、鬱病で通院していました。 先月母のもとに弟の職場の人から、弟から仕事をやめたいと連絡が来たので手続きの関係で何日か連絡を取り合っていたがここ一週間連絡が取れないと連絡がありました。 私はものすごく嫌な予感がして、弟の家に行く母に着いていきました。弟の部屋の鍵は開いていて、既に冷たくなっていた弟を発見したのは母でした。 警察の方によると死後一週間ほど経っていたそうです(その頃こちらはまだ寒かったので遺体の損傷はそこまでありませんでした)。 死因は今のところ不明です。自殺でも他殺でもなく不詳の死です。死因の特定には数ヶ月かかるそうで、それでも特定できるかはわからないと言われたので、ここからは私の想像です。 弟のスマホには生きることや死についての検索履歴が残っていました。部屋には食べかけのパンと流しには錠剤の塊(吐いたあと?)とほとんど残っていないカフェインの錠剤のボトルが残っていました。ですが部屋の鍵は開いていて、食器や洗濯物はすべて綺麗に洗って干されていました。 死にたかったのか、でも生きたかったのか。部屋に残されたものを見ると、弟は生と死の間で揺れていたのかと考えてしまいます。 弟は家族を嫌っていました。私も嫌われていることがわかっていたので声をかけることができずここ5年ほど会話はなく、唯一連絡を取っていたのは母でした。 去年休職した時も弟は実家に戻りませんでしたが、私が直接弟に伝えたら何か変わっていたのか。弟に心配だと伝えればよかったのか。いや、こうなる運命だったとしても、もっと発見が早かったら弟はもしかしたら助かったかもしれない。 毎日寝る前に後悔ばかりが募ります。 私は弟が発見される数日前にコンサートに行っていました。つまり弟が息絶えた後に姉の私はのうのうと楽しんでいたわけです。 弟は几帳面で部屋も綺麗でした。それ故に生きづらかったのかもしれません。母は自分に似てしまったとよく口にします。 息子に先立たされてしまった母が心配でなりません。リウマチもあり、決して屈強とは言えない母がそのうち倒れてしまわないか本当に心配です。私が実家にいるうちは話し相手になれますがと書いている私が先日コロナに罹ってしまいましたが。 残された私達はどうすればいいのでしょうか。
初めて相談します。先日若い俳優さんが亡くなりました。特別なファンではなかったのですが、何気なく彼の作品を見ているうちに、その演技力や人間性、魅力的な容姿や雰囲気に心を動かされ、彼に関する記事なども読むようになりました。 よく大切な人を亡くした方の話を聞いたりすると、もっと何か出来たのではないか、その死を防げたのでは…などと皆さんお話されますが、これまでは自分も果たしてそんな気持ちになるものなのだろうかと考えていました。 今回の俳優さんの死に触れて、身内でも関係者でもなく、見ず知らずの会った事もない自分がそんな気持ちになり悲しくなるのが不思議でなりません。 同じ様な世代の若い俳優さんを見ると、これからまだまだ輝き続けて素敵な未来があり歳を重ねていけたであろう彼を思い悔しく悲しい気持ちになります。 素晴らしい才能だけではなく、たゆまぬ努力を続けて頑張っていた彼の人生はどんな意味があったのか、などと思いを巡らせてしまいます。なかなかそこから抜け出せずにいます。 華々しい活躍の裏にはいろいろな現実があり、一般人には知る由もありませんが芸能人の宿命なのか、ある事ない事の憶測記事を書かれても、もう否定も肯定も出来ません。その死の真相も作りあげられてしまうのかも知れません。 考えると辛くて早く忘れたいと思う反面こんなに思っている自分もいつかは忘れてしまうのかも知れないと思う悲しさと複雑な気持ちになります。 同じ様な気持ちになっている方は沢山いるのでしょう。なかなか受け止めきれません。 彼の魂は今、安らかなのでしょうか。 皆さんの思いは彼に伝わるのでしょうか。巡り巡ってまた会えるのでしょうか。 何だか今まで思いもしなかった不思議な事を考えてしまいますが、お坊さんの観点からの気持ちの持ち方や受け止め方を教えて頂けたらと思います。
