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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 悲しい」
検索結果: 1593件

父の死 後悔ばかりです

先日父が70歳で急死しました。 亡くなってから1ヶ月ほど経ちましたが毎日苦しいです。 私の判断ミスで亡くなったんじゃないかと後悔しています。(時間の都合であまり評判の良くない病院に連れて行ってしまいました) また、生前も、私は自分の事で精一杯で父の事を気にかけてあげなかったと今になって後悔しています。 父の借金を知りながら助けなかった事が後悔ですごく苦しいです。 借金はパチンコで出来たものだと思いますが、事情があって5年程前に私だけが知ってしまいました。 その後兄に相談したものの自分は直接父に言われていないからと特に動いてはくれませんでした。 母には言えませんでした。昔から父にはお金で苦労させられたようなので、言ったらショックで家庭崩壊していまうんじゃないかと思いました。 私はお金がなく助けませんでした。 でも、お金がない理由が、仕事と病気(強迫性障害)のストレスで外食費や服飾費等に給料を全部使っていたからです。 リボ払いもしていました。 さらに、車の購入費や車検費用が払えず、母に援助してもらっていました。 父は持病があり通院していましたが、最近症状が酷くなっていたようなので、もしかしたらもっと違う治療がしたかったかもしれませんが、私が母に金銭的に迷惑をかけていたばかりに、母に言えなかったのではないかと思います。 借金の負い目があるからなおさら言えなかったのではないかと。 今になって色々分かったから言える事かもしれませんが、高齢だと新たに借りる事は出来ないんだから、私が何とか工面して今ある借金は精算してあげて、借金というストレスをなくしてあげれば良かった。 今思うと、はっきりと助けてとは言われてないですがSOSがあったような気もします。 亡くなる何ヵ月か前に、1万円貸してと言われて貸し後日返ってきたり、俺に投資しないかと言われたり、その時にもっときちんと話をすれば良かった。 でも、亡くなるまで私は自分の事で精一杯で気づけませんでした。 浅はかでした。 母にすべてを話し謝りました。 お前は悪くないと言ってくれましたが、本心では違うんじゃないかと思ってしまいます。 美味しい物を食べても、好きだった服や雑貨を見ても、これらを欲求のまま買ったばかりに父や母に辛い思いをさせてしまったと思うと何も楽しめなくなりました。 私はどうしたらいいでしょうか?

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愛憎と生と死

お世話になります 現在、きっと感情がぐちゃぐちゃになっています。 最近フラッシュバックが時々起こり、虐待されていた瞬間が点滅するように脳に蘇ります。 仕事中でも家事をしていても、寝る寸前でも。 恐怖が、とにかく恐怖が頭の中を覆って叫び出したくなります。愛されなかった子供の頃の自分が甲高い悲鳴を上げてフラッシュバックの中を逃げ回って、気が触れそうになります。 フラッシュバックから何とか戻ったら、恐怖から憎しみに感情が変わり、父親も味方である姉も知り合いも道行く見知らぬ人もすべてが憎くなります。 時には声に出して呪います。「死ね、死ね」と何度も。でもそのうちに死んでほしいのは自分だと気付くのです。愛されなかった自分が許せないのです。賢くなかった自分が、若くして死んだもう一人の姉のかわりになれず父親を満たせなかった役立たずな自分が、憎くて憎くて、大嫌いです。 せっかく生まれてきたのにこんな風に自分を責め続ける人生とはなんでしょうか。いっそ死にたい。でも死ぬ前に一度でいいから父親に愛されて、生きてて良かったと感じたい。 もう父親に会うことは絶対に無いのですが、父親に対する憎悪と同じくらい父親からの愛に飢えているのです。 こんな惨めな人生は嫌だ。幸せというものを理解したい。 死にたくて、生きたい。 瞑想時の呼吸法で落ち着こうとするのですが、感情がジェットコースターのように急速に急回転してうまくいきません。 憎しみとはなんでしょう。愛とはなんでしょう。 死にたいと生きたい、どちらが本当の気持ちなのでしょうか。 めちゃくちゃな文章で申し訳ございません。

