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hasunoha 問答検索結果 : 「 死後 」
検索結果: 1332件

何をしても楽しくない

身内をなくして以降何をしても楽しくなくなりました。楽しいことは一瞬、悲しみは永遠です。1度しかない人生、楽しく生きれたら誰でもいいにこしたことありませんがそうもいかないのが人生。それでも皆、折り合いをつけ趣味にうちこんだりして楽しみをみつけ楽しんでます。 趣味はありますがどれも一人でできることばかりで楽しめはしてもその時だけで持続性がありません。翌日になればまたつまらない気持ちになり楽しかった前日を振り返れません。 身内をなくすまではそうではありませんでした、楽しかったことを振り返れたりお土産などがあれば眺めたりしてましたが今は何か買ってきても袋のまま放置かすぐ棚にいれておわりで思い出してみることはありません。何かだした際についでにみる程度の興味で、買いたいから買った物もそんな扱いで棚みる度、所詮ものは物で私の死後はただのゴミだしと。 周りをみれば皆楽しそうに話したり笑ったりしてます。そういう仲間が誰もいません、年中一人、どこへいくのも何するのも一人。気楽でいいですが全て自分の中だけでおわってしまうので今は何も楽しくありません。 一人の時間が長すぎるのもあるかもしれませんが気のあう仲間がいないならわざわざあわない人といる必要もないので人間関係の煩わしさはなくてすみますが。周りは既婚者と自分よりかなり年上の人たちばかりでちょうどよくあう世代の人たちがいません。サークルも探しましたが継続となるとそこまで興味あるものがなく1つだけ続けてるものは周りが皆おばさん世代ばかりで話があわないとわかったので話には参加せず活動のみの参加です。 人生が全く思い描いたものと違う最悪な人生だから何をしても楽しくないのは当然かもしれないですね、思い通りでなくても少しは希望や願いを叶えた人生ならいいけど全然そうではないので何でこんな人生なんだろうかと。 これからやり直す気力はもう残ってないのでこのままどうにかせめて病気せず生きてくしかないような気がします。能力の限界がみえてるのに頑張っても仕方ないとしか思えません。何かできる才能でもあればよかったですが何もないので。脳科学者が誰も取り柄のない人はいないと言ってましたが自分に何か取り柄があるとは思えず自分にダメだししておわってます。自画自賛できる人が羨ましいです。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3
2024/08/21

不倫の後悔、自死について

お世話になります、自身の不倫から妻に離婚したいと言われた事についてご相談よろしくお願い申し上げます。 2ヶ月程前に不倫を妻に悟られ、不倫期間の3ヶ月分を全て詳細に正直に話しました。 携帯番号の変更やGPSの把握、15分おきのタイマーをセットし居場所の写真をLINEで送り、通勤ルートも不倫相手と万が一接触しないように変更しながらこの2ヶ月を過ごしてきました。 妻をもう一度幸せにする事、自身の反省と後悔を毎日毎日思いながら、生きてきました。 それでも当たり前のように妻のフラッシュバックは多々あり、 怒りの日、悲しみの日を繰り返して、その都度、受け止め謝罪をし、 妻が笑顔になる日はいつもこちらがうれしくて 、妻の笑顔ひとつでこんなに涙が出て嬉しいと思える毎日を過ごしていました。 不倫相手と行った店、ホテル、不倫相手と行った行動全てを話し、そこに妻と行くつもりで全て上書きしようと2人で話しました。 妻は気丈に毎日、家事にパートに病んだ心の中で生活しているのに、 私自身の反省、後悔が日に日に多くなり私自身の方が自業自得で自分勝手にメンタルを崩してしまい、 朝から涙して仕事に行き妻に送るラインの返信の有無や既読の有無に一喜一憂してしてしまった事や、自身が存在しなければ妻はもう悲しまないと自殺の真似事をしてみたり、 逆に妻にフォローされながら過ごしてきました。 この時点で妻が苦しい気持ちを吐き出す事を、私に気遣い、言わないよう、封じこめてしまってたと思います。 でも妻が1番望んでいた不倫相手との面会や誓約書を望んでいたのに 私自身が、もう会いたくなく、ましてや妻と3人での話し会いは行ないたくなく、 先延ばし、その話題を避けて逃げてあました。 さらに不倫発覚後、AGAの薬を内緒で注文し、不倫相手に使用していた勃起薬を、妻の希望で注文したのにもかかわらず自身がもう見たくない為に、届いていた事を黙っていたりを小出しに発覚してついに信用がまた自分自身の弱さで崩してしまい、妻は激怒し、離婚を言われました。 不倫の後悔、離婚、自死の事に思考を 全て使い、どうしようもなく相談させていただき、自業自得なのに離婚が受け入れられず、妻のいない世界は生きたくなく 自死した場合、死後の世界でも後悔と反省は続けて、許されるならば妻を見守り妻の幸せを願えるのでしょうか?

