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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 死 後悔」
検索結果: 759件
2024/06/18

父が亡くなりました

先日、父が亡くなりました。自死でした。 突然のことで心が追い付かず、悲しみに暮れる暇もなく手続きに追われています。 詳しい理由は分かりませんが、おそらく祖母の介護と父自身の病気、借金の返済等が重なり心身ともに疲れてしまっていたのだと思います。 前日には「心が疲れました」と同僚の方に送っていたそうです。 父はとても優しい人でした。とても辛かったはずなのに、私たち家族に心配をかけないよう、普通に接してくれていたことも心が痛いです。 借金が発覚したのは父の死後ですが、介護や病気は家族の問題でもあったと思います。もっと私たちが話を聞けていたら、父は今も生きていてくれていたのかもしれないと思うと涙が止まりません。 特に母と妹は第一発見者なので、もっと心が辛いと思います。 私はこれから一生、父に死という選択を取らせてしまったことを後悔しながら生きていくのだと思います。 借金はどうにかなりそうですが、それより心がとても苦しいです。 一度は父の後を追いたいという気持ちになりましたが、ここまで大事に育ててくれたことを思うととてもできませんでした。 苦しくても生きていきたいという気持ちはあります。 これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

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酷い人間です。

先日、姉が亡くなりました。父は自分が生後一ヶ月の時に他界しており、母は老人施設に入所、自分は別世帯で暮らしているので、孤独死でした。 (私の小さい頃は母と姉に酷い事をされていました。今でも体に傷が残っています。そんな事をされていても、私は二人を遠ざける事はできませんでした。成人し私も実家に寄り付かなくなると母も姉もそれを償うように人が変わりました。) 私の家族からは、私に酷い事してきたし好きな事して死んでいったのだからと姉のことも母の事もタッチするなと言われました。母と姉をとるなら出て行ってくれと言われ母と姉との縁を切って欲しいという事に一度頷きました。その為、葬式もしない・母の面倒もみないということになったのですが。(結局葬式はほぼ密葬でしたがすることができました。) 私はなんて酷い人間なんだろうと思う日々です。 遺品整理に家を訪れると私が過去に薦めた物を買い漁っていたり、私の体調が良くなったら(数年ほど体調を崩しておりまして)遊びに実家に行くわというのを待っていた様子でお酒など私が喜ぶものを買い漁っていました。量は半端ではなかったんですが。 寂しかったんだと思います。 いろいろありすぎて文章がわかりづらいのですが、偶然か何かわからないのですが、私は近い人が亡くなるときお線香の匂いがしてきます。姉が亡くなったと知らせを聞く数週間前に早朝にバイクを乗っている最中に匂ってきました。知り合いで亡くなる人はいないはずだし、父や叔父がなくなった時期とかさなるためそれかもと気にも留めてなかったのですが、まさか姉だとは思いませんでした。 おそらく姉が一人で苦しんでいた時だと思います。(死体検案からみた死亡日時を考えると)虫の知らせがあったのに、どうして察知できなかったんだと悔やまれて仕方ありません。 また、酷い事をされていた過去も一緒に笑った過去もどちらも思い出されて苦しいです。私は親兄弟を捨てる酷い人間です。

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2022/11/24

自分の心の置き方について

いつも大変参考になるお言葉と励ましのお言葉で、少しずつですが成長できております。 今回大きな変化がありました、それは親父の死についてです。 少し前からガンで厳しいという状況は知っており、ここ数日前に訃報を聞きました。 ただ、私の心境的に涙も悲しさは直接的に感じず、「人は死ぬもの」という基本前提と私もどうせいつか死ぬという達観があるからだとは考えております。 そのためか実家でおこなわれる葬式や告別式の話が出た時に私は行きたくないと答えました。親に感謝していない訳ではないのですが、他人の死と同様に捉えてしまい私が行かなくてもいいと判断しております(手続き等は兄貴がしております) 最後くらいとよく言われておりますが、私の人生として成人式等の一度きりのイベント事にそこまで関心がございません。 ただし、ここで質問をしているということは、心の中にしこりのようなものがあるから、私は間違っていないと肯定されたい気持ちがあるとは考えてはいます。 孤独感というのも悲しいことになれてしまい、家族と連絡しなくても幸せに生きれてしまいます。 上記の考えも分かってはいながら葬式に行くことが大人ということなのか、自分が行きたくなくて後悔もしないと確信があるならいかなくてもいいのか、正解がない問題なのでどうしてもお言葉をいただけますと幸いです。 何卒宜しくお願い致します。

