私の恋人には希死念慮があります。 私は前向きな人間ではないですが、死をとても恐れているので死にたいと思うことはありません。死にたくないから生きてる、といったような人間です。辛い事があっても、もう嫌だ、と思っても死ぬのは怖い。希死念慮を持つ人の気持ちが理解出来ないんです。 だからといって恋人の考えを否定したくありませんが、もちろん恋人に自死を選んで欲しいとも思いません。なので結果的に否定することになってしまいます。そんな私の言動が恋人をさらに追い込んでいないか心配になります。 前に芸能人の方が自死を選んだニュースが流れたときに、恋人は羨ましいと言っていました。でも、私の存在があるから、私を置いて行けないから、とも言ってくれました。でも、少し前には私を置いて行くことばかり考えているとも言っていました。 そんな中、今日入った悲しいニュース。ニュースになった方の事も、考えると凄く苦しいですが、そのニュースを起きてから知ることになる恋人のことが心配で怖いです。また、前のように気持ちが引っ張られてしまいそうになるんではないか、と。 恋人に対してどう接すれば良いんでしょうか。希死念慮のある人への接し方に正解はありますか?
この世は常に他者との関わりの中にあり、悩みの多くは人間関係が何かしら関わり苦しみを生みだすように思います。 他者との関わりによって自分の人生を大きく侵害されることが大なり小なりあります。 今回一度に多くの物を失いました。初めは相当に他者を怒り、憎み、恨みました。しかしその対象は私からすぐ逃れ、あてどころのない感情は次第に世の出来事は、自因自果であるという自責の方向に向かい、自分と自分で向き合う他ありませんでした。自らを毎日責めるしかない、それは更に自らを苦しめる行為となり過去に縛り付けられ、脳に深く刻まれ自分の生きてる価値さえ感じぬ程身も心も衰弱しました。一方で、侵害した側は責められぬことを都合良く謝罪なく変わらぬ今をそして未来を歩いていきます。 相手からの謝罪を求めることは欲望であり、 喪失したものは謝罪では戻らないことも理解しています。しかし、身動きがとれないのです。 悲しく耐え難い苦しみの日々、消えることでしか解放されることが見えません。人のため人の助けとなる仕事をし、真面目に生きてきました、自死を望むことすら許されないのでしょうか。自死をすることで、私を喪失し遺されたものの悲しみをと言うなれば、それは遺された者の欲望であり、自死を選ぶその人の苦楽を本当に思うのであれば、もう苦しまなくて良かったねとなるものではないでしょうか。耐え難い苦しみ、消えてしまいたいです。
母が1年前に自死しました。 まだ冷静にこのことを話す自信がなくて誰にもきもちを話せていません。 でもこのままじゃ前に進めないと思い、相談することに決めました。まとまっていないのですが、読んでいただけるとうれしいです。 私は親元を離れて独り暮らししていて、実家に帰るまえに父から電話があり、お母さんがつらそうだとも聞いていたし、妹からも帰ってきたときびっくりしないでねとも連絡がありました。 帰ると母はひどく落ち込んでいました。仕事でミスが重なったのが先か、病んだのが先かわかりませんが、仕事で失敗した、自分はダメだと言うようになり、動けない状態でした。 いつもと違う母に動揺してしまい、どうしたらいいかわかりませんでした。 母は父と相談し、精神科に行き、仕事もやめました。 しかしそんな矢先母は自死しました。 後悔していることがあります。 死ぬ前の日の夜、母と車に乗っていたとき、母が、もう、お母さん、死ぬと言いました。 けど私はちゃんと聞き取れなかったのもあって、えっ?と強めに言い返してしまいました。 母はなんでもないと言い、会話はおわってしまいました。 あと、振り袖を買いに行ったときも母に強めあたってしまいました。母が辛いのはわかっていたのに、ひどいことをしてしまいました。 