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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗教 」
検索結果: 2815件

何故戒名をもらったら仏教徒になるという認識は誤りなのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 以前、こちらで葬式をあげてほしくないという質問をいたしました。 戒名をもらった時点で仏教徒になるのが嫌という理由を上げましたが、それは誤りとの指摘がありました。 戒名とは法号のことであり授戒の証、すなわち仏門に入ることのはずですが、何故、戒名をもらうことが仏教徒になるということではないのですか? 少し長いですが、それでも、詳しい経緯をお知りになりたい方は下記をご参照下さい。 http://hasunoha.jp/questions/5942 予想される答えとしては「私はすでに仏教徒である」ということと思います。 一度も同意したことはありませんが… 私が嫌いなのは仏教だけではなく、宗教全般なので、特別仏教がどうのこうのというわけではないので、ご理解ください。 ただ、ガウタマ・シッダールタや、イエスや、ムハンマドなど、一人の人間の言葉の元に集まった集団が起源なのが特に嫌という感じはあります。 神道に言及しているのは、少なくとも私は宗教ではなく、神話扱いしているという理由です。 ギリシャ神話、ローマ神話、ゾロアスター教、それから、特に好きというわけではありませんが、エジプト神話あたりは、私に対して「無害」なので、別に嫌いというわけではありません。

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曖昧さへの不安感

お世話になっております。 柴田秋です。 今まで3回質問させていただきました。 ・葬式を挙げてほしくない旨 ・想いを伝えるのに忍耐が足りない旨 ・忘却することに対する困り感の旨 すべてに共通しているものの一つに、曖昧さへの不安感があるように感じます。 つまり、下記のことなどが曖昧です。 少なくとも、私の認識の上ではそのように捉えています。 ・死後の世界 ・宗教、信仰 ・自分を含めた人の心 これ自体は私だけのものですが、コモンセンスとして、他の方にもそういったことはあるのではないかと思います。 3つのことを質問したいと思います。 1.僧職についておられる貴方でも、曖昧なことへ不安を感じることはある、または過去にはありましたか? 2.僧職についておられる貴方は、不安へどう対処する、または対処しませんか?   ここでいう不安とは、一般的な不安全体としての意味です。 3.対処しないという方に向けてですが、それによって問題が起こった時、同感じ、何を心がけますか?   または問題がおこりませんか? 僧職と言っても様々ですが、ここは仏教に所属していらっしゃる方への質問の場なので、仏教としての立場でのご回答で構いません。 以上、お手数ですが、お答えをいただけるとありがたく思います。 もし仮にご回答をいただけた場合、ご回答者の方が望まぬかぎり、それを見て何を感じたかは心のなかにとどめておきたいとおもいます。 ご回答していただいた行為そのものへのお礼は申し上げる心構えです。

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熱心に信仰する母との付き合い方

こんばんは、初めて相談させて頂きます。 私の母はもう30年ほど、とある宗教に熱心に信仰しております。 日本では有名な宗教で、お布施の要求や品物を買わせるような宗教ではありませんし、私も母に誘われて講演会等は行ったことがあり、〝親や夫を大切にする〟ということが基本の教えだと思います。そこまでは私にも理解できますが、母の信仰はそれよりもさらにさらに深く、宗教の教えが全ての母とは当然価値観が合わず、宗教の価値観を私に押し付けてくることが私の悩みです。 長年信仰している影響か、起きたことはすべて宗教に報告し、その不安や心配を信仰で解決しようとするので、いつのころからか母には悩みを相談できずにいました。 最近では少しでも子育ての愚痴を言うと 「(宗教の)〇〇先生に言うから」や、夫のことを話すと 「(宗教の教え上)そんなことではダメ」 「あなたが今幸せなのは宗教のおかげ」 など何でもかんでも宗教に絡ませてきます。しかし母が信仰に対して気持ちが冷めている時は、宗教を否定したり、都合の悪いことは宗教側に隠していたり、そうやって振り回されることもとても嫌です。 母は娘の私だけは信仰を理解してくれていると勘違いしているようにも思います。 子育て真っ只中の今、たまに母に助けてもらっていましたが、母のことを否定しているのに助けを求めることは自分勝手だなと改めて思い、自立して母とは今まで以上に距離を取り付き合う方法しかないのかなと最近は思っています。話す内容もうわべだけにしたほうが良さそうだなと思いつつも、悲しい親子関係だなぁと思いますし、母は信仰しつつも私を育ててくれたことは事実で、感謝をしなければいけないのに、どうしても母の信仰を受け入れられない、理解できない、その辺の矛盾している部分も悩んでいます。 母の信仰のことは夫にももちろん打ち明けていませんし、父も母の宗教には大反対で父に話すことだけは暗黙の了解で絶対にNGでしたが、2人きりの時に内緒で相談すると、もう信仰はしていないと思っていた父は激怒、母に問い詰めてはいないものの、それ以来父は母と距離をとっていて実家に帰ると空気が悪く、相談した私のせいだなと思っています。 こんな風に母のことを誰にも相談できず、一人で悩み続けることも辛いです。 何かアドバイスがあればよろしくお願いします。