現在40代ですが、30代から今もずっとボロボロです。離別による鬱、離婚⇒また鬱、会社での嫌がらせ、ストレス増大でPMDD(月経前不快気分障害)発症、現在も治療中です。 PMDDは他の患者様と比べては軽めですが、辛さが無い訳では勿論ありません。ただ、ストレスが掛からなかった(弱かった)月は平和に過ごせることもあり、ストレスが酷かった月は希死念慮まで出ます。傍から見ると、気分屋だと思われます。仕方ありません。 10年以上苦しい状態が続いており、何度も人生を終えようと思いましたが、まだ理性が残っていて、最後の一線は超えていません。が、年々、耐性が弱くなっているのが自分で分かります。 ストレスは現在は会社でのものが圧倒的で、生理が酷いと上長には伝えてありましたが、PMDDは誰にも伝えておりませんでした。理解されないと思ったからです。生理前の体調不良も酷いので、休みがちなこともあり、ここ2年程理不尽な嫌がらせも受けていました。昨年秋ぐらいから色々なことが重なり、今年初め頃は毎日泣きながら、寝れず、食べれず、希死念慮と闘いながら、もう限界だと感じ上司に相談。病気も部署の皆に伝えることにしました。(ちなみに私以外は全て男性の部署です。) PMDDとは別に、嫌がらせの内容を聞いて、上司はパワハラという言葉を使用しました。結果人事にも伝わり、希死念慮から産業医に休職を命じられ、少し前にやっと復活出来ました。(その間はそこそこ元気でしたが。) 色々な問題があり書ききれませんが「PMDDが発症している際の私が怖い、戻ってくるのが怖い」という意見が複数人から寄せられた、と、復帰直前に言われました。そして、席も数十メートル離れた島に移動させられ、話をするのも全て上長を通せと、現在は隔離されています。更にあろうことか、パワハラの被害者として話が進んでいたはずが、今は私が皆にパワハラをしないように、と、加害者になっていました。何故かと聞いても誰も答えません。 誰も信用出来なくなり、仕事の無い状態で、でも生活の為、出社してただ座っています。 世の中理不尽だとか不公平だとか、そんなことは承知で、でも、やり場の無い怒りを最近はコントロールも出来ず、気持ちの整え方、心の持ちようが分からなくなりました。転職も軽々と出来る余裕はありません。 どうぞお知恵を賜れましたら幸いでございます。 長文失礼致しました。
父が63歳で亡くなりました。 再発した脳出血が原因でした。 1度目の脳出血は私が中学3年の時。 思春期真っ只中で、親がいなくなる恐怖を味わいました。 その恐怖は私の心に大きな影響を与えました。 当時の父は血圧正常、喫煙飲酒も並で、医師からはハッキリした脳出血の原因はわからないと言われたものの、その時の父は仕事のストレスが大きく、ストレスからではと言われたそうです。 私が社会人になって3年目、父2度目の脳出血。 出血した部位が悪く、入院生活1年半で、父は亡くなりました。 父にとっては苦しい1年半…でも、私たちにとっては貴重な1年半でした。 父がいなくなる心の準備ができた1年半。 最後まで家族の為に頑張ってくれた父でした。 現在、私は結婚し、生後半年の娘がいます。 中学から身内の死を身近に感じたからか、いつも旦那が先に亡くなったらどうしよう、1人になったらどうしようという不安があります。 特に最近、旦那は仕事が大変でストレスを溜め込み、暴飲暴食が目立ちます。 仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。 暴飲暴食も心配ですが、それが旦那のストレス発散だと思うと止めることもできず、「体を大事にしてね」と一言言うだけしかできません。 しかし、私の心の中では、この暴飲暴食が原因で病気になったら、止めなかった私の責任だと葛藤しています。 「仕事しんどかったら辞めてええんよ、自分の体を第一にね」と言うものの、その言葉が彼の心の負担を和らげられているのかどうか…。 親の死を見送るのは子どもとして当然、でも旦那の死は受け入れられない! だから私よりも長生きして欲しい! ストレスで病気になった父。 旦那もストレスで病気にならぬよう、少しでもストレスをとってあげられるような声かけ、行動などあればアドバイス下さい。