母は私が辛いときにそばにいて支えてくれたのに、私はなにもできず、ましてや母の死を助長してしまうことをしたり、母の気持ちによりそえなかったりしました。 朝方、母は自死したのですが、一緒に寝ていたのはわたしでした。 なんで気づいてあげられなかったんだろうと、本当に申し訳ないきもちでいっぱいです。 死ぬことを考えてるんじゃないかと思ったのに、そのときの自分でいっぱいで、思いやりがたりなくて、防ぐことができませんでした。 ごめんなさいの気持ちでいっぱいです。 こんなことを考えると涙がとまらなくなります。普段は普通に過ごしているのですが、急に悲しくなります。 ほんとはもっとありがとうを言いたいです。母なしではここまでこれませんでした。母みたいな母親になりたいと思うほど母が大好きでした。 でも、わたしのせいで亡くなってしまいました。自分のことしか考えられなかった自分が嫌になります。 母からもらった命だから精一杯生きなきゃと思いますが、この悲しみとどう付き合っていったらいいかわかりません。
はじめまして。アキと申します。 自分も精神的に問題があるので、死にたくなっては復活してを繰り返してきました。 今日はまた死にたい気分です。正確にはすべての責任から逃れて全てを投げ出して逃げたいのですが、それが叶わないので死にたくなっています。 先日母が自死を選び、どうやら母の家系にもう一人、自死者がいるようです。私には家族がいますが、今の所精神的に問題があるのは自分だけなので「次は自分かもしれない」と思ってしまいます。 家族にもそれが透けて見えるのか「間違っても死ぬな」と言われました。 これを家族や親戚がもし読んだら、自分が誰かバレてしまうと思いますが、もういいです。 幸か不幸か今はお金があるので、いろいろな精神的な不安定さをカバーしようと前から手に入れたかったものを買い漁ってしまい、それで自己嫌悪に陥り、死にたくなっているのもあります。 どうしたら良いか仏教なども絡めてアドバイスいただけたら幸いです。 精神的に弱っているので、手厳しい意見はご遠慮いただけると幸いです
息子の様に可愛がっていた娘の友達が自殺をしました。通夜に参列しましたが、日蓮宗と生前聞いており、私もそうなので、顔を見ながらお題目を上げて来ました。突然のことで動揺していて翌日思い返すと、お経も、お坊さんもいない、いわゆるお別れ会のようなものだったと気がつきました。 火葬や今後の事を聞く事は出来ず、そのまま帰宅しましたが、螺旋の線香はついていたものの、ろうそくの火は消えており、自死であることも気になり、この子がちゃんと旅立てるのかと、もし、迷ってしまうことがあるなら、ちゃんと道を示してあげたいと思いました。 故人の見送りは多様化されている様ですが、死後の世界は全くわかりません。ただ、あの子が向こうの世界でも苦しまない様に守ってあげたいと思うのです 人によっては憑かれてしまうからだめだとか、ご家族の意向があるからと言われますが、仏教の教えの中であの子が穏やかに過ごせるために現世で私が出来る事が知りたいです。 前日まで普通に過ごしていたのに、これが魔が差すという事なのでしょうか?あの子が死ななければならなかった理由がわかりません。
12月16日に別居していた夫が自宅で自死しました。6年以上の別居の間、連絡は、ほぼ毎日してたのですが 子育てと仕事、2重の住宅費で夫にはギリギリの生活をしてもらってました。また夫はパチンコが好きでしたが信用せずギリギリの生活費しか渡していませんでした。 夫には言わずに夫名義の貯金をしてました。娘2人の学資保険を掛けていたのは夫も分かってましたが、詳しい内容は伝えてませんでした。 今年、長女が大学に入ったら夫と一緒に住もうかと思ってましたが具体的な話はしておらず ただあと5年くらいすれば楽になるから頑張ろうと話してたくらいでした。夫は部活や塾に忙しい娘たちに、なかなか会えなくてもいつも元気か?と気にかけてくれてました。 こんな私にも体の心配をしてくれたり、仕事もムリするなと常に言ってくれてた本当に優しい夫でした。 