死ぬのが怖くて仕方ないんです。 毎日が辛い。 カウンセリングに行っても恐怖が消えない。 未知が怖い。生き続けるのもこわい。 家族がいなくなるの怖い。 寝る時に今寝たと、わからないのと同じと言われても怖い。 天国で永遠に楽しく生き続けると言われても怖い。どうしたら、いいのか。 この恐怖を少しでも減らしたい。 みんなみたいに考えてもしょうがないことは考えないようになりたい。 夜目を閉じるのも怖いんです
子供の頃から家では、虐待、外では、イジメを 受けてきましたが、50代後半の今も 兄と母からの 暴力や暴言を 受け続けています。 少し前から、精神的なものか、身体的なものか わからない 身体の不調に 悩まされています… 先日には、過呼吸を起こしました。 この頃は、たまらなくなってしまい、大声を出したり、あばれてしまうときがあり、 自分がわからなくなりそうで とても 怖いのです… いったい どうしたら良いのでしょうか? このような事は、ご迷惑な 質問でしょうか?
お世話になります。 妊娠30週の頃より妊娠高血圧症候群のため入院しています。 今週の金曜日に36週になること、私の体がそろそろ限界とのことでその日に帝王切開をすることが決まりました。 今までは小さな娘と離れての生活が不安で泣いてばかりでしたがなんとかそこは気持ちの整理がついて来ました。 しかし、不安は次々出てくるものでここまで来ると今度は早産で産んでしまうことの申し訳なさと帝王切開の際になにかあるんじゃないだろうか…と不安になっています。 いつかは産まなきゃならないけど怖くて怖くて仕方がありません。どうすれば良いのでしょうか。。
こんにちは。 私は最近ネットで怖い話をよく読んでいます。 信憑性があるかは分からないのですがそれでも読んでいました。 そんな私でも「読んだら呪われる」という話は基本的に避けてきました。 実際呪われたら嫌だし怖いので見ないようにしていたのですが、読み終わる最後の方で読んだら呪われると書かれていたからです。 過去にもこういう読み物があったのですが実際、読んだり認識した時点で呪われたりすることはあるのでしょうか? 投稿には自分にかかった呪いを分散するかもしれないからと書かれていました。 少し怖いのでお願いします。
今私は大学生をやっています。 大学生活は楽しいことが多いのですが、最近辛いことがかさなり、心が折れそうになってしまいました。 そこで大学の先輩に相談にのって頂いているのですが、最近その先輩が怖くて仕方がありません。 先輩が私に何かしてきたというわけでは決してないんです。でもなぜか怖くなってしまいます。 以前もこのようなことがありました。 相談をした相手のことが急に怖くなるんです。 私は自分のこの感情が苦手です。 わざわざ時間を作って相談を聞いて頂いているのに、こんな感情を抱くのは失礼だと思います。 でも、怖いものは怖いです。 このような感情を抱かないようにするのにはどうしたらよいのでしょうか また、なぜこのような感情を抱いてしまうのかが知りたいです。
はじめまして。人間関係について相談させて頂きます。 子供の頃から、なり替わろうとする人たちにターゲットにされてしまうことが多くて怖いのです。 実際どんな人かと言うと、決まってこのパターンで。 ・私が居る輪にその人が近づいて来る ・最初からまるで親友だったかのようにふるまってくる ・私のマネ(好きなこと・人・言動など)をする ・私以外の友人だけを誘う、私を見下す言動が増える ・しばらくすると友人や周囲の人たちの私への態度がおかしくなってくる ・いつの間にか私は輪の外にいて、その人が私がいた場所に収まっている この人は何かおかしい、と最初の時点で感じてしまうのですが、そんな風に考えるのは自分がおかしいのだ。そう思うようにしていて。 しかし次第にその人の態度が私を見下したり下げたりする言動に変わったり、後に影であることないことを言われていたと知った時はショックでした。 また彼女らには共通点がありました。 それは元からいた彼女たち自身の友人をおざなりにしたり適当にあしらったりすること。 それを指摘されても、自分はちゃんと友人だと思っている、大切にしている、と言うこと。 そして友人たちから愛想をつかされても、自分は友達だと思っていたのに、と泣くところ。 また仲良くなりたいからではなく、その人たちと仲良しに見られる自分が欲しい人たちなのだな、と透けて見えるようになってしまいました。彼女らが近づいてきたときの私は、思えば何か優れていたり、その場所で上の立場にいる人たちが仲良くしてくれていることが多かったのです。 もちろん私にも変わらず仲良くしてくれている友人知人はたくさんいますし、その人たちに感謝して大切にして生きていこうと思っております。 しかし知りたいのは、私はあの時どうするべきだったのか。透けて見えてしまうものを我慢して受け入れるべきだったのか。それとも大人しく離れて正解だったのか。今後そういう人たちにどう対応していけば良いのか。繰り返すのは私が何かしてしまっているのではないか。 そして何より、彼女らが何を考えてそういうことをする人間なのかふしぎでしょうがないのです。人間は知らないものに恐怖を覚えると言います。もし彼女らに共通した心の傷やトラウマがあるようでしたら、まだ恨まずに優しくできると思うのです。 どうかご意見・ご叱咤の程よろしくお願い致します。
