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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる意味 」
検索結果: 6359件

毒親のせいで自分に自信が持てません

私は二十半ばの女性ですが、未だに自分に自信が持てません。 というのも、私の母がいわゆる毒親に近い人間だったためです。 母は気に入らないとヒステリックに叫び続け、気分が良いと鬱陶しいほどに構いたがる人です。 もちろん母にも良いところはありますし、シングルマザーながら家庭を支えようと頑張った結果、ストレスで当たってしまっていたのだと今ならわかります。 ですが「自分がこの家で一番偉いのだから従え」「偉そうな口をきくな」「誰が育ててやったと思ってる」「お前なんか犬以下だ」などと言われると、とても悲しくなります。憎くて恨んだこともあります。 母が気に入らない行動をする私は必ず否定され、そのため小学生から高校生までは必死に母に媚びてきました。 母に膝枕を要求されればしましたし、愚痴はどんなに疲れてても聞きました。頑張って甘やかしてきました。母が母親をやりたいときは甘えてあげました。 おかげで自分自身というものが未だによくわからず、自信が持てず、母に依存しきりの状態です。 大学に入り友人の話しを聞く内に、うちの家庭が変だとようやく気づき、それから色々調べ、毒親や共依存というものを知りました。 母が私個人を認めてくれれば自信が持てるかと、話し合いをしようとしたことも何度かありましたが、全て「あんたと話すと面倒だし疲れるから嫌だ」と断られました。 理解が得られないならと、最近になって一人暮らしを始められましたが、母が一人では可哀想、母に悪いという思いを薄めるのに5年もかかりました。 かといって、5年で自信が回復したかというと、そうでもありません。少しずつ成功体験を重ねれば良いと知り、色々試したのですが自信に繋がっている実感がわきません。 母はなんでもテキパキこなさなければならない、できなければ「なんでこの程度のこともできないんだ」という人間だったので、できて当然という思いがあるのも原因かと思います。 そういった理由で自信が持てず、結果人の顔色ばかりをうかがい、ことある毎に自分を否定してきましたが、それも段々疲れてきました。 一人で色々試すにも限界があるので、何かいい方法があれば、お教えいただければ幸いです。 なんだか、文章がまとまらず長文になり、申し訳ありません。宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 47
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人と自分を比べてしまいます

私はほとんどの能力が人より劣っています。読解力も理解力も低く、忘れっぽい。運動能力の低さで負ける気はしないし、不器用で社交が苦手です。 しかし、持ってないながらも何か得意なものがあれば、それを伸ばそうと、少しずつ頑張りました。結果、絵とピアノの技術ではほとんどの人に負けなくなりました。プロの世界となれば下の方ですが、それでも、一般の中で「あの子はダメダメだけど絵とピアノがすごい」という評価をいただくことが出来るようになったのはとても嬉しいです。 性能の低い私ですが、性能が低くても、自分のことは好きです。精神障害がありますが、寛解し、最近は自身の選択や人生を受け入れることが出来るようになりました。 ですが、どうしても、他人と比べてしまいます。前より前向きに生きられるようになったのは良いのですが、「あの子は勉強が出来ていいな」、「あの子は運動が出来ていいな」、「あの子は人気者でいいな」…と、考えてしまいます。ないものねだりをしています。そして、嫉妬し、強烈な劣等感に苛まれます。 とても苦しいし、誰かと自分を比べるのは人にも自分にも失礼だと思うので、やめたいのですが、気付いたら比較してしまっていて、どうすれば良いのか分からない状態です。 私は苦しみから逃れたいです。僭越ながら、何かアドバイスをしていただきたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 23
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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 15
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人との関わり方

日々人と関わるにあたり、自分の認識している「相手」というものは実在しないものであり、相手への知覚も全て自己より起因しているという考えをしています。 そのように人と関わると、人の行動全てに対して批判的な考えを持たずに済み、人のことをどう自分が考えてもそれは取るに足らないことで相手自身とは一切関係のないところにあると考えることが出来て無駄に相手を悪く思わずに済みます。 なにを起因にそう言った考えをするようになったかは忘れましたが、以前は人に怒ったりこうしてほしいという希望を持っていました。 今の考え方には先述のような良い点がありはします。しかし、以前のように相手に対して葛藤を感じていた頃のほうが人との距離を近く取れているような、暖かい人間だったような気がします。 相手の全てを受容しているつもりでいる今の方が、当たり前のようにも思いますが、孤独です。 私は人を批判しない考えに変わった時前進したと思っていましたが、それは違うのでしょうか。 そもそも、人の考え方には前進も後退もないのでしょうか。 そして、世界から孤独と争いを同時に無くすのは困難なのか、と自分の経験から考えましたが、そう言う面はあるのでしょうか。