私は短気でした。言葉も足りず後悔してます。ボーナスもないの?と聞かれた時も、会って渡したかったので冷たく返してしまいました。 仕事も10年間で1度も休まず真面目な人でしたが9月に移動がありました。仕事は大手配達業です。配達先は変わらなかったのですが 3店舗が合同になり、積み下ろしの問題や通勤時間も長くなり、忙しくなる12月が恐ろしいと話してました。 その状況にあったのに12月13日に会う約束を私の仕事が終わらずと断ってしまいました。亡くなる数時間前の電話では「今、仕事が終わったから帰ったら電話する」と言ってたのに 夜中の12時40分が過ぎていたので「明日でいいよ」と断ってしまいました。 3年以上、自宅にも行っておらず先日、行った時に 自分の愚かさに今気付きました。本当に酷い女です 12月は毎日、11時半に仕事が終わってました。 私自身も仕事に夢中になって時間に麻痺してました。 「13日に会う約束は パチンコで買ったから おごるよ」と最後まで優しい旦那でした。 一昨日の夜、不思議な現象がおきました。和室で寝ていたところ開くはずのない襖が スッと10センチほど開きました。娘2人が見ており科学的に検証しましたが ありえませんでした。 49日前で 遺骨は夫の実家にありますが、分骨し寝る時は私の近くに置かせてもらってます。それから葬儀と戒名は浄土宗のお坊さんが行ってくださったのですが実家が真言宗だったことが判明しました。申し訳ございません、お言葉を頂ければと思います。
いつもコメントをくださる皆様ありがとうございます 母の自死からなんとか立ち上がろうと何度もここを頼らせていただいています だけど…限界を感じています 母の死を受け止めようとしましたし、残されたいざこざもなんとかしたい・なんとかしようと思ってきたのですが… 心と体が悲鳴をあげています なんでもない瞬間に涙が出たり、ただただそこにいることがとても恐ろしくなり…例えばベランダから飛び降りそうになってしまうのです それを抑えるのにも大変な労力が要ります たぶんですけど、母もこんな状態で死んでしまったのかもしれないと思いました とても悪い意味で「心が震える」という感じでしょうか… 胸が痛く、苦しく、呼吸もままなりません でも、どこも悪くありません すべてストレスでしょう きっと、私の自然な死はまだまだ それまでこんな心と体の苦しみは続くのでしょうか 残された実家の家族を、私には支えきれない 手を離したい でも、 私が手を離したら…きっと家族の誰かが母の後を追う 福祉に繋げたつもりだったけれど、家族が福祉を拒みました… もうどうしていいかわからない… 私にできることはない… 勝手に手を離しても、「家族」だから いつか私に尻拭いがやってくると思うと… 生きている意味があるのでしょうか ただ苦しいだけです 人間誰しも、楽しいばかりではないです みんな何かを抱えている わかっているのだけど… それを乗り越えられる強い人がいて でも、乗り越えられなくて自ら死を選ぶ人もたくさんたくさんいて 私は後者なのだととても強く感じています 私にはずっと希死念慮があったけど、 それとは違う「限界」を 今まさに感じています できれば家族のためにもここは乗り越えたいです 一時的なものでも構いません 何かアドバイスをいただけないでしょうか… よろしくお願いいたします