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お別れが言えないです

はじめまして。 ネットで恋愛に関することを検索していたら見つけましたので、相談させていただきます。 お付き合いをして4年近くたつ彼との別れを考えております。 理由は浮気とか別に好きな人ができた、などではなく宗教の違いです。 私の家は仏教で自分自身はどちらかというとたまにお寺にお参りに行く程度です。彼は新興宗教(よく勧誘にくる方の宗教)で、二世です。 1度、彼から「気持ちは変わらないけど、僕は宗教をかえるつもりはない」と告げられ、別れを言われました。その時私は「自分が宗教に入れば一緒にいられる」と思い、必死になって別れを拒みました。その際は本当にそれでいいと思ったのです。 しかし、無知だった私は周りの人のことは何も考えておりませんでした。自分さえよければそれでいいと思ったのです。 しかし、ネットで調べてみたり、実際に集会にさんかしてみて、日頃の行いに制限が多いことを初めて知りました。 制限をうけるのが自分と彼だけであれば何も悩まないのです。しかし、彼との結婚や将来を考えると子供ができた時に本当にそれでいいのかと言われると首を横に振ります。(校歌斉唱がダメ、勝負事(運動会の騎馬戦や応援合戦など)への参加はダメ、他宗教への立ち入り(具体的にはお寺参り等)などなど) あまりにも子供に負担が大きすぎます。そんなことを考えると自分だけではなく、なりたい将来像にその宗教はいれたくないのです。 どうしても彼が辞める気がないというので、別れを告げなければならないとは思いつつ、このままズルズルといってもいいではないかと現状に甘えてしまう自分がいます。(彼とは遠距離で宗教に入信するまで連絡はとらないことになっています) このままでは彼も私も貴重な人生の時間を削ってしまうとわかりながら、今までの思い出と現状に甘えてしまう私に、アドバイスを頂けないでしょうか。 つじつまが合わないところも多々あったと思いますが、お待ちしております。

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理解したいという反面で拒否しています。

私は24歳の社会人で、付き合って4年になる 遠距離恋愛中の一個下の彼氏がいます。 彼氏から1年程前に、創価学会を信仰していると告白されました。 彼氏曰く、彼の祖父から続く学会員らしく、 熱心に信仰しているようです。 一方、私の家は特に信仰している宗教はなく 両親にその事を伝えましたが特に何も言われませんでした。 このことで一度、別れたこともありますが この時に 彼のことを理解しようと きちんと見れていなかったと気づき、 もう一度向き合ってみようと思い、復縁し今に至ります。 お互い社会人になり、2人の間で結婚の話が出ていますが 彼氏曰く ネットなどに書かれていることを鵜呑みにせず 俺の言葉を信じてほしいし、一度創価学会の本やビデオを見て欲しいということです。 私は理解したいとは思うのですが、 やはり怖くてなかなか踏み出せません。 一度見てみようとは思うのですが 私は絶対に入らないと言っています。 彼氏はそれでもいいから一度見て知って欲しいという思いがあるようです。 彼氏がこの宗教を信仰していること自体は否定しないのですが 私自身は信仰する気はありません。 強要されるのがとても嫌です。 一つの考え方に固執して 了見が狭くなり、行動が限られることが 私はとても嫌で、そのことを伝えましたが 彼氏は創価学会とは違う宗派の大学に通っていたり、寺社仏閣も入ったりするし、 そんな考え方の狭い人間だと思うか?と言われました。 創価学会の環境で育った彼氏を理解したいし、 逆に特に特定の宗教にとらわれず過ごした私のことも理解してほしいと思っています。 しかし、やはり、理解するには私が入会するしかないのでしょうか。 また、彼のご両親は私が入会していないことをあまり良く思っていないようで 彼氏が私が入会しないとしても 彼が必ずご両親を説得するからと言っています。 理解したいという気持ちと怖いという気持ちの間で悩んでいます。 了見が狭くなるのが嫌といいながら 結局まだ私も彼氏を理解しようと向き合えてないなと思っていますし、 そのような自分の性格も嫌になっています。 誰にも相談できず、こちらに書かせて頂きました。 乱雑な長文で失礼いたしました。 答えて頂けると幸いです。よろしくお願いいたします。

