頑張ったけど、幸せになれない。 死にたいです。
結婚も出来ず子供もいません。 好きな人には好きになってもらえない運命だったんです。 死にたいくらいの嘘つかれました。私には存在価値はないとわかりました。 死んだ後も苦しみが続くとか聞きますが生きてても苦しみは続きますから自殺する事に決めました。自殺した罪を死んでから償えば極楽浄土にいけますか?
16歳からバイクに乗っています。一日たりともバイクのない日を送ったことがありません。死ぬまでバイクに乗り続けていたいと思います。 しかし、すでに年金生活みたいなものなのに、次々とバイクがほしくなってしまいます。カードローンを利用して買ってしまったこともあります。足るを知れと思いますが、気が付けばそんな感じです。 物欲と切れるにはどうしたらいいでしょうか。 僕の乗っている外国のバイクはお坊さんがコレクションしていたバイクです。 お坊さんもバイクのコレクションするのかと思いましたね。
以前読んだ仏教の本に、 お釈迦様は死への恐怖は、生への執着によるものだと悟った と書いてありました。 では、なぜ生きるのが嫌になったとき、自ら命を絶つのが悪いことなのでしょうか? 失恋したり、仕事がうまくいかなかったり、自分のことが嫌いになって、いっそのこと死んでしまいたいと思うことはなぜいけないことなのでしょうか? 生への執着が悪いことであるなら、自ら命を絶つことは許容されるべきなのではないでしょうか? こんなことをずっと考えてしまう自分が大嫌いです。助けていただけないでしょうか。
わたしはサラリーマンとして働いていますが、 小さい頃から我が強く、中学生位から対人恐怖、劣等感等でずっとなやみっぱなしでした。正直今でも生きるのが辛いのです。そしていずれ老いて、病気になって死んでしまうのかと思うと、生を厭う他ありません。 歴史上も、人間は戦争、飢餓、貧困、自然災害、病気の流行等、多くの人が圧政、侵略、理不尽に苦しみ、そして、死んでいったのでしょう。 そして現代の資本主義社会では強いものが勝り、弱きものは犠牲になります。豊かさとは何なのでしょうか?物質的なゆたかさ?はたまた心の平安? 生まれも選べない、容姿も才能も、環境も全て理不尽です。 悩みの大小はあれ、人生は圧倒的に理不尽すぎます。 また、単なる生物として遺伝子を残すためだけの存在ならばなぜ、人間は高度な意識を持っているのでしょうか。神は信じていませんが、単なる自然淘汰の産物だとは思いたくありません。 生きることに意味があると思いたいのです。生きていくにはそうして辛いことに目をふさいで自己欺瞞を積み重ね、社会という牢獄につながれた囚人として生きていくほかないのだという絶望も受け入れたく は無いですが、受けいれざるをえません。 どのような生き方が正しい生き方といえるのでしょうか? 囚人として生きるか、死という自由を迎えるか 支離滅裂で済みませんが、何か生きるヒントをください。
つい1週間前に、1歳10ヶ月だった息子を亡くしました。母親である私の誕生日に、あまりにも短い生涯を終えてしまいました。 スクスクと元気に育ち、誰から見ても健康優良児だった息子。何の前触れもなく亡くなり、原因不詳の突然死と診断されました。 命日の前夜、いつものように平和にスヤスヤと眠りについた息子は、 翌朝には冷たくかたまり、帰らぬ人となっていました。 息子が亡くなった日は、私の30歳の誕生日でした。一体なぜこんなタイミングで… 愛する我が子がこんなにも急に亡くなってしまい、 残された私たち家族は絶望と悲しみに押しつぶされそうです。まさに、生き地獄です… 私自身、息子と極楽浄土でまた会いたいと願っていますが、 本当にそんな世界があるのだろうか? 人間は亡くなると"無"になって、骨しか残らないのではないか? …など、悲しい考えが頭をよぎってしまい、気持ちを切り替えることができません。 できるものなら、息子に心配をかけないためにも前向きに生きていきたいですが、 この空虚感、絶望感とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。 どうか、アドバイスをいただきたくお願いします。
現在29歳、難聴が発覚してから15年。健聴と、難聴、人生半分ずつ生きてきました。 年々難聴が進行し、昔に比べれば周りに隠すことなく打ち明ける事は抵抗なく出来るようになってきたものの、コミュニケーションはどんどん取りづらくなってきており、目に見えない障害が故に、なかなか理解して貰いにくい状態が辛いと感じる事が多々あります。とくに、飲み会など楽しい場で会話の輪の中に入りづらいと感じた時。本当はみんなと楽しみたいし、こういう場こそ人間関係を深める絶好の場だと思うのに、話の腰を折るのが嫌で、何度も聞き返しにくい、皆も楽しみに来てるのに通訳も頼みづらい。なので、無理して参加しても、雰囲気を乱さないように話の内容が分からなくてもニコニコ笑って相槌うって。終わった後は楽しかった事より疲労の方が大きくて。飲み会に誘われた時も正直躊躇してしまいます。どうすれば、楽しめるようになるのでしょう。