すみません。これで5回目の質問です。今住んでいる家は、妻名義の家です。結婚時、妻は今の自宅。私はマンションを所有していました。 妻が可愛がっていたワンちゃんの亡骸を庭に埋めてあったので、鬱病だった妻は、この家から離れられずやむを得ずこの家に住む事にしました。 ※ 犬を自宅の庭に埋めてはいけないと妻が自死後知りました。 約5年4カ月幸せな日々を送っていたのですが、義理の息子の犯罪で一気に落ち込み自死してしまいました。 私は、縊死した妻の身体を必死で降ろし、心臓マッサージをしたのですが、既に死亡している事が直ぐに判りました。 縊死した妻を降ろした部屋が2階にあります。その部屋は、私の衣類がある部屋で毎日その部屋に入ります。妻が縊死した情景が毎日思い起こされます。なんとなく寂しげな縊死遺体でした。 今、妻名義の家に住む事が辛いと思っています。ただ、このまま何処かに引っ越して住むのも妻との思い出を置いて行ってしまう様な気がして、妻に申し訳なくどうしたら良いか判りません。 義父や義兄は私が住めなかったら売却すれば良いと言ってくれてます。義理の息子には、絶対に相続をさせないと強硬です。知り合いの弁護士に家を妻の実子に相続を考えていると話すと、弁護士からも、それは本人のために絶対に良くないと言われました。 今後、どうすべきか?私はこの家を出るべきか?それともこの家に残って、妻の供養をすべきか? ただこの家は、妻が離婚した前夫と婚姻関係にあった13年前に妻方の両親が買ったものです。私と結婚する1年前に妻は離婚をしております。 義理の息子には、実の父親がいますが本当にいい加減な父親である事は、良く判っています。この様ないい加減な父親に義理の息子を預けるのはどうかとも思っています。私が引きとりこの家で一緒に住んだ方が妻の供養にもなるのかとも考えたりしました。 これについても義父義兄は、猛反対です。絶対に更生するはずが無いと思っています。 今、私は妻の自死で全く普通の生活ができなくなっています。明日、精神科を予約してあり診てもらうつもりです。私も鬱状態に入っているのではないかと思えます。この様な私に的確な判断はできません。どうかお教え頂けたらと思います。
どうしたらいいでしょうか。 もちろん、頭で自殺はいけないことというのは分かっています。 主人に自死で先立たれました。正直追いかけたい衝動が奥にあります。 なんで?って聞きたいです。何をみてもどこに行っても、主人が居ないことを思い知らされます。 私がその状況を作り、防げなかったことの後悔が尽きません。また会いたいし、話したい。 今は49日まで、彼を弔うことに専念しようと過ごしています。 毎日私を心配して、親から電話があります。 日にあまりにも何度もあるので、態度は邪険にもなりますが、こんなツラい想いを、年老いてきた両親にさせるは忍びないです。 身体が辛くて、半年前に仕事も辞めました。何もしないのも良くないし、まして、 生きていくには、働かなくてはいけないことも頭では理解しているのですが、心がついていきません。 何のために生きてるんだろう。 それに、今、仕事しても、責任負って何かする自信もありません。 それでも動かなきゃと動けるときは動くようにしています。 自死の家族の会にも参加してみました。何年も苦しんでる方々が多くいました。 泣きながら話しててもお互いに様な環境は有り難かったですが、時間の経過で、癒されるものでもないこともわかりました。 元々の頚椎の問題もあるのか、睡眠不足と大泣きすると、目眩が酷くなり、動くのも嫌になります。 引きこもらないように、通ってた整骨院や、香典返しや、月命日に納骨前ですが、準備にと思ってお墓参りしてきました。 彼のために、と思うとまだ動けていますが、ふとした瞬間、ここで事故にあったら、とか、この睡眠薬全部飲んだら、とよぎることがあります。心が壊れるなら、壊れちゃえ、と。 親に私と同じ想いはさせたくない、迷惑かけたくない、とは思いますが、私の場合理由が分かるし、両親まだいるし、弟に孫もいるからまだマシだよね、とも思っている自分もいます。 動けるときは動けますが、ダメなときはずっとボーっとしています。 ずっと泣いてることはなくなりましたが、その分一気に堰をきったように泣いたり、胸が締めつけられます。 どこかで、糸が切れそうな自分が怖いです。 変なことがよぎったときに、思い留まる術、アドバイスあれば教えてください。 よろしくお願いします。