はじめて質問させて頂きます。 幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。 hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。 私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。 私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。 この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。 家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。 そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。 まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。 私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。
理由は自分の母親が悲しむ姿を見たくないからです。 母方の祖母は遠い田舎に一人で住んでおり、自宅から祖母の家までは車で約6時間ほどかかります。 大型連休しか帰省出来ないため年に2回、多くて3回、父親は仕事のため母と私の二人で帰省します。 祖父は私の母親が生まれる前に亡くなっており、祖母は一人で家にいることが多いため、私たちが帰省すると嬉しそうにしてくれます。 祖母は90歳、今年卒寿のお祝いをしました。 母親はいつお迎えが来てもおかしくない、覚悟はしている、と言いますが帰省から戻る車の中で泣いていてその姿を見るのが辛かったです。 数年前、友人の祖父が亡くなりおじいちゃん子だった友人は見るに絶えないほどやつれました。 その時から、祖母が亡くなるという事も現実的で近いうちなんだ、と想像するようになり、ふと祖母が亡くなる悲しみ辛さよりも、私は母親が悲しむところを見るほうが悲しく辛いんだと思ってしまいました。 もし私自身、母親が亡くなってしまったらと、そういう事を考えるだけで涙がぼろぼろ出ます。 母親もそういう気持ちになるのではないかと思うと祖母が亡くなるのがより一層怖くなります。 祖母に亡くなって欲しくない、理由は母親が泣いて悲しむところを私は見たくないからと、そういう自己中心的な理由で祖母の健康を願ってよいものなのか。 そんな考えをしてしまう自分が嫌で嫌で、罪悪感を感じます。 祖母には良くしてもらい、良い思い出ばかりなので余計に自分の考えが嫌になります。 私は21歳ですが年齢的には母親離れが出来ていない方だと思います。 そのせいもあり、そういう考え方をしてしまうのだろうかと自問自答しています。 祖母に電話する度、会う度に申し訳なさや後ろめたさでいっぱいになります。 心の持ちよう、考えを改めたいです。 ご助言いただけることがあれば是非ともよろしくお願い致します。
お世話になっております。毎回暖かいご回答を頂き、心から感謝しております。ありがとうございます。 私は日常生活の中で、「今ここに私が存在している」と実感すると、怖いと思うことが頻繁にあります。 どうして今、事実としてここに存在して、世界を五感で感じているのか?と思うと深みに嵌り、宇宙が何故存在するのかわからない事や死、消滅の恐怖と連動してより怖くなります。 今あるものは全ていつか無くなる。その時私はどうなるのでしょう。体も心もバラバラになって、生きていたことも忘れ、家族とも離れ離れになり、今後文字通り永遠に元(私)に戻る事なく、その後どうなるかもわからないなんて、これ以上に怖い事はありません。 それなら、今の私はなんなのでしょう。 私も宇宙も消えてしまうという強烈な事実を前に、恐怖に慄くことしかできません。 存在に関する根源的な疑問が、絶対に解決されない事が怖いです。結局、誰も本当のことは知らないまま、生まれたから生きて、死ななきゃいけないから死ぬ。絶対的な力に翻弄され、絶対に逃げられない。それが、凄く怖いです。 以前、縁起と空についてご教示頂き、大変勉強になりました。本当にありがとうございます。 頭では分かるのですが、どうしても「何故か今存在しそのうち消滅する恐怖」が理屈を上回ってしまいます。 私は、欲を言えば、このような恐怖や不安をなくす事が人生の目標です。勿論、それ以外のやりたい事をやりつつではありますが、死ぬまでに自分なりにこの疑問にケリをつけたいと考えています。 お坊さん方は、このような「生きてしまっている事実」「そのうち消滅する事実」にどんな心持ちで向き合い、どのように自分の気持ちと折り合いをつけているのでしょうか? 私は、具体的に何をすれば怖くなくなるのでしょうか。 また、もし解説として分かりやすい本などございましたら、教えて頂けると嬉しいです。 恐怖に襲われる毎日が、とても辛いです。 お時間ある時で大丈夫ですので、宜しければご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
最近、時間が経つのがとても恐ろしく思います。時が経てばいずれ家族とも死別してしまうし、周りの環境が変わるのがとても怖いです。自分が30、40代になると思うとゾッとします。 それならいっそ学生の時に戻ってそれをずっと繰り返していけたら良いのにと思います。 時間が戻らないのは分かっていますが、どうしても怖くなってしまいます.....