有り難し有り難し 16
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生きることが嫌になってしまった

こんにちは。初めて投稿します。拙い文章ですが、お許し下さい。 私は今、自殺を考えています。 生きる気力がもうありません。 小さな頃は優しい両親や兄に囲まれて、幸せでした。 しかし、祖父母の介護が始まってから家庭が荒れていきました。 父は仕事に逃げるようになり、兄は非行にはしりました。 母は自己中心的な性格になり「優しさ」を強要するようになりました。気づいたときには、家庭に見えない壁が出来ていました。 私は元のような家族に戻ってほしいと思いました。 揉め事が起こっても、間を取り持とうとし、出来るだけ「良い子」であろうとしました。 数年後、介護は落ち着き、兄は自立しましたが、見えない壁は今でも感じます。 今、私は自身の将来を考え、進路を決めなければならない年齢です。 自分のやりたい事の為に、それが学べる学校に進学したい旨を両親に伝えましたが、否定されてしまいました。酷い暴言も吐かれました。 両親はある職業になる以外、許してくれません。 彼らは私が自分たちの思い通りになる「良い子」でなければ認めてくれない、ということに気づいてしまいました。 私が今まで「良い子」であったのは、両親に喜んで欲しかっただけなのです。 決していいなりになりたかった訳ではありません。 もう、家族を愛することが出来ません。彼らの苦労を知っているため、憎むことすら出来ません。 夢も失い、これまでの経験から誰かと家庭を築きたいとも思いません。 ずっとあの時死んでおけば良かったという思いが消えません。 これから先も、きっとそうです。 死ぬことが最後の希望のように思えます。 死ぬことを想像すると、これ以上苦しまなくていいという幸せな気持ちが沸き上がります。 ひとつだけ心残りがあるとすれば、自分の自殺によって、親友の人生に影が差すのではないかということです。 彼女は私が出会った人の中で、一番素晴らしい人です。 自殺したことが彼女に知られないように誰もいない所で死ぬつもりです。 万が一知られても、私の事など忘れて幸せになって欲しいと思っています。

有り難し有り難し 42
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輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 38
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人間関係の悩みから脱しれますか?

私は小学生の頃から 仲間はずれにされたり陰口をたたかれたりの繰り返しです..年頃になった時には自殺も考え リストカットしたり色々やってしまいリストカットした傷痕が今でも 残ってます。中3の時の教師(学校)のエゴで高校行くには行ったものの 人間関係で悩み 高2の夏に自主退学しました..今でも 話の合う人が見つかっても自然と距離をおかれたりと今でも理由わからず悶々とした日々を 過ごしています..中2と小6のふたりの娘がいて長女が小学中学年の頃からvalley選手なりたいと夢を話すようになったので valleyの小学生チームに加入しましたそこでも初めは良かったのですがだんだんママさん集団の中に入れなくなりわたしが何かした?と思いながら一昨年の長女卒部の時を迎えました次女も同チーム入ってたのですが長女が卒部と同時に次女から辞めたいと..その時 何故か 救われた気がしましたがこの4月 次女が ソフトボールチームにと言うので加入してますと言うのは今まで長女のおまけ的な感覚でvalleyやったりで自分の口からやりたいったのは初めてで..然し ここでも ほかのママとうまく絡めません!職場でも 私の顔を見てはひそひそ話をしてる人を目にしてしまったりあれこれ言われたりで 嫌な気分です..どのようにすればこのような人間関係の悩みがなくなりますか?と 生まれた時から 私は なにかしたのでしょうか?と 今でも 覚えてますが 母親に1度だけ小学生の時 「お前なんか産まないであの子を産んでりゃ良かった」と言われたことがあります!私には7歳離れた兄がいるのですが兄を授かる前に身ごもった事があるが中絶したと言うことは前から聞かされてましたと同時に両親が水子供養してるのを見ては私も幼い時から墓参りには一緒に行ったり家ではお線香あげたりとしてきましたがこのような状態は このコに対して私が まだやる事があるからでしょうか?ほんとにどうしていいかわかりません。またあのときのように 心が折れてしまいそうでたまりません..長々と失礼しましたと宜しくお願いします*_ _)

