お世話になります。 私の父親は難病ALSです。 今は人工呼吸機をつけていますが、 母親とお見舞いにいきますが、私は父親が 何かいいたそうで辛くてたまりません。 生きているのが幸せなのかわかりません。 このままお迎えがくるのを待っだけで いいのでしょうか?
答えていただくのに関係あるか分かりませんが、家は浄土真宗だそうです。 先々月、兄をがんでなくしました。 1. 仏壇に手紙を置くのは意味ありますか? 2. よく亡くなった人の魂は生きているとか、天国から見ているって聞くんですが、ほんとうですか? 3. 生前、兄が気になっていたアニメやドラマ、映画などはどうすればいいですか?(例えば、遺影を持ってそれを見るとかは意味ありますか? 意味がある場合、遺影以外の写真とかでも大丈夫ですか?) 4. 死者に対する後悔はどうすればいいですか?(もっと早く兄の気持ちや体を考えればよかった,あの時ああすればよかったやこうすれば良かったなどたくさん後悔があります) 5. なにか強く念じたり考えたりしたことは亡くなったひとに届いてますか? 独特な難しい質問かもしれませんが、よろしくお願いします。
実家で火災があり家が全焼、昼寝をしていた父が亡くなりました。 祖母と後妻さんと暮らしていた父。後妻さんの手前、会うのは年に数回でしたが、今年息子が誕生してからは毎月会っていました。 気性の荒い父でしたが初孫の誕生を心から喜び可愛がってくれました。ただ私がコロナを非常に警戒していた事もあり、抱く時はマスク二枚重ね必須。差し入れを持って家まで来てもらったにも関わらず抱かずに帰ってもらう事もありました。息子にキスしようとした父に『やめて!』と怒った事もあります。 まさか父がこんなに早く、しかも突然亡くなるなんて。息子が生後半年を迎える5日前に亡くなってしまいました。『今忙しいから』と言って数十秒で電話を切ったのが最後の会話です。 母との離婚を通して精神を病み、いつも声を荒げていた父ですが、孫の前では常に目尻が下がっていました。ここ数十年見たことのない笑顔は昔の優しかった頃の父でした。なので今思い出すのは笑顔の父ばかりです。 息子の成長をもっと父に見せたかった。私も親になりようやく父の苦労が分かり始めてた矢先にこのような事が起こり涙が止まりません。父と息子の写真は3枚のみ。しかも全てマスク着用。家が全焼してしまったので遺影がこのマスク姿のものしかありません。 なんであの時マスクを外して撮影しなかったんだろう。なんであの時息子を抱かせてあげなかったんだろう。ぷにぷにの赤ちゃんの頰にキスするくらいいいじゃないか。後悔ばかりです。 父に会いたい。不器用だけど、たくさん私を愛してくれた父。母をたくさん傷つけた父が許せず顔を合わせば常にぶつかってばかりだったけど、本音は父の事が大好きでした。 気持ちの整理をするために私は今後どうしたら良いのでしょうか?
先月父を亡くしました。 本当に仲の良い家族で、いつも一緒にいました。家族思いの父が本当に大好きです。父はいつも周りから羨ましがられているくらいでした。 その日も普段通り仕事から帰ってきて、たくさん話をしました。いつも通りの夜でした。頭が痛いと言って普段から頭痛持ちなので、暑さもあり、水分を取るようにお茶を渡したり薬を渡したりしました。本人もマシになったようで、ご飯を食べたりしていました。 夜中に変ないびきをしていて、見に行くと意識がなく、すぐに救急車を手配しました。 病院までなんとか頑張ってくれましたが、亡くなりました。 なんの覚悟もありませんでした。 私含め、家族みんな信じきれない様子です。いつも帰って来る時間に帰ってこない、座っている場所にいないのが辛すぎます。 私が夢を叶え、もうすぐ働く姿も見せられなかったし、定年後、行きたがってた海外旅行にもいけませんでした。後数年で定年だったのにと思うと私達のために精一杯働いてくれた父が無念でありません。亡くなったことも本人は気づいているのか、、などずっと考えてしまいます。 私たちが精一杯生きて、いつか大好きな父と再会できますか? 父は亡くなった愛犬とも再会できていますか?