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2022/09/25

父親の死期を早めた自責の念

痛みを伴う難病とわかった後、希少ガン。リンパ転移宣告。高齢なので治療は出来ない。父には癌のことを知らさぬまま亡くなっていきました。亡くなって半年近くになりますが、初盆を終えて、日毎に闘病中にあった事が思い出され、あの時の選択はこれでよかったのかと思い出され精神的にしんどく、不眠と食欲不振。なかなか病院との話し合いがうまく出来ず、もやもやしていました。母弟夫婦、私夫婦で話し合いましたが、弟は母が決めるのが一番。母は痛い思いをしてほしくない。身内の者も、いまさら?など意見が分かれ、病気について、もっと向き合おうと思った矢先、急変し帰らぬ人となった辛かった経緯がありました。 過剰に病気を恐れてしまったのか、高齢の母をもっとサポートしてやれば良かったのか、母より父と性格があっていた私だけに、この気持ちがずっと四六時中頭から離れません。生前、父はいつも悔い無い日々を過ごしていましたので、病気になる寸前までは後悔が無い日々を送っていたと思います。私も一緒にゴルフをしたり旅行もしました。ただ、最期がこんな残念な事になり、この先、私だけ幸せに暮らしていいのかと思うと、胸が苦しくなります。家族も想いが違うので、話す事もできません。こんな私に何か教えをいただければと思います。

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死にたい原因

私は動物看護師をしていました。 小さい頃から動物はなんでも大好きで、彼らのためなら何でもしてあげたいと思ってこの職を目指しました。 でも実際勤めたら、人手が足りずにいつも多くの業務に追われ、先輩達はとても怖くていつも行動を見られている気がしてだんだんと心に余裕が無くなってきました。 そしてついに入院してる子達に対して「なんでこんなに苦労ばっかりかけるんだ」という気持ちまで湧いてきてしまいました。 そういう仕事だとは分かっていたのにです。一番苦しんでいるのはその子達とそのご家族なのに、自分が一番みじめで苦しい思いをしていると勘違いしてこんな酷い事を思うほど自分が非情で身勝手な人間だと知って絶望しました。 そんな中で四匹の子が亡くなりました。 一匹は熱中症の小鳥で、私はそうと知らずにセオリー通りに小鳥の籠に蒸しタオルをかけてしまい、それが原因で小鳥は一瞬で息を引き取りました。私が殺しました。 もう一匹は私が手術の麻酔管理についた小鳥で、術後は元気そうだったのに飼い主さんのお迎えを待たずいつの間にか亡くなっていました。なぜもっときちんと見てあげなかったのかと後悔しました。 もう一匹はウズラで、来院する前に電話をかけてきて私が電話応対したのですが情報の引き継ぎがうまくできていなかったようでした。後で先輩に私が必要な事を先生に伝えておかなかったからこうなったんだと言われました。 もう一匹は犬で、点滴チューブが首に絡まって亡くなってしまいました。昼休みから最初に上がった人が入院の子の世話と掃除などの雑務をすることになっていましたが、私は全員をきちんと診ていたら雑務も時間内に終わらない、先輩に怒られると思い軽く様子を見ただけで流してしまいました。きっと私が様子をみた頃にはすでに点滴チューブは首に絡まっていたと思います。私の保身と怠慢のためにこの子は死にました。 私は非情で自分勝手な人間です。動物を助けたいと思ったのに、最終的に彼らを憎みそして死なせてしまいました。これだけは弁解しますが殺意も悪意も全くなく、故意でもありませんでした。それでも彼らの死に関わったという事実は変わりません。 これからずっと似たような過ちを犯し続けるでしょう。これ以上誰かを不幸にする前に今死んでしまいたいのです。最期に我儘を言うなら、罪を清めて極楽に往生したいと思います。仏様は救ってくださるでしょうか。

