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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件
2024/02/06

父の死について

数年前に父を病気で亡くしました。 父の命日が近づく度、思い返して悩んでいることがあり、誰にも言えず数年抱え込んでいます。 父の病気が発覚した時、私は進学のために既に実家を出ており遠地にいたため、闘病にはあまり付き添うことが出来ずにいました。 いよいよ症状が酷くなり、亡くなる直前に私も実家へと戻り、母と交代しつつ父の傍に居ました。 痛みや、症状のしんどさが増して「痛い痛い」と苦しんでいる父を見ていることが辛く、どうにか和らげることは出来ないのかとそればかりを考えていました。 それを相談したところ、鎮痛薬を入れることしか手段がない、という話になり、母はかなり迷っているようでした。 というのも、最終手段のようなもので、恐らく鎮痛薬を入れてしまったが最後、しっかり会話をすることが難しくなるかもしれないというような状況だったからです。 痛みが酷く身体を休めることすらままならない、と苦しんでいた父を見ていられず、最終的に私が母を説得するような形で鎮痛薬を入れることになりました。 鎮痛薬で痛み自体は落ち着いたのか、その後父はほとんど眠った状態で過ごすことになり、そのまま亡くなりました。 医学的な知識はないので、なにがどうなって父が亡くなったといった詳しいことまでは分かりませんが、鎮痛薬を入れるという選択を私がしてしまったことで、父はもっと頑張ろうとしていたのにその選択を奪ったのではないか、母はもっと父と話したいことがあったのではないか、あの選択が父の死期を早めたのではないか、と亡くなった日からずっと考えています。 あの時の私の選択が父を殺してしまったのでしょうか。 相談というより打ち明け話のようになってしまい申し訳ありません。 もし、可能なら、この悩みとしっかり向き合う勇気をいただけると嬉しいです。

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2022/08/25

毎日死について考えてしまいます

毎日死について考えてしまいます。 死にたいという考えではなく、いつか来る死について不安で不安でしょうがなく頭の中で色々と考えてしまいネットなどからそういう関連のサイトを調べすぎてもっと不安になってしまっています。今では自分でコントロールできなくなってしまいました。文章では書ききれないので箇条書きで今自分の頭の中にある考えを書きます。 ・テレビやネットでの年齢を見ると将来この歳になりたくないなと、絶対なるのにも関わらず考えてしまう。 ・いつかは死ぬとわかっていても死にたくないと思ってしまう。 ・死後の世界がどうなっているのか、自我意識はあるのか、仮に生まれ変わりがあったとして自分が自分じゃなくなるのではないかと思ってもし、死後の世界がなく何も感じられなかったらと思うと不安と焦りが出てしまう。 ・自分はなんなのか、この体は本当に自分なのかという疑問。 この4つでどうしようもなくなりネットなどで調べて安心しようとするも信じていいのかわからずこのループに陥ってしまっています。 この事を家族に相談をしても「暇だからそう考えるんだろ」と言われるだけで考えないようにしようとしていてもふと、考えてしまいまたループに陥ってしまい焦りや不安、そしてパニックになってしまいます。先の将来、死後の世界が判明するのではないかとネットで書かれていたのですが本当なのかどうか本当にあるのかそれとも無で何も感じられなくなるのか、4つの考えのループから抜け出すのにはどうすればいいのか、身体や私生活に影響が出るほど深刻な問題なので、是非ともお教え頂きたいです。

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母の死

母が急死してしまいました。 母が検査入院のまま入院してしまい、気になって帰省した翌日の事です。 暴力から疎遠になっていた兄との事も母の為悔しさを押さえ8年振りに帰省したのに、一言も喋る事なく逝ってしまいました。 偶然死に目に会えて良かったと言われても、気持ちに整理が付かず、後悔と信じられないショックと不安でどうしていいのか分かりません。 死に目に会いに行ったはずじゃないのに、何なの? 私に与えられた罰なのか?なんの為に長年の苦しみを押さえて帰ってきたのか分からなくなってしまいました。 もう今は何もする気が起きなく、このまま消えてしまいたい気持ちです。 子供がいるからしっかりするんだよ。 泣いてるとお母さん悲しむわよ。 言われれば言われるほど、苦しくて苦しくて消えてしまいたくなります。 誰に何と言われようが今は母の事しか考えられません。 どうしていいのか分からないのです。 何故こんな別れ方をしなくてはならないのか。 これから先、誰に気持ちを打ち明けて行けばいいのか。 何故母がこんなに突然死ななくてはならないのか。 今月末には会う約束さえしてたのに。 何故何故と問うばかりです。 母は最期私の事を少しでも考えてくれたのか、話はなかったのか、考え出すときりがありません。 いきなり1人ぼっちにされた気分が拭えません。 私が弱いのか、子供なのか、整理ができません。