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孤独死、亡くなられた方の尊厳について

昨日、私の隣のお部屋の方がご病気か老衰によりお亡くなりになられました。 私は家賃7万弱の古いアパートに事務所を構えております。 お隣の方は「千葉」さんと言う物腰の柔らかい高齢の男性です。 死後1週間の発見だそうです。 こちらが簡単にはなりますが状況になります。 改めてご相談をさせて頂きます。 友人知人によると隣の部屋なら大家さんに言えば家賃は下がると言われました。 私は商売をしておりますので経費は下げられるのもならば下げたいと考えております。 但しそれをしてしまうと亡くなられた千葉さんが最終的に大家さんや私に迷惑をかけている事になるのではないかな?っと考えてしまいました。 千葉さんの生き方にケチを付けているようでなんだか申し訳ない思いもありますし、亡くなられた後にこのような行いをするのは人として如何なものなのかなっと。 まとめるとこんな形です。 ①経費削減の為に家賃は安く抑えたい。 ②亡くなられた方の尊厳も守りたい(とても好きな方でしたので) 人の死によって家賃を下げると言うのはいかがなものかと考えております。 自分なりに今までのままで良いのではないかなと分かっている所もありますが、お坊さんのお話が聞きたくて相談させて頂きました。先程友人には1万位下がれば良い方だから、もし亡くなった方を思うなら成仏を祈ってあげた方が良いんじゃないかな?その方が商売も上手くいくよ!っと気持ちよく言われました。まさにその通りだと思いました。 その方が良いですよね。 なんだか答えがわかっている変な相談ですみません。 お坊さんの意見も聞きたくて・・・お時間有りましたら宜しくお願いします

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母の死。こんなに辛く苦しいものなんて‥

母が亡くなって三七日となりました。 日毎に寂しさがつのり、この寂しさや悲しみがいつまで続くのかと困っています。 情けないのですが、朝起きた瞬間から母の不在が悲しく、夜も途中で目が覚めて不安です。 私たち親子は親友のような同志のような親子で、私が結婚してからも近くに住み、毎日の様に顔を合わせていました。 父の看取りの時、父の死後の母の生活の支えや私の子供の育児、母の闘病生活などいつも母と二人で頑張ってきました。 私が子供を生んだ15年前からは育児や家事も手伝ってくれ、5年前に病気を患ってからも「いつかは〇〇ちゃんにお世話になる時がくるから、元気な時は少しでも手伝ってあげたい。元気なうちに身体を使って〇〇ちゃんにお返ししてるよ。」と言って、私が仕事に出ている間にいつもうちに来て、洗濯をしたり、掃除をしてくれ、孫の帰りを楽しみにしてくれていました。 闘病生活中も辛い治療にも弱音をはかず、「苦労ばかりやったけど、今が一番幸せ。こんな病気になっても今が一番幸せやねん。ひ孫を見るまで頑張る。」と強く前向きに生きていました。そんな母を励まして支えてあげることが、私の生きがいの一つだったような気がします。 2月迄は元気で自転車にも乗れていたのに、3月に救急搬送され、4月20日に亡くなりました。病床で「もう一回家に帰って、ママのお手伝いをして△△ちゃんが学校から帰るのをお帰りって迎えてあげたい。おばあちゃんはそれが幸せやねん。今度はお婆ちゃんが△△ちゃんの子供に産まれるから可愛がってな。」と孫である私の息子に話していたそうです。 一度は峠を越え持ち直し、2週間頑張ってくれました。コロナで面会制限がされている中、付き添い許可を出して頂き、私と最愛の孫、母の妹が看取りまで一緒に過ごせたのですが、母は家に帰ることを夢見ていたのに、連れて帰ってあげることができなかったことが悔やまれてなりません。 生きることを諦めなかった母に死が近いことを気づかせたくなくて、最後まで希望を持たせてあげたくて、感謝の気持ちや家に帰らせてあげれなかったことを謝れませんでした。 そんな最後の入院中のことや家の中でも街の中でも母の姿が思い出され寂しくて悲しくて。 毎日仏壇に手を合わせて、母に話しかけています。母に気持ちは伝わっていますか? 遺骨はうちにご安置しました。母は今、私や孫の側で一緒に過ごせていますか?