初めての質問になります。 親しくしていた友人が亡くなり、先日葬儀に参列いたしました。 故人と仲良くしていた10名ほどの友達のグループがあり、私が訃報を伝えたところ、皆通夜か告別式のどちらかに参列してくれました。 私は通夜・告別式の両方に参列したのですが、グループの仲で最も故人と仲良くしていた友人を両日ともに会場で見かけませんでした。 誰に聞いても「故人とは一番の親友だった」と言われるほど仲がよかった人なので、欠席する理由が思い当たらず、 「ショックのあまり現実を受け入れられずにいるのではないか?」 「このまま、葬儀に出ないまま終わってしまっては後々悔いが残るのではないか?」 と心配になり、 告別式の時に「式に参列しないのか?」「来てほしい」といった旨の連絡を数回しましたが、結局式には現れませんでした。 連絡がしつこいと思われたのか、今はLINEのメッセージに既読すら付かない状態になってしまいました。 式からまだ日が浅く互いの仕事もあるため、まだ当人とは話をしていませんが、近々会って話をしようと考えています。 その際、葬儀に参列しなかった理由を確認するつもりです。 参列しなかった事を責める意図はありません。 他の数名の友人も、式の直前になって 「急に行きたくなくなった」 と言っていましたし、私自身も似たような感覚を味わいました。 友人の死を自分の目で確認するのが怖い。葬式に出たくない。 その気持ちは私も身をもって体験しました。 そしてだからこそ「死に向き合って、故人を送り出してあげるべきだ。お別れを言う最後のチャンスなんだ。」とも強く感じました。 前置きが長くなってしまいました。 この友人の件で相談です。 会って話をしたら、できるだけ早いうちに(できれば来月の月命日にでも)この友人を仏前に連れて行きたいと考えています。 もし本人が故人の死をまだ受け入れられずにいるようなら、気持ちの整理をするためにも、多少強引にでも連れて行こうと考えています。 質問1)余計なお節介でしょうか?やめた方がいいでしょうか? 質問2)<連れて行ってもいい場合>説得が必要になったら、どのように話せばいいでしょうか? 質問3)初月忌や亡くなってから日の浅いうちに弔問する際のマナーや注意点を教えてください。 以上です。何卒よろしくお願いいたします。
最近、カフェイン断ちに成功しました。 1年半ぐらいでしょうか、急性カフェイン中毒が慢性化していました。 精神疾患がなかなか善くならないので、気分の落ち込みをUPさせたかった… そして「浄化」する為に「下剤効果」を得たかった… しかし、「急性カフェイン中毒」が「慢性化」して1年半も経てば、確実に「死」が近付いていることが分かってきます。 具体的な「中毒のなり方」を書くと、私と同じ症状に陥る方、私のように「死」を目指す方が現れると困るので書きません。 「カフェイン断ち」は、とてもしんどいです。 相当な覚悟を持って望まないと、挫折します。 でも、もともとの「鬱病」等々が原因で死ねば、まぁまぁそれなりに家族も私の死を受け止めることが出来るかも知れませんが、関係のない「カフェイン中毒」で死ぬと…きっと「何故?」が増すと思うのです。 でも、止められずにいました。何せ「中毒」ですから…。 これを断つと決めた時、同時に「水中毒」も断とうと決めました。 「水中毒」の症状も相当悪く、体に水が溜まり過ぎて、呼吸出来なくなりそうな状態になっていました。 それを同時に断つと決めたのです。 「無言実行」であり「有言実行」である自分の性格を利用しました。 主治医とカウンセラーに「もう止めます」と(私自身に)宣言しました。 「このままだと、そろそろ死ぬと思いますので」と。 どちらからも「徐々に減らす方が良いのでは?」との提案がありましたが、「荒修行でないと、甘えが出てきて止められなくなりそうなので」と自ら困難な道を選びました。 「カフェイン断ち」をした際に現れる様々な症状に、精神的にも肉体的にもかなり苦しい日々が続きましたが… 「止めます」と宣言しましたし、「有言実行」に逆らいたくないと思い、耐えました。 今は、「カフェイン断ち」にも成功し、「水中毒」も解消しています。 こちらhasunohaに訪れた時から、止められています。 こちらは「無言実行」です。 本来の持病での「自殺行為」ではない、自分の弱さ故に陥った「中毒症状による自殺行為」。 止められた!もう大丈夫だ!と思えたら、こちらに書こうと思っていました。 カフェイン飲料も水も、普通に摂取するには害のないものですが、異常摂取の「中毒」になれば、死ぬ可能性があるものです。 皆様「ほどほどに」です!