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愛犬の埋葬について

悩みというか、心に引っ掛かることがあるので質問させていただきました。 先日、14年近く家族として一緒に過ごしてきた愛犬(マロン)が亡くなりました。 マロンは体が弱っちい子でしたが、平均寿命に近い年月を生きてくれました。私たち家族もとても大事にしてきました。 亡くなったと知ったときは勿論ショックでしたが、「大事にされて、最期も病院とかではなく自宅で、家族がいる時だったからマロンは幸せだったんだ」と言い聞かせてました。ですが、埋葬の時点で親が「市営の斎場に運ぶ。共同埋葬で遺骨は戻らない」と言ったので私は一度反対しました。 でもその時は、悲しみとショックで呆然としていたので流されるままに、皆で斎場に運ぶことになりました。 受付の条件で「ダンボールに遺体のみ入れてタオルやおやつなどは入れないでください」とのこと。。。亡くなる覚悟はしていたものの、老犬の介護の仕方や流動食の作り方等は調べていましたが、葬儀について調べたり準備もしていませんからちょうど良い箱が無く、ヨレヨレのみかん箱にキチキチに入れなければなりませんでした。 その光景がとても悲しかったです。 後で民間の葬儀会社等調べたら、桐の棺にフワフワのお布団やお花、お線香もついていて、市営のものとは差がありすぎて。。。 一番ショックだったのが、市の職員さんに「ここまでです。お預かりします」と言われ、遺体を手渡したのですが、その人はお盆でも運ぶように、まるで小包でも運ぶように、片手に箱を乗せて行ってしまいました。 遺族が、本当にマロンとお別れする場面でそんな扱いを見せられて、怒りを感じました。民間の葬儀会社程の手厚い対応は望めないにしても、手渡された遺体に何の情が無くとも、もっと丁寧に対応すべきでは・・・ ちゃんと火葬してもらえたかも見届けられませんでした。勿論遺骨(遺灰?)もありません。 亡くなったその日の午後に運んだので、火葬は翌日になったそうです。 冷蔵室で独り寂しい思いをさせてしまいました。 せめて一晩、自宅で過ごさせてあげればよかった事と、豪華でなくともきちんと埋葬してくれるところにお願いすべきだった事を後悔しています。 これは人間のエゴというか、勝手な「可哀想」と思ってしまう感情なのでしょうか? マロンは自分を大事にしてくれたと感じていると信じていますが、最期の最後で可哀想な事をした・・・と後悔しています

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2024/12/08

精神的に自立したい

はじめまして。私は23歳実家暮らし社会人の女です。 親は高齢出産のため両親ともに60歳です。私は小さい頃から家族が大好きで、そして家族、大切な人の死が常に怖く、最近特にその事を考えてしまって一人で泣いています。 母にもその不安を話したのですが、母はいずれは人は死ぬ来る運命に従うんだよと私よりも何倍も強い気持ちです。しかし、私はやっぱり耐えられません。ずっとずっと仕事中も両親のことを考えてトイレで泣いてしまいます。大学生の頃、一人暮らしをしていたのですが、両親のことを考え、少しでも恩を返そうと実家に戻りました。感謝はできるだけ伝えたいのですが、やっぱり死を考えるだけで辛いです。 また、遠距離恋愛をしています。片道4時間程の距離ですが、いずれ自立して彼の元へ行こうと思ってます。しかし、両親のことが心配でならないのです。両親は子供が幸せならいい、自由に生きてほしい方針なのですが、私が心配でならないのです。本当に不安です。彼の元へ行きたい気持ちも両親のことが心配な気持ちふたつあって辛いです。精神的に自立して前向きに生きたいです。 心療内科も予約済みなのですが、それまで時間があります。この常に抱えてる親の死の不安、精神的自立の仕方どうかご享受願いたいです。 日々不安で辛いです。助けてください。

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先週親友を病気で亡くしました

友人は同年代で、心から分かり合える親友でした。一昨年、脳腫瘍ということが分かり、その時点で余命1年との宣告でした。 家族以外は親友の私にしか病気のことは伝えられていませんでした。 友人はその時点で他の誰とも連絡を取ることをやめてしまい、私だけが唯一の心の支えとなっていたのだと思います。 家族からも、誰にも言わないでいてほしいと言われていたので、私自身も1人で悩み、事の重さを受け止めきれずにいました。 いつ友人から電話やメールが来るのか分からず、取り乱していることも多かったためしっかりと考えてから返事をしなければと思っていたので、しばらくは外出を控えた生活をしていたほどです。 その後、私が仕事を再開したり、妊娠したこともありマメに連絡をとったり、会ったりすることができない日々が続いていました。 友人も想像していたよりも元気にしており、このままの日々が続くのでは?と錯覚するほどでした。 それが先月急変し、あっという間にしゃべることもできなくなり、亡くなってしまいました。 あまりの事に今も受け入れられず、思い出しては泣いている日々です。 そして、なによりどうしてもっと会ったり話したりしなかったのかと後悔しています。どんなに苦しく、死の恐怖と1人で戦っていたのだろう。くだらない話しでもいいからたくさんすれば良かった。 できることがたくさんあったのに、どうして自分の生活を優先させてしまったんだろう。 いなくなって、どれだけ自分にとって必要な人だったのかを感じています。 ちょうど同じころに私は出産をしました。意識が無くなるほんの数日前のことで、最後に報告できて本当に良かったと思っています。10日も早く急に出産になったのはきっとこの子が生まれたことを友人に知らせるためだったのではないかと勝手に思っています。 友人の家族にも何もできなかったことを謝罪しました。しかし、本当に心の支えになっていたと思う、ありがとうという言葉を頂きました。 それでも私の心は悲しみと後悔でいっぱいです。この悲しみを乗り越えることができるのか不安です。 こんなに深い悲しみの中にいることを友人は望んでいないと言われるのですが、頭では分かっていても心が全くついてきません。