こんにちは。 初めて質問させて頂きます。 社会に出てから、ずっと自分の性格に悩んでいます。 私は素直とよく言われるのですが、それを理由に利用されたり、舐められたり、ストレスの捌け口にされたりします。 以前働いていた職場でも、お局様から虐められ、鬱病を発症し、休職後、退職しました。 そして心機一転し、次の職場で頑張ろうと思い転職したら、前回の職場と同じようにお局様からグルになって陰口を言われたり無視をされたり、男の上司に衣類を盗まれたりして、結局何も言えず一身上の都合で退職しました。 そして今は次の仕事を目指して、学校で勉強中なのですが、そこでもちょっとした陰口を言われ、とても気にしてしまい、人の目線が怖くてキョロキョロしてしまいます。 いつも陰口を言われたり虐められる理由は私が悪いのですが、私の性格の問題なので、直す事も難しく、陰口を言う程出来の悪い私に対して相手のストレスになってしまう事に、いつも申し訳なく思い、自分を責めてしまいます。 虐められる理由は、時には明らかに理不尽な事もありますが、怖くて言い返せず、結局解決しないまま終わり、相手のストレスの捌け口にされるだけで終わってしまいます。 そんな事が何度かあり、今まで解決していない怒りや憎しみが自分の中に溜まって行き、いつもふとした時に思い出してしまい、嫌な気持ちになります。 こんな私の心の弱さはどうすれば直せるのでしょうか。 そして何年も自分の中に溜まった怒りや憎しみはどうやってスッキリさせればいいのでしょうか。 外ではいつも平然としていますが、事があるたびに誰もいない所で泣いたり寝込んだりしてしまいます。 次の仕事が決まってもまた同じ事が起こりそうで怖いです。 長々と読んで頂き、ありがとうございました。 どうかよろしくお願いいたします。
先日、上司からお土産があり数が決まっていたんですが私の勘違いで同僚の分を持って出てしまって戻って来た時には話が大きくなってしまって自分だと言い出せなくて罪悪感で苦しいです。職場で話が出来る人も居なくて、いつも孤立して何とか1日を終えてる状況なので今さら言うのが怖くて、今も辛いし後の事も考えると辛いし眠れない日が続いています。このまま消えたい
物凄い盛況ぶりのなか、くだらない上に、人によっては失礼と感じられるかもしれない質問ですみません…; 私は趣味で漫画を描いていて、お寺に関連するキャラクターもいつか描いてみたいなと思っています。自分なりに色々調べているのですが、あくまで趣味の範囲のものですので、直に取材に行くようなことはなく…この度、快適インターネットでお坊さんに直接聞けるサイトがあるということで思わずおおっ…となってしまいました。 いつもお世話になっているお寺さんのご住職から、祖父が亡くなった時に「今まで好きだった人が亡くなった途端に不浄な存在になるわけないだろう」と言われ、葬儀場に泊まるのをずずいっとされた経験があります。 確かにその通りで、昨日までおじいちゃん死なないで~とか言っていた人が怖い存在になるわけではないと納得はしたのですが、それでも10年たった今でも葬儀場の横を通るのはなんだか怖いし、無人の集合墓地とか、廃病院の感染症病棟の跡とか、かつて生きていた人がいる場所を通るのはちょっと怖いです。だからといって、不浄だから?と聞かれると、不浄とは…?となります。 そこで思うのは、毎日敷地内にお墓がある環境で生活していらっしゃるお坊さんが言う「不浄なもの」って実際は何ですか? お坊さんが怖いものってあるんでしょうか?…不浄なものですか…? また、その「不浄なもの」というのはホラー映画や漫画等に登場するキャラクターの中に存在するのでしょうか? 長くなってしまってすみません。よろしくお願いします。
毎日コロナのことが不安でたまりません。私みたいな人はたくさんいらっしゃると思うのですが。先週風邪をひいたのですがそれ以来コロナではないかと毎日不安です。かかりつけの先生からはただの風邪と言われたのに、それでも不安がなくなりません。人にあうのが怖く、外出することも怖いです。この不安はどうしようもないとはわかっています。終息すると気持ちも落ち着いて来ると思うのですが。その時までどう過ごせばいいのでしょうか。