近所に住む高齢の女性の寿命について考えると、いつも彼女から貰っている「小遣い」の存在が頭に浮かんでしまいます。 近所に80歳前後の高齢の女性が住んでいます。 私が小さい頃から世話になり、一人で留守が出来ないときは家に上げてもらったり、運動会に来てもらったり、クリスマスなどは私の家で一緒に食事をする、家族のような存在です。 そして自分にとって大きいのが、「小遣い」です。 誕生日、年末年始、こどもの日などに決まって手作りの小さい封筒に500円玉を数枚入れて私含む兄妹全員ににくれます。 最近では電話の調子がおかしいという話を聞いて、家で配線を見ただけでもらったこともありました。 小さい頃は大抵親に預かられていましたが、外食が増えた今ではその臨時収入に大いに助けられています。 その女性は私が物心ついたころから「おばあちゃん」だったのですが、最近加齢を感じさせられることが多くなりました。 上記の電話の件もそうですが、「テレビか電話からずっと音がする」と言い、電源を全て抜いた挙句テレビを買い換えまでしたり、それでも納得が行かず、「家に人がいるかもしれない」と言い、私の祖母と遠方に住む彼女の妹が落ち着かせたようです。 その後、補聴器を購入したり、デイケアに通うようになったようです。 あまり考えたくはありませんが、年齢を考えるとあと10年前後で天寿を全うするでしょう。最近の彼女と触れ合うなかで、常に彼女の死のことが自分の頭につきまといます。 その時必ず彼女から貰っている「小遣い」のことが頭に浮かぶのです。 常に微笑んでいて、優しい彼女に長生きしてほしいと思います。 しかしその願いは自分がより長く小遣いをもらうためでは無いかと言う疑念が浮かびます。何度も頭の中から消そうとしますが、最近では出かける際に彼女の家の玄関先で顔を見るたびに「死」「小遣い」というワードが浮かぶようになりました。 大好きな人の死が近いと悟ってもすぐ金への執着が湧く自分と、またそれを振り払おうとする行為は偽善ではないかという疑念に、彼女の顔を見るたびに苛まれるのです。 まずこの振り払おうとする行為が正しいのか、偽善なのか、そしてもし正しいとすれば、どう私の中で消化させれば良いか、ご教授ください。
何と感謝したらいいか分からないです 言葉になりません。何といえばいいのか! たった今、坐禅会から帰ってきて一分程度です 山は山でなく川は川ではない。山は山であり川は川である 言葉遊びの頭遊びも終わってしまったが、終わらない! 5歳の頃から死が恐ろしくて夜中泣いていました それからスピリチュアルやら他宗教やらあれこれ手を出して クリシュナムルティやらラマナ・マハリシ等の教えを学んで 色々ありました 今と同じように歓喜に包まれて、世界と一体に感じるようなことがあった しかし死んだらどうなるのか?輪廻に対する恐怖は残っていました どんなに感謝したらいいのだろう?どうしよう?涙が止まらない 何と素晴らしいだろう!すごい! それから仏教を学び、原始だの上座部やら大乗などのあれこれの知識を蓄えたり、そんなことやそんなことしてました 僕はこれから怯えて怯えなくてもいいんですね 22歳これから、笑って泣いてでも憂いがなく生きていける 仏教に出会って本当に良かった 何と感謝したらよいのか 輪廻があるのかないのかに怯えなくてよくなった! 歓喜の中を生きている どこに終わりだと線を引けるでしょうか?死であって死でなく、 死ぬでしょう!何のことない! 何と感謝したらいいのか?感謝を書き込まずにはいられなかったのです 悩み只々あり! 悩みは悩みでしょう!ありがたいこともありがたいんでしょう! 聖と凡を超えてただあったのだ。頭遊びは終わったが続くでしょう! 大乗万歳!