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2024/07/21

15年来の友人の死について

7月20日に友人が突然死しました。 気持ちの折り合いがつきません。 19日に友人とお茶をしたのが最後となりました。 あの時体調が良くないと言っていた友人を襟首掴んで病院に連れて行っていたら、あの日の夜息苦しいと言っていた友人宅に勝手に救急車呼べば、窓ガラス割ってでも室内に入っていたらと自分を責めてしまいます。なんで躊躇ったのか、どうしてできなかったのか、合鍵がないからといって家族に先に連絡しないで私が警察を呼べばよかったのに、苦しいと連絡があった時に終電があったんだから家に押しかければよかったのに。 躊躇わなければまだまだ楽しい時間を彼女は過ごせたはずでした。 街中を歩いても一緒に行ったカフェや次に遊ぶ時行ってみようと言っていたレストランを見ると「自分が彼女の人生の時間を台無しにした」と思ってしまって潰されそうになります。もしかしたらもう潰れているかもしれません。 友人を亡くしたのは初めてです。どうしたら心に折り合いを付けられるか全く分かりません。ご家族からは「貴方のせいじゃない、自分を責めないで」と言われましたが出来たことはあったのにやれていない自分が許せないです。

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愛犬の死 愛犬と家族に申し訳ない

2日前に愛犬のそらを11才7カ月で亡くしました。 癌が進行し抗がん剤治療を始めたばかりでした。 2ヶ月前、子供がシコリを見つけた時すぐに病院に連れて行ってあげずに後悔してもしきれない気持ちだったのに、同じ過ちを犯し死を早めてしまいました。 抗がん剤治療で、病院の先生に食欲が無くなったらすぐに病院に連れてくるように言われたにもかかわらず、御飯を食べなかったのにお肉を少し食べたから大丈夫かなと思いすぐに病院に連れて行ってあげませんでした。 翌日私が仕事中に、調子が凄く悪くなったからと病院に家族が連れて行ってくれました。 仕事から帰ると注射をしてもらって帰ってきたそらはとてもつらそうでしたが2~3時間すれば調子が良くなるかもということだったので安心してしまいました。 少しして先生から電話があり、入院して点滴をした方が良いけど先生も夜中は病院に居ないので最悪そらが独りで亡くなる可能性もあるとのお話しでした。 そらを独りで死なせるのはつらかったのもありますがまだ大丈夫だという思いと、毎日どんどん衰弱してつらそうにしているそらの為には、もし今日家で亡くなってもそらの為に良いのではないかという思いで入院はしない判断をしました。 しかしそれから調子が良くなる事はなく3時間半後に天国に旅立ちました。 居なくなってもう取り返しのつかない自分の馬鹿な判断に後悔しかありません。 ずっと一緒に過ごしてきた3人の子供達も、とても悲しんでいるのを見て、先生から電話を頂いた時に子供達にも入院させるか相談するべきだったと後悔しています。 あんなに大好きだったそらの寿命を全て私の判断で短くしてしまいました。 そらにも子供達にも申し訳ない気持ちでどうしたら良いかわかりません。 また居なくなって、今更もう二度と会えないんだと実感が湧いてきて悲しくてたまりません。 いつでも私のことを大好きでいてくれた、最後までお利口さんだったそらに申し訳ないです。 早く私もそらに会いに行きたいです。 これからどういう心持ちで生きていけば良いのでしょうか? 子供達の為にできることはあるでしょうか?

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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

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母の死を乗り越えられません。苦しくて苦しくて耐えられません。

私は、脳卒中の後遺症のある母と一緒に住み、仕事の打ち合わせに出る以外、毎日母の介護をしておりました。 その母が体調を崩して入院し、合併症で長期入院してましたが、良くなってきておりました。 ですが、新たな合併症を併発してしまい、突然亡くなってしまいました。 いっぱい苦労かけさせてしまいましたので、後十年生きて欲しかったんです。そんな願いも、叶わぬ願いだったことが悲しいし悔しくて。 二十一日参りが良いと聞いて、毎日神社参拝続けましたが、結局このような結果となり、胸が張り裂けそうです。 後追いまで考えそうですし、生きる気力がないし、生きる意味がないと思えてなりません。 この苦しみから抜け出す方法を考えると、おのずと自殺の結論に至ってしまいます。喪失感と絶望感だけが残りました。 お袋一筋で介護してきた結果、こんな結末を迎えるなんて、ひどすぎます。 お袋を見ると、思い出が走馬灯の様に思いだし、咽びなく自分がいます。 母が亡くなったことを受け入れらくて、この苦しみが耐えられなくて、死ぬことばかり考えてます。 私は、どうすれはこの苦しみから抜け出せるのでしょうか。お助けください。

有り難し有り難し 213
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