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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 不安」
検索結果: 1644件

死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

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主人の不安を軽くしたいのですが。

質問の連続で失礼します。 前質問での義両親と主人についてです。 ここ数年、義両親が老いてきました。(80才前です。)入退院も繰り返すようになり、会話もおぼつかない程度に痴呆もあります。 私としては、年齢相応だなと、淡々と思ってしまうのですが、事あるごとに主人がとても動揺し、しまいには泣き出してしまいます。 まだ亡くなっていないのに、あたかも臨終の際ごときです。 私としては実母が早くに病死したこともあり、親が亡くなる時の、喪失感や様々な後悔、どれくらい辛いか想像は容易です。 主人がその時を思い、辛く感じることも、また親が老いる姿を見るのは、心穏やかではいられないことも理解できます。 反面で、実の親を看取る準備ができることが羨ましくも思いますし、長生きの部類にはいる年齢まで一緒に過ごせているのだから、十分ではないかとも思ってしまいます。 このままでは、実際に亡くなったときが心配でなりません。 主人本人が一番苦しいのではないでしょうか。 そんな主人の心を少しでも楽にさせられる言葉はないでしょうか? 私の言葉はどうも心に伝わらないらしく、いろいろと話てはみているのですが、改善がみられず、まいっています。 よろしくお願いいたします。

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突然の自死、苦しく辛いです。

内縁の夫が自死しました。 20年余り夫婦の様に生活をしてきました。夫は既婚者でしたが、知り合った時は、別居中でした。 夫は経営していた会社の借金の為、自宅を抵当に入れていたので、奥様から抵当を抜かない限り、離婚はできなと言われ結局離婚出来ないままになりました。 その夫が、先月末に突然自死致しました。 理由が分からず、いつも明るく、優しい人で亡くなる4日前には私の母、娘家族(婿、子供2人)と自宅で夕食会をし、翌日は東京に行きました。(仕事の関係で月の半分は東京に行っていました)翌週の土曜日には花見行こうと約束をしていたのに。 突然朝方4時頃に夫から、お別れのメールが届いていました。 その日は東京に居てるはずでした。 私が気付いたのは朝の9時頃で、そのメールを見てすぐに電話、メールを送りましたが、返事は有りませんでした。 不安で仕方なく、地元の警察に連絡し事情を説明し、確認して頂く様にお願いしましたが、私達は戸籍上親族ではないので、先方(奥様)に確認して対応しますのと事でした。 全くの蚊帳の外で、私達には安否は教えられないとの事でした。 何とか、安否が知りたく、仕事関係や私の分かりうる全てに連絡し、 海に転落し亡くなったと分かりました。 警察では事故と処理されました。 私はメールが送られていたので、事故じゃなく自死だと思っています。 メールには私の事が気がかりだと、すまないと、詫びる言葉がありました。死を選ぶ程の夫の苦悩は何だったのか、呑気に甘え放題で夫の苦しみに気付く事も出来なく、私ってなんてバカなんだろう。 今は朝、目が覚めた時に、夫が居ない現実が一日始まると思うだけで、絶望で胸が張り裂けそうです。なんで私だけ生きているのだろう。 年老いた母にはこれ以上、悲しく辛い思いはさせる事は出来ません。 娘達にも、これ以上の苦しみを与える事は出来ません。 だから、夫の後を追う事は出来ませんが、生きる希望・目的が無く、ただただ一日をやり過ごす無意味な人生になりました。 夫に会いたいです。夫の魂を感じたい。 苦しく辛いです。助けて下さい。 自死の魂はいつまでも苦しむのでしょうか。 写経は徳を積めると聞き、写経の「為」に夫の名前を書いて納めています。少しでも夫の魂が安らかな場所に行ける供養をしたいので 教えてください。遺骨も何もありませんが。