聞いていただけますか? アダルトチルドレン 元彼とのトラウマで 極度の寂しがり屋になってしまい 孤独を感じると死にたくなり 自傷行為をしてしまいます。 辞めれていたのに再発しました。 寂しい気持ちや孤独を埋めてくれるのは 男性の温もりだと最近気付き 男性依存だとわかりました。 腐れ縁の方に予定が合えば埋めて頂いてます 昨日、イトコが3人目を出産しました 結婚まで考えていた元彼の妹がデキ婚しました 私は3年前流産し不妊になりました 唯一の味方、愛犬2匹を亡くしました 元彼とはトラウマからの疑心暗鬼や恐怖と 元彼の地盤が出来てなく 寄りは戻せません もう知り合ってから約9年 前進どころか後退していて 周りにどんどん追い抜かされ脱力しています 今までどれだけの時間を無駄にし 生きてきたのだろうか、と。 私はもう一人アプローチを受けてますが 地盤は出来ていて自立していますが 全ての相性が合いません。 過去を引きずり過ぎていて 自分自身前に進むことも出来ない その気力がない。どうせ無駄だから。 もう人生に満足しています 摂食障害でやせ細っていき 更に自分が嫌いになりました もう人生に疲れたし期待してないし 変に満足してるし早く死にたいのですが もう良いですよね? やり残した事したい事一切ありません 無駄だと思い知らされてから 努力などしてないですが もう十分自分なりに頑張って生きました 生活も精神疾患も治そうとする気力 体力、精神力がもうありません 自分なんてどうでも良いです 何から手をつけて良いのかわからない 生きてる意味も価値もわからない 未来に期待などないので人生に満足しています 後は年を取るだけです まだ23ですが疲れました なのに何故生きてなければ行けないのか 全てわかりません 無、です 何もわからない 何から手を付けたら良いのか 自分が死以外に何をしたいのか 本当に何もわからない 今も自傷行為と自殺願望と 必死に戦っています 精神薬が効きません 性格上、助けてとは言えません 心配、迷惑をかけたくない それをされると煩わしい なのに、寂しい 自分という人間がわからない 助けての一言が誰にも言えない 遠慮してしまう すみません 支離滅裂ですが 本当に何もわからないです
初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。
息子が自死で亡くなってもうすぐ四十九日。 ひとり息子でした。 明日は中学校の卒業式ですが、辛くて行けそうにありません。 昨日、眠れなくて息子の事を考えていた所 耳元で『ママ』って言う声がハッキリと聞こえました。 その声は、息子の小学生の頃の声にそっくりでした。 『○○、いるの?』『そこは辛く無い?大丈夫?』など言ってみても返事はありませんでした。 何か言いたい事でもあったのかなと思えば思うほど息子が今どこでなにを思っているのか、辛く無いのか心配で心配で胸が締めつけられ苦しくてたまりません。 お寺さんに息子の今を聞いてみたのですが、亡くなって直ぐに仏様になり浄土でニコニコして家族を見守っている事でしょう。と言っておられましたが、息子は自死しており迷っているのではと気が気ではなく心が張り裂けそうで どうにかなりそうです。 近くの方で高野山で修行をされた有名な方がいるのですが。その方に息子の声を聞いてもらいたいと考えていますが、息子の心の声や今の居場所や言いたい事を聞きたいからといって、こちらの考えでその様な行為を行っても大丈夫なものでしょうか? 息子の為にならないのでしょうか? 自死するほど心を痛めていたのに気付いてやれなっかった自分達の事を謝りたいのですが方法がありません。 どうか御助言して下さい。 宜しくお願いします。