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実母の事を悩まなくなりたい

実母は70才代です。私は実母に幼少から高校を卒業するまで虐待され育ちました。 殴られる、裸で外へ放り出す、ご飯は無しなどは日常的に、友達と遊びに行けない、寝るな、トイレに行くななどの罰、床に叩きつけられ鼻が曲がっていると35才で分かったり。 実母は宗教にのめり込んでもいます。 私は過去、恥ずかしい思いや強要されていましたが最近やっと「(宗教を)したくない」と母に伝える事ができました。 きっかけは私の息子が非行に走り、主人と私で息子を更生するよう親として頑張らないといけないと思ったからです。 宗教に頼るのではなく、です。 息子の事で困っていた時、母は「〇〇(私)の信仰が足りないから」「△△(主人)さんは息子を叩いてしばきあげて躾をしなさい」と言うのを聞いたときに、違う!宗教で手を合わせてる人なのに暴力?!何が宗教だ!昔、小さな私は死ぬかも、とビクビクしてきて、違う!母は間違ってる!宗教なんてしない!と心に決心をしました。 母に伝えても宗教を通しての会話しかしてきません。母を今さら変える事もできないし、変えようとは思いません。信仰は自由ですから。 昔、辛かった話と宗教はできない、とビクビクしながら伝えました。母は昔の事は悪いけど覚えていない、らしいです。 私は自分の気持ちのやり場がなくて辛い日々です。母に伝えたものの、母の悲しそうな顔が辛く、たまにはお参りをするわ、と言ってしまったり、すごく気を使いながら話をして母に会いたいのに会うと吐き気がするくらい疲れます。 ブレている自分に腹立たしく、母に優しくしたい自分もいたり。 自分でどうしていいのか分かりません。 息子の先行きは少しずつですが良くなろうとしています。息子には愛情をもって接していきたいと思います。母にも愛情をもちたいのに気持ちが日によって違い母を思うとしんどいです。 私は今後高齢の母にどう接していけばいいのでしょうか?気持ちのよりどころはどうしていけばいいのでしょうか?

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彼の信仰心の受け止め方について

初めてご相談させて頂きます。 彼は、祖母の代から ある新興宗教を信仰している信者三世です。その新興宗教はネットで調べた範囲ですと、社会的に穏健派のようです。私は、神は森羅万象に宿っているという漠然とした神道的な考えで生きてきました。 彼も私も離婚歴があり、彼には病の子供がいます。前の奥様との離婚原因の1つは宗教観の違いであり、子供との面会も拒否されています。 彼はそれでも信仰を続けています。「子供に会えない理由が宗教なのに、どうして続けるのか?」と聞いたところ「今までどうにかこうにかやってこれたのは○○神様のおかげだ。子供が幸せに生きていく為にも○○神様の力が必要だ。だから、信仰を止める訳にはいかない」といいます。私としては家族の守り方に違和感を感じてしまうのです。 神社参拝や家に神棚を祀る事について聞くと「神社には低いものがいるから好んでは参拝しない。」「神棚は1つにしたい。それぞれの部屋にそれぞれの神様の神棚を祀るのも嫌だ」と言います。 宗教の自由とは言いますが、自由の範囲の折衷案を見出せずにいます。 ○○神様にお参りし、彼曰く偶然とは思えない出来事が複数起きたため本当の神様だと信じるようになったそうです。 同じ宗教の方と一緒になった方が彼も幸せになるのかなと思います。でも折り合いがつけば一緒に生活できるのかなと淡い期待も捨てきれず‥。私自身が偏見からの非寛容になっていないかという思いもあります。何が本質でどこまでが寛容さなのかアドバイスを頂けたら大変有難く思います。

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ヒステリーになる自分を変えたい

はじめまして。母が宗教の話をする度にヒステリックになる自分を抑えられません。 母は私が生まれる前から仏教系の宗教を信仰しています。 母が仕事で辛かった時を救ってくれたと聞いています。 その宗教の理念は悪いものではなく、高額な商品を買わせたりはないので、昔は反抗していましたが、今は母が選んだことだから…と、その宗教を信仰するのを否定したくはない、とは思っています。 ただその宗教を自分へ勧めてきたり、会話の至るところに宗教を絡めて話されたりすると怒りで我を失いそうになります。 小さな頃は宗教の建物に入れず保育所のような所で放置されたり(母が遅すぎて途中で保育が終わってしまっていた)、 中に入れても修行中の母を待っている間に(誰もいないと思われたのか)電気を消されて一人にされました。 学生になってからは、進学等を決断しようとする度にその宗教に連れていかれて意見を聞くの繰り返しでした。 私は私より大切にされている宗教を嫌いになっていました。 何かを相談したり報告したりしても、真っ先に「教えを信仰しなさい」「御仏様のお陰ね」から始まります。 それを聞くたびに、この宗教で母は救われたのかもしれないが、私はちゃんと自分を見てほしくて発狂しそうになりました。この年でも発狂しそうになります。 学生の頃は宗教を通してではない親の愛が欲しくて(多分母はそう思っていないのだけど)、でも聞き入れてもらえなくて、自分が死ねばようやく振り向いてくれるんじゃないかとも思いましたが、怖くて死ぬことが出来ませんでした。 なので宗教の話をされると泣きながら自室にこもり、怒りのままにカッターで自分を傷付けて、心配してほしくて、でも心配させるから結局言えなくて。 そして社会に出て自立が進む内に、母なりに愛してくれてはいるんだと気付き、母と宗教との距離を以前より冷静にとれるようになりました。 以前より冷静にとれるだけで、たまにスイッチが入るように自分が抑えられない時があり、その場からは去れるけどその後我を忘れて自室でヒステリックになり、死にたくなったり自分を傷付けたくなります。 自傷することまでは、今はパートナーが心配するので何とか抑えられています。 こんなに恵まれて、幸せに生きているのに、母の宗教の事に関してだけカッとなってしまいます。 大人になるためにはどうすればよいでしょうか。

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仏教の「助け合い」

先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。 でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。 そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。

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