有り難し有り難し 14
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死の淵にいる母の心を救いたい

以前にも相談し、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。 私の母は髄膜腫を患っているのですが、先日医師より余命2〜3ヶ月と告げられました。 父が3年前に60歳で癌で亡くなり、その後家も火事で失くなり…途方に暮れながらも母や姉弟と何とか3年間やってきました。 歳を追うごとに母の病状が悪くなっていき、先が長くないということは理解していたつもりですが…いきなりの医師からの宣告に、目の前が真っ暗になって毎日泣き暮らしています。 母も日々意識が保てなくなっていることに恐怖を抱いているのか、たまに自我がはっきりしているときはひたすら呻き泣いています。 既に動けず、話も出来ませんが、恐らく自身がそう長くないことも感じ取っているようです。 なるべく自我がはっきりしているときには傍にいてあげたいと思い、余命の宣告があってからは毎日病院まで通っているのですが… 母が呻き泣いていても「頑張って元気になって家に帰ろうね。皆で頑張ろうね」としか言ってあげられず… どうしたら母が心穏やかに最期の時を迎えられるのか…私がしてあげられることはありますか? 祖父母も亡くし、父も亡くし、家も失くし、自身ももう10年以上病と闘ってきました。まだ母は64歳です。 いつでも明るく前向きだった母が、痛み苦しみ絶望しながら最期を迎えるなんて余りに酷すぎます。 死の淵で絶望に覆われている母の心を、何とか救ってあげることは出来ないでしょうか。

有り難し有り難し 27
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不確定な未来に対する不安を落ち着かせたい

初めて相談させて頂きます。 来年30歳になるということもあり、ふとこのままで良いのかと漠然とした不安から始まりました。 老後や両親の死後を考え、一人ぼっちになってしまうと婚活を始めたはいいものの、折角会う時間を確保してくれた相手の方に興味が抱けず、そんな自分を嫌悪する日々。 そんな中で悲惨なニュースを朝晩のタイミングで見てしまったこともあり、家族を失ったその姿に自身を重ねてしまい、両親の失った時の瞬間を想像して悲しくてつらくて苦しくて、情緒が不安定になってしまいました。 こんな話、両親にはできません。人はいつか死ぬもので、逃れられないものです。身体の衰えも、私以上に自覚しているはずですし、結婚もしないで家にいる娘を不安に思っているでしょう。 結婚はしないと言い張っていたこともあり、「結婚しろ」とは強く言われていませんが「良い人を見つけられるようにしなさい」と父にそれとなく諭されていた時があります。 兄弟がいないので、両親がいなくなると一人になってしまうから。実家以外に居場所を作ってほしい、友人でもいいから頼れる人を増やしてほしいという気持ちがあったのだろうと死を意識した今ならわかります。 母もできるなら結婚して欲しいという願いはあるけど、無理はしてほしくないと言います。 今は情緒不安定になり涙が止まらなくなり、どんな風に笑っていたのかすらわからなくなってしまい婚活は止めました。親の前で泣くと心配させてしまうから、寝静まった夜、泣く日が増えました。帰宅中の自転車を漕ぎながらぽろぽろ涙が溢れるときもあります。 最近は両親の死の前に、認知症等が起きた場合の介護も必要になるかもしれないんだと気付き不安がさらに強くなってしまいました。 変わらない明日はなく、私も親も日々老化していきます。明日か来年か十年後か二十年後かその時がいつくるかはわかりません。このまま泣き続けても良いことはありません。ですが自分でも制御が難しくて、考えないようにしようとすればするほど逆効果で。このままでは貴重な両親との時間も苦しく感じて無駄にしてしまう気がして怖いのです。 文章もまとまっておらず申し訳ありません。長くなりましたが、不安を感じたときに心を落ち着かせるにはどうすればいいかご教授頂ければと思います。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 11
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息子の将来が不安でたまりません