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父の死

回答頂けたらありがたいです。 先日、離れて暮らす74歳の父が4ヶ月間の闘病の末亡くなりました。白血病でした。 入院後すぐに医師から余命数週間から数ヶ月と家族だけに宣告され父に悟られないように平常心で接してきました。 父は「来年は~」と未来の話をしたりして私達家族は「そうだね!早く治さないとね」と苦しくて胸が張り裂けそうになりながら嘘をついて父を励ましていました。 変に優しくしたら悟られると思い4ヵ月の間お見舞いには行くものの、いつも通りの素っ気ない態度を取ったり、車で片道1時間半の病院だったのもあり毎日はお見舞いに行けず、でも毎日行っておけば良かったとか、もっとありがとうの言葉を伝えれば良かった、お父さん大好きだよって伝えれば良かった…と後から後悔が押し寄せてきて泣いてばかりいます。 息を引き取る前に「お父さんの娘で良かったよ、ありがとう」と伝える事は出来たのですが意思疎通も出来ない中で言っても…もっと会話が出来るときに何故言わなかったんだろうとグルグル考えては泣いての繰り返しです。 父が亡くなってからテレビを見て笑うのも、美味しいご飯を食べるのも普通の生活をしている事自体、申し訳ないような罪悪感があり辛いです。 父は私の気持ちを分かってくれているでしょうか? 生きてる時と変わらず見守ってくれているでしょうか? 本当に辛いです。

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兄の死

昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。

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母の死

母の介護を15年してきました。状態が悪くなり入院をしました。その後、鼻から栄養を入れて、元気になり、胃ろうをして退院の日も決まっていました。ある日病院へ行くと、前日とは全く違う苦しそうな呼吸をしていて、私が看護師に言うと、何もないような事を言うので、看護師が言うなら大丈夫かな?と思い帰りました。翌日行くと、呼吸は変わらず苦しそうで。違う看護師に聞いたけど、暑いからね〜。と。私は納得できず、夜勤で交代する看護師にもう一度おかしい。と言いました。その看護師は慌てて先生を呼んでやっと診てもらえました。肺炎でした。それから1週間後、退院予定の日に亡くなりました。 看護師にも婦長にもなぜあの時すぐに気付いてくれなかったのか?こちらがおかしいと言っているのに診てくれなかったのか。私は看護師を責めました。長い命ではなかったかもしれないけど、入院中に肺炎になって見過ごしで亡くなるのは納得がいがず、訴訟も考えています。それから1年になろうとしています。時が経てば怒りもおさまるだろう。と思っていたけど、おさまるどころか病院に対する不信感と憎しみが増幅しています。いろんな人に聞いてもらっても、答えがでません。家族は訴訟おこしても、還ってはこない。といって、私1人が悶々としています。母の事は全て私がすすんでしていたので、自宅で看取る覚悟でいたので、こんな納得のいかない亡くなり方に心が晴れる事がありません。私が間違っているのでしょうか?それと、介護生活の中で暴言を吐いたり、叩いたりしてしまった事を後悔しています。その事が頭から離れず苦しくて仕方ありません。母が亡くなる1ヶ月前に愛犬を亡くして、立て続けに大切な家族がいなくなってしまって、心から笑えなくなってしまいました。 母から譲り受けた遺伝子のおかげで友人や知人に恵まれているので、助けてもらえる事が唯一の救いです。 母が受けた信仰宗教もできなくなった母のために頑張ってきましたが、やめようかと思っています。 私は軽いパニック障害があり、日常生活に問題はありませんが、離れたところへ1人で出掛ける事が不安でいつも誰かについてきてもらって迷惑かけていて、これからの事を考えると、この頃、母と愛犬のところへ行きたくて、早くお迎えこないかなぁ。と思ってしまいます。 私はどう受け止めたらいいでしょうか? よろしくお願い致します。

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死恐怖症改善したい

初めて悩みを書きます。 わたくしは、中学生の時から死恐怖症(タナトフォビア)に悩まされています。 簡単に説明しますと、自分の意志とは無関係に「自分が無になる」という恐怖が脳に入ってきます。医療用語で強迫性障害に分類されます。 一年くらいしっかり働けても、季節や体調の変化でタナトフォビアが重症化し、奇声をあげる、怖くて動機がする、それを落ち着かせるために自傷行為をして生きてる事を確かめる事が続き、それに合併して鬱になり、外に出る事も誰かと話すこともできない日々が続きます。 この繰り返しを何年もしてきたため、会社に就くこともできず、終いには今、無職です。 ただ、死が怖い=生きてればいつか死ぬという恐怖も同時に兼ね揃えています。 つまり、生きてることも怖いんです。 そして今、私は薬で症状を抑えています。 薬で抑えることが出来ると、死ぬことが、酷い時よりは怖くなくなります。 そこで、私は「今なら死ねる」と思ってしまうんです。 生きてる意味も分かりませんし、 死ぬ意味も分かりません、 この世は修行だとか、死んだあとは天国だとか、そんな人間が作り出したエゴや、綺麗事は私には意味がないんです。 「死んだら生まれる前に戻る」という考えがどうしても抜けません。 私は約一ヶ月後、死のうと考えてます でも本当は生きていたいんです 生きてる素晴らしさや奇跡は痛いほど知ってます。 心の矛盾に日々悩まされてます。 どうか助けてください。

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死の苦痛が怖くて仕方ありません

死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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