1週間前、友人が自死しました。 単身赴任先でひとりぼっちで。 とても長い話になるので経緯は書きません。 最後の夜に電話で話したのは私です。 誰にも話してないらしく 私だけが死ぬ可能性を知っていたのに 止められませんでした。 彼とは以前恋人でした。 悩みを吐かないひとで どれだけ辛かったやろうか ひとりで寂しかったやろうし、いろんな悩みを抱えてて、それを聞いてあげられなかった。 少し前までは私自身が消えたいと思っていましたが 結局私でなく彼がいってしまって。 私だけが生きています。 申し訳ないです。 彼は楽になりたいと言ったけど 彼は本当に楽になれるんでしょうか。
はじめてお話させて頂きます 昨年の夏に二十歳の息子が事故で亡くなりました。 先日は一周忌と新盆の弔いを行いました。 現在の私は 息子の位牌や墓前では 息子が悲しまないように、心配しないように 笑顔でいることに努めています。 ですが、頭では理解していても 心は現実を受け止めきれていません。 休日は1日中涙が止まらない日もあります。 息子の事故当時一緒にいた友人達は 月に一度は家に来てくれて、他愛も無い話をして 帰っていきます。 息子を忘れないでいてくれることが とてもありがたく思えます。 その友人達や、私の会社の人、親戚以外で 息子の事故を知っている人には会いたくありません。 優しい言葉を頂いても、現実を突きつけられているようで 悲しくなります。 息子は、なぜ死ななければならなかったのでしょうか? 息子に会いたいです。 ただただ、息子に会いたいです。 この場でお話するのは間違いなのでしょうが・・・ 私は、死後の世界もその類の話も信じてます。 なので自殺をすると、息子と同じところに行けないと 思っているので自殺も出来ません。 今はただ、自分の寿命が尽きて 息子の所に行けるのを待つのみです。 優しい言葉も、明るい未来も要りません。 今でも、明日にでも息子に会いたいです。 皆様、まだ二十歳の息子は なぜ死ななければならなっかたのでしょうか? 会いたいです。
僕は死が怖いです。 お釈迦様の教えを実践し、生への執着を捨てようなどとなんとか頑張っているのですがやはり死への恐怖は無くなりません。 そして最近は、「自分は毎日命を頂いて生きているのに、死が怖いなんて情けない」と考えてしまいます。 これを「無明の闇」というのでしょうか。 どうしたらいいんでしょうか。
今年の2月に21歳の妹(みゆき)を事故で亡くしました。 私の5歳になる娘もとても悲しみました。 ある日、娘がおばあちゃんに「またみゆきちゃんを産めばいんだよ」と言いました。 子供って可愛いこと言うなと思っていました。 するとある日、私に「ママはもう赤ちゃん産まないの?」と聞いてきたので「もう1人ほしいね」と言ったら「そうだよね。私が死んだら悲しいからもう1人ほしいよね」みたいなことを言ったんです。 私はビックリと言うかショックで言葉が出ませんでした。 母は昔から「子供は3人くらいいる。2人だと1人死んだら1人だけになるけんな」と言っていたんです。 私は(変わったこと思う人だな。子供が死ぬなんてないよ)と思っていました。 でも、妹が死んで私1人になってしまいました。 母は「やっぱりもう1人産んどけば良かった。子供は何人いてもいい」と言っていました。 私は(妹を産みたい。子供は2人と思っていたけど3人ほしい)と思いました。 そんなことを考えている時に娘に「私が死んだら...」と言われてショックでした。 (もしかして予知!?母さんが娘の前で子供は3人いるとかの話したことないし、私も3人ほしいなんて話したことないのに、なんで私が死んだら...なんて言うのか!なんでそう思ったのか...)ととてもとても不安になりました。 娘は妹に似てるところが多々あるので、すごく怖くなりました。 妹に死なれたショックははかり知れません。 こんな状態の時に娘に「私が死んだら...」と言われてほんとにショックでした。 予知だったらと悪いことばかり考えてしまいます。 このモヤモヤをどうしたらいいのかわからなく、ここに書かせていただきました。
前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。