苦しむこともなく安らかに息を引き取り、お浄土へ修行に出られた我が父のことで少々ご相談致したく。 確かに父は死を迎え、我が家からは表面上姿を消しました。 然しながら何かにつけて見え隠れする父の存在の大きさに息子として見ると詠嘆するばかりです。 「それに比べて我が身のなんという小ささよ」 とふと、自分が卑下の心にとらわれてしまいます。 無論、こんな心にとらわれるのは馬鹿げていて何も生み出さないのですが時折熱病のように我が身を襲うのです。 超えられなかった父の存在、超えるべきであった父の存在。 両者の間で惑う自分がおります。 「僕は父のようになれただろうか?」 「僕は父のようになれないのだろうか?」 「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実が苦しいのです。 如何ともし難い現状ですが、少しでも抜け出せるお言葉をいただけたら幸いでございます。 合掌。
母に言われた言葉が、ずっと私を苦しめています。「妹は与える人だけど、あんたは奪う人だね」その言葉を聞いてから、友人からプレゼントをもらったりしたとき、奪ってしまっていると、相手は私のせいで貧しくなってしまうんじゃないかと、心配と申し訳なさと、悲しさで泣いてしまいます。 現在就活中で、できるか不安になって、母に相談に乗ってもらい、頼ってしまっているときも、あんたは頼るだけで、こっちに気を遣わないと言われ、また私は奪うだけの存在なんだなとおもいました。 人に好意でプレゼントをもらったり、母から仕送りの食材を送ってもらったとき、私は返せるものが何があるだろうと悩み、素直に喜べなくなりました。 私が何が返せるかわからない今、人に相談したり、頼ることが申し訳なくなり、全部自分で抱えるしかないと考えるようになりました。 最初に書かせていただいた、私は奪う子だからという言葉が、思い出すたびに苦しいです。どうしたら、与える人になれますか?
無理心中したら一緒に死んだ相手と一緒にいれますか? 一緒にいれない場合はその相手はどこに行って私はどこにいくのでしょうか。 死後の世界を教えてください。
子育てや、他人の身勝手な発言にイライラしてしまいます。 昔から自分は短気な方なんですが、イライラする私に夫が『イライラしない本』 みたいな自己啓発本を勧めてきたので読みました。 本についてざっくり説明すると、『人生は選択の連続だから、今起こった事は自分が選択して招いた結果だ。つまりそれは自分のせいと考えるとイライラしないだろう。』と書いてあったので、自分のせいだと思うようにしました。 例えば、長男の出産の時、かかりつけの産婦人科の担当医師や看護婦がとても冷たく人手不足な病院で、怒られ放置され、出産は散々な目にあいました。ずっとそれがトラウマです。 そして産後は母乳が出ず、周りから、母乳はなんで飲ませてないの?なんで出ないの?うちは完母だよ?ミルク高いでしょう?みたいな言葉の嵐。 あぁ、病院が最悪だったのも自分が決めた病院だし、よく調べなかった私が悪い。 母乳が出ないのも私の体が悪いせい。 子供が泣くのも私が悪い。何もかも自分が悪い。 そうやって気づいたらどんどん追い詰められ夜中に暗い部屋で1人泣いていました。 子育てに限った事ではないですが、こうやってイライラした時はやはり自分のせいと思うべきなんでしょうか?お坊さんはイライラしますか?イライラしたらどうやって気持ちを抑えているのですか?木魚を強めに叩いたりするのでしょうか?
はじめまして。 神奈川県在住の23歳です。 2ヶ月前に入籍し、只今妊娠中7ヶ月です。 私は結婚するまで母と2人で暮らしてきました。 父親の事はあまり知りません。 そのためか、早くから家庭を持って母を安心させたいと思ってました。 しかし、いざ子供ができると男性はこんなにも頼りないのかと思うようになりました。 女性は身籠った時点で母親になれますが、男性は簡単に父親になれないので頼りないと思う事が増えました。 例えば、生活費と病院の検診費用など最近やっと頂けるようになりました。 それも私の貯金がなくなり、もういい加減にしてくれと私が不満を爆発させてやっとです。 病院の検診費用も「先月は払ったよ」と言われた事もあり、なんでこんな男性と結婚してしまったのだろうとも思いましたし、簡単に子供作ってしまったのだとも思いました。 子供に一切の罪もないのに。 不満を爆発させて「実家に帰る」というと焦ってごめんと平謝りしますが、反省や謝罪もその場だけなのです。 しかし、子供がお腹の中にいる今は別れるなんてできません。 こんな私は身勝手なのでしょうか? 謝罪され許してを繰り返して、成長がない人はダメなのでしょうか? 私が妥協して許していくしかないのでしょうか?