息子が脳腫瘍を克服し、幼少時から夢だった職にようやく就くことができました。息子は心から歓び、やる気と希望を抱いて入職したのですが、入職後すぐから4ヶ月間過酷なパワハラを受け自殺未遂を起こしました。ずっと辛い思いをしていたことを誰にも言わず我慢していた息子の心中を思うと、苦しくて涙が止まりませんでした。 職場とも相談し改善が得られたことから息子も一度は奮起しましたが、その後は糸が切れたかのように仕事への意欲が無くなっていきました。そばに居て何度も話を聞き息子の傷が癒やされるようにと寄り添いましたが、息子はその後2度家を飛び出し「音楽をやる、関東に行く」と先月突然辞職してしまいました。音楽に興味はありましたが楽譜すらまともに読めない状況で、何を突然と私達も戸惑いました。 根っからの真面目で冷静で優しいだけが取り柄だった息子ですが、まるで人が変わってしまったかのように周りが見えず、今はもう私達の声も届きません。 関東にあてなどありません。しかし「今月中には関東に行く」と、仕事や住居をインターネットで遠隔で探している状況です。収入すら今流行りの広告収入で得るなどど現実味のないことを言っています。 これ以上息子を止めても、また自殺などと良からぬことを考えてしまうのではないかと、強く諭すことも出来ません。 息子なりに変えたいことがあるのではないか、もう息子を信じて行かせてみてはどうか、自分でやってみれば厳しさも身に染みるのではないか…とも思うのですが、私が想像する先には彼が幸せでいる姿が見えないのです。(これも私がそう決めつけているだけなのかもしれませんが…) なぜこうなってしまったんだろう、どうすればよかったんだろう、どうしたら彼を救えるのだろう 半年間毎日思い悩んでいます。

有り難し有り難し 6
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大切な弟の死に押しつぶされそうです

去年の12月、22歳の弟を突然の事故で亡くしました。私自身その二週間後に出産し、8ヶ月になる男の子を育てています。 当時よりも4ヶ月程立った頃から悲しみが酷くなってきています。十二指腸潰瘍にもなりました。 いるはずだった弟の遺影の前で子供といる毎日が辛く、今でも泣いています。 息子の存在は私の生きる理由となっています。でも毎日息子と弟のことばかり考えどんどん自分が消えていきそうです。弟がいない事を自分にわからせるかのように死目を想像したりします。丁寧に生き几帳面な子だったのになぜ。人望があり優しく自分の弟とは思えないくらい、尊敬で自慢の弟でした。生前は好きな人達と自分のしたいことを最後までできたと思いますが、どうして私じゃなく弟なのか。生きてることが辛く申し訳なくなります。 年末、弟が帰ってくるはずだった日に日付が変わった途端陣痛がきました。丸一日耐え、弟が事故にあったのと同じ時間に息子が生まれました。 夜中眠れず一階に降り弟の部屋にあった時計の前に座った瞬間秒針が止まり、弟がいるのだと感じ話しかけました。死に関することは無反応。会えなくても側にいてくれる?と聞いた瞬間に秒針がものすごいスピードで動いたのです。同じことが何度かありました。 泣いていると携帯からいきなり慰めるような音楽が流れたこともありました。 生まれ変わりなどはあまり信じられませんが弟が亡くなってから体験したことのないことが何度か起きていて気になります。 弟は側にいる、いたのでしょうか。 そう思える私もいれば、弟はもうどこにもいない、こっちでの記憶を消さないと仏様になれないと聞いたことがあるので何を信じたらいいのかわかりません。死んでも会えないかもしれないと思うと怖いです。弟がその未知の死をすでに迎えたということが怖いです。 私はこれから生きるのがただ怖いです。 息子をまともに育てられるのか 幸せだった家庭がなくなってしまった 夫への申し訳なさ 母が死んだ時一人取り残される不安 子供と兄弟の写真をSNSに載せている友達をみると羨ましくて虚しくなります。 綺麗な景色を見ても寂しく幸せと思えず 毎日底のない地獄にいるようです。 何もしてあげられなくてごめん いつまでもこんな姉でごめんね 死んでしまった弟の為 残された家族、自分の為に 私はどうやって生きていけば良いのか教えてください…お願いします。