この前、精密検査をして結果が出る間 不安で不安ですごくうろたえました。 (ほとんどパニックでした) 自身のあまりの「生への執着」に驚いています。 ネットを見ると、私より若い方々が余命宣告うけて それでも強く受け止め、戦ってらっしゃる姿を拝見します。 ホントに心から尊敬します。 自分よりも家族の為に生きれば、恐怖は薄まるのでしょうか? (一応、そのつもりでしたが…) それとも、もともと無だからそれに戻るだけなのでしょうか? どのように考えれば、住職さまのように心穏やかに死への恐怖を 克服できるのでしょうか? これからの人生、うろたえるコトなく過ごしていきたいです。 難しい言葉ではなく分かりやすい言葉で アドバイス頂ければ幸いです。
ネットで孤独死の写真を見たことがあり、ごちゃごちゃとした生活感のある部屋に生々しく死のあとが残っていて、その光景が忘れられません。人は死ぬ時は一人ですが、孤独死というのは一から十まで完全に孤独って感じがしてとても寂しいです。発見されたあとは綺麗に清掃されてその人が生きていた証も完全に消え去って、世界はいつものように続いていって…それが現実の自然の摂理なのだと思いますが、それが無機質すぎてずっと心のどこかに刺さったままでいます…。こんなご時世ですから元々人と繋がりがなかった人はもっと孤立していって、一人で誰にも知られず死んでゆく、それが嫌じゃない人もいるでしょうが、やっぱりどうしようもなく寂しいです。孤独死は悪いことなのでしょうか。
お願いします。 取り留めのない文章で申し訳ないです。 実母を予後の悪い癌で亡くし、その6日後兄を自死で亡くしました。 その後私も結婚し、子供ができ、二人の死からもうすぐ6年が過ぎます。 今だに兄の事をどのようにすれば良いのか分かりません。 ニュースなどの自殺を見るたびに思い出します。そのくせに事故物件のサイトを自ら見てしまったりもしています。 宗派によって違いがあると思いますが、自殺した魂はこの世にとどまり自殺を繰り返す。天に昇っても暗い世界にいる。自死遺族はどのようにしたら良いのでしょうか?死んでもなお自殺を繰り返しているのなら、私があの世に送ってあげたい。でも魂も見えなければ、幽霊も見えません。 そんな事を考えていると、死が怖くなってきてしまいます。
先生方、先日は親身になって相談に乗って下さり、本当にありがとうございました。 中でも特にお世話になった先生もいらして(噛んで含めるようにお話し下さって、本当にありがとうございます。心が楽になりました)、まずそちらに先にお礼を申し上げてからが礼儀だろうと思いましたが、一人の先生にあまりに頼りすぎてしまうのもご負担が掛かりすぎてしまいますし、別の質問事項ですので、あらためて投稿させていただけましたら幸いに存じます。 先日、他の方のご質問で「枕経」のお話がありました。 ここに、どうしても死ななければいけない人がいたとして、あるいは間もなく殺される運命にある人がいるとして、そしてとても救われたいと願っているとして、その人に何とお声を掛けて下さいますか? そのような人の、死に際しての心構えを教えていただけましたら本当に有難く思っております。 先生方にはお忙しいところ誠に恐れ入りますが、もしよろしかったら、「枕経のようなつもりで」お教えいただけましたら有難く存じます。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
最近「希死念慮」という言葉を知って、まさに自分が思っていたことだと思いました。 自ら命を絶ちたいとまでは思いませんが、何のために生きているかわからないと思って毎日過ごしています。 趣味はありますが、生きているからやるのであって、趣味があるから長生きしたいとは思いません。 なぜ希死念慮があるのか、自分なりに考えた結果、肉体的に少しずつ衰えはじめていること、配偶者や子どもがいないので張り合いがないこと、「早く逝きたい」が口癖の祖母の存在の3点によるものと考えました。 一度希死念慮があることを知り合いに言って自殺願望と勘違いされたので、それ以降は誰にも話せず、もちろん家族にも話せず一人で悶々としています。終わりが見えずに苦しくなって、最近は残りの寿命を15年と仮定して人生について考えるようにしています。 昨日、母代わりだった祖母が老衰で亡くなりました。91歳まで生きました。そこで改めて希死念慮について考えているうちにこちらのサイトを見つけました。 私のような考え方はおかしいでしょうか。またどうしたら長生きしたいと思えるようになるのでしょうか?
