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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 死にたい」
検索結果: 3271件

死ぬことを止めたい

おはようございます。 唐突な質問で申し訳ありません。 友人についての質問です。 私も友人も精神疾患を持っています。 私も病状がひどい時は自傷行為を繰り返したり、自殺未遂を繰り返したりしたこともあるのですが、幸い周りや主治医に恵まれ今では寿命がくるまで生きたい死ぬときは笑って死ねればいちばんと思えるようになりましたが、友人はまだ気持ちの波が激しく前を向いてがんばろうと思ってくれる時もあれば何かに傷ついたり、落ち込むと死を考えてしまうことがあるようです。私はなんとか彼女にも 生きてほしいと願っています。 色々苦しいことが彼女にはあるのは理解してはいるつもりではあるのですが、環境の違いや、悩み事の違い、病状の違いその他いろいろなこともあり自分なりに生きてほしいことを伝えてはいるのですがやはり彼女には命の重さをうまくは伝えきれていないように思えます。 お節介なのは承知の上ですが、 自分の関わっている人には生きてほしいと願いますし、命の重さもわかってほしいと思います。きれいごとではなく 命の大切さをどう伝えればよいのでしょうか?本来ならご両親がいちばん悲しむと言いたいところではありますが 彼女のご両親は今で言う『毒親』で 彼女をゴミ扱いするような親だと聞いているため両親が悲しむと言っても伝わらないと思っています。両親はともかく 私を含めた友人を悲しませることになることは既に伝えてあるのですが… 命の大切さをどのように伝えていけばいいのでしょうか? 私も彼女もアラフィフですが、まだまだ できることや人生を楽しむことはできると思っているのでそのことも伝えてはいるのですが… 私も体調を崩して会社を退職し今は自宅で療養している身で彼女はほぼ引きこもり状態ということもあるので余計に命というものを大切にしてほしいと願うばかりです。なのでどう伝えればいいのかを 伝えたいと思っています。 ご教授よろしくお願いいたします。

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父親の死について

父が余命僅かな状態です。 元々厳格な性格の父でしたが、心の病を患った事により、引きこもり、家族に対して理不尽な暴言や暴力を奮うようになり、家族を完全に支配していました。 幼少期より父に対して恐怖心があり、思春期の頃には毎日死んで欲しいと願っていました。父の言いなりの人生で、父が死んだ後、本当の自分の人生が始まると思っていました。 大人になってからは、さすがに毎日死を願う事はなくなりましたが、それでも苦手意識は変わらず、同じ空間にいると怯え、吐き気がする状態でした。 人に言えば、いい歳なのだから親のせいにするのはおかしい、自分の人生なのだからと言われてきましたが、どうしても父に対する恐怖心が拭えず、怒られない・バレない選択をしてしまい、思うように生きれませんでした。普通とは違う、自分の家庭が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 歳をとり性格が丸くなり、父がこちらに歩みよろうとしている事は分かっていましたが、受け入れる事はできませんでした。父から受けた人格否定や暴力、辛くて毎日死にたかった過去の日々をどうしても水に流す事はできなかったのです。 そんな父の病気が発覚し、想像していたような開放感はなく、悲しみや、父の不遇な人生が可哀想に思いました。しかし、父をただただ心配し悲しむ家族の中での疎外感も感じてしまいます。 私も父を許し、最期の時を過ごすべきなんだろうと思います。父が悪人ではなく、病気がそうさせていたのだと、分かっています。しかし、納得できない自分もいます。 結局は、私が全て飲み込むしかないのかと。 長年連れ添った伴侶を亡くす母の気持ちも痛いほど分かっており、できる限り助けたいと思っていますが、当たり前のように支援を求めてこられると腹を立ててしまいます。私の心の葛藤にも目を向けて欲しいと思ってしまいます。 父に対して、穏やかに、できる限り苦しむ事なく最期を迎えて欲しいという気持ちは本当です。仏教ではどのように考えるのか分からないのですが、次の人生があるならば、次は幸せな人生を送って欲しいと願っています。私には関係のないところがいいですが… まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。私は自分の心をどのようにもっていけば良いのでしょうか。父の最期の時にどのように接すればよいのか、どうかご教示下さい。

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父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

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死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