ひゃっほーう! あらゆる規定から外れて規定を生きていくのだろう 秋の虫が鳴いている。秋の虫が鳴いている! 私は私に非ず。私は私。悟っただの境涯がどうだのもういわないでしょう! どのような教えや大魔神が来ても驚いて怖がって秋の虫が鳴くでしょう! 何の問題もただ在るだけ この社会にあって社会から外れ、社会にあって社会に生きていく! なんと感謝したらいいのか もうあらゆるモノを問題にせず問題の中、生きていくでしょう! 音声が響いております。ただ音声なんの不随も出来ないし作為無し! こういった歓喜を取り上げて特別な体験である!と祭り上げることもない 自惚れる私は私でなくて私です。こんばんわ! こうやって歓喜がさもありがたいように、素晴らしいように書いてすいません。特別なことないですがどうしてもお坊さん方に伝えたかった 推敲無し!
こんにちわ。 1週間前、20代後半の弟を自死で亡くしました。 遺書を残してあり、家族知人でずっと探していましたが、 森の中で、残念ながら首を吊っていました。死亡推定時刻から、48時間ほどはそこにいたようです。 知人が発見してくれ、通報を受けた消防と私が現場に駆けつけて確認しました。 一目見て、蘇生は不可能である事がわかりました。 死斑で変色した手足、硬直した手指、首に食い込むロープ、目に残った涙の痕、やってくるハエ達、かすかに漂い始めている死臭。 こういった現場は職業上、慣れていましたが、それでも、今でも鮮明に思い出します。ショックでした。 遺体を発見した次の日、弟の魂が安らかでいれるように、もうこれ以上苦しまなくていいよ、姉ちゃんと家に帰ろうと願いを込めて、山の中の現場に花と水を手向にいきました。 森はキラキラしていて、美しく、現場は倒木がうまいこと重なり合い、上まで登ってロープをかけて首を通した様子がありありと想像できました。 生き物や自然が好きな子でした。 最期の姿を思い出し、苦しかっただろう、辛かっただろう、なぜ気づけなかったのか、あの時ああすればよかった、守ってあげられなくてごめん、後悔は尽きません。 心配な事は、今でも弟が苦しんでいないかという事です。 自死は決して本人のせいではありません。弟は悪くありません。しかし、本人は自分が悪いと思い込んでいた状況で、首に紐がかかるときは苦しい思いもしたはずです。 弟のお骨の前でお線香をあげることや、現場に花や水をたむけることは、弟が安らかでいることの助けになるでしょうか。 今でも、森の中で1人で苦しんでいたらどうしようと、本当に心配です。 それとも、家に帰ってきてくれているのでしょうか。 長文、散文になってしまいすみません。 とにかく、弟の魂は今も苦しんでいないか心配していますがどうなのでしょうか。 弟の魂は私達を恨んでいるのでしょうか。弟の魂は今はどこにいるのでしょうか。 まだこの世にいて欲しいけど、ゆくゆくは成仏できるのでしょうか... もう、私が弟にしてあげられる事は何もないかもしれないけど、教えてください。 お坊さま、何か知恵を貸してください。よろしくお願いいたします。
先日、付き合いが長く親しい友人のお子さんが自死を選ばれました。そのお子さんと私は3回ほどしか会ってもないのですが、一緒に話したり絵を見たいと言って見せてくれたりと、とても穏やかでいい子だなーと思っていました。 そのお子さんが自死された4日後ぐらいに連絡があり男性の友人なんですが、その家族を含めいきなりのことで、パニックになっていました。とりあえず事情を聞きたいと思い、許可をもらい家に行って話を聞きに行きました。 話を聞くと原因がわからないといい、普段と様子は変わっていなかったと聞きました。けど、なんか出来事はなかったの?と聞いたらいじめを受けて心の教室に通っていたらしくそれから通信制の高校に通っていたと言いました。