有り難し有り難し 10
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低能力

自分自身の能力の低さに疲れました。何をやっても人並み以下です… 才も恵まれた環境も容姿も何もありまへせん。人並みならまだしも人並み以下です。努力も足りてないのかもしれないですが、もはや努力する気が起きません。多少何かアドバンテージみたいなのがあればあれですが、何もありません。自分みたいな人間はどう生きていけばいいのかわかりません。過去に自死も行うとしましたが、自身の知識不足と詰めの甘さで未遂に終わり失敗しました。今はせめて自身を親に代わり育ててくれた祖母が他界するまでは生きていようというか細い気力のみで生きてる感じです。あと運にも恵まれてはいません。どうせ報われないことや苦しい事ばかりとやさぐれてます。なにかに恵まれてる人は、夢や目標がバンバン浮かんで人生充実してるのだろうなぁと、ぼんやり考えたりします。年相応でなく、情けない考えだとは思っていますが、この思考から抜け出すことも難しいです。人にも裏切られてきました。 質問としては ・自身の生き方がわかりません。それでも自分みたいな無能でも生きるべきなのでしょうか? ・それとかなり関係なく場違いかもしれませんが、自死した母親が私の後ろに心配そうにくっ付いて回っていると霊感のある人に言われた事があります。勝手に自死したくせに、心配で後ろについて回っているってどういう事なんでしょうね? 以上です。文が下手でごめんなさい

有り難し有り難し 17
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2025/04/28

親の偏った価値観に苦しめられる

28歳、フリーターです。国立大学→教員になった親に能力主義的な価値観を植え付けられ、子供の頃から自発的感情、自分が思う生き方を否定され続けました。進学校→有名大に進むことを己のプライド、アイデンティティとしている親は、自分の正しさを証明する為にそれ以外の価値観を認めることができなかったのです。それは今も続いています。 私は親の価値観が絶対だと思っていましたが、様々な人付き合いを経て、いかに我が家の教育が偏っていて、相手を尊重する心を置き去りにしていたのか気がつきました。ただ、どうしても植え付けられた呪いから逃れる事ができず、日々自分自身を責める毎日です。これまで自分がどうしたいかではなく、いかに親の言う通りに生きることができるかどうかが全てだった私にとって、能動的に生きていく能力はとうに失われ、就職活動を迎える頃にはこれからどうやって生きていけばいいのかさっぱりわかりませんでした。同級生が自立して働き、結婚をして、お給料で親にこれまでの感謝を込めてプレゼントをしている姿を見て、吐き気がします。 衣食住困ることなくここまで来れた、これは恵まれていることで家族に感謝しなければならない、それは分かっているんです。ただ、自分にとっては人格形成期に心を壊され続けた毎日は忘れることはできません。 ここまで書いた大よそを親に伝えたこともありました。しかし、口では悪かったと謝るものの、全く反省の素振りもなく、他者を慈しむ心を忘れて1人の人生を苦しめている事実に気づく様子は見られませんでした。ある種サイコパス的なものを持ち合わせている人ですから、話し終えた時に泣きじゃくる私を見て笑うこともありました。親からしたら、きっと私の十数年の苦しみは理解できないのでしょう。話の最後に「じゃあこれから好きに生きたらいいじゃないか」と言われましたが、もう遅いのです。苦しみの中で自暴自棄になってしまい、大切な友達も恋人もたくさん失いました。積み上げたものが壊れるのは一瞬でした。この苦しみを解決しない限り、人付き合いもままならないのです。今も苦しみは続いているのに、それをわかってもらうこともできない。ただひとこと、これまでの過ちを認め、心からの謝罪がありさえすれば、全て救われるのに。希望はありません。暴力で罪を理解させようとしましたが、人の道を外れたくはないのです。 どうか、救いの道を。

有り難し有り難し 25
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