やりたい仕事か安定した仕事を選ぶのか今とても迷っています。 私はおやつ作ることが好きだったのであわよくばパティシエになったらなぁと思いました。 でも、パティシエは厳しい仕事で本気で努力しないと給料も上がらないのわかってます。 それと、私は障害者です。 周りからは安定した仕事のほうがいいじゃない、夢を諦めるな、など意見がわれています。 仕事となると、やりたい仕事なんてなくて、やりたくもない仕事をずっとやると考えたらこの人生はつまらないなぁと思いました。 好きなことを夢にしてそれを仕事するのは私の努力次第だとわかってます。 でも、私の事を理解して支えてくれたこの環境を離れてだれにも私のことが知らない人いる環境に飛び込むのがとても怖いです。 お坊さんなら安定した仕事、やりたい仕事どれですか?
私は小学生の頃から 希死念慮がありました。 虐待された経験やイジメられた経験があるわけではなく、特にこれといった理由があるわけではないのですが、「死にたい」という気持ちを強く感じていました。 インターネットや書籍などで、 同じように「死にたい」と感じている方の話を拝見すると、皆さま本当に辛い経験をされており、何も理由がないのに「死にたい」と思ってしまう自分が情けなく、「こんな自分が病院に行ったら、本当に鬱病の人たちに申し訳ない。」と思い、誰にも相談できずに生きてきました。 しかし、「死にたい」と思いながら生きていく日常は辛く、苦しく、何とかしてこの「死にたい」という気持ちを無くしたいという一心で、様々な方法を探していました。 どの本にもネットにも「まずは近くの人に相談する」ということが書かれていましたが、「死にたい」と周りに伝えることは怖く、 中々相談できない日々が続いていました。 そんな時に、 様々な出来事が重なり、どうしようもなく死にたくなり、1番近しい人に「死にたい」という気持ちを伝えました。 この人なら絶対に話を聞いてくれる、と思っていましたが、私が「死にたい」という気持ちを伝えると、その話には全く触れず、違う話をし始めました。 「この人にとって、私は死んでも良い人間だったんだ」と思うと、 とても悲しくなりました。 また、1番仲の良い人が、 私が死んでも構わないと思っているこということは、「この世の中に、私に生きていて欲しいと思ってる人は存在しないのだ」と気がつき絶望的な気持ちになりました。 勉強を頑張っても、良い人になっても、明るく振るまっても、愛される人間にはなれませんでした。 この先、何をどう頑張っていけば、自分が必要な人間になれるのかわかりません。 他の人が普通にできている 「生きる」という行為が 私にはひどく難しく感じます。 寝る前に「どうかこのまま目が覚めませんように!」と強く願い、 朝目が覚めて絶望的な気持ちになります。 「死にたい」と思う反面、「死ぬのが怖い」とも思いますが、「死ぬのが怖い」のと同じくらい「生きるのも辛く」どうすれば良いのかわかりません。 (ネット相談を始めて利用しました。気持ちを文章化することで、少し落ち着くことができました。ありがとうございます)
前の質問でも同じような内容で質問させていただきました。 もうすぐ夏休みが終わり、学校が始まるのですが、ここのところ夢見が悪く、この前は寝たまま泣いていました。夢の内容は学校に行っているようでしたが、すごく怖く、苦しい夢でした。 最近は少し外に出るのも怖く、親と買い物に行く程度なら大丈夫なのですが、一人で出かけることは無理に近い状態で、人が多いところは本当に恐ろしいてす。 学校をやめるというのはできないので、楽しいとまではいかなくてもどうにか行くことが苦痛にならない方法、人や学校が怖くなくなる方法などはありませんか。