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親が死ぬのが怖いです。

私は今大学4年生です。親や祖母がいつか死んでしまうという事実が恐ろしく、不安で仕方ありません。ずっと思っていたことなのですが、今日両親と会って余計にその思いが強く、辛くなって相談致しました。 親は高齢出産だったもので、平均まで生きたとしてもあと20数年です。しかし、母は大病をしていて、1年や2年で死んでしまうというわけではないのですが、そう長くも生きられない可能性が高いそうです。父も生活習慣の面から長生きは難しいだろう、という感じです。 私は両親が大好きで、心の支えであり、いなくなってしまうことを考えると涙が止まりません。祖母に関しても同じで、恐らく両親よりも早く死んでしまうのだと思うと悲しくて仕方がありません。最近は、「私を置いていかないで。一緒に連れて行って」とまで思ってしまったり、いずれ来る別れが辛く、もういっそ自殺してしまおうかとも考えるのですが、その考えが最も親不孝なのは分かってはいるのです。 大学4年生つまり22才で、良い大人になって何を言っているんだ、弱い奴だ。と思われるかもしれません。しかし恐ろしいものは恐ろしくて堪らないのです。どのように考えていけば良いのでしょうか。

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彼女の死について

僕はいま、25才になります 彼女とは15才で出会い 2年後の17才の頃、乳癌で亡くなりました 乳癌という事で、女性の大切な胸を切り落とさなければ助からないと言われました 僕は、胸を切除したくないと言う彼女に 生きていてほしくて 怒鳴るように無理矢理、手術をしろと言いました 泣き叫んでいた彼女の声が 今でもずっと聞こえます その後、胸を切除した彼女の母親に 癌が肺に転移していると そしてすぐに、脳にも転移していて もう、対処のしようがないと言われました 彼女は、僕を気づかって 笑ってはくれましたが どうせ死ぬなら 綺麗な体で、女性として 逝かせてあげるべきだったのかと思うと 僕はなんて事をしてしまったんだと 後悔しています 助かるって言ったから 切除したのに 助かるから、大丈夫だからと 何度も彼女に言い聞かせたのに 僕は何もできませんでした なんの為に、彼女を殴ってまで 病院へ連れていったか分かりません きっと自分は悪魔のように見えたでしょう これを書いていること事態も 自分の悲しみばかり人に聞いてもらって 卑怯な人間だと思ってしまうんです 何度も何度も死のうとして そうやって逃げようとしてる自分が 一番嫌いです ただもう耐えられなくて 僕は人に迷惑をかける事が嫌いです そして、自分の事を人に話したりする事が少く 彼女と付き合っていた事は 彼女の母親しか知りません 彼女が死んだからどうすればいいなんて そんな重い相談が迷惑だろうと 誰にも言っていません ですが、もう限界みたいで ここへ相談してみました 長文、申し訳ありません

有り難し有り難し 19
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自分以外の者の死

私は物心ついた頃から「死ぬのが怖い」とよく泣く子供でした。それは自分の死に対してではなく、家族の死に対してです。 せっかく家族で旅行をして楽しい気持ちになっているのに「でもいつかこんな事も出来なくなる…」など余計なことまで考えて気分を台無しにしてしまいます。楽しい事をただ楽しいと感じたいだけなのに、死への恐怖1つでいろんな事を台無しにされてる気がします。 私は今小さな喫茶店で働いており、喫茶店で働く事は好きなのですが、お客さんは本当にお年寄りばかりで、 お年寄りのする会話は基本『寿命』と『病気』の話で、昔から死への恐怖が人一倍な私には苦痛でしかない内容です。 さらにお客さんにはよく「若い人は良いわね、私なんかもう働く事すら出来ないわ」などと言う事をよく言われます、最初はそう言われても嫌な気分も何もしませんでしたが、最近はそんな言葉に怒りさえ覚えてしまいます。 今の私は若い事が嬉しくないんです。 早く歳をとって死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。 大切な人が先にいなくなってしまうくらいなら長生きなんかしたくないです。 大切な人の死を見るくらいなら誰よりも先に死にたいです。 ですが自分がとても恵まれた環境にいて、幸せであるのに最終的に早死にを望んでいる弱くて自分を守る事しか考えてない自分もすごく嫌です。 申し訳なくて親には口が裂けても言えません。 少しでも命と向き合うにはどう考えていかなければならないのでしょうか。

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息子の死

昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。

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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