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彼女のお父さんがお亡くなりになられました

こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

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最愛の息子との死別

先日、最愛の次男が自死してしまいました。17歳という短い人生でした。 家族として、彼の苦しみや悩みに気付いてやることが出来ませんでした。 最後の夜も特別変わりない日で、家族揃って夕食を食べましたが、思い返せば彼は自室で死を迎えるための準備を家族に気付かれないように、行っていたようです。 準備をしていることを気付いてやれれば、悩んでいることをもっと早く気付いてやれれば、彼が死なずに済んだのではないかと後悔や悔しさ、寂しさが 募るばかりです。 まだ気持ちの整理がつかないため、彼の部屋を隅から隅まで探した訳ではないので、遺書らしい物も残さず逝ってしまいました。 父親として、日頃苦しみや悩みに耐えていた彼に何もしてやれなかったこと、最後の日にも気付くチャンスがあっただろうに、何も出来なかったことは父親として最低な父親だと思います。 また残された妻、長男に対しても、次男を死なせた父親として本当に申し訳ないと、詫びても詫びても、次男が帰ってくる訳ではないのですが、詫びるしかありません。 ご相談しても、次男が自死したこと、さらに彼の苦しみや悩みにに気付いてやれなかったこと、家族に対して苦しみや悲しみを与えてしまったこと事実が変わる訳ではないことは、理解しています。 しかし文章にすることで少しでも落ち着くことが出来ればと思い、質問させていただきました。しかも拙い分かりづらい文章で申し訳ありません。

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2022/12/10

死ぬ勇気も生きる力もない。

前回ご質問させて頂いた続きというか重なる部分があります。 22歳の誕生日前日母の自死。 母は直前あの夫婦(姉と姉の旦那)に言われた事が忘れられません死にます。と残していました。 母の死から1ヶ月経たず、母を死に追い詰めた姉が亡くなりました。 詳しいことは分かりませんが病死だとの事でした。 周りからは母が連れていったんだ、長女で初めて出来た子供だから大切で大好きだから連れていったんだと言われました。 そんな事を言われて悲しかった。 私もお母さんの娘。私を連れて行ってよ。私をママのそばにいさせてよと思いました。 本当に母が連れていったんでしょうか。 死んでしまいたい、消えてしまいたい。お母さんに会いたい。 毎日毎日死にたい消えたいママに会いたいそう思っていても、朝が来て夜が来る。 私には死ぬ勇気すらない。それなのに生きる力もない。 お母さんにあの時声をかけられなかった手を取ってあげられなかった温かい言葉で温かい存在で包み込むことが出来なかった。未だ後悔でいっぱいです。毎日母の分まで生きようと過ごしていますが、でもそれすらも疲れてしまった。 薄情で人としていけないけれど、正直姉が亡くなったと知った時悲しいという感情はうまれませんでした。もうこれから先姉に苦しめられる事はないんだとホッとしました。 でもそれと同時に、1度は目の前で母に手を合わさせたい、母にごめんねありがとうと伝えて欲しかった。 止められなかった自分も憎いけれど、それ以上に姉が憎い。償ってほしい。一生許せない。母が亡くなってそれだけの感情で過ごしていました。 そんな姉まで居なくなり気持ちのやり場がなくなった気がします。 毎日苦しくて辛くて死んでしまいたくなります。 姉ではなく私を連れていってくれたら良かったのにな。 どうしてよりによってあの人を…と思ってしまいます。 死ぬ勇気もない、生きる力も湧かない私はどうしたらいいんでしょうか。 簡単に死ねるのならいいのに、いざとなると怖くて出来ない。 母の死との向き合い方、大嫌いな憎い姉の死との向き合い方が分かりません。 父と話していた時ふと、父私妹3人でもう死んでしまおうかと思った事もあったと。 それを聞くと、母を守れなかった事で父の笑顔、生きる気力までも奪ってしまったとまた後悔に押しつぶされそうになります。 下手くそな文ですがどうかお願いします。

有り難し有り難し 26
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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

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