有り難し有り難し 37
回答数回答 2
2024/03/11

2023年9月以前の関係に戻りたい

結婚して22年。去年10月に結婚して初めての大喧嘩をしました。 夫は私に謝りましたが以前のような関係は壊れました。 夫は休みの日は自室にこもり出て来ません。夫が独り言の様に「俺ばかり損をしている。」と言ったので私から誘い少しでも夫が楽しめる様にと外出しました。 それから舅の事などで地域包括支援センターの方と合ったりしました。がその日程調整等も全く動こうとしない夫を説得してやっと舅(97歳)は地域包括支援センターと繋がる事となりました。正直夫は父親の死後の事しか考えておらず私は諸々の雑事にイライラしています。 私が病で苦しんでいた時に毎日背中をさすってくれた夫は今はもう別人です。 先日夫に「私の事、好き?嫌い?眼中にない?」と聞いてみました。夫は「好き」と言いましたが。私は夫婦の老後資金の事や子供がいない夫婦がどの様に生きて死を迎えるのが良いのか等を考えています。そしてFP相談の予約もしました。夫は何の根拠も無く「大丈夫に決まっている。」と言いますが夫のそういう所が私を不安にします。私の友人からは「旦那さんは5歳児と同じだね。」と言われました。確かにそう思います。夫が聞きたくない事を私が話すと怒る。 私は不安で一杯です。夫ときちんと話したい事があっても無責任な夫は話そうとしません。私は不安で悲しくなるばかりです。夫の一族は全員「ケセラセラ」です。外から嫁いだお嫁さんは皆、事故や病で早逝しています。 私は安心して前向きに生きていきたいです。どうすれば良いでしょうか。離婚は考えてはいません。行く所がないからです。パートの仕事も65歳で定年です。本当に死にたいくらい辛いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

死んだあとはどうなるかについて

私は子供の頃から常々死にたいと思っています。 理由として1番は未成年時代ずっといじめに合い、家族は助けてくれず耐えるしかありませんでした。 耐え難い出来事が数えきれないほどありましたが、過呼吸を起こすほど父から怒鳴られ、母は父の肩を持ち、私は進学も就職も許されず、絶縁するためにダブルワークを始め、結果突発性難聴を発症しました。発症してからずっと絶望感に包まれて病院の窓から自殺してやろうかと何度も思いましたが、自殺したあと何が待ち受けてるのかわからずやめました。 神は越えられない壁は用意しないと聞いたことがあります。 自分の人生を振り返ると、とてもそうとは思えません。 自分の状況に加えて増税、年金納付の延長、物価の上昇など、生活していくうえでも生きていけるとは思えません。 何年か前に、市内で有名な霊能者?の方にみていただく機会があり、私の人生は今世で83回めで、人は皆与えられた課題をこなして神になると教えてもらいました。 果たしてこれは本当なのでしょうか? 明らかに越えられない壁をいくつも建てられ、それを試練の一言で済ませ、最終的に皆神になるのでしょうか? そして自殺した人は筒状の大きなダムみたいなものの最下層に送られているようですが、それも本当か疑問です。 霊能者の方が言うには自殺された有名人の方は神に呼ばれたからと言ってましたが、じゃあ苦しい状況がずっと続いてる人は皆神に呼ばれているってことなんでしょうか? 近年自殺者の人数も増加傾向にあると思います。そしたらダムの下層は人でいっぱいになってないでしょうか? 死んだあとどうなるかがわからず今まで自殺していませんでしたが、最近はもう死んでもいいんじゃないか?この歳までよく私は耐えたもの、と思っております。 ただ、死後どうなるかだけが気がかりで無意味に生きているだけです。 私より年上の方はいくらでもいますし、その人達から比べればまだ若いとか言うほどの人生ではないと思われるかもしれませんが、幼少期から小中高いじめにあい、両親から否定され入院続き、もちろん私と同じ状況でも前向きな方やもっと凄惨な経験をされた方はいると思いますが、これは私の人生なので、他人と比較する気はありません。 長くなってしまいましたが、ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

ものの捉え方

おはようございます 朝からお疲れ様です。 私は幼い頃両親からごくごく軽度の性的暴行や虐待を受けていました。 今でも私の人格や感情、存在を否定することは日常茶飯事であり高い理想を求められています。 そしてプロフィールのこともあり、心が疲弊してきてしまいました。 ただ、両親以外の人間には恵まれていたようで、友人や恩師にすがりつつ日々を暮らしています。自決せずに済んだのは、彼らのおかげだと心から感謝しています。 色々考えを巡らすうち、 価値観は多様であり正義が悪であることもしばしば。 「正しい・間違い」「意味・価値」「感情」などは全て人間の「主観」であり人間が死にたえれば消えるもの。 そして人間とは宇宙から見れば星と星がスリ合えば消える存在で、その宇宙もただ存在するのみ。 ともすれば「主観」や生き物の命はもとから有ってないような微々たるもので、等しく意味は無くただそこに在るだけ、と思うようになりました。 本当のことは分かりませんが、死後は私の意識だけが残り、この美しい宇宙を自由に味わえればいいな、と期待しては待ちわびています。 種の存続や繁栄、記憶の継承が今多くの人間の目的なのでしょうが、興味がないので、心地よく生き、満足する状況で死を迎える準備をするために何が必要か考えればよい。社会には馴染むくらいでいい。 だから私は両親の期待全てに応えなくてもよいし、両親の対応に思いなやまなくてもいい。いつかは私が働きかけなくても消えてしまうものだから。 こちらに不都合がある、または効率よく物事を進めるときに必要であれば従順に振る舞うだけでいい。 と思うようになりました。 心が軽くなり、いっそう世界が美しく感じられました。 しかし、軽くはなりましたが、駄々をこねる幼稚で高圧的な両親へのやるせない気持ち、周りの人に親の代わりをさせてしまうことへの申し訳なさ、両親へ風俗のように媚を売らなければ外にも行けない状況は依然として残り、晴れやかとまではいきません。 感情を受け入れ昇華するのには時間がかかるものだから今はそんなもんなのでしょうか? この考え方で良いのでしょうか? よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1