なぜ動物の安楽死は許されるのに人間の安楽死は許されないのですか? 私は死にたいので安楽死できる動物が羨ましいです…
母の自殺から数ヶ月が経ちました。 四十九日を終え緊張の糸が切れたのか、うつ病が悪化してしまいました。 自責・不安・焦り・虚しさに毎日襲われます。気晴らしに…と好きなことをしても、楽しくありません。 また、母の自殺をフラッシュバックしてしまうため、"母が自殺した日"を何度も何度も追体験してしまいます。つらいです。 服薬治療も含め、できることは全てやっています。 でも、3年経った今も改善しません。それどころか悪化したので、「元気になりたい」という気持ちが湧いてこなくなりました。 以前は「元気になる」という目標がありましたが、今はそんなことを思えるほどの気力がありません。ただただ、生きるのに疲れました。自殺未遂をするほどには。 ただ、窓の外をぼんやり眺めながら遺書の内容や死ぬことを考えていると、心が落ち着くのです。 虚しさや不安を忘れ、「死んだら母のところに行けるかもしれない」と希望も湧いてきます。 以前こちらで相談したとき、【先に往かれた親しい方々やご先祖様がお母様をあたたかく優しくお迎えなさって下さいます。】と回答をいただいきました。 ふとそれを思い出し、「わたしが死んだら母が迎えてくれる、死んだら母に会えるんだ」と嬉しくなりました。 嬉しいなんて気持ち、久々に湧きました。だから、ホッとしたのかもしれません。 「死」を考えることで心が穏やかになるなんて、おかしいでしょうか。 また、心身共に疲れ果て気力がなくても、自分に鞭打って生きなければいけないのでしょうか。 わかりません。教えてください。
死についてお聞きします。 今年も、いろんな方がお亡くなりになりました。 高齢の方が天寿をまっとうするのは、幸せなことだと思います。 一方で、若者や、事件、事故に巻き込まれて亡くなってしまう人がいます。 死はどうして不平等なのでしょうか? 自分は、いつ死ぬのでしょうか? 教えてください。
ハスノハのお坊様のご協力もあり、死への恐怖は少しずつ和らいできました。 ですが死について考え始める前より、一日が短く感じられてしまったり、平均寿命を基準にあと何年で死んでしまうのかふと考えてしまったり、僕は長男なので兄弟の中で一番早く死んでしまうんだと思い度々心が辛くなります。それから死について意識しないようにするにはどうしたらいいか教えて下さい。
母は、どうして自ら命を絶ったのでしょうか 例えば人間関係とかお金の問題とか、そういう具体的な理由ではなくて… どんな困難にもへこたれない人もいる中、母はどうして死を選んだのでしょう 強くて優しい母だったのに 私は希死念慮があるので… 死にたい気持ちはわかるのです 自死は、理由ではなく衝動的なものだとも思います だけど 母にあてはめるのはとても難しいというか… 「まさか」としか言いようがなくて… 母は私に希死念慮があるのを知っていたから、 少なからず私が引っ張ってしまったのかもしれない ただ、本当に言えるのは 母はそんなに弱い人じゃなかったから 悩みの理由 ではなくて 死を選んだ理由 が知りたい 100%わからなくてもいい(わかるわけもないのですが…) そこへ向かってしまう気持ちに、皆様の意見によって近づけたら少し救われるような気がします 本当にうまく言えないのですが… 私の抱く「希死念慮」とは違う気がして 理解できなくて 苦しいのです…
父親やハスノハのお坊様のご協力もあり死への不安が消えつつありますが、いまだにふと死についてかんがえてしまいます。 このふとした瞬間に死について考えないようにするにはどうしたらいいですか。 回答よろしくお願いします。