自殺は身勝手な行為でしょうか? 先日、大切な友人を自殺で失いました。彼女はとても優しくて明るい人でした。ですが周りからの差別や誹謗中傷、彼女自身が精神疾患で苦しみ相談を受けることもありました。このようなことになってしまい私も後悔が募るばかりです。 そして自殺したら地獄へ行くのでしょうか?実際ハスノハでも自殺したら地獄へ行く等の回答を見受けられます。彼女は自殺をしましたが追い込まれて亡くなりました。他殺とも取れると思います。せめて優しい彼女の死後の世界は極楽浄土であって欲しいです。どうか極楽浄土へ向かうようお祈りしていただけませんか? まとまりのない文で申し訳ありません。最後まで読んでくださりありがとうございました。
前回ご相談させていただきました。丁寧なご回答を頂きまして、強くなろうと何度も読み返しておりますが、少し疲れました。 私の悩みは自業自得で小さなことですが、それでも苦しいです。 橋の上から飛んだら鳥になれますか? こんなことを考える私は愚かな人間ですね。 自死を考えてる方やご遺族のご相談も読ませていただいて、悲しみは深く一生消えない傷をおわせてしまうこともわかりました。 その度に思い止まることができていますが、いつか衝動に駆られた時、自分を押さえられるか不安です。 今夜はとくにそう思います。 あと何回こんな夜を越えないといけないのか…… なんだかとても疲れました……… これはご相談ではないですね。 申し訳ありません。
昨年の春に家族で東京から私の地元へ引っ越しました。 引っ越しをしてからすぐに身内が自死しました。 少し前から仕事のことで悩んでいるということは聞いていましたが、私たちの前では元気そうで近くに引っ越したことを喜んでくれているようだったので、家族全員が「まさか」と思うような出来事でした。 その後、生活に必須な自動車免許を取得したのですが、取得後立て続けに二度、交通事故を起こしてしまいました。 幸いどちらも相手の方に大きな怪我はありませんでしたが、悪いことが連続して起こったので、怖くなってしまいました。 身内の死の悲しみはとてつもなく大きいですが、ゆっくり受け入れていくしかないと思っています。 交通事故については自分の不注意を深く反省し、安全運転に徹しようと心に決めてます。 そう思ってなんとか前に進んでいかなければと思うのですが、そもそもここに引っ越してきたのが間違いだったのだろうか、今後自分の大切な人たちに何かあったらどうしよう・・そんな考えで頭がいっぱいになってしまいます。 何か、自分の意識だけでは抗えない大きな力が動いているのではないか、そう思ってしまうのです。 今後どのような心持ちで毎日を過ごせば良いのでしょうか。 アドバイスお願いいたします。
母が他界しました。 生前より、自分の死後についてエンディングノートに記していたり、口頭で話すこともたくさんありました。 エンディングノートには、自分(母)の遺骨は結婚当初に買ったお墓に納めること、但しお墓は遠いので、(大変だろうから)一切の墓参りはいりません、心の中で思っていてくれれば充分です、と書かれていました。 正直な所、本当にお墓は遠く、新幹線と車を使って3時間はかかります。交通費だけでもかなりかかります。 時間もお金もかかるから、納骨さえ済ませてくれれば無理してお墓参りに来なくてよい、と何度も母は話していました。 そして今回、母の遺品を片付けていたら、近くのお寺での永代供養も考えていたようで、いくつもの資料やパンフレットが出てきました。 そこで合祀という、骨壺から遺骨を出し、他の方の遺骨と一緒に仏様に納めてもらい、供養してもらうというものを知りました。 そのような方法に驚きはありましたが、もし私達子どもに万が一の事があっても、母のお墓が永代供養ならば安心だな、とも思ったのですが、この合祀という方法は一般的なものですか? 死後の世界は分かりませんが、他人同士が一箇所に供養されているというのは問題無いものですか? 母はどのように思うかな、と悩んでいます。遠くのお墓で中々お墓参りが出来ないよりは、合祀という形でも、いつでもお参り出来る方が、私は寂しくないなと思ってしまうのです。 ちなみに、母は自死でした。 成仏、というものができているのかも心配です。 ご回答宜しくお願い致します。