怖いこと 自分の命が有限なんだと 毎日ふとした時に感じられて 今在る私がいつかバラバラになるのだと思ったら 怖くて怖くて仕方がない。 目の前の現実世界が 崩壊していく様な気がして そうなるとそれ以上耐えられなくて 思考も動作も停止して、 背中が冷たくなるようです。 動物のひた向きに生きる姿は、 尊敬に値するものだと思ってます。 一生懸命生きている、 素晴らしい存在です。 しかし最近、 某福祉施設内で個人的に可愛がっていた老犬が 恐らく病気で死んだことや、 道の途中で事故にあったらしい猫の死体を見たことで、 死というものは誰にも容赦なく 愛しい存在でさえ突然命を奪っていくのだ、という 現実に向き合わされました。 それが翻って、 私にもいつかその番が、と思ったら 怖くなりました。 この世界から、 ある日消えて無くなるという現実が 急に見えたのです。 私は既にいい大人ですが、 昔から体が弱く気も小さく 器量が悪くて会話も下手で、 他人から嫌われて暴言暴力に遭うことも多いので、 明日がくることは恐怖でしかなく、 自殺を考えることも多いのですが。 現実の「死」はあまりに残酷で心で 受け止めることができない。 犬は病気で苦しかったのでは? 猫の遺体は酷い怪我をしていたので、 想像つかないほどの痛みの中で、 亡くなったのかと思うと、 本当に本当にかわいそうで、 そのような「死」が重過ぎるのに、 死の世界は実は日常と隣り合わせであり、 怖いという感情に襲われます。 仏教ではこういう問題には どのように考えますか? いつか必ず死ぬ運命を どのように受け止めたらよいですか? 動物に執着し過ぎるのは 良くないという意見は 人間の都合しか考えてないと思いますので、 ご遠慮頂けますか? 地球上で今もたくさんの家畜が 人間の為に犠牲になっていると思うと 暗澹たる気持ちになります。
こんにちわ。 私は昔から怖がりで、両親などが起こっていたりどなったりしていると、怖くて仕方ありませんでした。 いわゆる小心者です。 なので、先日はれて自動車免許をとったのですが、運転していて怖いひとに絡まれたり、クラクションを鳴らされたらどうしよう・・・と考え、怖くてなりません。 そうでなくても、夜中に外出したり、コンビニの前にヤンキー(?)っぽい人が溜まっていると、怖くてはいれず、勇気をだしても心臓がドキドキします。 やくざや不良にたかられたり、ひどければ殺されたりする一般人もいる世の中ですが、それを過剰に考え続けてしまいます。 こんなびびりな性格をなおしたく、大声を出す練習をしてみたり、ちょっと、格闘技をかじったりしてみましたが、一向に変化ありません。 むしろ自分よりもずっと強い人がうろうろしているのかと思い、余計に怖気づいてしまいます。 そんなことばかり考えていると、ついつい、引きこもりがちになってしまいます。 心配性が過ぎるのですが、こんな私が、ふつうの人のようにさして気にせず行動できるようになるには、どんな心構えをもてば良いのでしょう??
私は32歳会社員です。先日無職の夫(28歳)に怖いと言われ、別居を考えています。子供はいません。 私の夫はオーストラリア人です。とても心が優しく、どんな時も他人を優先し、人の顔色を伺ったり、優しく出来る人です。 昨年の2月から無職になり約一年。オンラインでゲーム実況を始め、それと家事をある程度してもらっています。収入はありません。 もともと、支払いは全て折半しお互いの給与から出し合ってました。しかし彼の貯金も底をつき今では私の給与のみが頼りです。今後の事を相談したところ、僕はもう働く自信がないし、新しい場所で働くことが辛いと言われました。 更に、私の事が怖くてオーストラリアに帰りたいと…金銭的には支えてもらっているが精神的に辛いと。。。 今まで一生懸命やってきたつもりでしたが、間違っていたんだと思います。 ずっと何で彼は働いてくれないんだろう、なんで頑張ってくれないんだろうと思ってました。そのため、怒ったりしたことが何度かあります。 ただ私も心が限界です。今まで一緒に暮らすためにと思って働いてきました。もしここで関係を修復させたとしても、私は無職で好きなことだけをやっている旦那を受け入れられるのか…分かりません。金銭的にもかなり辛いですし、自分ばかりが頑張っているような気がして、辛いです。また大好きな彼に怖いと言われたことが怖くなってしまい、夫びにどうやって接したらよいか…辛いです。 無職の旦那に対しどのような心で接すれば良いのか教えてください。