有り難し有り難し 33
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将来の不安と自分と他社の苦しみ

今書いている時点で私の精神は死にかけています。なので質問する内容を簡潔に書きます。 去年の8月下旬にレーシックの手術をしました。理由は興味がありやりたかったという単純なものです。 そして10月の中旬から目の痛み、昼は太陽夜は全ての発光する光(車のライト、蛍光灯など)が眩しくなり、更にはなぜかめが常に充血するようになってしまいました。 最初は異変からそしてどの眼科にみて貰っても分からず、眩しくて外に出れない、目が常に痛い、充血するストレスは計り知れなくわずか発症してから3ヶ月を待たずに仕事が出来なくなり精神が病み、寝たきりになってしまいました。 しかし、寝たきりになっても症状は直らず目が痛い苦痛から父に迷惑をかけていること、一生味わうであろうこの苦痛が耐え難く生活もままならなくなり不安で寝ることも食べることを出来なくなっていきました。 症状はまだあります。しかし、もうこれ以上は書かないことにします。 死にたいです。望むものなら安楽死をして父とお互いに苦しみから解放されたいのです。 母も亡くなり支えてくれるのは父のみです。レーシックは保険適応害のため施設に入ることもできません。将来更に目がいたくなったり失明するなどの可能性を考えると誰かのために頑張って生きることはおろか、ただ生きることも難しく思います。 人間痛みと不安からこうも精神的に死んでしまうのだと深く理解しました。 体は生きていますが精神はもう死にかけています。そして精神が死んでも目の痛み、頭痛、不安は死ぬまで続きます。 ここまで絶望的なことですが何か回答者から声をかけられることはありますでしょうか?私的には闘病生活をしてあとは死ぬ覚悟はせめてしようと思っています。

有り難し有り難し 15
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希死念慮を失くしたい

自殺願望が芽生え始めたのは、記憶では小学4年生頃からです。それは高校3年生頃まで続いていました。 理由は、母のしつけが自分にはとても辛く感じていたためです。(母子家庭)母が仕事から帰ってくると機嫌が悪く、威圧的であったり、嫌味であったり、怒鳴るような叱り方を頻繁にされていました。 大学では一人暮らしで連絡もほとんど取っていなかったので、しつけが辛いと感じることは少なくなりました。その頃から、自殺願望から希死念慮に変わったと思います。 自殺未遂は中3〜高2までリストカット、大学〜2回首吊りを試みています。首吊りの2回は、もう十分人生楽しんだから、嫌なことが起こる前に死のうという気持ちからです。 昔から友人は多く、恋愛も人並みにしていたので、楽しい生活ではあったのですが、どんなに幸せな毎日でも、可能であれば今すぐに死にたいと思い続けています。 特に死にたい理由は思い浮かびませんが、こんなにも恵まれているのに死にたいと思ってしまうのが嫌で死にたい。と思うこともあります。 たまに理由もなく死にたすぎて涙が出ることもあります。 まとまりはありませんが、こんな死にたいLIFEを送っています。ですが、できることなら死にたいと思う気持ちを失くしたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 23
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2023/05/15

希死念慮との付き合い方を教えてください

お坊さん方こんばんわ。 最近希死念慮に襲われています。普通に暮らしているのに急に死にたくなったり、急に不安になったりします。でも何が不安なのか自分でも分かりません…自分でも頭の中で何を考えてるか分からない… 家族や職場では明るく振る舞ったらしてるけど、今家族、職場の人と喋ってるのは本当の自分ではなく偽りの自分のような気がします。 家族にはそんな事を言ったらまた、迷惑をかけてしまいます(過去の悩み等で両親に多大な迷惑をかけています。私の過去の相談を是非みてほしいです) 以前ここで相談したお坊さんから「生者必滅」と言われました。確かにその通り。分かってます。 しかし、ふとした瞬間希死念慮が襲ってきます… なにかアドバイスをください… ちなみに今は希死念慮に襲われた時は、長生きしようとせず、少し先に楽しみ、目標を 達成してから死のうと思うようにしてます。 ◯◯をするまで生きてみようかな〜と言う感じで… 死ぬまでやる事リスト ・もう一回1人旅行をする ・スカイダイビングをする ・親孝行をする ・ワンポインの刺青をいれる(親に死ぬほど怒られそうですがこれが今1番やりたい事) ・永平寺に行く ・5万円以上の募金をする ・遺書を書く ・遺影は決めておく これが私の死ぬまでにやりたい事です。