以前も質問致しました。 何も改善されず、とうとう上司も中立ではなくなり、他の社員が言った事が正とされるようになりました。それが例え事実と違っても。 8年この会社で我慢しました。人生としての落ち込んだ期間は13年以上になります。どれだけやり直し、努力し、頑張っても、いつもまた落ちていきます。落とされていきます。その度に心の耐性も一緒に疲弊していきました。 この会社はパワハラで8年の間に5人も自殺しています。それでもこの対応。プロパーの頭の中はポカポカです。 今は、実名を挙げての嫌がらせの数々を記した書類を残し(1部は公に出るように対応)、猫を大切に育ててくれる方を探し(これが唯一心残りです)、家、物、全部片付けて全てを終えたい。 狡いやり方で自分の立場をよく見せ人を陥れる奴らを落ちるところまで落としてやりたい。復讐と言われようが、間違っていると思われようが、もう関係ない。限界なんです。 友達が何人か怒りました。1人は生きたい親友を失った事があるから自死は許さない、と。 それさえどうでも良い。私だって友人を癌で亡くしています。彼女は生きたかったけど、42歳と短い人生を終えられました。 追い込まれた事も無い人間に、自死は許さないと言われたって心には響きません。誰の言葉も響かないほど、私の心は壊れているのかも知れません。 今更何を言って欲しいのかも分かりませんが、ここが空くのをずっと待っていたので、せっかくなので残させていただきたく記載させて頂きました。 死にたい。 消えたい。 生きていたくない。
主人が自死で亡くなってしまい、約半年…。 未だに、主人の歯ブラシやら、髭剃り、洋服、帽子、靴など、そのままにしています。押入れの物は書類などがあり、片付けたりしましたが。 なかなか、まだ死を受け入れる事が出来ておらず、未だ、仏壇の前には座る事が出来ず、手も合わせていません。合わせれない自分がいます… たまーに、死臭?というのか、遺骨の匂いなのか、一瞬、匂いがする事があるんです。タバコの匂いでもなく、お花の匂いでもなく… ん?と思って、また意識すると、その匂いはありません。 これは、主人が会いに、側に来てるのでしょうか? 何かしら、感じるものがあるという事は、やはり後悔だらけで、まだ成仏できてないという事でしょうか? 未だ、遺骨は家にそのまま。 主人がなぜ自死をしてしまったのか…など、家族揃って話す事も。 主人の物も、まだ整理しておらず、、 こんなんでは、なかなか、成仏できないんでしょうか? たまに、する一瞬のにおいは、魂でしょうか?
数年前に友人を自死で亡くしました。私は一貫して自殺も死の一つの結果に過ぎないと考えていたので、仮にあの世があるならば安楽に生活していると思います。 それはそうと、予定外だったのは友人の死が私を苦しめているということです。 友人は人を思いやる気持ちが人一倍感じられ、常に優しさで溢れていました。 はっきりいってこの世の人間の大半は自分を含めて糞ですが、そんな中で例外的に糞では無かった友人を亡くしてこの世に生きる意味というのも失いかけています。 翻ってこう思うのは自分が人間に向いていないというか、社会不適合者なんだと最近は思うようになりましたがこんな人間でも出来るだけ楽に生きる心構えというのはありますか。それとも前向きに自死を検討するのも一つの方法だと思いますか。 また上記とは別に病苦もあり肉体的にも苦しめられています。
妻が亡くなってからの毎日、寂しくてたまりません。そのたびに、自死したくなります。妻との思い出が強く、毎日泣いています。会いたくて、会いたくて、自死すれば、あの世で会えるかと考えてしまいます。子供二人を残して死ねない気持ちと板挟みで必死に自死したい気持ちを抑えています。 ①死んだらあの世で妻に再会できるでしょうか。 ②立ち直れず、泣いてばかりの毎日です。まもなく4ヶ月ですが、このような状態の私は世間から見たら、おかしいでしょうか。どうあがいても、立ち直れず、何をしてても妻を想い、気持ちが前に行きません。