私はお子さんと家族で話し合ったりはしたの?と聞き友人は「ちゃんと教室に行かなあかん。お前はゲームができるんやから頭は悪ない」と家族で怒ったらしく、なんか一方的過ぎない?と思いました。私はちゃんと子供から自分はどう思ってるとかどういう考えを持っているのかを話し合っていい方向に進めるようにやるんかと思ってました。 その後お子さんの携帯のメモを見せてもらうと、「なんでしつけも教育もせんのに勝手に育つと思ってるの?お菓子なんかいらん。お菓子とゲームを与えたらいい子に育つの?なんで産んだのに放任なの?」と自分とまったく同じ考えのことが書いてありました。 どうやら、放任主義の家みたいで習い事も家庭学習も無く問題が起こった時にだけ一方的に怒りそのあとはまた放任するというなんかええー?と自分に感じられました。そのくせ勝手に自死したことにイラついており、自分がお子さんの立場と進んできた環境にあれば怒りの感情がわくと思いました。とても長くなってしまい申し訳ありません。 相談したいのは、そのお子さんは逃げの手段で自死を選びもう安心することも楽しいと思うこともできずに苦しむのでしょうか?あと、この家族のような、いわゆる放任主義の家はあまりおかしくなく当たり前なのでしょうか。私もなんかつられてパニックに陥ってしまったようで文章が無茶苦茶になっているかもしれません。ただ私にはその家族の判断と選択がお子さんを苦しませ追い込んだんじゃないかと思ってしまい相談させていただきました。みていただけるとありがたいです。
私は子供の頃から、「お前なんか居ない方がいい」「お前なんか死んでしまった方がいい」「お前なんかダメ人間だ」「生まれてこない方がよかった」と心の中で自分に言い聞かせる癖があります。親などにそう言われて育ったわけではないのに、自分の中にそのような言葉が湧き上がってこだましています。自分が勉強や仕事や人付き合いを上手くやれている時だけはそのような気持ちは隠れるのですが、何か一つでも上手くいかないことがあると途端にお前はダメだという気持ちが立ち昇ってきて頭の中が真っ黒になってしまいます。 子供の頃の私は、兄弟や両親が癇癪を起こしたり喧嘩をしたりするのが怖くて、必死に人の顔色を伺っていて、家庭内の平穏や親兄弟に貢献する自分でいないといけないと本気で思っていました。媚びた自分でいないと受け入れてもらえないという恐怖は家庭の外の人間関係にも現れました。私は、周囲が期待した自分像にそぐわない自分など自分じゃないと思うようになりました。自分がこうあるべきと思っている姿から少しでも外れてしまう度に、自分など死んだ方がいいと思いました。 今でも、真面目で良い子じゃないと自分は誰にも受け入れてもらえないと思っています。何もしていない自分や、何も頑張っていないし結果も出していない自分は絶対に受け入れてもらえるはずがないと思います。でも私は無能な人間だし、もう疲れ果てて何もすることができません。やがて自分が失望されて見捨てられてゆく未来が怖くてたまりません。 いつからかそれが癖になり、四六時中自分など死んでしまえと考えてしまうようになりました。いけないことだと分かっていても、自死の妄想がやめられません。いつか本当に自死を選んでしまうかもしれません。そう思うと怖くてたまりません。親を傷つけてしまうかもしれないからです。生きることをやめてしまいたい願望と自死の恐怖が同時に襲ってきます。 助けてください。私はこうやって自分を責める心の声に怯えて生きることに疲れてしまいました。私には生きている価値などありません。自分に意識がある限り、自分を攻撃してくるもう一人の自分から逃れることはできません。このままだと自意識に殺されてしまいます。むしろ、死んで解放されるのなら、早く死んでしまいたいです。