有り難し有り難し 13
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社会不適合者には死あるのみ

連続投稿ごめんなさい。けれどもう限界です。遺書のつもりで書きます。 幼少期は目立ちたがりで、突飛な行動をしては周囲を困らせ、結局は自分しか見えていない性質によって嫌悪されました。それにより賞賛を求めて更に目立つ為の行動を起こすという悪循環でした。 今でも、自分しか見えていない性質は変わっていません。心の痛みを理由に、この様な勝手な投稿を行なっていることが何よりの証拠です。 院に進めたのも、ただ苦しんでいたことが理由です。苦しんで苦しみ抜く過程を重視し、必要としてくれる特殊な環境によって許されただけです。 しかし社会ではそれは許されません。まともな家族は私の弱さを許しません。そして社会はまともになれない人間を生かす余裕がないので、弱者は淘汰されます。 生きることは辛いけれど、私は身体だけは健康なのでまともな人と同じフィールドで戦うことが要求されます。しかし私にはそこで生き残れるだけの能力も体力ももうありません。でもまともな人から見ればこれは甘えなんだそうです。 現実を見なければ心は保てますが、現実を見ないと生きることが許されません。 私にできることは、こうした弱者の嘆きを積み重ねて凄惨な自殺をし、社会問題になることだけです。こうした大きな問題が起こらなければ社会はその歪みに気づかず、問題になっても結局私にが悪いことになりそうですが。 気力も体力も他人の言葉を受け入れる余裕もない私のような人間に、それでも「生きていていい」と言えますか? 「生きていて欲しい」と言えますか? 心を大事にしてくださるここならまだしも、現実社会ではあり得ません。だからもう死にたいのに、死さえ解放ではないのです。生きていても死んでも苦しいだけ。もう嫌になります。 これからの世界は悪くなるだけです。生まれて来ることは最大の不幸です。永遠に終わらない存在という苦しみから逃れることは出来ず、ただ苦しんで死んで生まれ苦しんで死ぬことの繰り返しがあるだけ。 そもそも、生きることが嫌になった時点で人生終了です。生きていることを喜べなくなっては社会が成り立たないので、みんな気付かないふりをしているだけです。 奨学金も借りていますが、返せる気がしません。30までに正社員になれなかった人間は死ぬしかないらしいですが、そうなりそうです。否、もう死にそうです。私を殺したのは世界です。家族です。まともな人間です。

有り難し有り難し 224
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色んな事に不安になって落ち着いた生活ができません。

最近、自分が色んな事に不安なり過ぎて怠惰になりつつあります。 自分は、専門学校の生徒なのですが不安な事が多すぎて、色んな事から 逃げてしまいます。 おかげで、自分の首はもちろんの事、周りにも迷惑を掛けてしまいます。 よく、ある例は課題です。最初は自信をもって取り組んで居ても、誰かに酷く否定されたりすると、すぐに萎えてしまい完成しないまま、なぁなぁにしてしまいます。今、進級にかかわる課題が2つもあるのにいざ取り組もうとすると怒られたことやうまくいかないのではという不安、もうやりたくないという飽きやめんどくささがどっぷりと出てきて作業する前にネットなんかに逃げてしまいます。 逆にネットをする時は時間も忘れずっとやり続けるのですが、このタイミングでやめようと思っていもやめたくない気持ちが強くなってしまってしまいます。 だが、ふと我に返ると時があるのですがそのたびに(何って、自分は生産性の無いくだらないことに時間を浪費してるのだ)と絶望してしまいます。そのたび死への恐怖や自分のだらしなさへの自己嫌悪がどッと出て不安になってしまいます。 いざ、ネットをやめようと思っても職業柄?(学校の授業的に)ネットを使わないと勉強にならないので使うのですがそのたびに余計なことをしてしまって課題が進みません。 元々自分は、計画を考えるのは凄く好きなのですが計画自体を考える事だけで満足してしまい、実行に移さない事が多々ありました、それどころか実際に実行に移すにってなったとたんに急にめんどくさいとかいろんな負の感情が沢山出てきてやめてしまいます。 なので、考えてるときは凄く楽しいのに実行するとすごく嫌になりやめてしまいます。 最近自分が、こんなに怠惰になったのには理由みたいなのがあります。 私が入学した時は(学校は3年生ですが)色々な事に挑戦して、割とうまくいってました(そのお蔭で、1年して賞を貰ったりとをりと華のある生活だったと思います。)ただ、2年になり色々なレベルが上がった事で、急に事がうまく回らなくなり今では周りから落ちこぼれとして認識されています。ただ、あの時自分も天狗になってたなと思うと同時にうまくいってた仲間の勢いに流されていたと思うので因果応報なのかもしれませんが、そのショックが原因で最近急に物事がうまく動かなくなってしましました。 立ち直るにはどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 5
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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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