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今死ぬか歳をとって死ぬか

今の暮らしにこれといって不満はないのですが、結婚や親の介護、自身の老後を考えると不安ばかりです。 自身が歳をとって介護が必要になる前に死ねれば安心なのですが、人に迷惑をかけてまで生きたいとも思えないですし、その頃には自殺をすることもできないだろうと思うと早いうちにしてしまってもいいのかとよく考えます。 家族や友人達のことを考えると思い止まってしまうのですが、いつか訪れる彼らの死を考えると耐えられないだろうし、その前に死んでおきたい気もします。 3年ほど前に仕事をきっかけに鬱になり自殺しようとしたこともありますが、結局勇気もなく途中でやめてしまったりでこれまで何となく生きてきました。 付き合っている彼とは結婚も考えてもいますが、このように考えているような人間が結婚なんてしていいのかとも思います。 このまま生きて親になったとしても、子供にこのような思考が影響するのではないか、自殺を考えるような人が親になっていいのか、考えても結論が出ません。 文章がまとまらず申し訳ありませんが、他の誰にも相談できず悶々としていたところ、こちらを見つけ相談させていただきました。 ご教授のほどよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 33
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息子の死

10年近く統合失調症で精神科に通院しています。 主人の両親が先祖崇拝・ユタ信仰者で、私の幻聴や幻覚を病気では無く、先祖からの知らせなので薬を飲むな。先祖の言ってる事を良く聞き、拝みをしなさい。と言われました。 一時期、薬を飲まない時期がありましたが病気が悪くなり、自殺願望まで出て入院寸前まで行きました。その後からは、病院の先生の事を信用し、毎日薬を飲んで身の回りの事も出来るようになるまで回復しました。 数ヶ月前、息子がバイクの単独事故で亡くなりました。お通夜の大勢の人のいる前で、姑から あなたが先祖の拝みごとをしなかったから、先祖が怒って 孫が死んだんだ。間違った事反省しないと…と、色々言われましたが 私が過呼吸になってその後のことは、悲しみのあまり余り覚えていません。 息子は、私の夢の中によく会いに来てくれます。いつもニコニコしてて、私に元気を与えてくれます。実際、霊感のある友達の所や、学校にも普段通りに行ったりして遊ぶのを楽しそうにしているみたいです。 息子は、人の文句や憎しみを持っている性格では無い。この世が思う存分楽しめたら自然と、あの世に行くよ。と霊感のある方が教えてくれて安心しています。 私が、姑に言われた事に憎しみを持ったり、本当に私が拝みごとをしなかったから、バチが当たって 息子が無くなったのか…このような事を毎日考えてます。私の憎しみが息子に伝わって、息子が成仏出来なかったらそれも 悲しく感じます。 本当に、先祖はバチを与えるのでしょうか?

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2023/03/28

『死』はなぜ否定されるのでしょうか?

なぜ『生きたい』などポジティブな事は肯定され、『死にたい』というネガティブな事は否定されるのでしょうか。 死ぬことは逃げですか、生きる義務なんてありますか。 もう何年も前からずっと死にたい思いがあります。年々増すばかりです。いつ死ぬのか、どんな風に死ぬのかしか考えられません。 朝昼夜に関わらずずっとあります。誰といようが頭から離れることはありません。 毎日自分を見失います。親も友達も私自身を見てくれない。理想の『私』以外は要らないんです。 勇気を出して泣きながら本音を話しても、何も変わらなかった。私の本音と涙はあの人らから見たらただの軽いものだった。 闘病により亡くなった方は頑張ったと肯定されます。生きる事全てが苦痛で仕方なくて自殺したのだとしたら逃げだと言われます。相談するべきだと。 どちらも苦しんでいるのになぜこんなにも違うのですか。 今の私は誰も自分自身も信じられない。本音を話そうにも言葉はでません。家族も友人もあらゆる事全てが私を追い詰めるんです。生きているのが怖いです。全てが私を苦しめる要因になるんです。死にたいです。なんで死んではいけないんですか。 否定されて生きてきました。 何をするにも否定されました。 死んだら悲しむ人がいるとかそんなの求めてません。それだって私の気持ちを否定する言葉にしか聞こえない。 したい事を見つける?もっと前向きな事を考える?信用できる人を見つける? それすらできないんです。この文章を書くのでさえ体力が必要なんです。 ずっと前から感動とか良い方に感情が動き難くなりました。マイナスな事ばかり考えています。人に気を使って神経すり減らす毎日。 こんな私に生きている価値なんてない。 だから死にたい。 なのにそれはダメな事と言われる。 死ぬことを肯定してくれないのはなぜですか。 あらゆる事からのストレスで苦しんで体調も崩して、死にたい思いしかないのに、無理して生きていなくちゃいけないんですか。 治る見込みのない病気やがんになってしまった方には、安楽死や尊厳死があります。 選ぶ権利がある。 自分を殺す事に関しては同じだし、私だってコレが治る見込みはない。自分勝手だから、迷惑だからダメなんですか。 うまく文章がまとめられくて長くなってしまった上に読みにくくて申し訳ないですが、答えていただきたいです。

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祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

有り難し有り難し 47
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